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旅行記、世相独言

ラーメンと香水 -パリ- (異文化体験9 カディスの赤い星の旅7)

2010年11月26日 09時13分12秒 | 異文化体験_西欧
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ラーメンと香水 -パリ-  1987.6.8~10
 
 情熱の国スペインから再びミラノに戻り、月曜日イタリア最大のエネルギー会社SNAMを訪ね、欧州のパイプライン網の調査を行う。


  ヴァンドーム広場

 夕刻、パリに飛んでヴァンドーム広場近くのHotel Mont Thaborにチェックイン。餃子とラーメンが食べたくなってオペラ座界隈を散策する。

 香水専門店 

オペラ座界隈

 同行してくれている欧州駐在のM君の香水好きを今回の旅で初めて知ったが、女性用の香水が良い!と甘い匂いをプンプンさせている。パリに入ると、その傾向は強まる一方。本場の街角の香水屋を一軒一軒覗いてはひやかしながら、こちらの鼻は完全に麻痺状態。パレロワイアル近辺の「ラーメン亭」で夕食、結構美味いが値も高い、それにラーメン屋に香水の匂いとは。

 翌日火曜日は、世界エネルギー機関(IEA)に旧知のS.B氏を訪ねる。氏は今やIEA事務局長の筆頭秘書を努め、久しぶりの再会に話がはずむ。OECD-IEAは昨年末ロケット弾を打ち込まれ、セキュリテイチェックが非常に厳しくなり、建物は全て地下通路で結ばれ、様変わりしていた。

 
(左)凱旋門での献花式、どこの国?        (右)ポンヌフとルーブル宮

 帰国日の水曜日は朝から快晴。15時のフライトなので午前中はブラブラと凱旋門まで散歩。おりしもアフリカの高官が来て、軍楽隊が整列し国歌を奏でる中、献花の儀式を行っている。
 タクシーでオペラ座近辺に引き返し、会社の女性の結婚祝にとギャラリー・ラファイエットでレースのテーブルクロスを探す。しかし、簡単に見つからない。大体こちらのテーブルクロスは大き過ぎるし、レースとなればほとんどが中国産。結局ダイニングクロスで良いのが見つかり、こちらに変更。

 
  (左)シテ島               (右)ギャラリー・ラファイエット

 帰りの直行便は満席。隣席のイタリア人は、「日本に特殊な油を売りに行く」と言う。「俺はエネルギーの専門家だが、どんな油だ?」と聞くと「燃料油じゃない」と言う。「じゃあ、シリコンオイルか?」と尋ねると、「そうだ!よく分かったな!」。 
 この会話がきっかけで、日本に着くまでお互い喋りっ放し。彼の口からおつゆが飛んで来るので、食事の時はひたすらしゃべらさないように気をつけて、しかしこのお陰で長旅もあっという間に成田着となった次第である。
旧、モンテカチーニ、現モンテエジソン社のセールスマン氏であった。



桃山学院大学大学祭と街の活性化

2010年11月19日 22時20分00秒 | イベント
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桃山学院大学大学祭と街の活性化  2010.11.19-21


 第50回桃山学院大学大学祭パンフ

 我が家のある団地は高度成長の最中、駅からバスで20分ほど乗らなければならない和泉丘陵に開発された。今から35年近く前のことである。
 
 私がここに土地を求め、家を建てたのが今から33年前、庭付き一戸建てというやつである。周囲にはみかん山がたくさんあり、女房、子供たちにとっては空気の綺麗な緑豊かな良い環境であったが、勤め人の私にとっては大阪市内の1時間弱の通勤圏から急遽1時間余分にかかる通勤圏に環境が変わり、慣れるまでが大変であった。

 しかし、700戸近い団地は30~40代の世代が多く、小さな子供たちの賑やかな声がいつも屋外で聞こえ、あちこちにあった空き地に次々と新しい家が建ち、日増しに街の活気が感じられた。

 大学祭開始を告げるパレード
 
 それから33年経った今、わが街はどうか?
 現在、千里NTや泉北NTが高齢化の進展の中で、街の活性化に悩みを抱えているが、わが街も住民の高齢化、家屋の老朽化等が徐々に見られ始めた頃、丁度今から15年前、泉北高速鉄道の光明池駅からの一駅延伸と桃山学院大学の移転が実現し、若い人達が大勢我が団地に姿を見せるようになった。
 33年前に土地を購入した時、「あと2~3年で一駅延伸する」ということであったが、待つこと20年、何とか定年までに駅の延伸が間に合ったのはラッキーというべきか。

  
        チェアリーダーズ「FLAPPERS」の演技で大学祭の開始を盛り上げる

 今日から3日間、桃山学院大学の大学祭である。朝から大学祭の始まりを知らせるパレードがあり、チェアリーダーたちの若さ溢れる演技や、吹奏楽が大学祭の始まりを盛上げる。様々な模擬店が開店準備に大わらわ。この大学は「世界市民」を育てることに注力しており海外からの交換留学生も多数留学している。フランスからの留学中のお嬢さんがたこ焼きを頬張る姿や、韓国からの留学生がチヂミの店を出したりして、結構見てまわるのも面白い。

 チェアリーダーの後は吹奏楽団

 私自身は、この大学が開放する様々な講義に社会人聴講生として参加しもう3年目になる。若い人達と机を並べて勉強するのは大いに楽しいものだ。

 今日はいい天気。これから沢山来るぞ。

 沢山の若い世代が集まる所に様々なお店が出来、街路の人通りも賑わいが確保され、街全体になんとなく若い匂いが漂う、といった街全体の活性化が確保されている。少子高齢化が叫ばれて久しい我が国だが、子供や若者が少ない国や都市が過去どうなったかは、多くの歴史が同じ結果を示している。少子化対策に本腰入れて取り組んで欲しいものである。  

  
左は、朝9時過ぎ、屋台が準備を始める  右は、午後3時頃、さすがにおお賑わい。

 また、地域と大学が様々な交流を通じて、今後ともお互いに活力が高められることを願っている。


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日曜日はプラド美術館 -マドリード2-(異文化体験9 カディスの赤い星の旅6)

2010年11月16日 22時23分06秒 | 異文化体験_西欧
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日曜日はプラド美術館 -マドリード 2- 1987.6.5~7

  スペインが誇る「プラド美術館」  
  
 Museo del Prado(プラド美術館)は、ゴヤの「裸、着衣のマヤ」、グレコの「受胎告知」、ベラスケスの「ブレダの降伏」、その他ラファエロ、ルーベンス等の作品3000点を所蔵する大美術館。日曜の午前中を作品解説書を見ながら絵画鑑賞で過ごす。ゴヤの絵を見ていると突如疾風の如く日本人観光団が来て大きな声の説明とザワツキを残して去って行く。

      
(左)英語版解説書(日本語版より印刷が綺麗)  (右)ゴヤ作「着衣、裸のマヤ」

    
(左)入館チケット(400ペセタ)             (右)美術館出口のゴヤ像


 Puerta del Sol(太陽の門)というかつては城塞のあった中心地は、スペインの道路が一度はここを通るように造られ、「一人歩きはソルから」と土地の人たちが言う繁華街。その南西にPlaza Mayor(マヨール広場)がフェリペ三世の馬上像を中心に広場を形成している。

  
(左)マドリードの中心地Puerta del Sol(太陽の門)   (右)Plaza Mayor(マヨール広場)

 ヨーロッパの人々は、日本のように所有権に固執せず社会インフラを借用して生活を楽しもうとする風潮が出来上がっている。従って、古くからの街並が壊されることなく、しかも大きなブロックを形成して保存されており、その中にはこのような大きな広場が市民の憩いの場として儲けられている。
 折しも夕刻にコンサートでもあるのか、広場に大きなステージが設置され現代風フラメンコギターのリハーサルに出会した。その憂いのある、かつ軽快なリズムと音にしばし聞き惚れる。

  
(左)マヨール広場のフェリペⅢ世騎馬像   (右)広場に設置された舞台でのリハーサル

 マドリードでは黒い車体に赤い線の入ったタクシーが多い。国旗は水平に赤、黄、赤の3色が配列されており、赤は情熱、血、愛を、黄は黄金(エスパニア時代の名残)を意味しているそうな。とすると、タクシーの配色は?そう、闘牛のイメージなのである。黒い牛の首筋に飾り棒が突き立てられた時、牛の体に鮮血が流れる様を表しているという残酷なイメージ。しかし、そんなタクシーも明るいイメージを出すためか、白い車体に赤の車線が入った新しい塗装の車に切り変わりつつある。

  
(左)赤、黄、赤3色配列のスペイン国旗      (右)明るいイメージの新塗装のタクシー

 王宮からスペイン広場に戻ってくると、一人の日本人が近付いて来た。こちらに来て20年、観光、物販業を営んでいるというおじさん。先程日本の若い女性数名をプラザホテルのプールにお連れしたところだと言う。残念!もう少し時間があればプールで一緒できたかも?

  
(左)王宮前オリエンテ広場フェリペⅣ世像      (右)スペイン広場、プラザホテルを背景に。

 スペイン広場のドン・キホーテ騎馬像

 スペインの休日もいよいよお別れの時、サンチョ・パンサを従えたドン・キホーテの騎馬像に別れを告げて、又来るぞ、さらばスペイン!



カーネーションとフラメンコ -マドリード&トレド-(異文化体験9 カディスの赤い星の旅5)

2010年11月10日 20時53分01秒 | 異文化体験_西欧
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カーネーションとフラメンコ -マドリード&トレド-  1987.6.5~7

 3方を川に囲まれたトレドの街
 

      
エル・グレコ作(左)トレドの街 (右)代表作「Nobleman with his hand on his chest」

 マドリードの南72kmにある6世紀以降1000年にわたるスペインの首都、トレド。中世の都市には3つの要素があるという。城壁、教会、そして市場。都市の周囲の城壁は軍事的防御の役割、都市の中心の教会は精神的支柱、市場は商工業の中心となったようだ。

  
(左)トレドツアーの切符     (右)そびえ立つ城壁の上には澄渡った青空が

    
(左)トレド大聖堂(Santa Iglesia Catedral Primada)   (右)入場チケット

 ローマ時代からの歴史を持つこの小高い丘の上の都市は、3方をタホ川に囲まれ、なお且つ城壁にも囲まれ、90mの鐘楼を持つCatedralが中央に配置され、エル・グレコが1577年から没するまでの37年間を過ごした都市である。澄渡った青い空に白い城壁がまぶしく映えている。スペイン革命時にはフランコ軍が街に立てこもって戦ったという。


   
    タブラオ「Cafe De Chinitas(カフェ・ド・チニタス)」(店のパンフより)

 マドリードに戻り、ENAガスのおじさんお勧めの「Cafe De Chinitas(カフェ・ド・チニタス)」に予約を入れ、夕闇迫る夜の10時頃にタブラオを訪ねる。
 店奥の舞台の両脇に食事テーブルがあり、舞台前方にはカクテルテーブルが店の入口近くまで配されている。左隣はアメリカの中年夫婦、右隣はイタリアの新婚カップル。食事は豪華にとM君がじゃんじゃん注文、それを両隣があっけにとられて見ている。

 午後11時からショーが始まる。最初は駆け出しの若い女性グループの踊り、徐々に真打に近づいていくのは、どのエンターテイメントの世界でも共通。

   
  早い時間帯はまだ駆け出しのグループ(写真)、真打の踊りには写真を撮るのも忘れる迫力が・・・

 フラメンコが今日的舞踏形式になったのは19世紀の初めの頃。元来ジプシーはカンテ・ホンド(深い歌)という物悲しい民謡を持っていたが、踊りは伴っておらず、アンダルシア地方の踊りとジプシーの歌が一緒になって、ジプシーが創作した一種の表現形式と言われている。

 この裾捌きが国花カーネーションのように見える


 フラメンコの最盛期は19世紀末で各地に現在のタブラオの前身であるカフェ・カンタンテというフラメンコを視聴させる酒場が続々と出来たようだ。フラメンコのスカートの裾捌きはスペインの国花であるカーネーションを表現している。
 真打に登場してきたのは、まだ若そうな小柄な女性である。男踊りの黒衣が見事な身体の線を作り出し、力強く打ち出すステップの音と手拍子。吸い込まれそうな黒い目、そして流れるような黒髪。

 気がつくと午前2時をかるく過ぎている。夜に弱いM君もこの夜だけは特別だったようだ。深夜の街はまだまだ人通りの絶えないマドリードの夜である。



オレイ!カディスの赤い星 -マドリード1-(異文化体験9 カディスの赤い星の旅4)

2010年11月04日 22時01分55秒 | 異文化体験_西欧
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オレイ!カディスの赤い星 -マドリード 1-  1987.6.5~7  

 刺繍の絵葉書


 ミラノを飛び立った飛行機は、一旦地中海に出てバルセロナ上空からコスタ・デル・アサール沿いにイベリア半島の内部に入って行く。どこまでも続く丘陵地帯、赤茶けた大地と点在する異様に青い湖のコントラスト、メキシコの風景とどこか似通ったラ・マンチャ地方独特の景観が展開している。あこがれのスペイン。バラハス空港に降り立つとどことなく気だるい感じさえ覚える。逢坂剛の直木賞作品「カデイスの赤い星」の舞台にやっと足を踏み込んだという実感に気分が高まる。

 逢坂剛「カディスの赤い星」を読んで、行きたい!スペインへ。

 先程からひやひや運転のタクシーがマドリード市内に入ると、選挙デモがあちこちに見受けられる。車の渋滞で運ちゃんの身振り手振りの文句の度に、運転の乱暴さがアクセレートする始末。Gran Viaに面したスペイン広場の前のプラザホテルに着いた時には、正直言ってホットしたものである。

      
(左)スペイン広場のサンチョパンサ像と後の建物がプラザホテル (右)目貫通り「グラン・ビア」

 夕方7時だと言うのに、真昼の明るさ。Gran Viaには人が溢れ、金曜の夜はこれからといった感じ。ホテルの部屋で早速2日間の作戦を練り、やや遅めの夕食に向かう。裏通りにはメソンと呼ばれる元々宿屋であったのが居酒屋に転じた酒場が数多くあり、もの悲しい調べの歌が開けっ放しの扉の中から聞こえてくる。床には足の踏み場もない程、爪楊枝が落ちている。

  
                レストラン「La Trainera」、安い!美味い!

 目指すレストラン「La Trainera」は先客が一組のみ。8時を少し廻っているが夜いっぱりのスペイン人にとって、まだまだ宵の口だそうな。小生は、昨夜ディナーで同席したスペイン・ENAガスのギョロ目のおじさんが教えてくれたLADORADAという白身の魚料理、M君は肉料理で腹一杯食って一人3,000円足らず、思わずこりゃ安い!
10時過ぎレストランを出ると、外にはタクシー係りの少年がいてタクシーを捜してきてくれる。

 グラン・ビアの「GALERIAS」が入っている建物

 翌土曜日の朝、Gran Via界隈でのショッピングに出かける。欧州の中ではまだまだ物価が安い国の一つ。
「GALERIAS」というショッピングセンターでのこと。大きなマヨルカ真珠のネックレスを女房殿の土産にとカードを差出すと、年配のおばさんがどうも旅券を見せろと言っているようなのだが要領を得ない。
 とうとう小生の手をとって店内電話の所に連れて行き、相手と何やら喋った後、電話に出ろと言う。電話の主は「旅券を提示してくれれば、この店独自のパスポートを発行し、店内の買物は全て1割引にする」と言う。

  
              「GALERIAS」の店内パスポート 表と裏

 旅券はホテルに置いて来たのだが10分とかからない距離。取りに帰って電話の主が言っていた場所に行くと、金髪の極上の美女が待っていてくれて、パスポートの発行、買物の助言を丁寧にしてくれる。真珠売り場に戻ると先程のおばさんが、ニコッ。親切とサービスが身にしみる。
 大いにここが気に入って、ここで家族、友人のお土産を全て購入。自らも牛革のクラッチバッグを購入した次第。

 日本に帰ると何故か上司のA氏が色違いのこのバッグと全く同じものを持っていて、スペイン行きがばれてしまった。



第1回大阪ジャズウィーク 見砂和照と東京キューバンボーイズ

2010年11月01日 10時22分56秒 | イベント
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第1回大阪ジャズウィーク  東京キューバンボーイズ  2010.10.31

 2010 LAWSON JAZZ WEEK at 森ノ宮ピロティホール


 10月25日の「熱帯ジャズ楽団with綾戸智恵」から始まった第1回LAWSON大阪ジャズウィーク、10月31日その締めくくりは新生「見砂和照と東京キューバンボーイズ」With豊岡豊&ディーバ・ノリコ。更にゲストは北浪良佳という異色の取り合わせ。

 しんがりの公演は「東京キューバンボーイズ」

 東京キューバンボーイズとしては、初の大阪単独公演。2008年11月に取壊し直前の大阪フェスティバルホールで「原信夫と#&♭」のさよなら公演にゲスト出演した際に新生・キューバンボーイズの大阪初お目見えではあるが。

 見砂直照と東京キューバンボーイズ

 そう!30年ぶりなんです、キューバンサウンドを生で聴くのは。東京嫌いの私が一つだけ好きなもの、それが見砂直照と東京キューバンボーイズ。今から50年前、大阪フェスティバルホールでの労音公演(確か500円)で情熱的な、かつ痺れるようなサウンドを体感し、その20年後の1980年同じくフェスティバルホールでの解散コンサートまで、幾度となくコンサートに足を運び、レコードやオープンリール・テープを買い漁って楽しませてもらったものだ。

 新生なった見砂和照と東京キューバンボーイズ

 5年前に見砂和照氏が父親の跡を継いで新生・キューバンボーイズを立ち上げられ、今回は初の単独公演。森ノ宮ピロティホールには私と同年代のファンで埋め尽くされ、先代の創り上げた音とリズムを感慨深く想い起こしつつ、新生キューバンボーイズの新鮮さも楽しんだコンサートであった。それというのも比較的初期のメンバー、トロンボニストの大高實氏、パーカッショニスト納見義徳氏等々がまだ現役で伝統の音を継承し、新しい20代のメンバーが新たな音をフージョンさせるという、これからが楽しみな構造がビルトインされているからだろう。「キューバン・ファンタジー」や前田憲男氏作曲の「MISAGO」
等の新しい曲も披露された。

 共演のラテンの歌姫「ディーバ・ノリコ」

 コンサートには、今年80歳になった豊岡豊氏も加わり、軽快な口調とパーカッションで我々を楽しませてくれた。また、往時の宝ともこを想い起こさせる豊かな声量とラテンの匂いがプンプンする歌声のディーバ・ノリコ、更に大阪音大出身、神戸シークィーンにも選ばれた美貌の持ち主かつ異色のジャズボーカリスト北浪良佳(私は彼女は艶っぽいラテンシンガーとしても適しているのでは?と思った次第)らも、このジャズウィークの閉めとなるコンサートを大いに盛り上げた。

 異色のジャズボーカリスト「北浪良佳」

 かつての東京キューバンボーイズは大阪を拠点にと言ってもいいくらい、大阪での公演が多かったように思う。ラテン気質の関西人、特に大阪人の気質が良く合うからだろう。
 隠れファンは東京を凌ぐほどいるのではなかろうか。年に何度か生でキューバンサウンドを聞ける機会を持ちたいと思うのは私一人ではなさそうだ。ただ、年配者の先代懐古ではダメで、例えば一般の数分の一の学生割引入場料とか、若い人たちにもっと接する機会を作って、あの情熱的な血を湧き立たせるような音と感激を提供して欲しいものである。


今回の「第1回大阪ジャズウィーク 東京キューバンボーイズ」を評価下さい。

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