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旅行記、世相独言

お土産とビーチと -ハワイ- (異文化体験48 戦後70年 ハワイdeゴルフの旅5)

2016年02月20日 15時26分00秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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お土産とビーチと    2016.01.25~01.30

 ハワイのお土産といえば、ABCストアで気軽に買えるハワイアンホストのマカデミアンナッツチョコが定番。しかし、最近少し変化が出始めているとか。
 一つは、ダークチョコの出現。少し値が高くなったが、大人っぽい味でABCストアでも味見が可能。7オンス入り$8.99、3箱セットで$26.89。

          
(左)従来のハワイアンホスト・マカデミアンナッツチョコ  (右)少し大人の味? ダークチョコ

 新顔のお土産定番になりつつあるのが、ホノルルクッキー。パイナップル形状のクッキーで味がいろいろあって、若い女性に人気がある。でも、結構いいお値段で、4種12枚入りが$20。

          
(左)パイナップル形状のホノルルクッキー      (右)4種12枚入り 20ドル

          
(左)ホノルルクッキーのロゴマーク         (右)市内各所にお店はあるが写真は空港内店


 免税店のT GALLERIAは、2,3階にブランドものの専門店が並んでいる。女房殿への土産はいつも私を悩ませるが、今回はスワロフスキーのペンダントを購入。

          
                  (左・右)T GALLERIA のカラカウア通り側の外観と内部

 1階では食料品等を扱っており、先ほどのホノルルクッキーや様々なチョコの試食、KONAコーヒーの試飲が出来る。我が家で一昨年栽培を試みたパッションフルーツ、日本でなかなか手に入らなかったパッションフルーツのジャムがここで手に入れることが出来た($7.5)。

  
(左)1階の食料品を扱うコーナー  (中)パッションフルーツのジャム  (右)一昨年我が家で栽培したパッションフルーツの花

 一方、ABCストアでは、ドライ・トロピカルフルーツが安価に手に入る($5.39)ので、自家製パンに混ぜるためにこれも購入。

          
(左)ABCストアで買ったパンに入れるトロピカルフルーツ     (右)ハワイと言えばコナコーヒー

 

 ワイキキの浜は、いつ来てもその景色は変わらない。浜の中央に立つデューク・パオア・カハナモクの彫像(1990年設置)。1910-20年代の水泳のオリンピック・ゴールドメダリストにして、観光客にサーフィンやカヌーを教えるワイキキビーチボーイズの創始者として、今なおその遺志が引き継がれている。
 浜の端には動物園のあるカピオラニパーク公園がダイヤモンドヘッドを背景に、巨大なバンヤンの木と共に緑豊かな景色を見せている。

        
(左)浜の英雄・レジェンド デューク像  (中)カピオラニパーク内の動物園   (右)巨大なバンヤンの木

 昼間の浜辺は、日光浴の若い女性たちや小さな子供連れのファミリー客で華やかだ。

          
  ワイキキビーチ  (左:ダイヤモンドヘッド側の光景)  (右:ハレクラニビーチ側の光景)

          
                      (左・右)ビーチの日光浴

 夕刻、日没近くになるとサーファーが引き上げ、太平洋に沈む夕日見物で浜辺は賑わう。午後6時にはデューク像の前でホラ貝が吹かれ、松明に灯がともる。一際大きさを増した夕日がサンセットディナークルーズを楽しむスター・オブ・ホノルル号のシルエットを浮かばせながら海に沈んでいく。

          
(左)午後6時 法螺貝の音が鳴り響き、灯が入る      (右)落日に引き上げるサーファー

          
(左・右)この季節の日没は6時15分頃 沖合のヨットやスター・オブ・ホノルル号のシルエットが美しい

 朝のワイキキは、早くも波待ちのサーファーが沖に漕ぎ出し、今日帰るという若い女性たちが最後の記念撮影をしている。

  
(左)波を待つサーファーたちの朝も早い  (中)今日帰るというティーンたちの記念撮影  (右)いつものワイキキの始まり

 我々も11時のホテル・ピックアップで、思い出多き常夏の国から厳寒の日本へ戻る。さらば、ワイキキ!

ワイキキ de グルメ -ハワイ- (異文化体験48 戦後70年 ハワイdeゴルフの旅4)

2016年02月20日 11時08分50秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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ワイキキ de グルメ    2016.01.25~01.30

 旅行本を買うまでもなく、ハワイに上陸すると至る所にカラフルで立派なフリーのガイド本が何種類も置かれている。本によってはガイド内容が一般的なものから高級なものまで様々である。

 到着後、JTBツアーデスクで滞在中の予定をフィックスした我々は、空腹を満たすため周辺を徘徊。折しも小雨が降り出したため、雨除けも兼ねてロイヤルハワイアンセンターのフードコートに。各国のB級グルメが体験できる。「えぞ菊」の味噌ラーメン($7.95)を選択。ボリュームは満点。でも具は少なめ。

          
(左)えぞ菊(クヒオ通りにワイキキ店がある)       (右)ロイヤルハワイアンセンターのフードコート

 初日の夕食。ホテルに置かれているガイド本とにらめっこ。衆議一決したのが、ホテルからさほど遠くない「ShoreFyre」という店のステーキとシュリンプの一皿。本持参で10%ディスカウントと書いてる。行ってみると多分同じ本を見たのだろう、日本のおばさん達4人が店員に同じ料理を日米語でやりあっている。結局頼んだ料理は、これ。黒色のやや大きめの発泡スチロール容器に入って出てきた。この店、テイクアウトも多いようだ。値段は$17ほど。

  
(左)ShoreFyreは右下の店(2階はメキシカン)      (中)店内の様子     (右)食べたのはこれ!テイクアウトがメインの店?


 二日目、ゴルフから戻って自由行動に。美術館に行く者、散策する者、ビーチで泳ぐ者。ゴルフをスルーでラウンドしているので、腹が結構減っている。散策・ビーチ組の3人は浜に面したカラカウア通りのマクドナルドへ。Grilled Artisan CknとFilet-O-Fish、アイスコーヒーの昼食($12.07)。ちょっと食べ過ぎ。

 浜辺のマクド。食事時とは関係なしにいつも賑わっている。

 二日目の夕食。総予算目標20万円ではそうそう豪華ディナーというわけには行かない。が、昨夜の弁当もどきの夕食に反省し、同じく10%ディスカウントで大型ロブスター&ステーキ$25と宣伝する「Seaside Bar & Grill」という店に。太平洋に沈む夕日を見た後、店の前まで行くと何と店のおばさんが道行く人に1割引のチラシ呼び込みをしている。まだ6時半、夕食には少し早いようだ。私が注文したのはフィレ・ステーキ。300gほどあったが$27ほど。サラダ、トースト、デザートがついたセット・メニューでこの値段。満腹!

  
(左)「Seaside Bar & Grill」の外観        (中)店の勧誘おばさんが配るチラシ        (右)同行メンバーと  

          
(左)フィレ・ステーキ $25                     (右)チラシの大型ロブスター&ステーキ $25

 三日目は、半日観光の最後に軽食(パンケーキと飲み物)が提供され、かつ、この日の夜はポリネシアン・カルチャー・センターでのディナー・ショーということもあって、昼食は抜き。免税店に行って試食や買い物で夕刻までのひと時を過ごす。

                
(左)PCCのガイドペーパーとチケット(オフシーズン価格のようだ)  (右)PCC内部(劇場とレストランは左端)

 午後4時半ころ、ポリネシアン・カルチャー・センター(PCC)の専用バスでワイキキを出発。一路サーフィンのメッカ・ノースショアを目指す。道中の説明では、PCCの設立目的の一つは、PCCに近接するブリガム・ヤング大学にポリネシア・トライアングルからの多くの学生が学んでいるが、金銭的理由から中途退学せざるを得ない学生が多く、それを解消するためにPCCを設立(1963年)し、学生たちがアルバイトをしながら学業が続けられる仕組みを構築しているとのこと。現在社員1000名でそのほとんどが学生とか。PCCが提供する「ルアウ=おもてなし」を存分に楽しんで下さいとのこと。

          
(左)ポリネシア・トライアングル      (右)シャカサイン(親・子指を立てるハワイの挨拶)創始者ハマナ・カリリ像

 スタンダードコース($60)の我々は、700名収容のダイニングレストランでチキン・ポーク・ハワイアンフード等のビュッフェが提供される。デラックス($80)では、どんな料理?か、知る由もないが、空腹にはこれで十分である。

          
(左)スタンダードコースのビュッフェ               (右)700名収容のレストラン

 食事を楽しんだ後は、2400名収容の大劇場で300万ドルを投じて創り上げた総勢約100名のキャストによる90分間のイブニングショーが始まる。
「HA BREATH OF LIFE」。ハワイ・タヒチ・トンゴ・サモア・アオテアロア・フィジー6つの島々の文化を取り入れた一人の一生を題材にした物語が展開される。ファイアーナイフ、フラ、タヒチアアン等のダンスと音楽が存分に楽しめる。終演は午後9時。ワイキキへの帰着は午後10時過ぎ。

  
(左)300万ドル、100名のキャストによるショー (中)幕間の学生による民族楽器演奏    (右)フィナーレ

 最後の日。ノースショアのゴルフ場から戻ってきたのは午後2時半ごろ。多少、空腹感はあるが帰りの飛行機のWEBチェックインを済ませる必要があり、終わったのが3時半頃。

 最後の夜は早めの夕食にしようと、別のガイド本等を物色。衆議一決したのは、カラカウア通りとクヒオ通りが交差する辺りのリブ・ステーキの店。名を「Tony Roma's」という。6時過ぎではあるが、結構賑わっている。チョイスはいろいろあったが、ウェイター君のお勧めの
Original Baby Back Ribsを注文。カットがいろいろあるようだがRoma Rack($25.99)で。付き合わせも選択可能で、私はブロッコリーとベイクドポテトを選択。飲み物、アイスクリーム、チップ等込々で$39.00の最後の晩餐であった。

          
(左・右)Tony Roma's Ribs・Seafood・Steaks の外観(全米に展開されている)

私の中でのバーベキュー・リブの世界ナンバー1は、S.F.郊外メンロパークにあるマッカーサーパーク。かつてスタンフォード大学の研究所と1年ほどプロジェクトを組んだ時にモーテルから通った駅舎改造の店だが、この時の味を思い出させるお薦めの店である。

          
(左)一押しのOriginal Baby Back Ribs Roma Rack($25.99) (右)お店のメニューから
 
 我々は利用していないが、興味ある店を二つ紹介する。
 一つはホテル斜め向いのMakino Makittiiという店。ポリネシアンショー付きのJapanese Seafood Restaurantで、シニアーは何と$21。
 もう一つは、ご存知丸亀製粉。クヒオ通りに面した店には、食事時には長蛇の列が出来る。オフタイムでも、中はかなり混雑している。$10以下で食事が出来る。

   
(左)Makino Makittii(手軽にポリネシアンショーが見れる) (中・右)丸亀製麺(食事時はこのロープの内に長蛇の列が)

 こうして見ると、肉ばかり食ったワイキキ・グルメレポートでした。

パール・ハーバーとカメハメハ王朝 -ハワイ- (異文化体験48 戦後70年 ハワイdeゴルフの旅3)

2016年02月19日 11時09分22秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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パール・ハーバーとカメハメハ王朝   2016.01.25~01.30

 ゴルフの合間は、再訪者も初訪者も行ったことのない真珠湾とイオラニ宮殿をメインとする半日ツアー。オプショナルツアーを手掛けるmyBus社の88ドルのツアーである。

 ハイアットのピックアップポイントを7時半ごろに出発し、まず最初に向かったのがホノルル1のビューポイント「タンタラスの丘」。1840年頃、ある学校の生徒たちが急勾配の長い坂道を登りながら「Tantalizingly out of reach (まだ着かないのかよ、じれったいよ)」とつぶやいたのがこの丘の語源だとか。夜景も素晴らしくツアーが出ている。

朝のタンタラスの丘からの眺望(私が撮った3枚の合成写真)

 次に向かったのは、ハール・ハーバー (真珠湾)。
 時間の関係で今回はフォード島の日本の降伏文書調印式が行われた戦艦ミズーリと今なお1777名の遺体と共に海面下に沈む戦艦アリゾナの上に建つアリゾナ記念館には行けないが、ハール・ハーバー・ビジターセンターと1941年12月7日の1年後に着水した潜水艦ボーフィンを見学。
 宣戦布告が奇襲行為から1時間後という、いわば不意打ちで始まった戦争に、戦艦アリゾナは奇襲忘れぬ「屈辱」の象徴として今なお訴え続けている。ルーズベルトは、12月7日を「Remember Pearl Harbor」を合言葉に屈辱の日とし、1945年8月トルーマンは原爆投下の理由の一つにこの無警告攻撃をあげている。

          
(左)アリゾナの遺品(We will never forget Dec.7.1945) (中)案内図     (右)潜水艦ボーフィンと真珠湾歴史施設サイト

  
(左)80人乗り 敵艦44隻を撃沈したボーフィン (中)船尾側魚雷発射装置  (右)ボーフィンから見たアリゾナ歴史館と戦艦ミズーリ

  
(左)ARIZONA記念館(右側)と MISSOURI記念館(左側)  (中)アリゾナの水中艦影を跨ぐ形の記念館   (右)炎上するアリゾナ 

 お次は、ご存知「この木なんの木のモンキーポッド」。モアナルア・ガーデンは日本人しか行かない観光スポット。高さ約25m、最大枝幅約40m、幹回り約7mのこの日立の樹に、日立は毎年4000万円の維持費を払っているとか。

 あの木なんの木は、年間維持費は何と4000万円

 次に向かったのは、ハワイアンの聖地マウナ・アラ(ロイヤル・モザリウム=ハワイ王室の墓地)。ここは合衆国星条旗を掲げずハワイ王国の旗のみを掲げることが許されている地球上で唯一の場所。この墓地を守るのはカメハメハ1世の重臣のアリイの家系の人々。カメハメハ1世の「遺骨は隠せ」との遺言で、強大なパワーが残っていると思われる遺骨は未だみつかっていない。ゆえに彼のお墓はここにないとのこと。ここに眠っているのはカメハメハ王朝とカラーカウア王朝の人々。

   
(左)ハワイ王国の旗 星条旗はない         (中)カメハメハ王朝の墓碑           (右)神聖なる墓所

 最後の訪問地は、イオラニ宮殿。
 その前にハワイの歴史を少々。ハワイ王朝は、カメハメハ1世によって1796年に君主国家として成立し、1893年リリウオカラニ女王の代に王朝が終焉するまで約100年続いた。イオラニ宮殿は、1882年~1893年までの約10年間、最後のハワイ王国の中心としてカラーカウア王とその後継者リリウオカラニ女王の公邸であったところ。

          
(左)イオラニ宮殿正面                (右)ツアーのお土産 イオラニ宮殿解説本

        
(左)カラーカウア王           (中)カピオラニ王妃      (右)ハワイ王国最後の王、リリウオカラアニ女王

 イオラニ宮殿は、アメリカン・フローレンス様式と言われるヴィクトリア時代の熱帯・亜熱帯地方に多く建てられた建築様式で、カラーカウア王は多くの斬新な要素や設備を取り入れた。例えば、水洗トイレ付化粧室、ガス灯のシャンデリア(その後一早く電気の導入)、箱型電話等々。クリスタルガラスの扉パネルや入口の正面大階段、玉座の間等々、その建築美には目を見張るものがある。

 来日経験もあるカラーカウア王には献身的な慈悲深い妻カピオラニ王妃がいたが子供には恵まれなかったようで、動物園一帯がカピオラニ公園として今もハワイの人々に親しまれている。
 王国最後の王、リリウオカラニ女王は、カラーカウア王の妹でわずか2年間の在位であったが、1895年には謀反隠蔽の疑いで宮殿2階の客間に幽閉され、筆記用紙と鉛筆を与えられていた彼女は五線譜を自ら引いて多くの曲を譜面に起こし、「女王の祈り」という素晴らしい歌を作詞・作曲している。

  
(左)宮殿扉のクリスタルガラスには彫られた王国の紋章      (中・右)大階段 素晴らしい木工芸術

          
(左)赤い絨毯が一際映える玉座の間        (右)戴冠式の宝器(純金の英国製)王冠にはハワイのタロイモの葉の模様が。

           
(左)金の間/音楽室(金色モヘアサテン地張りの円形ソファには楽譜が    (右)贈られた各国の勲章(日本のもある)

 また、ハワイの代表歌「アロハ・オエ」も彼女がつくったものである。

Ha`aheo ka ua i nā pali        雨が誇らしげに尾根を横切り
Ke nihi a`ela i ka nahele         森の中を通り抜けていく
E hahai (uhai) ana paha i ka liko   未だ開かぬ蕾を探しているかのように
Pua `āhihi lehua o uka          山あいに咲くレフアの花よ[注釈 2] 〈Hui〉
Aloha `oe, aloha `oe           あなたにアロハ あなたにアロハ
E ke onaona noho i ka lipo       木の陰に佇む心優しき人
One fond embrace, a ho`i a`e au  去っていく前にもう一度あなたを抱きしめよう
Until we meet again           また会えるその時まで

          
(左)カメハメハ大王(1世)とその王妃の肖像画        (右)イオラニ宮殿を見つめるカメハメハ大王の像

 今日も、カメハメハ大王(彫像)がイオラニ宮殿の正面を見つめている。

てんとう虫とビッグウェーブと -ハワイ- (異文化体験48 戦後70年 ハワイdeゴルフの旅2)

2016年02月18日 16時22分34秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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てんとう虫とビッグウェーブと    2016.01.25~01.30

 今回選択したゴルフ場は、Ko Olina GC & TURTLE BAYのGEORGE FAZIO COURSE の二つ。

 島の西(左)側コオリナ と 北(上)側タートルベイ

 Ko Olina GC(コオリナゴルフクラブ)は、毎年LPGAのロッテチャンピオンズシップが開催され、オアフ島でゲストがプレイできる1,2を争う名門コースと言われている。2012年に宮里藍選手が優勝しており、今年2016年は4月13-16日の開催だ。

       
(左・中)LPGAロッテチャンピオンズ過去4年の覇者とスコア   (右)2016年(4月13-16日)の覇者は? 

 一方、タートルベイにはジョージファッジオコースとアーノルドパーマーコースの2つのコースがあるが、上級者向けのパーマーコースは避けて、ファッジオコースにチャレンジ。ノースショアに面しサーファー好みのビッグウェーブと風が名物の難コースである。

          
(左)タートルベイ進入路の案内石               (右)ノースショアのビッグウェーブ(パイプライン)

 代理店はKATOゴルフ。送迎込でコオリナが205ドル。ファッジオが125ドル。

 1月26日6時45分のホテル・ピックアップで島の西側のコオリナへ。往路の車中でスロープレイや乗り入れカートの90度ルール、コース内トイレ等の注意事項を聞きながら、延々と続く反対車線の朝の通勤ラッシュに驚かされる。
 クラブハウスの前には、2014年の覇者ミシェル・ウィーの実話が銘板で張られた彫像がある。「(コオリナのロゴ)てんとう虫が舞い降りたらやさしくそっと息を吹きかけて逃がして上げると幸運が舞い降りる」という伝説らしい。

    
(左)てんとう虫ロゴのGPS搭載電動カート  (中)クラブハウス入口のレジェンド彫像   (右)ミシェル・ウィーの実話

 スタートは8時24分。GPS搭載の二人乗りカートには氷で冷やされたミネラルウォーターと名前入りのジャンボ・プラコップが備えられお土産にどうぞということらしい。300ヤードあるドライビング・レンジは無料のボール貸し出しで好きなだけ練習できる。
朝露に濡れたフェアウェイは朝日に光ってボールが見えにくいが、数ホール進むと朝露も消え、きれいに整備されたフェアウェイと木々の緑、真っ青な空が南国のゴルフを実感させる。

  
(左・中)スコアカード OUT3252yd IN3180yd TOT6432yd             (右)OUT1番ホール 朝露が陽光に輝いてまぶしい

 OUTの名物ホールは8番165ヤード、2段グリーンのショートホール。池の先に小さな滝をしつらえた庭園がありその上にグリーンがある。ここはワンオンしてパーで通過。

  
(左)OUT#4 184yd ワンオン・パー通過 (中)OUT#6 357yd ボギー通過  (右)名物ホール OUT#8 165yd ワンオン・パー通過

 INの10番から11番にかけては、ホールの右側を列車の線路、左側を一般道路が走っており、かなり気を使うホール。更に11番が終わるとカートが滝の下を通って、名物12番やや打ち下ろしのショートホールを迎える。ティグランドの下はここにも小さな滝をしつらえたきれいな庭園が広がる。

          
(左)IN#11 337yd 右に線路、左に車道           (右)曜日によってはゴルフ場内を列車が通る

          
(左)#11 パーで通過後、滝の下をくぐって#12ティグランドへ  (右)名物#12 166yd ティショット失敗でダボ通過   

 もう一つの名物ホールは、18番ホール。403ヤードのパー4。途中池で分断されたフェアウェイをドライバーでどこまで稼げるかが第2打の鍵になる。

  
(左)名物#18 403yd 第2打池越え失敗ダボ  (中)300ydのドライビングレンジ     (右)マスター室・クラブハウスとロイズ

 結局、46・45の91がこの日のスコア。ガイドがお勧めのチーズバーガーを食することもなく、ショップで記念にてんとう虫のグリーンマーカーを買って、ワイキキのホテルに戻ったのは午後1時半ごろ。


 1月28日6時30分のホテルピックアップで、一路北へ北へ。オアフ島のノースショアはビッグウェーブが期待できることからサーフィンのメッカでもある。今日は大会でもあるのだろう、沢山の車が詰めかけている。

 クラブハウス前のマスター室

 タートルベイの商標はビッグウェーブ、いわゆるパイプライン状の波。今日回るコース名のジョージ・ファッジオは1940年代に活躍したゴルファーらしい。途中混んでいたこともあって9時過ぎのスタートとなった。

     
(左・中)ジョージ・ファッジオコースのカードと本人画像         (右)アーノルド・パーマーコースのカード 次回は是非挑戦

 普段はもっと風が強いらしいがこの日はそれほどでもなく、広々としたフェアウェイ、やや短めのコース(計6100ヤードほど)にOUTはスコアも好調を維持。途中、カートのパワーがダウンし、カートの交換というアクシデントもあった。
 INには名物ホールの11番150ヤードのショートホールがある。グリーンの先には、ビッグウェーブが押し寄せる名物ホールだ。さすがに海っぺりは風が強い。
 更に、12番ホールはこの海を背に打ち出していく362ヤードのミドルと続く。

           
(左)名物ホール11番ホール 150yd パー通過          (右)グリーンの奥にはサーファー好みの波が 

           
(左)11番グリーン横に12番(362yd)ティグランド ボギー通過  (右)吹き抜ける風に潮飛沫が感じられる

 恐らく普段は特にINは強風との戦いとなるゴルフ場と思うが、この日は幸い穏やかで、41・45の86でのラウンド。ホテルに戻ったのは午後2時半過ぎであった。
 早速、翌日の帰国にそなえ飛行機のWEBチェックインに取り組むも、これが一苦労。

 実はホテル・サンドヴィラの横にアラワイ・カナルという運河があり、その向こうにAla Wai Golf Courseがある。ホテルで聞くと早いもの順でスタートしていくパブリックで、料金は不確かだが多分50ドルほど、とのこと。練習ラウンドにはうってつけだ。

 ホテル部屋から見るカナルの先にアラワイゴルフコースが広がる

 いずれのゴルフ場も、苦労するのは距離測定。GPS搭載でも日本のようにご親切に残り表示が出るわけでなく、自分で計算しないといけない。ましてGPSのないカートであればコース案内を見ながらバンカーやクリーク等目標物を踏まえて計算する必要がある。また、タートルベイはバンカーが固く締まっていて、バンカーショットは極めて難しい。
  しかし、快適なゴルフプレイが楽しめる。是非また来たいものだ!!!

Viva ハワイ! -ハワイ- (異文化体験48 戦後70年 ハワイdeゴルフの旅1) 

2016年02月18日 12時24分48秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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Viva ハワイ!   2016.01.25~01.30

 戦後60年の時は、サイパンに行った。そして、今回は戦後70年。戦争のない幸せを噛みしめながら、過去2回のハワイ訪問で行っていない真珠湾を訪問してみよう。
 初めて乗ったハワイアン航空が25年ぶり、3度目のホノルル空港に着陸した。再訪3人、初訪1人、計4人の学生時代の仲間による念願のハワイでのゴルフツアーの幕開けだ。
 現地実質3.5日、ゴルフ2ラウンド、半日観光、半日ワイキキ浜浴、1回は豪華ディナー、そしてホテルはワイキキ無星OK、これらの条件を満たして総予算は20万円の旅。

  
(左)初めて乗ったハワイアン航空               (中)ホノルル空港            (右)ホノルル空港周辺の風景   

 今冬最大の寒波に見舞われている日本からホノルルに降り立つと、誰しも早く何とか着込んだ防寒具を脱ぎたいもの。一流ホテルを次々回って一番最後に今回の宿舎「ワイキキ・サンド・ヴィラホテル」に到着したのが12時過ぎ。ラッキーにもチェック・インOKとのことで早速2部屋に分かれて夏バージョンに着替えを済ます。バスタブもあり、ウオッシュレットまで完備されており、申し分ないホテルだ。

          
(左)WAIKIKI SAND VILLA HOTEL                 (右)ワイキキ周辺MAP(ホテルは中央上の運河沿い) 

 早速、JTBオフィスに出向いて、日本で申し込んだ観光ツアーの確認とディナーショーの申し込みを済ませ、ワイキキ周辺を散策する。若い女性の浜辺の日光浴姿、ウクレレ同好会の練習、カピオラニ王妃の公園の緑等々、いつもと変わらぬワイキキである。

          
(左)ハワイといえばこの景色(昔は消波ブロックはなかった?)   (右)浜辺ではウクレレ同好会の演奏会?

           
(左)いつもの浜辺の景色                       (右)緑豊かなカピオラニ王妃公園

 私が初めてハワイを訪れたのは、今から丁度30年前の1985年2月。オイルショック後の日本のエネルギー事情の混迷期に主要電力・ガス会社が合同で我が国の都市エネルギーの在り方を研究するチームが発足し、約1ケ月3~4名の2班に分かれて欧米諸国を調査し、最後に合流・立ち寄ったのがこのハワイ。西海岸からハワイに向かう予定がパン・アメリカン(パンナム)だったのだが、急なストでアメリカン航空への振替輸送となった。席の奪い合いで大混乱の中何とか席にありつけたのが何とファーストクラス。この時泊まったのがパシフィックビーチ・ホテル。今も健在だ。

  
初めてのハワイ訪問時(40歳) (左)ハナウマ・ベイにて  (中)ワイキキにて     (右)現在のパシフィック・ビーチ・ホテル

 2回目のハワイは、25年前の1991年6月。義弟のジューン・ブライド、結婚式でオアフ島とマウイ島を訪問。若い人達にまじって女房とマリン・スポーツの一日ツアーに参加。ウインド・サーフィンで最後までボードに立てなかったのが未だに残念な想いとして残っている。マウイ島での泊まりはラハイナ・ショアーホテル。オアフの喧騒とは別世界の静かな魅力ある島だ。ホノルルでの泊まりは、カピオラニ女王公園に面したパーク・ショアホテルで、これまた今も健在だ。ホノルルではこの時パン・パシフィック・フェスティバルが開催され夜遅くまでカラカウア通りはブロックパーティで賑わっていた。

       
2回目のハワイ (左・中)ZERO GRAVITYのスキューバ入門修了書と参考写真   (右)オアフ・ワイキキのパークショア・ホテル 
              
(左)マウイ島のラハイナショア・ホテル      (右)マウイ島 ラフィオカラニ教会


 さて、25年ぶりのハワイ・オアフ島。明日は、早速コオリナ・ゴルフクラブでのラウンドが待っている。
ビジターゴルフ場ではオアフ島で1,2を争うゴルフ場と聞いている。

  Duke Kahanamoku像の前で

 さあ、ツアーの始まりだ。

ゴルフの後のお楽しみ -グァム-(異文化体験43 グァムdeゴルフの旅3)

2014年08月21日 14時42分12秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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ゴルフの後のお楽しみ -グァム-  2012.9.6-9.9

          
(左)グァム・リーフ・ホテル                         (右)ホテルの部屋(全室オーシャンビュー)

 ゴルフ場からの帰りは各ホテルへの混載送迎バスとなる。出発が12:30から1時間毎となるので、7時過ぎのスタートであれば12:30のバスに乗って、1時45分発の定期半日観光バスに間に合う可能性があった。
 しかし、フェアウェイがぬかるんでいたため大幅にプレイ時間を要したり、スタート前のスコール、プレイ後のシャワー等で結局12:30のバスに乗ることは3回とも出来ず。


              
(左)部屋から見たDFS(免税店)等の繁華街、山手奥はもう飛行場   (右)ホテルの前にあるデューティフリーショッパーズ

  
(左)部屋から見るタモンビーチ         (中)ホテルの裏手のビーチ          (右)海と一体化したようなホテルのプール

 ホテルに戻ったのは2時から3時頃。夕刻までさてさてどう時間をつぶすか?
1)休息も兼ねて昼寝
2)洗濯(昔と違って各航空会社が手荷物の無料サービス制限を実施しているので、デルタの場合ゴルフバッグ(23kgまで)を預けると、後は機内持ち込み可能なバッグ一つとなるので、着替え類は最少にする必要がある)
3)DFSやABCストア等でのショッピング
4)プールや海で泳いだり、浜辺の散策等 といったところ。

 最大の楽しみは、夕食等のナイトライフ。

 ← リーフホテルのレストラン「Alize(アリーゼ)」

 初日は、リーフホテルのレストランで飲み放題バイキング。宿泊客には20ドル程度の割引サービスがある。和・洋・中、一応のメニューはそろっているが、自分で素材とソースを選択して料理人に鉄板で焼いてもらうBBQもどきが一番美味かったと記憶。

 ← 二日目はオーシャンビュー・ホテル&リゾートの「チャモロ亭」

 二日目は、高台にあるオーシャン・ビュー・ホテル&リゾートの「チャモロ亭」での郷土料理。近くだが高台だけにホテル送迎バスがある。40年前の本に掲載されているチャモロ料理(「ケラグエン」、「カンコング」「ヤム」等々)とチャモロ亭で提供されている料理とは、名前は同じでも、素材・味付けは大きく変わっている。どちらかと言えば東南アジアで食するエスニック料理に近いメニューが多い。


 最期の夜は、海中展望塔見学付きのフィッシュアイ・ポリネシアン・ディナーショー。料金は、お一人様85ドル+飲み物代。

        
                    ピティ湾ボム・ホールにある海中展望塔(水深10m)

          
   水深10m・360度の世界が見れる(観光客が来ると餌つけダイバーが魚を呼び寄せる仕掛)

 ピティ湾のボム・ホールに作られた水深10mの海中展望塔に寄って、何のことはないその真ん前にあるのがお目当てのレストラン。
 料理はシーフードバイキング。日本人コックが作っているというから日本人好みのメニューと味。もっともお客さんはほとんどが日本人だが、満席状態。

          
          
  フィッシュ・アイのポリネシアン・ダンスショー(ステージのみならずディナー席でも客も参加して1時間強のショー)

 HISのツアーデスクが、数あるディナーショーでは一番人気というだけあって、ショーの内容はプロダンサーによるしっかりしたものであった。

 帰国日は、スターツ・ゴルフ&リゾートから戻ってから昼食。ドルが残り少なくなって10ドルしかない同行者も。マクドナルドあたりならいけそうだが、「ビールも飲みたい!」と言う。「なら、ハードロックカフェに行けば何とかなるのでは?」と言うと、「何それ?」。
 ハードロックカフェが通じない歳頃のおじさん達。結局10ドルでは足りなくカード払いに。

 空港は日本に向かう昼便が6本ほど(ユナイテッドとデルタが成田、関空、セントレア行き)同じような時刻に出発する。このためごった返して長蛇の列が出来ている。往路と違って日曜日の帰国便は超満席である。

 ← 海中展望塔から見たグァムの落日

 同じメンバーで来年は、ヴェトナム・ゴルフ&観光ツアーを計画してみようかということに。楽しみだ!

(しかし、2014年夏現在、残念ながらまだ実現していません。)

グァム・ゴルフツアー -グァム-(異文化体験43 グァムdeゴルフの旅2)

2014年08月18日 21時28分52秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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グァム・ゴルフツァー -グァム-  2012.9.6-9.9

          
(左)グァム・リーフ・ホテル               (右)新規オープンのHISラウンジ(無料コーヒーは12-14時の間、誰が利用するの)

 繁華街に近いところが良いという皆の意見で「グァム・リーフ・ホテル」が今回の宿舎。ゴルフの予定だけが決まっていて、後は何も決まっていない。部屋にチェックインしたのは午後4時近く。とりあえず今夜はホテルのレストランで飲み放題のバイキングと決め、明日以降の予定をお隣りのかなり立派なグァム・アウトリガー・リゾートにあるHISツアーデスクで相談する。

 結果、明日の夕食はチャモロ料理の店、最後の夜は少し豪華にショー付きディナーに決めて予約を入れる。後は、ゴルフの上がり時刻次第で半日観光も含め流動的に対応することに。

 ← 40年前のグァム観光地図 確かにゴルフ場は少ない

 新婚旅行で来た40年前のグァムには、ゴルフ場は3つあったらしいが、うち2つは米軍専用で一般客が利用できるのは、ウィンドワードヒルズ・ゴルフ場のみ。中央丘陵地帯の18H、6425Y、Par72のゴルフ場で、グリーンフィーはビジター5ドルであったようだ。
 
 今回のゴルフは、7日がタロフォフォ・ゴルフクラブ8日がグァムのゴルフ場の代名詞のようなマンギラオ・ゴルフクラブ最終9日がスターツ・ゴルフリゾート。いずれも朝のホテルピックアップが、6時11分、6時55分、5時55分と早い。

《タロフォフォゴルフクラブ》
          
  (左)タロフォフォ・ゴルフクラブスコアカード          (右)池を配した綺麗なコース設定

 早速、初日にトラブル発生! ピックアップが予定時刻を10分過ぎても来ない。所定の連絡先に電話すると、「すぐに迎えに行くから待ってくれ!」。 結局30分以上遅れて女性ドライバーのタクシーがやってきた。彼女の寝坊が原因のようだが真偽のほどは?。
 タロフォフォ・ゴルフクラブからお詫びとやらで、ネームタッグとティー、マーカー、それにゴルフボール1スリーブが4人夫々に送られる。

 ← タロフォフォゴルフクラブからのお詫びの品

          
(左)タロフォフォOUT2番ショートホール           (右)グリーンが池に囲まれた美しい名物ミドルのティグラウンド

 運悪く3日ほど前に雨がかなり激しく降ったようで、フェアウエイは広範囲にぬかるんでいる。ボールは泥がついて毎回ふき取らなければならない状況の中でのプレイを強いられる。ランがほとんどなく、下手をするとめり込んで探すのに苦労する場面もあり、長いホールは苦しい。反面、グリーンは柔らかいのでボールは良く止まってくれる。
 見た目は綺麗なゴルフ場だが、靴や靴下は泥だらけ。結構時間のかかるゴルフとなった。


《マンギラオ・ゴルフクラブ》
                
(左)マンギラオのスコアカード   (中)マンギラオのヤーデージブック(コース案内書)     (右)山側コースから見た海側コース

 2日目は、時刻どおり大型バスでのピックアップ。最大の楽しみのマンギラオ・ゴルフクラブだが、ここもコース状況はほとんど変わらない。アウトは山手のコースで、インに入ると海沿いの名物ホールとなる。特に12番は海越えのショート。13番は海越えのミドル。7年目にプレイしたサイパンのラオラオベイのゴルフ場と良く似た感じである。
 幸い名物のショートホールはうまくワンオンで乗り切ったが、ロングホールのティーショットはボールが海の藻屑となってしまった。

            
    (左)名物海越えのショート IN12番      (中)IN13番の海越えロングホール     (右)プレイ後、クラブハウス前にて

《スターツ・ゴルフリゾート》
 ← スターツ・ゴルフリゾートのスコアカード

 帰国する最終日も、時刻どおりのピックアップ。しかし、プレイ前の雲行きが怪しい。と思っているとスコールが来た。かなり激しい雨である。ここスターツ・ゴルフリゾートは繁華街と離れている関係からか、アスリート系のゴルファーが多そうだ。

          
(左)スタート前に強烈なスコール(虹も出て)      (右)スタートハウス前(東・西・北の27ホール)スコールの後は青空が

 20分ほどでスコールは止んで虹も出た。あれだけの雨が直前に降ったにもかかわらずフェアウェイの状態は前2回のゴルフ場よりはるかに良い。東コースが終盤になると北コースの4番ホールに行ってくれとスタッフが指示に来た。3番までが混んでいるようだ。スタッフの先導で場内をカートでショートカットしながら4番ホールからINをスタート。


 午後の半日観光も時間が間に合わず・・・

 結局、初日、二日目ともプレイが終わったタイミングが、DFS13時45分発の半日観光バスに乗ることが出来そうにないので、ゆっくりゴルフ場のレストランで昼食。ホテルに戻って目の前のDFSやABCストアでのショッピングや、浜辺の散策で時間を費やすことと相成った次第。

グァム今昔 40年 -グァム-(異文化体験43 グァムdeゴルフの旅1)

2014年08月13日 11時33分47秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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グァム今昔 40年 -グァム- 2012.9.6-9.9

      
(左)40年前のグァム島内案内の地図               (右)Look JTBのグァム案内本 

 43回目の海外旅行は、私の海外旅行初体験の地「グァム島」である。
 40年ぶりの訪問であるが、新婚旅行でもあった初回の思い出と重なるところがあまりにも少ない。
 
 40年前(1972年)の5月、結婚式、披露宴後の20時40分PA(パン・アメリカン)801便は伊丹空港から飛び立ち、翌0時55分グァムに到着。生暖かい風の中、新しく出来た日系「グァム第一ホテル」にチェック・インした。

      
(左)懐かしい青色パスポートと現在のパスポート    (右)このパスポートは米国及びマリアナ諸島に有効

              
      (左)40年前の米国ビザ(査証)    (右)予防接種証明書(いわゆるイエローカード)の表紙

 パスポート以外に、ビザ、イエローカード(予防接種証明書)、外貨申請が必要で、円の持出し制限は1000ドル(36万円)、円・ドルレートが固定相場制の360円/ドルの時代であった。

 1971年の大阪国際空港(伊丹空港) 写真のパンナムはB707

 飛行機は当時世界の空を制覇していたパンナムで、ジャンボジェットが登場(1970年から)してまだ日が浅い時であった。当時、伊丹空港は滑走路の問題でジャンボジェットは飛ぶことが出来ず、どうしても乗りたかった私は、帰路を羽田経由にしてジャンボジェットに乗った次第である。

      
(左)パンアメリカン航空のB747(参考写真)          (右)パンナムの麻製旅行バッグ

 2005年のサイパン旅行以降、米国の出入国管理を体験していないので、この間いろんな手続き上の変化があった。
 まず、日本側は出入国カードがなくなった。米国側は渡航認証(ESTA)が必要になり、ビザ免除国短期旅行者の入国は、2006年10月26日以降日本の機械読取式旅券は有効期限が切れるまでビザが免除され、従来の入国審査に加え2004年以降「顔写真の撮影」「指紋の押捺」が義務付けられた。

 グァム空港での入国審査は、日本各地からの昼便が一度に着くので日本人でごった返している。
 私の審査官は硬い表情で淡々と業務遂行している比較的若い女性。 「何日いるの? 」「5日ほど」「グァムは何度目? 」「2度目、でも40年前の新婚旅行だから」「 (にこっと笑って)随分変わったわよ。楽しんで! 」 この間、右手親指、右手残り4本指、同じく左手親指、左手4本指、そして顔画像を順番に撮って、無事入国。

 横井庄一さん発見を伝える朝日新聞(1972.1.25)、日本中が驚いた日

 横井庄一さん(元日本兵)をご存知かな? 横井庄一さんがグァム島のジャングルから帰還(当時57歳)されたのが、私の新婚旅行訪問の3ケ月前のこと。日本の無条件降伏を知らず28年間もの間、グァムのジャングルで一人生き延びた方で、日本はすでに高度成長期を迎えていた。
 知らない方は、是非私設記念館を訪ねてみて下さい。
横井庄一記念館のURL ⇒ http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage201.htm

      
(左)40年前の「グァム第一ホテル」            (右)現在のグァム・フィエスタ・ホテル(旧第一ホテル)

 40年前のグァムは、タモン湾に新しいホテルがいくつか建設中で、私の泊まったグァム第一ホテルもその一つ。現在はグァム・インフィニティ・ホテルと名前を変えて当時の建物をそのまま使って台湾系の資本が経営している。同じ角度の写真を見ての通り、昔の緑一色のタモン湾のビーチも今やホテルやDFSはじめ様々な施設が林立している。

 ←40年前  現在→ 
(左)40年前のタモンビーチ(第一ホテルから恋人岬方面には建物らしきものがほとんどない)
(右)フィエスタホテルから同じ方向を見た写真(ホテル等が林立している)

 現在、リゾート客がたむろする繁華街の中心は、タモン湾に面したDFSあたりで、今回のゴルフツアーに使ったグァム・リーフ・ホテルはまさにDFSの前にある。40年前に泊まったグァム第一ホテルからはビーチ沿いに徒歩で25分ほどの距離である。

 街の中心アガナの当時の地図

 昔はホテルの周りは何もなく、政治・文化の中心はアガナ、経済の中心はタムニングで、ショッピングはアガナ市街を貫通するマリーンドライブがショッピングセンター街であった。とは言え、グァムの土産物となるとミクロネシア産の民芸品やアクセサリーくらいのもので、我が家には首刈族の木彫り人形がグァムからやって来た。

 新婚旅行で買ったミクロネシアの民芸品

 若い入国管理審査官の女性が、ニコッと微笑んで「グァムも変わったわよ、楽しんで! 」と送り出してくれたが、さてさてどのように変わったのか、楽しみである。

(参考)初めての海外旅行グアムのブログは、以下のアドレスでご覧いただけます。
http://blog.goo.ne.jp/skhr0247/e/f7f5d3bfc4d9d98a96df394b819c574e


ボージョボー人形とポリネシアンダンス(異文化体験40 サイパン戦後60年の旅3) 

2014年03月20日 11時07分53秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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ボージョボー人形とポリネシアンダンス-サイパン- 2005.07.08-07.10

 無事ボールを余して18ホールをラウンドし終え、ホテルに戻ってホテルレストランで和食の昼食を取りながら、午後と夕方の過ごし方を協議する。
 折角サイパンまで来たのだから綺麗な海で少しは泳がないと、ということで2時間ほど泳いだ後で、お土産等ショッピング。夜はポリネシアンダンスのディナーショーと協議決定。DFS等のある街の中心とグランドホテルとは5kmほど離れているが、Koncha Cardというカードを見せれば巡回バスがフリーで乗れる。

 浜辺から見たホテル、日光浴の人影もまばら

 同僚の一人がマリンジェットを体験する間、残り3人はホテル前の浜辺の小さな岩場で熱帯魚観察。浜辺は日光浴をする若い女性が数人いるだけで、マリンジェットの音を除けば静寂な空間が広がっている。

 午後の静かな浜辺に遠くでマリンジェットの音だけが響く

 午後4時頃から街の中心にショッピングに出かける。海に囲まれたサイパンであるが、意外と食べ物の値が高い。魚もほとんど外から運び込まれたものと聞く。これぞご当地土産といった特産品が見当たらないサイパン、どうしても手工芸品やTシャツ類、ナッツチョコということになる。

 買物の中心、DFSの入っているGALLERIA

 同僚の一人がメモを持ってDFSの店員に聞いてまわっている。ボージョボーとかいう人形がないか?ということらしい。「何、それ?」と聞くと「わしも見たことないが、なんでも小さな人形らしい」と同僚の答え。部下の女性達から頼まれたようだ。DFSでは入荷してもすぐに売り切れるとかで、店員に聞いてもこの近辺のお店には見当たらないとの話。

 購入した土産物を持って一旦ホテルに戻り、タクシーで第一ホテルのディナーショー会場に向かう。ホテル近くで下車し、歩いていると一人の女性が近づいて来て「若い女の子はいりませんか?」と声をかけてくる。どこにでもいるんだね、こういうのが。


 ホテルの前に土産物屋さんがある。だめもとで覘いてみよう!とボージョボー人形を聞くと何とわずかだがあると言う。見せてもらうと「何、これ!」という程度の人形である。しかし、かつて日本のTVで幸せをもたらす人形として放映され、今や日本の若い女性たちの間で秘かなブームを巻き起こしている代物。店のおばさんが偽物が出回っているがこれは本物!と力説する。

 クラフトセンターのボージョボー人形
 

 マリアナ諸島の先住民チャモロ族の間で古くから親しまれていた願掛け人形だそうで、「ボージョーボ(Bo jo bo、和名ウジルカンダ)」と現地で呼ばれているツタ性の植物の種を体や頭部に使い作られている。その手足の組み方で様々な願いが叶うとされ、例えば、恋愛成就には人形の足を交差させ、金運改善には人形の腕を背にまわす等々。試しに小生も一つ購入してみたが、後日会社の女性の手に早々と渡ってしまった。

 手足の組み方でいろんな願掛けが・・・・

 ちなみに人形の解説書に書かれていた内容は以下の通り。

Legend of the "Bo Jo Bo" Wishing Doll
My name is Bo Jo Bo. I came from San Roque, a little village in Saipan, Mariana Islands. I've been around a long time hiding in the woods and peeping out from the Bo Jo Bo vines. I am loveable, rich and strong. If you need some of my strength, love or money you can have all I've got, but you need to fold my arms for strength, cross my hands behind my back. Then all you need to do is hang me up where you can see me and have faith. Remember my love comes from the seeds of my eyes, my wealth from the coconut fiber of my arms and legs and my strength from my Bo Jo Bo Nuts.


 第一ホテル・サイパンビーチのジョイフルディナーショーは、6時半から約2時間のポリネシアンダンスを中心としたショーで、バーベキューの食べ放題。グランドホテルのツアーデスクによるとこういったディナーショーは3ケ所あるが、ここのショーがコストパフォーマンスが良くて人気があるとのことでほぼ満席状態。ちなみに値段は$45。

         
(左)第一ホテル・サイパンビーチのジョイフルディナーショー ホテルの会場前でお出迎え 

        
           迫力のあるポリネシアン・ダンス 最後は観客も一緒に踊る


 あわただしい旅である。午後9時過ぎホテルに戻り、翌午前3時半にはホテルチェックアウト。午前4時にはホテルを出発。午前6時発のJO940便で一路関空へ。
 JALグローバルクラブメンバーということだろうか、帰路はビジネスクラスシートに案内されて午前8時半に無事関空着。

 平和なサイパンの島

 忙しいが充実した戦後60年のサイパンの旅であった。


サイパン de ゴルフ、ボールが・・・(異文化体験40 サイパン戦後60年の旅2)

2014年03月14日 22時44分56秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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サイパン de ゴルフ、ボールが・・・ -サイパン-  2005.07.08-07.09

 沢山のゴルフ場があるサイパンだが、今回選んだのはグレッグ・ノーマン設計の「LaoLao Bay Golf Resort(ラオラオベイ・ゴルフリゾート)」。海越えのショットが打てるシーサイド・コースと多くの池を配した山側のコースを持つゴルフ場である。

    LaoLao Bay Golf Resortのクラブハウス

           
(左)スコアカード 左がシーサイドコース、右が山側コース        (右)クラブのロゴ入りの帽子

 シーサイドコースを日本でインターネット予約(この時期$170)して出発したが、到着日の翌朝に電話確認すると「今日の午後山側コースをまわるのであれば、両コースで$200にする」と言う。
 料金表では山側コースはこの時期$110となっているから、これが$30ならラウンドせにゃ損!とばかり、ゴルフ場側の提案に飛びつく。14時23分スタートで13時半にホテルピックアップすると言う。
 午前の島内観光の後、DFS内ハードロックカフェで大急ぎで昼食を済ませホテルに戻る。

 迎えに来てくれたのは日本人スタッフ。山側のコースは2人乗りカートがフェアウェイの中まで乗り入れ可能との説明を受け、寝不足の初日かつ暑い日中でのプレイの我々には有難い話である。小生はクラブ持参で来たが他の3人はレンタルクラブ。ペットボトルの飲み水も2本ずつ買って、いざティー・オフ。

  山側のコースは、コース内カートの乗り入れが可能

 日本出発時に、初日の今日は4人の体調を見て、午後ゴルフが出来るようであればパブリックの安いゴルフ場でやろうという打ち合わせだったので、小生はゴルフボールを一応1ダース持参し、ゴルフバッグに半分の6個を入れてラウンドを始めた。
 さすがにカートでフェアウェイの中まで乗り入れが出来ると楽ちんである。暑さもさほど気にならない。

 しかし、2ホール目にして少し気がかりなことが発生した。
 ラフの方に飛んだ同僚のボールが落ちて転がったあたりに見当たらないのである。それまで気にならなかったが、良く見るとラフはさほど幅がなくその先はブッシュになっていて、背の低い木々が密度濃く茂っていてとても探しに行こうという気になれない。
 おまけに良く見るとフェアウェイも微妙に傾斜があり、おおむね「かまぼこ型」のフェアウェイで、ボールをフェアウェイにキープするには十分な状況判断が必要ということに気づいた。結局、ボールは見当たらずロストボールでプレイ再開。

                    
(左)山側コースはフェアウェイが軽いかまぼこ型、池が配置されている。  (右)ボール、ボール、ボール、どこかに。。。。

 しかし、これからが試練の始まりであった。
 同僚に起こった不幸が小生を含む他の3人にも次々に襲いかかった。ボールが次々と消えてゆく? 最後までボールを余してプレイ出来るだろうか?という不安が付きまとう。
 先人達も同じように心細い思いでプレイしたのであろう。大抵所有者不明のボールがラフやブッシュにあるのだが、皆が必死に拾いまくって行くのだろう、もはやどこにも余分なボールは落ちていない。

 まだハーフを残してとうとうボールを使い果たした同僚の一人はクラブハウスにカートを走らせ、1ダース仕入れて戻って来た。小生もハーフで2個なくし、最終ホールをホールアウトした時点では残り2個となっていた。


 この日の夜は、ホテルのプールサイドでバーベキューをエンジョイして、明日のシーサイドコースを楽しみにぐっすり就寝する。

 大きな夕日が海に沈んでいく

          
(左)ホテルのビーチサイド                   (右)今宵は浜辺でバーベキュー、流しのおやじも寄ってくる


 翌朝、快晴! シーサイドコースは午前7時2分のティー・オフ。涼しい間にまわろうと朝一番の組を頼んだ。結局、昨日はボール4個をなくした。今日は新しい6個と昨日の残り2個、計8個あるから、まあ8個あれば大丈夫だろう、と大船に乗った気持ちでスタート。

 快晴! 朝のホテル・シーサイド側の風景


      
                      (左・右)今日これから回るSea Sideコース

          
(左)ティーグラウンドから見た海越えの名物ホール         (右)少し見る角度を変えると・・・同じ名物ホール

 が、が、が、である。さあこれから海沿いの難コースが続くという直前で既に残り3個という有様となっている。
 こうなると慎重の上にまた慎重、豪快な海越えのショットが売り物のホールで、きざんできざんで兎に角ボールをなくさないことに専念。岩場の蔭にボールがないかとラウンドしながら探しまくるも、先人達が綺麗に持って行ったのであろう、どこにも見当たらない。
しかし、幸か不幸か何とか2個のボールを残して最終ホールをホールアウト。

 ボールを沢山持って、もう一度チャレンジしたいLaoLao Bay!

 LaoLao Bay Golf Resortでプレイする時は、ボールを十二分に持参するべし!