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旅行記、世相独言

板門店の緊張緩和 -ソウル-(異文化体験39 ソウルの休日の旅3)

2014年02月27日 00時40分31秒 | 異文化体験_アジア
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板門店の緊張緩和 -ソウル-   2004.05.25

 初日に空港に出迎えてくれたハンナラ観光の姜さんに、今日の帰国日に板門店観光が時間的に可能かどうか聞くと大丈夫だと言うので手配して貰った。
 ソフィテル・アンバサダーホテルから中央高速観光のバスが午前8時50分に出る。このツアーのパンフでは、大韓民国在郷軍人会と中央高速観光の共催ツアーのようである。

 板門店全景(パンフより)

 ソウルの北、約60kmの板門店は、1953年7月27日朝鮮戦争の停戦協定が結ばれた場所で、停戦協定で定められた軍事境界線を中心に南北に2km、全長241km(西側の漢江から東は北緯39度線の東海岸まで)の6400万坪の広大な非武装地帯(The Demilitarized Zone, DMZ)の上にある。
 板門店には、南北会談の会議場があり、その本会議場を中心に直径800mの円形エリアが共同警備区域(Joint Security Area=JSA)である。

         
(左)板門店の施設配置図                     (右)平和の家(Home of Peace)

 ソウルと平壌を結ぶ自由路を1時間ほど走ったバスは、パスポートチェックを受けて板門店への入口の統一大橋を渡り、国連の陸軍支援団キャンプ・ポニファスに着く。
 10時半に各方面からのツアーバスが集結し、ここで専用バスに乗り換える。
 南北分断の歴史等JSAのスライド・ブリーフィングを受け、見学中の一切の出来事に関知しない旨の韓国政府および国連に対する誓約書にサインをさせられる。
 その後、会談場やポプラ事件の起こった場所に立つモニュメント、第3警備所、帰らざる橋、北朝鮮のキジョン洞村の遠望等、JSAの中を見学する。

            
(左)キャンプ・ポニファス入口(キャンプ内で専用バスに乗換え)   (中・右)誓約書(何があっても知らないよ)にサイン提出


              
(左)南北会談の会議場(後の建物が北朝鮮側の板門閣 屋上に見学者の人影が) (右)南北会談会議場(何やら話し合いが)

                       
(左)会議場内(境界線上に立つ国連軍兵士との記念撮影場と化している)   (右)場内奥が北朝鮮側への出入口


 折りしも、我々のいる韓国側の「自由の家」の屋上から北朝鮮側の「板門閣」に同様の見学者達の姿が見える。
 以前ここに来たのは1988年。ポプラ事件(1976.8.18)の12年後、4人の死者を出したソ連大学生越境事件(1984.11.23)の4年後という時期であり、数度の亡命事件が間近にあったりして、緊張感がひしひし感じられ凍りついたような雰囲気があった。

   
         (左・中)ポプラ事件当時の写真(参考写真)                   (右)ポプラ事件の場所に立つモニュメント

         
(左)帰らざる橋方面の遠望(監視小屋が見える)              (右)帰らざる橋 

 それに引き換え今回のJSAの雰囲気は、まさに観光名所そのもの。見学後はキャンプ・ポニフォスに戻って食堂で何とバイキング形式の昼食、更には土産物屋まで出来ている。とは言え、38度戦をめぐる朝鮮戦争は、正確には現在まだ準戦時下にあり、この南北間の緊張緩和は何事にも変え難いものである。

 
休戦記念碑(1953年7月27日 記念碑1km先の小さな建物で休戦協定が締結、と書いてある。国連軍の各国旗)

  
        (左・中)北朝鮮の洞宣傳村方面の遠望                     (右)洞宣傳村の広告宣伝塔がうっすら見える


 ソウル市内に戻ったのは15時半頃。ミレニアム・ヒルトンに預けていた荷物を引き取って、早めに仁川国際空港に向う。仁川空港は金浦空港に比べ遠くなったので1時間半ほどかかる。

           
(左)ソウル市内 南大門                        (右)ソウル市内風景

            
(左)ソウル駅(1988年の時は釜山からセマウル号で降り立った駅) (右)漢江沿いを国会議事堂を見ながら仁川空港へ

帰路はインチョン国際空港19時05分発大韓航空721便である。広大な空港内でお土産を物色しているとすぐに出発の時間がやってくる。無事20時45分関空着。
充実した3日間のソウルの旅であった。


漢城(HANSUNG)CCのゴルフと明洞海鮮鍋と -ソウル-(異文化体験39 ソウルの休日の旅2)

2014年02月20日 17時47分17秒 | 異文化体験_アジア
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漢城(HANSUNG)CCのゴルフと明洞海鮮鍋と -ソウル-    2004.05.24

 ソウル2日目のゴルフ場は、HANSUNG COUNTRY CLUB(漢城カントリークラブ)という1984年開場のソウル近郊では2番目に古い27ホールを有する名門ゴルフ場である。
 午前8時40分ティーオフと聞いているので、6時半にホテルを出発する。京釜高速道路板橋ICを下りて7時40分頃に到着。少し日本語の話せる運転手の姜さん(たまたまハンナラ観光の女性案内人も姜さんだが、運転手は男性)が受付等をしてくれて、2時半に迎えに来てもらうことに。
 早速朝食を取りにレストランへ。韓国語を話せず解さない日本人だけのグループはめったに来ないのだろう。メニューも読めず解せずで困った困った。若干の英語の単語が共通語となり、やっとトーストと卵と野菜の朝食にありつけた。

 1984年開場のHANSUNG COUNTRY CLUB(漢城カントリークラブ)

    
      (左・中)漢城カントリークラブの案内パンフ       (右)ゴルフ場のモーニング  

 西、東、南の3コースで今回は西、東。フロントティで全長5888m。ヤードで6500ヤードほど。韓国では表示はメートル表示。貸しクラブは何と韓国メーカーの新品クラブ。リゾート地のゴルフ場と違って貸しクラブでプレイする人なぞ、滅多にいないのだろう。

  スコアカード(距離はm表示)  

 2バッグ1キャディで徒歩のラウンド。二人のキャディがいろいろ言ってくれるが、いまいち解するのに時間がかかり、ショットの後に「そういうことやったんや!」と。万事がこんな調子で、慣れないクラブに少し慣れてきた時には、西コースもあと1ホールを残すのみ。
 するとキャディがお昼の注文を聞いてくる。何種類か言ったが、理解出来たのがジャージャー麺。「それ!」と言うと、キャディがにっこり顔で「美味しいよ!」 西コースを上がると、東コースへの道中の小さな食事処にちゃんとジャージャー麺が用意出来ている。極めて合理的なシステムである。
 東コースも悪戦苦闘しながらもまあまあのスコアでプレイ終了。交通費込みで82万ウォン。日本と変わらない値段である。

 ホテルに戻って一休み。今宵は、まずマッサージでゴルフの疲れを取って、ガイドブックに「海鮮鍋といったらここ!」と謳う名物オモニの店 明洞オモニチプで食事をすることに。

 ビルの谷間からソウルタワーが見える

 マッサージは昨日女性ガイドの姜さんお薦めの明洞天地然に。まだ時間も早いのでホテル近くの南大門市場をぶらつきながら徒歩で明洞へ。高台のホテルから坂を下るとビルの間からソウルタワーが見える。南大門市場は相変わらずの賑わいだ。
 明洞天地然は、汗蒸幕をベースに基本コース2時間だそうだが、特別にマッサージ中心の1時間コースをやってもらう。さっぱりしたところで、お腹が空いてきた。

      
            天地然でのマッサージ(マッサージ中心の1時間コースをやってもらう)

 明洞オモニチプは、すぐ近く。綺麗な店ではないが30年前に完成させたという秘伝の鍋が大ヒット。今日も大入り満席である。海鮮鍋をベースにチジミやキムチ等々、お腹一杯食べても安い安い。

   
                                 明洞オモニチプは秘伝の海鮮鍋が名物
 

 食後は明洞のメインストリートをそぞろ歩き。なんと60cmのソフトクリームがソウルのナウいデザートらしいが、街角で30cmを買ってみた。歩きながら食べると結構食べれるものである。

最近はやりの超ロングソフトクリーム(参考写真)

「明洞衣類」という店に入って驚いた。大きな衣料店である。土産に衣類でも買って帰ろうかと思ったが、過去衣類の土産で成功したことがない。止めておこう。

 帰りは坂を登るのが大変だし、タクシーで帰ることに。


世界遺産「水原華城」とナンタと -ソウル-(異文化体験39 ソウルの休日1)

2014年02月15日 23時36分07秒 | 異文化体験_アジア
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世界遺産「水原華城」とナンタと -ソウル-  2004.05.23

 韓国でゴルフをしよう!と昔の仕事仲間4人で3日間のソウル行きを計画した。直前にうち1人の身内に不幸があり3人での旅となった。
 中日のゴルフだけが予約出来ているが、後は何も決まっていない。KNTの全くフリーのパックプランである。とりあえず、関空9時40分発大韓航空722便に搭乗する。 
 ソウル仁川国際空港着は11時30分。ツアー案内書に「出迎えあり。免税店ご案内後、ホテルへご案内。夕食はプルコギ」となっている。

 出迎えてくれたのはハンナラ観光の姜さん。幸い我々以外に同乗のパックツアー客はいない。免税店経由のホテル行きは御免こうむりたい。 そこで、バスの中で早速交渉開始。「免税店はいらない。代わりにどこか案内して!」としつこく迫る我々に、「水原の華城」観光に決定。もちろん料金も交渉して65000ウォンを50000ウォンに値切る。かくしてバスの行き先が急遽変更された。

   今回のソウルの旅は「水原華城」からスタート(八達門)      

        
       水原華城周辺は、韓国ハイテク産業を支える中小企業が多い(前回業務出張で来たのもこの辺り)

 18世紀末、朝鮮王朝第22代王・正祖が父(荘献世子)の墓を楊州から水原に移し、その周囲に城壁や塔、楼閣や城門を築いた。これが華城である。
 華城建築には、1794~1796年まで3年弱を要し延べ37万人の労力が投入されたという。城壁の延長は5.8km、中国から西洋築城技術を導入し、当時の城塞建設技術の粋を集めた東西技術の融合物である。
 また、華城は正祖の理想都市であり、一時は華城への遷都も検討されたが、華城完成直後に正祖が死亡したため遷都は見送られた。正祖の死後、荒廃したまま放置された華城は1975年の復元工事により往時の姿を取り戻し、1997年世界文化遺産に登録された。

   
                       延長およそ6kmの城壁(遠くの池の傍の楼閣が訪花随柳亭)

        
                             水上楼閣が設けられている華虹門

      
               延長およそ6km、ゆっくり歩いて2時間弱、5月下旬の陽気に汗ばんでくる

 八達門から入場し、石材と煉瓦を多用した城壁に沿って華西門、長安門、更には水上楼閣が設けられている華虹門まで歩くが、これで約半分、初夏を思わせる陽気に身体中が汗ばんでくる。池を見下ろす優雅なたたずまいの訪花随柳亭で小休止。ほぼ2/3を周遊したところに休憩所があり、冷たいものを飲みながらホテルに戻ることにした。


        
           今回のホテルは南山公園の高台にある「ソウル・ミレニアム・ヒルトン」

 今回のホテルは、南山公園の高台にありソウル駅に近いソウル・ヒルトン。シャワーを浴びて今宵の相談をする。
 夕食後は「ナンタ」を見に行くことにし、姜さんに食事前に予約をして貰った。夕食はパック旅行に付いている「プルコギ」。食事場所は高級住宅街の中の小さな店。元ラグビーラガー選手もいる今回のメンバー、到底お腹を満足させる量ではない。早々にたいらげて、姜さんも誘って貞洞のナンタ劇場に近い焼肉屋さんに行って焼肉を堪能する。

        
                   貞洞のナンタ劇場に近い漢南洞の焼肉屋さん


 NANTA(ナンタ)は、1997年の初公演。サムルノリのリズムを素材にドラマ化した非言語劇である。大型厨房を舞台に4人(男性3、女性1の組合せ)の料理師が結婚披露宴のための料理を作る過程で各種厨房器具を使ってサムルノリを演奏するという内容。

        
    (左)ナンタ専用劇場の観劇券                     (右)ナンタのパンフレットより

        
    (左)開演前の舞台の様子                       (右)ナンタのパンフレットより    

 パワーとスピード感を持ってわかり易い、かつ喜劇的なストリーを展開するので、誰もが楽しめるショーである。特に一見キュートな、それでいて非常にパワフルな女性の技に感嘆ものであった。


ベルサイユ宮殿とクッキー争奪戦 -パリ- (異文化体験37 ロマンティック街道の旅 10)

2014年02月06日 13時01分12秒 | 異文化体験_西欧
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ベルサイユ宮殿とクッキー争奪戦  -パリー  2002.08.07~08.08
 

 いよいよツアー最終日。午前中はルイ14世が建造したバロック建築の集大成、ベルサイユ宮殿観光である。私にとっては3度目のベルサイユ宮殿。

  
                  早朝のベルサイユ宮殿と広大・華麗な庭園

 妻にとっては初めての訪宮であり、壮大豪華な宮殿と広大な本格庭園とに大感動である。時間が十分あれば大・小トリアノン等の見学も出来るのであるが、そこは団体ツアーの悲しさ。午前中の見学を終え、昼食後は自由行動となっている。
 フォンテーヌブロー城とバルビゾン観光(お一人様1万円)や豪華なパリショー(お一人様2万円)のオプショナルツアーが用意されているが、参加者は少ないようだ。

 ←その華麗さに誰もが感嘆する「鏡の間」


 我々は、オペラ座前で下車し、ギャラリー・ラファイエットの松坂屋の一角にあるルイ・ヴィトンに直行する。売り場にごったがえす人種の多様性に驚かされる。それだけ、世界経済が広範な地域で好転しているということだろう。2002年1月1日から欧州通貨がユーロに統一され、1ユーロは40フラン程度。日本円では100円レベルとドルに近い換算レートである。

 
              パリ・オペラ座              ギャラリー・ラファイエット

 ヴィトンで長男の嫁にプレゼントする財布を購入後、ラファイエットで寝具や家庭用品のお買物に付き合う。以前出張時、新婚さんにテーブルカバーーを買って帰って喜ばれたりしたものだ。今回は建替新築なった我家のベッドカバーがお目当て。手頃な品の良いデザインのカバーセットを購入し、その他のお土産類も買って、いよいよ奥様が自分のバッグが欲しいということで、昨夕ウィンドショッピングした店を再訪問。いろいろ迷ったあげく、お気に入りのバッグを購入。これ以上買われては財布がたまらん!とタクシーでホテルに戻る。

 ←ホテル「ソフィテルフォーラム・リブゴーシュ」

 夕食までまだ時間があるので、近くのスーパーに添乗員君お薦めのクッキーがあるかも知れないと散歩がてら出かける。同じ目的で一組の親子が来ていたが、残念ながら置いてなかった。このクッキー、添乗員君がお薦めのクッキーで値段が安く、実に美味しい代物。気の置けないお土産に最適品である。このツアーでは、行く先々でこのクッキー争奪戦が見られた。

 ←過去10回は訪れたパリ。その象徴「エッフェル塔」

 最後の夕食は、ホテルのレストラン。7泊8日の旅も前半はほとんどがバスの旅。アルプスでお天気に恵まれなかったのは残念であった。

 帰国のパリ・ドゴール空港での乗り継ぎ時間待ちの時、添乗員君が近くの免税店に例のクッキーが置いてあると教えてくれる。早速に出向いて残りの箱を全部買い占めた。レジ係りの女性がこの珍しい客に、ニコッと笑顔。

 8月9日(金)パリ発13時15分発のAF-292便は、8月10日(土)午前8時10分に無事関空到着。
 ロマンティック街道の旅もこれにておしまい。


偏頭痛と買物とバトームーシュ -パリ-(異文化体験37 ロマンティック街道の旅9)

2014年02月03日 00時44分17秒 | 異文化体験_西欧
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偏頭痛と買物とバトームーシュ -パリー  2002.08.07~08.08


 ジュネーブ・コルナヴァン駅には、フランスからTGV等のフランス国鉄が乗り入れている。今回の旅ではフランスご自慢の新幹線TGVでパリへ、およそ3時間30分の旅である。気になる音や震動もなく日本の新幹線よりはゆったりした車内空間である。

          
(左)ジュネーブ・コルナヴァン駅                       (右)発車前の記念撮影

         
(左)ジュネーブ-パリ間を結ぶTGV                      (右)乗車券(運賃は91.90ユーロ)  
 

 この快適な車内で朝食のサンドウィッチを食べ終わると、いつしか睡魔が襲い、気がつけばそこはパリ。

  車内でサンドウィッチの朝食


 観光バスに乗り込んだあたりで妻の様子がおかしい。恐れていた偏頭痛が出てきたようだ。昼食のお寿司屋さんでは妻の分も私が食べるはめに。
 ノートルダム寺院やルーブル美術館、コンコルド広場からシャンゼリゼ通りを経て凱旋門といったパリ市内観光も、妻にとっては頭痛と吐き気との戦いであったようだ。

   ノートルダム寺院にて

         
(左)ルーブル美術館入館券(表)                    (右)ルーブル美術館入館券(裏:7.50ユーロ)

              
          (左)ご存知「モナリザ」と(右)「ミロのヴィーナス」

 ホテルに戻る前にオペラ座界隈でショッピングタイムとなる。長男の嫁への土産にルイ・ヴィトンの財布を予定しているが、ヴィトンの店は今までの旅程にはない。明日の午後の自由時間でショッピングすることにしているが、気分も良くなってきたのか、妻の動きがここに来て俄然活発になってきた。結局、この日はウィンドショッピングだけで、ホテル「ソフィテルフォーラム・リブゴーシュ」にチェックインする。


           
(左)ソフィテルフォーラム・リブゴーシュホテル            (右)セーヌ名物「Bateaux Mouches」(パンフより)

 今宵は、セーヌ河クルーズ。Bateaux Mouchesは2回目。前回は豪華船で船上での夕食であったが、今回は夕食後の乗船。陽はまだまだ高く、各国からの団体客や夏休みでパリ見物をしている若者たちが船上を賑わしている。前回乗船時にはビデオカメラを持参していたので、帰国してから「パリの恋人達」という小編ビデオを編集した。要は船から対岸を照らす強烈なライトで、水辺の暗闇のカップル達の生態が面白く映し出されている。場所場所によって男女のカップル、ホモのカップル、レズのカップル等、棲み分けが出来ていて、それでいて乗船客との間に明るいコミュニケーションが成立しているのである。

          
(左)夕暮れ真近のノートルダム      (中)暮色に染まるパリの空   (右)セーヌの川面から見た「夜のお化粧をしたエッフェル塔」

 セーヌ川の折り返し点を過ぎた辺りで薄闇が迫り、エッフェル塔の電飾や両岸のライトアップされた建物が闇夜に映し出されると、このクルーズもクライマックスを迎える。