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旅行記、世相独言

宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅 (JALどこかへマイル第4弾) 第3回:中尊寺と毛越寺(平泉文化を求めて) (その2)毛越寺

2022年12月26日 22時37分08秒 | JALどこかへマイル
宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅(JALどこかへマイル第4弾)

第3回:中尊寺と毛越寺(平泉文化を求めて) (その2)毛越寺

令和4年11月17日~19日

(写真等はクリックで拡大します)

 二代基衡公が建立した毛越寺(もうつうじ)は、中尊寺とは目と鼻の先。寺伝によると「越」は慣用音でオツと読むのでモウオツジがモウツウジに変化したとある。毛越寺の由来は、寺伝の白鹿伝説によると、850年慈覚大師が当地で霧に迷い、足元の白鹿の毛をたどると白鹿がうずくまっており、近づくと白鹿が姿を消し白髪の老人が現れ、この地を霊場にせよとお告げがあり、一宇の堂を建立し嘉祥寺と号したのが毛越寺の起こりとされている。

       
中尊寺と毛越寺は約2km、徒歩30分ほど   毛越寺本堂(本尊薬師如来、脇士日光・月光両菩薩)

 広大な境内には、かつて金堂円隆寺、嘉祥寺、講堂、常行堂、経楼、南大門などの臨池伽藍の堂舎が並び、その前庭に大泉が池を中心とする浄土庭園が配され、特別史跡、特別名勝に指定されている。平安時代に書かれた日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園である。

   
臨池伽藍跡と浄土庭園 平安時代の堂塔伽藍図(南大門跡から金堂円隆寺に向けて大泉が池を渡る通路が。写真の左から右へ)

      
開山堂(慈覚大師を祀る堂)        鐘楼跡から中島の鳥たち      常行堂付近の水辺から池中立石

 毎年正月二十日に世の中の平安と人々の幸せを祈願する850年の歴史を有する「常行堂二十日夜祭」(国の重要無形民俗文化財)が行われる。厄年の老若男女 (講に属する42歳厄年に限定)が松明を先頭に常行堂まで練り歩き大根や白菜などを奉納する献膳上り行列が行なわれ、 常行堂では古伝の常行三昧供の修法の後、法楽に延年の舞が奉納される。幸い帰阪後、テレビ番組でこの850年続く行事を見ることが出来た。

  
    洲浜からの景観        850年続く二十日夜祭が行われる常行堂  二十日夜祭の松明行列(HPから借用)

 現在、毛越寺には創建された当初の寺堂は一宇もなく、現常行堂も享保17年(1732)に再建されたもの。仏像、仏具、書籍などの宝物も後世のもので、創建当時のものはほとんど残っていないのが実情だが、形の無い「延年の舞」は、時を超えて今なお850年昔の姿のまま地元の努力で絶えることなく伝承されている貴重な行事である。

 帰路のフライトは、18時45分。17時の返却予定に多少時間があるので、平泉の南10kmの一関市にある奇岩、怪岩に富む「厳美渓」に立ち寄る。栗駒山を水源とする磐井川中流の2kmほどの渓谷で、国の名勝、天然記念物である。
 ここでは、「空飛ぶだんご」として知られる郭公(かっこう)だんごが名物。渓谷に沿って遊歩道が整備されていて、岸辺に多くの若者が集まっているところがあったので、行ってみると対岸の団子屋さんがロープウエイで団子の販売をしている。籠にお金を入れると団子屋さんが団子とお茶を入れて届けてくれる、この順番待ちに行列が出来ていたわけ。千円札で団子2折とお茶2つが運ばれているので、一折(3本入り)4~500円のようだ。

        
国の名勝、天然記念物「厳美渓」渓谷に沿って遊歩道が整備されている   対岸から空飛ぶだんご「郭公だんご」      

 ここから空港までは120kmほど。午後3時出発して一関インターの手前で満タン給油。なんと147円/ℓ、大阪では160円ほど。なんで? 土曜日とあって多少車も多かったが、無事日没の午後4時半過ぎにトヨタレンターに返却。

 大阪伊丹空港の手荷物受取所で驚いた。午後9時までの伊丹空港ゆえ、午後8時半の手荷物受取所は全国各所から到着した飛行機の手荷物を待つ人でごった返している。コロナもどこ吹く風、日本人も海外からの旅行客も今や遅しとターンテーブルの周りを幾重にも取り囲んでいる。皆さん、コロナにお気をつけて!と駐車場に向かう。
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宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅(JALどこかへマイル第4弾) 第3回:中尊寺と毛越寺(平泉文化を求めて) (その1)中尊寺

2022年12月25日 15時28分00秒 | JALどこかへマイル
宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅(JALどこかへマイル第4弾)

第3回:中尊寺と毛越寺(平泉文化を求めて) (その1)中尊寺

令和4年11月17日~19日


(写真類はクリックで拡大します)

 優香館を10時に出発。青空のもと、来た道を南下することおよそ70km。11時前に平泉・中尊寺に到着。すでに第1駐車場は多くの車で埋まっている。金色堂の近くまで車で行ける道もあるが、ほとんどの人は月見坂を散策しながら本堂を目指す。

        
             中尊寺案内図(左:55年前のもの 右:現在のもの)

 55年ほど前、重いリュックとテントと担ぎながら、この坂を歩いてテントの張れそうな場所を捜したが、結局中尊寺の宿院(東稲荘1泊2食付き880円)に泊めてもらった記憶がある。名残の紅葉を愛でながら北上川を一望する東物見を経て本堂にたどり着く。ここで御朱印をいただく。

        
    月見坂(左:55年前、テントを張る所を捜しながら 右:現在の第1駐車場からの登り口)

  
   弁慶堂                東物見(左:55年前の眺望  右:現在の眺望)

        
月見坂 地蔵堂あたりの紅葉の名残      55年前の中尊寺宿院(東稲荘1泊2食付き880円)

 中尊寺は、天台宗東北大本山で、松島の瑞巌寺同様、慈覚大師円仁により850年に開山。十二世紀初め奥州藤原氏初代清衡公が前九年・後三年の合戦で亡くなった多くの命を供養するため大伽藍を造営したが、十四世紀に堂塔の多くが焼失している。

  
    中尊寺本堂(比叡山延暦寺同様「不滅の法灯」が護持され、本尊は釈迦如来坐像)

 金色堂の手前の讃衡蔵(宝物館)で、共通の拝観券(800円)が発行されている。
 金色堂は中尊寺創建当時の姿を今に伝える建造物で、1124年清衡公によって上棟され、経典に説かれた「皆金色」の極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした秀衡公の想いを往時の工芸技術を集約した御堂と言われている。三基の須弥壇の上には阿弥陀如来を中心に菩薩、持国天、増長天等が囲み稀有な仏像構成となっている。

    
左:峯薬師堂(落葉で覆われた池面) 中:55年前竣工間近の覆堂、金色堂は東京で修復中) 右:現在の金色堂覆堂

 金色堂は霊廟でもあり、中央の壇の内部に造営した初代清衡公、向かって左の壇に薬師如来を本尊とする毛越寺(もうつうじ)を造営した二代基衡公、右の壇に源義経を奥州に招き入れ阿弥陀如来を本尊とする無量光院を建立した三代秀衡公の亡骸、そして源頼朝に攻められた四代泰衡公の首級が金色の棺に納められ今も安置されている。
 三世仏(過去釈迦、現世薬師、未来世阿弥陀)を本尊とする三寺院を残し、1189年奥州藤原氏は滅亡した。

    
金色堂(1124年造立「皆金色」の極楽浄土を表現) 須弥壇上の本尊阿弥陀如来等の諸仏と壇内部は霊廟  金色堂御朱印

 金色堂は、1288年鎌倉幕府が建てた覆堂によって風・雨・雪等から永らく守られてきた。現在の覆堂(古くは鞘堂と言われた)は、1965年に完成した鉄筋コンクリートの覆堂で、私が学生時代に訪れた時(1965年8月)は、鞘堂は完成間近で、金色堂は東京で修復中であった。ちなみにこの時の中尊寺の拝観料は100円。700年近く金色堂を守ってきた旧覆堂は、重要文化財として金色堂の近くに移設されているが、「五月雨の降り残してや光堂」と詠んだ芭蕉は、この覆堂の金色堂を見て詠んだんだろう。

         
左:金色堂を長年守ってきた旧覆堂(鞘堂と呼ばれていた) 右:この覆堂内の金色堂を芭蕉は詠んだに違いない

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宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅(JALどこかへマイル第4弾)第2回:松島海岸と宮澤賢治記念館 山の神温泉(優香苑)

2022年12月19日 22時46分42秒 | JALどこかへマイル
宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅(JALどこかへマイル第4弾)

第2回:松島海岸と宮澤賢治記念館 山の神温泉 優香館(建築美旅館を求めて)

(写真等はクリックで拡大します)
令和4年11月17日~19日


 二日目、松島公園の駐車場は比較的小ぶりなものが多いようなので、秋保温泉を午前9時に出発。約45km離れた松島公園に10時前に到着、幸い一番観光に便利な第一駐車場に停めることが出来た。

 おりしも朝の陽光が松島海岸の水面に反射し、遊覧船が行き交っている。駐車場のすぐわきに松島のシンボル、国の重要文化財「五大堂」がある。807年東征時に坂上田村麻呂が建立し、その後慈覚大師円仁が五大明王像を安置したのが、その名の由来とか。現建物は1604年伊達政宗が創建し、33年に一度五大明王像(秘仏)が開帳されている。直近の開帳は平成18年。

            
     朝の日本三景「松島海岸」                重要文化財「五大堂」

 瑞巌寺、松島青龍山瑞厳円福禅寺がその正式名称。9世紀初頭慈覚大師円仁により天台宗延福寺として開創。13世紀に幕府執権北条時頼により臨済宗円福寺となり、関ヶ原の戦い以降、衰退していた円福寺の復興を伊達政宗が注力。仙台城の築城と併せて1604年から自ら縄張りを行い、紀州熊野の用材を求め、畿内名工130名を呼び寄せ、更に1608年寺の大鐘を鋳造、その鐘に「山を号して松島と曰い、寺を名付けて瑞厳と曰う」との一文があり、これが瑞巌寺という呼称の初出で、以降正式名称を松島青龍山瑞厳円福禅寺に改めたようだ。1609年に工事を完了し、以降江戸時代を通じて伊達家の菩提寺として領内一の規模格式を誇った。

            
    松島青龍山瑞厳円福禅寺案内パンフ            瑞巌寺御朱印

 入り口で御朱印帳を預け、台所の役割を担う国宝の庫裡(くり)から入り、同じく国宝の本堂を見学する。正面38m、奥行24m、10の部屋を持つ本堂の中心となるのは室中(孔雀の間)で、狩野左京筆「松孔雀図」(復元模写)が見事。平成30年に10年に及ぶ平成の大修理が完了している。再び庫裡から出ると宝物館(青龍殿)があり、お寺にまつわる様々な宝物を鑑賞することが出来る。
 参道の脇に多くの洞窟遺跡群が見て取れる。洞窟の壁面には供養塔、戒名等が無数に見ることが出来、30年近く前に来た時は直近まで行けたが、今は少し距離を置いて案内路が設けられている。

            
    台所の役割を担う国宝の庫裡          正面38m、奥行24m、10の部屋を持つ本堂  

            
         本堂の庭園               参道脇の洞窟遺跡群の一つ 

 宿でもらった地域クーポンは二人で6000円。今日中に宮城県で使わないといけない。宿で2000円使ったので、残りを土産物屋で探し求める。なぜか「ずんだ餅系」のお土産がやたらと多い。せめて2.3日の猶予があれば仙台空港でもっとましなものが買えるのだが、これから岩手県に向かうので、とりあえず4000円の土産を買い、花巻に向け出発する。

  
                  宮沢賢治記念館の入り口

 松島から150kmほど東北自動車道を北に走らせると、花巻に岩手が生んだ偉人「宮沢賢治」の記念館がある。4年間に安比高原のゴルフツアーの際にも訪れており、その時のブログでも紹介している。宮沢賢治の深遠な思想や世界観には、とてもついて行けないが、記念館では「科学」「芸術」「宙(そら)」「祈」「農」の5部門で彼の足跡を展示・紹介している。彼が見たまことの世界、イーハトーブの心象世界を少しでも感じ取れれば、と思い2度目の訪問となった。
 前回訪問時は、童話「セロ弾きのゴーシュ」が特別展示されていたが、今回は童話「カイロ団長」。1896‐1933のわずか37歳の短い生涯を疾風のごとく駆け抜けた宮沢賢治の世界はとてつもなく広い。

  
        宮沢賢治の足跡を「科学」「芸術」「宙(そら)」「祈」「農」の5部門で展示するホール

 今宵の宿は、花巻温泉郷の奥に位置する神の山温泉「優香苑」、宮大工建築と温泉かけ流しの湯宿という触れ込みに興味を覚え、記念館から20kmほど内陸に車を走らせる。
 木造2階建ての客室が一番館から八番館まで本館(のみ3階建て、玄関)を中心に左右に長い廊下で結ばれ、二つの浴場等の諸施設が配置されている。

            
                  花巻温泉郷山の神温泉「優香苑」 

            
        優香苑の平面図              本館玄関のロビー

 我々の部屋は本館に近い三番館の2階、エレベーターがないので階段利用となる。部屋は、二人には広い三間和洋室(和室2間10畳・6畳とツインベッドルーム)。
 宮大工が手掛けたというこの宿、全館に格子模様の格天井や所々に巧みな細工が施されて、木のぬくもりに包まれた、従来の宿と異なる趣のある空間の中で過ごす旅となった。

        
     今回の部屋は三番館二階の321号室(木のぬくもりに包まれた10畳、6畳、ツインベッドルーム)

 宿のもう一つの売りが、PH9.3のアルカリ性単純温泉。大浴場「とよさわの湯」の広い露天風呂に入っていると、少し雨が降り出し、翌日の天候が心配されたが、夜の間の雨で、翌朝は部屋の近くの「こもれびの湯」で陽光を迎えることが出来た。部屋の温・湿調整もしっかり出来ていて快適な睡眠と、おいしい会席料理、まったりした湯を存分に味わって、最終日の旅程に出発!。

            
      大浴場「とよさわの湯」の露天風呂      小浴場「こもれびの湯」の露天風呂       

            
      今宵の食事の始まり                 今宵のお献立   

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宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅(JALどこかへマイル第4弾) 第1回:仙台牛タンと青葉城址、秋保温泉(巨大風呂を求めて)

2022年12月18日 15時21分47秒 | JALどこかへマイル
宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅(JALどこかへマイル第4弾)


第1回:仙台牛タンと青葉城址、秋保温泉(巨大風呂を求めて)

(写真等はクリックで拡大します)
令和4年11月17日~19日


 有効期限が迫ったJALマイルの活用策として、「JALどこかへマイル」制度を活用し、今まであまり行けていない東北方面を狙った。JAL指定の4空港の中からこれまたJAL指定の空港を着発とするこの制度。最初の指定4空港は青森、花巻、仙台、石垣、ラッキーにも東北に行ける確率が大きいので、これをOKすると翌日仙台空港が指定された。
 過去第1弾は、新潟空港拠点「山形一周の旅」、第2弾は札幌空港拠点「洞爺・支笏湖の旅」、第3弾は松山空港拠点「足摺・四万十・四国カルスト・道後の旅」(いずれもブログ掲載しています)、そして今回第4弾は仙台空港拠点「宮城・岩手の温泉巡りと松島・平泉の旅」を計画。
松島は27年ぶり、平泉は実に55年ぶりである。以下の3回に分けて紹介します。
第1回:仙台牛タンと青葉城址、秋保温泉(巨大風呂を求めて)
第2回:松島海岸と宮澤賢治記念館 山の神温泉(建築美旅館を求めて)
第3回:中尊寺と毛越寺(平泉文化を求めて)

 伊丹空港の駐車場は高いので今まで空港周辺の民間駐車場を利用していたが、今回初の利用。なんと予約料と駐車料の二本立て。朝の高速ラッシュで少しやきもきしたが離陸1時間前に入庫でき、さくらラウンジで一服。仙台行は午前10時半発JL2205便。

 27年前の東京単身赴任時に鉄道駅周辺だけを知る仙台、5分ほど遅れて機は無事到着。早速昼食を取るべく空港ビル3階の寿松庵へ。牛タンを食する機会は恐らくここだけと思い、牛タンシチューセットを注文。お箸で食べれる柔らかさの美味シチューを私はパンで、女房はライスで、昼食をとる。
            
           空港ビル3階の寿松庵の牛タンシチューセット   

 今回はトヨタレンタカーでSサイズを予約し、ヴィッツが用意されていた。仙台空港と市内青葉城址とは予想以上に距離があり、それというのも先の大地震の影響で通行止めの箇所があるため、随分迂回して到着した。

            
             城址址からの仙台市街地の眺望

 仙台城は、初代仙台藩主伊達政宗によって造営された城。東が広瀬川、南が竜の口渓谷、西が青葉山に囲まれた天然の要害で、その始まりは戦国時代にこの地を治めていた国分氏が青葉山に造った山城を利用して築かれたようで、1602年に本丸と東丸(三の丸)が整備され、その後二代藩主忠宗が二の丸を造営し、ここがその後の藩政の中心となったようだ。
 政宗はこの城に天守閣を設けず、1610年に畳約430畳の本丸大広間を完成させている。全部で14の部屋があり桃山建築の粋を集めた豪壮華麗な建物だったようで、その礎石が残っている。

            
       仙台城見どころマップ                 本丸大広間の礎石

            
         本丸大広間の復元図                本丸大広間地絵図  

 また、正宗公没後300年を記念して1935年に造られた37歳の伊達政宗騎馬青銅像は、残念ながら今年3月16日の地震で破損し、来年3月まで修復撤去されている。
 初代の像そのものは数々の変遷を経て1964年復元され、台座の銅板レリーフには政宗の生涯4場面が描かれているそうだ。(元服時、朝鮮出兵時、遣欧使節団支倉常長の見送り時、権中納言授位時の束帯姿)

            
    仙台城址のシンボルは修復移動            本来ならこのような!  

 本丸跡には、荒城の月の句碑がある。滝廉太郎作曲、土井晩翠作詞のこの曲は、明治生まれの晩翠が修学旅行で鶴ヶ城 跡を訪れた際に荒れ果てた姿を目にして、故郷の青葉城 と重ね合わせ、そのイメージをもとに 詩を書いたと言われている。
 また、明治35年に建立された仙台鎮台(第二師団)戦没者を慰霊する昭忠碑は、東日本大震災で頂部の青銅製の鵄(とび)が翼を広げた姿の像が落下し、修復された後、基壇部に新たに台座を設けて展示されている。元は全体で約20mもある巨大な像。
 本丸跡の仙台城見聞館には、仙台歴史ミュージアムネットワーク(歴ネット)シート(見聞館のものはシートNO1~10、無料)も置かれているので、必見。

     
仙台出身「土井晩翠作詞」の「荒城の月」句碑  昭忠碑の青銅製の鵄像   仙台歴史ミュージアムネットワークシート 

 仙台市内を一望する青葉山城址、二の丸あたりに東北大学のキャンパスがあり、坂道と格闘する学生諸君の若さを羨望しながら、今宵の宿「秋保温泉ニュー水戸屋」に向かう。

 秋保と書いて「あきう」と読む。秋保温泉郷の奥には自然美豊かな磊々(らいらい)峡、秋保大滝、二口峡谷等の名勝があるが、今回は温泉郷止まり。この秋保温泉の歴史は古く、名取の御湯と称され、別所、野沢と共に日本三御湯に数えられるようで、伊達政宗も秋保の湯を愛し、伊達藩の御殿湯となったようだ。

            
        今宵の宿ニュー水戸屋            宿の平面図に占める湯殿の広いこと

 ホテルニュー水戸屋は、豊富な湯量(ナトリウム・塩化物泉/低張性弱アルカリ性高温泉)と十六趣の湯殿を売り物にしている。とにかく風呂場が大きい。形や湯温の異なる湯殿が沢山あるが、泉質は皆同じ。仙台の奥座敷で団体客目当ての宿のようで、コロナがおさまりつつあるこの時期、アジアからの団体客もバスで到着していた。ただ、お客は戻りつつある一方でスタッフが少ないのか、夕食時の会席料理も次々と提供され、折角の美味しい温かい料理も食べる時には冷めてしまって、残念であった。


            ニュー水戸屋の十六趣の湯殿                会席和コースのお献立    

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四国・足摺岬‐四万十川‐四国カルストを巡る旅

2019年11月27日 16時13分43秒 | JALどこかへマイル
《写真等はクリックで拡大します》

四国・足摺岬‐四万十川‐四国カルストを巡る旅(その3)

(JALどこかへマイル第3弾)
 
                        
2019年11月14日(木)~16日(土)


 有効期限が迫ったJALマイルの活用策として、昨年同様(新潟空港拠点山形の旅、札幌空港拠点洞爺・支笏湖の旅)「JALどこかへマイル」で松山空港が指定された。
幸い足摺・四万十方面は行ったことのない地域ゆえに、2泊3日で四国西部方面を旅することにした。以下を3回にわたり掲載します。
【11月14日(木)】松山空港からひたすら足摺岬へ、お風呂でいろいろ!
【11月15日(金)】足摺岬‐四万十川・沈下橋‐滑床渓谷‐鹿野川温泉 ひやひや運転!
【11月16日(土)】四国カルスト‐道後温泉  地獄と天国の一日


         今回のドライブルート

【11月16日(土)】四国カルスト‐道後温泉  地獄と天国の一日

 鹿野川湖の水面を水蒸気が漂う冷え込み。今日も快晴の一日が期待できる。四国カルスト周辺には給油施設が少ないと言う情報を得て、宿のすぐ近くの施設で満タンに。
 四国カルストへのアクセス情報は見聞できるものが少ない。南からのアプローチとなると197号で梼原(ゆすはら)へ、そこから440号で、と宿の案内。梼原の道の駅で再度確認すると440号は少し道が狭いので、197号をもう少し行ってトンネル先の高野からがいいかも、との案内。しかし、今いる440号もそれほど狭い道ではないのでナビも示す440号を選択した。しかし、これがまたまた大間違いの地獄の始まりであった。

  
鹿野川湖面を流れる水蒸気         四国カルスト広域地図        四国カルストアクセス詳細図

 440号は新道・旧道があり新道はカルストの下を抜ける地芳(じよし)トンネルとなっており、カルストに行くには旧道を通って地芳峠に出なければならない。440号を走ってトンネル手前まで来るとナビが左手前の車1台やっと通れる道を行けと言う(四国カルストアクセス地図の✖印)。まさかこんな状態が永遠に続くとは思わず、とりあえず行ってみようと左折したが、引き返すことが出来るところもなく、対向車が来れば?という恐怖でそこからの30分程は地獄。何とか地芳峠に到着して一安心。今度は是非〇で囲った高野から行って下さい。

 カルストほぼ中央の姫鶴平(めづるだいら) 前の山荘はすでに閉鎖。 

 愛媛・高知の県境に位置し、標高1400m、東西25㎞のゆるやかな高原の尾根が続く四国カルスト。羊の群れと見間違うような白い露出石灰岩のカレンフェルト、浸食作用で出来た窪地のドリーネ等々、広大なカルスト地形が今までの苦労を一掃させてくれる。
カルスト公園線(383号)は、カルスト地形の四国の屋根を爽快な気分でドライブさせてくれる素晴らしい天国の道。地芳峠から東の端の天狗荘までドライブし、営業中の天狗荘でトイレ休憩と支配人から松山方面への帰路情報を得る。天狗荘には詳しいアクセス資料やカルスト関連資料が置いてあり、下界で入手できればもっと楽にカルスト観光が出来るのにと感じた次第。なお、カルストほぼ中央に位置する姫鶴荘(めづる)は、この時期既に閉館しており、トイレ休憩できるのは天狗荘のみ。地芳峠に戻り再び440号旧道で松山方面に下る。登りと違ってこちらはやや道が広く対向車も多かった。やっと地芳トンネルの先で新道と合流して、後は33号で一路松山に。

          
                    姫鶴平から見る四国カルストの景色

          
                    四国の屋根と言われる景色

  
カルスト内の立ち入りは制限されている 壮大な景色を見ながらのドライブ     まるで羊が群れているような石灰石群

  
 カルスト東方に位置する天狗荘    愛媛と高知の県境をまたぐ天狗荘の建物 天狗荘で入手できる様々な情報パンフ

 途中、久万高原町の道の駅「天空の郷さんさん」で何やらイベントが。おりしも「道後湯けむり遍路道ツーデーウォーク」の初日で、ここが途中のチェックポイントになっていて、大変な賑わい。我々もここでSansanパン工房の美味しい総菜パンで昼食休憩。

 久万高原町道の駅「天空の郷さんさん」

 道後温泉本館は、本年1月から保存修理工事中で神の湯のみ入浴可能。2期7年間の工事に入っている。2年前に新たに別館「飛鳥の湯泉」が完成し、本館と同じスタイルの営業をしている。2階大広間コースは1階浴室入浴と2階大広間休憩(貸浴衣と茶・茶菓子)で1280円。本館(神湯)、別館(新湯)、椿の湯(親湯)ともに無加温・無加水で10本の源泉を混ぜ合わせ、やや熱め(46℃)の源泉かけ流しとなっている。7年後は、本館、別館とも同じスタイルのサービス提供となると競合するのでは?と余計な心配。別館には本館と異なるアミューズメント機能が欲しい気がした。

      
      二期七年のREBORNプロジェクトが始まった道後温泉「本館」

  
   別館「飛鳥乃湯泉」       入口の待合           2階大広間(人がいない時を狙っての撮影)

      
2階大広間からの景色(左手が椿の湯)       賑わいが絶えぬ温泉駅舎と坊ちゃん列車

 全ての日程を終え、19時25分のJAL2310便で伊丹空港へ。マイカーに乗り換えて無事午後10時頃帰宅した。晴天に恵まれた2泊3日のJALどこかへマイルの旅であった。


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四国・足摺岬‐四万十川‐四国カルストを巡る旅

2019年11月26日 23時58分49秒 | JALどこかへマイル
《写真等はクリックで拡大します》

四国・足摺岬‐四万十川‐四国カルストを巡る旅(その2)

(JALどこかへマイル第3弾)
 
                        
2019年11月14日(木)~16日(土)


 有効期限が迫ったJALマイルの活用策として、昨年同様(新潟空港拠点山形の旅、札幌空港拠点洞爺・支笏湖の旅)「JALどこかへマイル」で松山空港が指定された。
幸い足摺・四万十方面は行ったことのない地域ゆえに、2泊3日で四国西部方面を旅することにした。以下を3回にわたり掲載します。
【11月14日(木)】松山空港からひたすら足摺岬へ、お風呂でいろいろ!
【11月15日(金)】足摺岬‐四万十川・沈下橋‐滑床渓谷‐鹿野川温泉 ひやひや運転!
【11月16日(土)】四国カルスト‐道後温泉  地獄と天国の一日


         ドライブルート

【11月15日(金)】足摺岬‐四万十川・沈下橋‐滑床渓谷‐鹿野川温泉 ひやひや運転!

 昨日の風もおさまり、澄み切った秋空が広がる。四国最南端の足摺岬周辺は遊歩道が整備されている。ジョン万次郎銅像が太平洋を睨む観光案内所前の無料駐車場に車を停めて、まず展望台へ。真っ白な足摺岬灯台が真っ青な空と紺碧の海に映える雄大な景色が目に飛び込んでくる。灯台下の岩礁に砕ける波も今日は穏やかである。次に椿のトンネルを潜りながら天狗の鼻から灯台を遠望する。

      
  足摺岬観光地図               観光協会前のジョン万次郎銅像

      
  展望台から見た足摺岬灯台          天狗の鼻から見た灯台

 再び展望台に戻り写真撮影、まだ時間があるので「足摺の七不思議」と観光マップが案内する灯台を一周するコースを巡る。更に400m先に「白山洞門」という天然記念物があるという案内板を見て、頑張って行ってみようとアップダウンのあるロマンス歩道を進むと、白山洞門に下りる階段の所に通行禁止の縄張り、道が崩れて行けないようだ。仕方がないので上の道路に戻ると、ここにも白山洞門への進路案内があるものの通行禁止の案内はない。観光案内所が目の前にありながらのこの為体。しっかり仕事をしろ!と言いたくなる。第38番札所「金剛福寺」にお参りをして足摺岬を後にする。

  
足摺七不思議「地獄の穴」        同「大師の爪書石」          同「亀呼場」

  
足摺七不思議「亀石」         道路脇の亜熱帯植物園          第38番札所金剛福寺

 次なる観光地は、四万十川と沈下橋。日本最後の清流と言われる四万十川。不入山を源流に196㎞流れて中村で太平洋にそそぐ四国最長の大河である。その川には本流最上部に高樋の沈下橋、最下流には「今成橋(通称:佐田沈下橋)」等、47の沈下橋がかかっている。
 最下流の佐田沈下橋を見るには中村から441号線沿いにしばらく走ると、沈下橋への脇道案内が出ている。大きな駐車場もあり、駐車場から300mほど歩くと沈下橋に着く。また橋近くには新しいトイレも整備されている。最下流とあって川幅は広く、橋も全長291.6m、幅員4.2mと長大である。生活道路でもあるので、数台の車の往来があった。

  
四万十川の48の沈下橋    最も大きい佐田沈下橋       傍にかつての沈下橋の残骸

 
 今成橋(通称:佐田沈下橋)        上流側パノラマ写真

 見物の後、元(441号)に戻るか、このまま川沿い(340号)に進むか迷ったが、道路幅も広そうなので340号を進んだが、これが大間違い! 道路幅はどんどん狭くなり、車1台やっと通れるほどの道が延々と。先で441号に合流するのでそれまでの辛抱と女房と私の四つの目で前方を確認しながらの走行。やっとこさ441号に合流して安心!と思いきや、441号も狭い道の連続。川にいくつかの沈下橋を見ながらも、それを楽しむ余裕もなく安全運転を強いられた。

 想定以上の時間を取ってしまい、滑床渓谷に着いたのは午後2時半。昨年7月豪雨でアクセス道路が崩落し、その影響もあって森の国ホテルも営業停止し民間事業者に譲渡されたようだ。松野町のふるさと創生課に問い合わせると10月1日から通行可能とのことで、立ち寄った次第。滑床という名前の由来は、ほぼ全域が花崗岩から成り立っているため、長年の浸食によって岩肌が滑らかになっていることによる全長12㎞に及ぶ渓谷だ。
 万年橋の万年荘で散策マップを貰って、その奥行きの深さを初めて知って、時間の関係で片道約10分の出合滑(であいなめ)まで行くことに。周囲は鬱蒼とした森で、この時間でも薄暗く、出会う人も少ない。出合滑は大きな平らな一枚岩の上をまさになめる様に清流が流れている。片道40分ほど歩けば全長300mの五層の滝・雪輪の滝があるという。

  
滑床渓谷散策マップ     万年橋付近の紅葉           三筋の滝

      
    出合滑                  出合滑のスケール感

 再び元来た道を引き返し、本日の宿のある鹿野川湖畔の鹿野川荘に向かう。この宿は明日の四国カルストへの拠点・かつ温泉のある宿として選定した次第。大洲市交流促進センターという別名通り、公共の宿というより、地域の交流センター的な施設で、部屋数は少なく宴会場と温泉がメインの宿であった。観光地の宿と比べることは出来ないが、同レベルの料金となると昨夜の足摺テルメとの落差は大きい。

  
鹿野川湖畔の鹿野川荘パンフ       夕食お品書き(松会席)          早朝の湖面の水蒸気 



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四国・足摺岬‐四万十川‐四国カルストを巡る旅

2019年11月25日 14時43分47秒 | JALどこかへマイル
《写真等は、クリックで拡大します》

四国・足摺岬‐四万十川‐四国カルストを巡る旅(その1)

(JALどこかへマイル第3弾)
 
2011年11月14日(木)~16日(土)


 有効期限が迫ったJALマイルの活用策として、昨年同様(新潟空港拠点山形の旅、札幌空港拠点洞爺・支笏湖の旅)「JALどこかへマイル」で松山空港が指定された。
幸い足摺・四万十方面は行ったことのない地域ゆえに、2泊3日で四国西部方面を旅することにした。以下の3回に渡って紹介します。
【11月14日(木)】松山空港からひたすら足摺岬へ、お風呂でいろいろ!
【11月15日(金)】足摺岬‐四万十川・沈下橋‐滑床渓谷‐鹿野川温泉 ひやひや運転!
【11月16日(土)】四国カルスト‐道後温泉  地獄と天国の一日

                 今回のドライブルート

【11月14日(木)】松山空港からひたすら足摺岬へ、お風呂でいろいろ!

 風が強いが雲一つない日本晴れ。午前7時5分伊丹空港発、午前8時松山着のJAL2301便は時間通りの運航。オリックスレンタカーで女房と二人の時はいつもHONDAのFITを借りてのドライブ。
 午前8時半過ぎ、松山を後に伊予から松山自動車道を南下する。途中休憩しながら宿毛の柏島近くに到着したのがお昼前。この日は北海道では今冬初の第1級寒波到来でこちらも天気はいいのだが風が強く、海の奇麗さで有名な柏島訪問を断念。道の駅大月の「まあるいお月さま」というレストランで昼食。日替わりランチは、鰹のたたき、酢鶏をメインの780円は安い!

  
 海が奇麗な柏島(参考写真)      道の駅大月の「まあるいお月さま」     日替わりランチ780円 

 足摺サニーロード(321号線)の快適なドライブで、最初の観光地「竜串・見残し奇岩パーク」に到着。
 竜串一帯の奇岩は、2000~1500万年前の砂岩と泥岩の層が交互になって、その層が波食、風食を受け形成されたものだそうだ。中でも一直線上に、丸みを帯びた節理が見られる大竹・小竹は竜串を象徴する代表的なもの。見残し海岸の奇岩は観光船で見ることになるが、1時間ほどかかるので、パス。夏季は大勢の観光客で賑わうのだろうが、この季節人影もまだらでお店もほとんど閉まっている。

       
   竜串の観光案内図               白浜の千畳敷等とも異なる海岸

        
   丸みを帯びた節理が見られる          遠くに見えるのは足摺海底館

 再び足摺サニーロードから348号線椿の道に入って足摺岬を目指す。途中、「唐人駄馬」という観光スポットが山中にあるので少し寄り道をする。しかし、案内の立札等もなく、行き過ぎてしまったのか車1台やっと通れる林の中に。適当な所でUターンし、引き返すと右手に小さな立て札を発見。観光スポットなら駐車場も含めもう少し見易い表示をお願いしたいものだ。高知を代表するパワースポットだそうだ。巨石群、石器・土器が出土した駄馬(平地)、ストーンサークルらしき列石群等々、時間をかけて見る所のようだが、案内板も少ないので早々にホテルに向かう。

  
  唐人駄馬遺跡の解説         巨石群(参考写真です)         唐人駄馬の広場

 足摺テルメは元国民宿舎。現在民間経営となり、国民宿舎の臭いは全くしないおしゃれなホテル。明日も快晴で風もおさまるという予報に、岬見物は明日朝として今日はゆっくり疲れを取ることに。ラドンを含む温泉、すばらしい黒潮会席、部屋から見る太平洋への落日、ライブラリーでのフリードリンクとマッサージ等々、快適な宿舎である。

        
    足摺テルメのパンフレット           部屋から見る太平洋への落日

        
   夕食「黒潮会席」のお品書き           これから会席料理のスタート 

        
ライブラリーのフリードリンク(3種のワインやコーヒー)  ホテルの入口(最上階が入口)

 唯一、残念なことは男湯から太平洋からのご来光がプールの建物が遮って見れなかったこと。ただし、女湯からは雄大なご来光が見れたようで、女心を上手につかむお宿のようだ。
 お風呂と言えば、露天風呂で一緒に入浴した男性。北海道から来られたようで、実はお遍路さん。少し足を痛め38番札所金剛福寺に先達とは一日遅れてしまったようで、民宿からこの宿の温泉入浴券のお接待を受けて入浴しに来られ、これで明日は元気にお遍路を続けられると喜んでおられた。

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登別温泉・第一滝本館 & 洞爺湖・ザ・ウィンザーホテル洞爺  JALどこかにマイル第2弾(その2)

2018年11月16日 17時41分56秒 | JALどこかへマイル
【写真はクリックで拡大します】

登別温泉・第一滝本館 & 洞爺湖・ザ・ウィンザーホテル洞爺
JALどこかにマイル第2弾(その2)

2018.11.08-10

【序】
 本年7月のどこかにマイル第1弾「東北・山形の旅」に続いて、第2弾「登別・洞爺湖の旅」を実施。2019年3月末でマイルが失効するため、12000マイルを使って女房と温泉旅行を計画。例によって旅行月日を入力すると、長崎・宮崎・札幌・出雲の4空港が提案され、出雲以外ならまあいいかと確率75%でOKすると、翌日JALが指定したのは札幌空港。先の震災で客足の落ちている北海道に行ってしっかりお金を落としてこいということかと思いつつ、早速ゆったり温泉旅行を計画し、久々の登別と洞爺湖に決定。

 掲載写真枚数との関係で、2回に分けて掲載します。その1では、【機窓】【登別温泉・第一滝本館】【洞爺湖畔】を、その2では、【ザ・ウィンザーホテル洞爺】【有珠山と昭和新山】【支笏湖畔】を紹介します。

【ザ・ウィンザーホテル洞爺】
女房の希望で予約したこのホテル。全てがいい値段。とりあえず素泊まり予約して、現地で考えようとやって来た。ホテル玄関で荷物を降ろし、地下の駐車場に車を回送するのだが、ベルボーイ曰く「お客様ご自身でしていただくか、それとも1000円お支払いいただくと私共の方でお回しします」。さすがにこれにはまいった! 世界の一流ホテルを仕事で沢山利用してきたが、このような対応は初めて。このホテルの本質が見えた!

        
The Windsor Hotel TOYAのLobby Lounge (左)Lakeside View (右)Windsor Great Peak of Toya side View       

 到着は午後2時だったがチュック・イン可能とのこと、「お食事はどうされますか、すべて予約制になっています」と言うので、レストラン毎のメニュー提示を求め、チャイニーズレストランに6時の予約を求めたが、5時半か8時だと言う。では5時半で、ということにして6階のレイクサイドの部屋に落ち着く。部屋からの眺望は素晴らしく、雨でなければもっと感動的なものであろうと推察された。

 3時にウェルカムドリンクが提供されるとのことで、ロビーに降りていくとピアノとフルートのデュオ演奏が続いている。ウェルカムドリンクは果実系のソフトドリンク。

        
    Lobby Loungeでの演奏            貸切状態の室内プールでASの特訓

 早速、部屋でバスローブとスリッパに着替え、プールに。プールとアスレチック設備が自由に使えるが、利用者は我々だけ。25mの立派な開放的な室内プール、水温は30℃と言うがやや冷たい感じがする。4時半頃までプールで過ごし、同じ階の温泉・山泉へ。
 398室のホテルにしては温泉浴場は小ぶり。一つしかない露天風呂は、今日は男性利用のようだがこの雨と視界では・・。

 最上階の11階にフランス・中華・鉄板焼き・寿司・割烹のメインレストランがある。 
 我々が予約した中華レストラン「ラ・ブート」のエントランスはシルクロードの洞窟遺跡をイメージさせるもの。コース料理はやめてア・ラ・カルトで2~3名様用の「海鮮2種と野菜のうす塩あっさり炒め」、同じく「北海道産牛肉の細切りと彩り野菜の炒め」、ご飯ものとして「広東風五目入り炒飯」を二人でシェア。1万円強の夕食。ちなみに、ディナーコースは12000円と8500円の2種類。

  
中華レストラン「ラ・ブート」のエントランス  テーブルアレンジ    海鮮2種と野菜のうす塩あっさり炒め

 夜にかけて低気圧が通過とかで雨風は一段と強く嵐模様、しかし翌日は回復するとの予報に一安心。就寝前に温泉に行くと、ここでも浴室は中国語が響き渡っている。



    レイクサイドの眺め(左から羊蹄山、尻別岳、洞爺湖)更に右手に洞爺湖温泉街、有珠山、昭和新山が続く

 翌朝、雨は上がり雲間から陽光が顔をのぞかせる。朝風呂は残念ながら露天風呂が女性利用に入れ替わり、浴槽は山の高台にあるにもかかわらずガラスには背丈高に目隠しシールが貼られ、外界を望めない情緒のない風呂である。
 朝食は、和・洋食が2つのレストランで3000円(税込み、別途サ)で提供されている。ブーランジュリー・ウィンザーで8時から焼き立てパンが提供されるので、おいしいパンとコーヒーで朝食を済ませることに。

         
      サミット・メモリアルテラスにて(足元に各首脳の立ち位置プレートがある)

  
   舟の形をデザインした建物    6階の部屋からの眺め(左:翌朝の洞爺湖 右:前日到着時の洞爺湖) 

 この間、雨から解放された宿泊客が青空も垣間見える屋外の展望を楽しみ、サミット記念撮影テラスで写真を撮ったりしている。羊蹄山から洞爺湖、更には有珠山・昭和新山の展望は素晴らしい。
 チェック・アウトが12時なので、食後は再びプールへ。1組の親子連れが先客でいたが、この人たちも個人旅行で小さな女の子が泳ぎの特訓を自ら進んでやっている。プールからはホテル前に広がるゴルフ場を介して太平洋側の眺望が見て取れる。

             
ブーランジュリー・ウィンザーの美味しそうな焼立てパン    プールからのゴルフ場・太平洋側の眺め

【有珠山と昭和新山】
 12時のチェック・アウト時になると、また小雨が降り出した。行きにも見かけたが湖畔に降りる際、路上を闊歩する「きたきつね」と遭遇、視線が合うとこちらを見て動かない。傷つけてはいけないのでこちらも車を止めて路上を去るのを待つ。

            
下山途中でキタキツネと鉢合わせ、しばしのにらみ合い           昭和新山

 天気が良ければ有珠山ロープウエイで山上へ、と思ったが、良い眺望も期待できそうにないので昭和新山ともどもわずかの撮影タイムで、国道453で支笏湖へ。

     
 有珠山山頂方面        幾度(1910,44,77,2000)となく噴火を繰り返す有珠山   有珠山ジオパーク解説書
 
【支笏湖畔】
少しづつ天気は回復して、支笏湖周遊道路まで来ると雨は完全に上がり、支笏湖温泉街にあるビジターセンターで最後の小休止。この辺りは、2年前ルスツリゾートにゴルフツアーで来た際に土地勘を養っている。湖畔からは左手に樽前山・風不死岳、右手に恵庭岳が雲間から差し込む夕日にシルエットを濃くしている。

  
     支笏湖MAP              恵庭岳          山頂に溶岩ドームの樽前山と風不死岳

 午後4時、約束の時刻に返車し、新千歳空港で早めの夕食。らーめん道場のコーナーで一番人気の一幻のえびそばを食す。さくらラウンジで出発までのひと時を過ごし、18時5分発関空行きJAL2506便で我が家には9時過ぎ帰宅。

        
空港らーめん道場で一際客の多い一幻          名物えびそば

 正直、かつての名旅館も多彩な人種相手でサービスレベルが低下しつつあることを実感した今回の旅であった。
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登別温泉・第一滝本館 & 洞爺湖・ザ・ウィンザーホテル洞爺  JALどこかにマイル第2弾(その1)

2018年11月16日 14時46分46秒 | JALどこかへマイル
【写真はクリックで拡大します】

登別温泉・第一滝本館 & 洞爺湖・ザ・ウィンザーホテル洞爺
JALどこかにマイル第2弾(その1)

2018.11.08-10

【序】
 本年7月のどこかにマイル第1弾「東北・山形の旅」に続いて、第2弾「登別・洞爺湖の旅」を実施。2019年3月末でマイルが失効するため、12000マイルを使って女房と温泉旅行を計画。例によって旅行月日を入力すると、長崎・宮崎・札幌・出雲の4空港が提案され、出雲以外ならまあいいかと確率75%でOKすると、翌日JALが指定したのは札幌空港。先の震災で客足の落ちている北海道に行ってしっかりお金を落としてこいということかと思いつつ、早速ゆったり温泉旅行を計画し、久々の登別と洞爺湖に決定。

               

 掲載写真枚数との関係で、2回に分けて掲載します。その1では、【機窓】【登別温泉・第一滝本館】【洞爺湖畔】を、その2では、【ザ・ウィンザーホテル洞爺】【有珠山と昭和新山】【支笏湖畔】を紹介します。

【機窓】
 私は晴れ男、女房は雨女。二人そろって旅行すると7割の確率で私が勝つのだが、今回は残念ながら女房の勝ち。橋の損傷で早期復旧中の関空から飛び立った2501便は抜けるような青空を一路札幌へ。雲間に富士山や眼下に噴煙を上げる南アルプス御岳山や黒部ダム湖、八幡平や十和田湖を見ながら、下北半島に差しかかると一面の雲海。私の勝ちもここまで、これから先は女房の勝ち。紅葉・黄葉が盛んな札幌空港に降り立つ時には小雨模様、以後木曜・金曜日はしっかりと雨が降り、帰る土曜日にやっと回復した次第である。

  
                 機窓から見た左より、富士山、八幡平、津軽海峡

【登別温泉・第一滝本館】
 昼時の到着で、新千歳空港では出発時から決めていた海鮮丼(どんぶり茶屋、空丼1880円)をエンジョイ。前回同様ホンダのフィット、ただしスタッドレス装着を借りて、一路雨の中を3度目の利用となる登別温泉・第一滝本館へ。今年はまだ北海道の平地で降雪観測はないようで、帰宅まで雪とは無関係の旅であった。

         
新千歳空港内「どんぶり茶屋」のショウウィンドウ          空丼(1880円)

 前回は20年近く前なので、第一滝本はずいぶんイメージが変わっていた。何が変わったかと言うと、当時は登別を代表する旅館で東洋一の大浴場とサービスを謳っていたが、サービス水準の低下、客層変化、施設の老朽化等が顕著にみられる。さすが地獄谷を望む大浴場だけは、人気を維持しているようだが。

         
登別温泉「第一滝本館」のお風呂とプール             広々としたロビー

 到着後、さっそく温泉プールへ。アーティスティック・スイミング(旧シンクロナイズド・スイミング)のマスターズ大会を来年初に控えた女房の演技特訓も兼ねた今回の旅行。ウォータースライダー等もあり、子供連れの2組の先客ともどもひと時を過ごす。
 夕食は、「湯の里」の個室で13品からなる会席料理。北海道産秋刀魚紅梅揚げなる揚げ物料理が美味で、総じて秋を感じさせる美味しい料理であった。
 大浴場は、延床1500坪に5種の異なる泉質(硫黄泉、酸性緑ばん泉、芒硝泉、食塩泉、重曹泉)の浴槽が35もある。過去2回は男性同士で来たので感じなかったが、今回利用してみて男性風呂の大きさに比べ女性風呂の大きさが極端に小さいことに気づいた。
 本館わくわく広場には、滝本名物と称する鬼の大金棒が設置されていて、なんとも言い難い子供向けの仕掛け鬼退治人形の演奏が30分毎に始まる。
 翌朝はビュッフェダイニングでの朝食。日本語と中国語が半々のせめぎあい。

         
お食事処「湯の里」での会席膳の始まり       本館わくわく広場の鬼の大金棒(仕掛け人形)

 10時のチェックアウトだが、雨足は衰える気配がない。せめて地獄谷くらい散策して行こうと雨風の中、旅館で傘を借りて面積11ha、多種泉湧出量3000㍑/分の地獄谷を鉄泉池まで往復する。


    地獄谷の散策マップ              雨の地獄谷から見る第一滝本館        間欠泉の鉄泉池 

【洞爺湖畔】
 11時過ぎ、旅館を後にして洞爺湖ビジターセンターに向かう。道央道で1時間弱。ビジターセンター、文化センター、洞爺湖サミット記念館が並んでおり、雨の中急いで確認もせず入ったのはサミット記念館。2008年G8サミット(The Group of Eight Summit,カナダ(ハーパー)・フランス(サルコジ)・ドイツ(メルケル)・イタリア(ベルルスコーニ)・日本(福田)・ロシア(メドベージェフ)・英国(ブラウン)・米国(ブッシュ)・EU(バローゾ))の記念館で立派な施設だが訪れる人もなく、もったいない!隣のエコゾーンでは、全国のジオパークの解説展示がなされている。およそ1時間ほど見て回り、午後1時記念館を離れる。

        
洞爺湖サミット記念館パンフ    Round Table Discussionの様子         The first ladies       

 湖畔を少し走ると「わかさいも本舗本店」を発見。学生(50年ほど前)の時に夏休みにホステリングバスでユースホステル利用の道内1周観光を行った。女性8割、男性2割の2週間にわたる呉越同舟の旅。同年代のバスガイドが、お土産に勧めたのがわかさいも。以来北海道に来るたびに、お土産はわかさいもと決めている。新製品の試食等も含めて20分ほど時間を過ごし、今日の宿舎ザ・ウィンザーホテル洞爺に向かう。

    
G8関連アウトリーチ会議テーブル     サミットを彩った多彩な料理     洞爺湖名物わかさいも本舗わかさいも
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東北・山形の旅 (その3)羽黒山・五重塔 特別拝観 と 三神合祭殿

2018年08月22日 23時17分51秒 | JALどこかへマイル
(写真はクリックで拡大します)
東北・山形の旅

その3.羽黒山・五重塔 特別拝観 と 三神合祭殿

2018.07.22



         庄内地方をドライブ(温海温泉-羽黒山-温海温泉-新潟へ)

 温海温泉から昨日通った日本海東北道を鶴岡西ICで降り、羽州浜街道等を経て羽黒山・随神門に午前11時前に到着。およそ45㎞のドライブ。日曜日ということもあり、随神門周辺の駐車場は満杯。いでは文化記念館の駐車場に空きを見つけ駐車。

 出羽三山詣では、羽黒山が現世、月山が前世、湯殿山が来世を表すとされ、平成28年「出羽三山生まれかわりの旅」が日本遺産に選定されている。
 羽黒山は、1425年前に第32代崇峻天皇の第一皇子・峰子皇子が開かれ、それが出羽三山の始まりで三山の神々を合祀する山であるとともに峰子皇子が創立した「羽黒派古修験道」の道場でもある。
 そんな羽黒山が、本年「奉祝天皇陛下御在位30年、三神合祭殿再建200年」を記念して国宝・五重塔が特別拝観されている。五重塔は、930年代平将門が建立し、幾度かの修復を経て現在の塔は建築様式から室町前期のものと見られている。

             
  出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の解説        羽黒山・五重塔(国宝)の特別拝観

 随神門から急な石段を下り、秡川に架かる神橋を渡り、爺杉を過ぎた所に、高さ29.4m、素木造り、柿葺、三間五層の均整の取れた姿の五重塔が聳え立っている。ここで、特別拝観料500円(羽黒三所大権現の秘仏公開拝観料とセットは700円)を支払って、お祓いを受けて初重(一階)に入り、平安時代の三跡 小野道風筆と伝える額等を拝観、次に外部特設階段を使って二重(二階)の窓から心柱を中心とする内部構造を拝観した。塔内は心柱とそれを支える4本の柱等で、ゆとりのある空間ではない。

  
羽黒山参拝口・随神門       五重塔御朱印はここの社務所で     随神門からの参道案内

    
階段を降りる途中から見た秡川周辺の光景      爺杉          国宝五重塔

          
  五重塔と秘仏の特別拝観券               券売所でお祓いを受け堂内初重へ

         
  平安時代の三跡 小野道風筆と伝える額(南に「応身」、東に「法身」、西に「報身」、北に「化身」)

  
  五重塔の構造図       外部階段を使って2階から内部観察  見事な柿葺屋根(写真上方向が山頂への石段) 

 三神合祭殿のある出羽山頂へは、五重塔に隣接する一の坂の登り口から2446段の石段を登って行くか、随神門に戻って羽黒山有料道路を使ってのドライブか、という選択になる。
石段選択すると三の坂近辺に芭蕉と曾良が訪問時の句碑「有難や雪をかをらす南谷」がある。
我々は、当然?随神門に戻って(これも結構階段を登る)のドライブ。冷房の効いた「いでは文化記念館」で休息の後、山頂に向かう。

            
参拝者が禊をした祓川(はらいかわ) 黒く光る須賀瀧(1654年人工の滝)  再び随神門へ登りの石段

 三神合祭殿は、月山、羽黒山、湯殿山の三神を祀る豪壮な建物で、古来月山・湯殿山が冬季積雪のため参拝できないことから羽黒山に三神を祀ると伝えられているとか。解説によると、神仏習合時代の名残をとどめる特異な造りで、高さ28m、厚さ2.1mの萱葺屋根、更に内部は総漆塗、平成12年に国の重要文化財に指定されている。
 三神合祭殿の前に鏡池がある。古くから羽黒神が姿を現すことからそう呼ばれているが、平安時代以降の銅鏡が多数出土している。

          
随神門にある出羽三山の案内地図             鏡池(手前)と三神合祭殿

  
               三神合祭殿(中央に月山、右手に羽黒山、左手に湯殿山)

 羽黒三所大権現の秘仏を拝観した後、出羽三山の開祖蜂子社に参拝する。
芭蕉が「おくの細道」で詠った羽黒山所縁の句は二句あり、一つは前述の三の坂近辺の句碑「有難や雪をかほらす南谷」、もう一つは羽黒山頂境内に芭蕉の銅像と共に句碑がある。「涼しさやほの三か月の羽黒山」。
芭蕉が羽黒山に登ったのが6月3日。随行日記によれば、この日の天気は晴れで、一の坂の手前を流れる祓川の辺りで暗くなったという。参道脇の杉並木も、当時はまだ若木の内であり、一の坂から南谷へ向かう登山の途中、足を止めて振り返れば、木々の間から沈みかけた三日月が見えたのであろう。

  
出羽三山の開祖蜂子社(はちこしゃ)   松尾芭蕉像     像の傍の句碑「涼しさやほの三か月の羽黒山」

 羽黒山を13時半頃出発、鶴岡西ICから日本海東北道で温海温泉ICと往路の逆を走り、そこからは羽州浜街道を南下して朝日まほろばICから再び日本海東北道で新潟空港へ。約210㎞のドライブである。

 総じて東北の人達の運転は、速度制限を+10㎞程度で遵守する運転で、無謀な運転をする車は少なかったように思う。
最後の休憩をとった「朝日道の駅」では、観光物産館や産直販売所に加え、温水プールにフィットネスセンター、ホールでは午後4時からプロレス興行があるようで、周辺に娯楽施設の少ない地方だけに大勢の人で賑わっていた。
山形県花が、実は紅花だそうで、中世17世紀辺りは上方文化や山形の経済的発展を支えたようだ。旅の途中の芭蕉も「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花」と詠んでいる。

          
  山形県花は?  紅花                  新潟空港で海鮮丼

 新潟空港に着いたのは午後4時過ぎ。オリックスの空港詰め所には人がおらず、キイを所定のボックスに返却して、おおらかな仕事ぶりを実感。
ターミナルには、ゴールドカード専用ラウンジがあるが、JALのさくらラウンジはないとのことで、お土産を物色したり飲食街の寿司屋で海鮮丼の夕食を取ったりして、19時05分発JAL2250便で無事大阪伊丹空港に20時20分着。

          
新潟空港にて 翼に沈む夕日               赤く染まる日本海の雲海

雨女の女房との旅で珍しく晴天が続き、初めて訪れる米沢や庄内地方の山形の旅を終えました。

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