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現在、わが国には2千数百のゴルフ場がある。私は300ケ所を制覇しようとゴルフを行っているが、残念ながら最近とみにゴルフ場の経営や名称変更等で、正確にフォロー出来なくなった。
しかし、2千数百あるゴルフ場で、最古のゴルフ場が今なお伝統ある素晴らしいゴルフ場としてゴルフ愛好家に愛されている、それが六甲山の山の上に創られた「神戸ゴルフ倶楽部」である。
伝統と格式のあるクラブハウス グルームからの伝言(マナーブックのようなもの)
1868年、英国人アーサー・ヘスケス・グルームが来日。日本をこよなく愛し、日本人の妻(宮崎直)を娶り、六甲山頂の別荘第1号「101」で、仲良し4人の茶飲み話の中で「ゴルフを為て見様じゃないか」となり、1901年手作りの4ホールで全てが始まった。
1903年2月、神戸外国倶楽部で「神戸ゴルフ倶楽部」創立総会を開催。5月24日開場式が行われ、9ホール、会員120名でその歴史がスタート。このことは、遠くゴルフの本場ロンドンのゴルフ誌「Golf Illustrated」に紹介されている。翌年、18ホールが完成。
現3,4番ホール以外は、その時のレイアウトが現在の原型となっている。
(以上は、Kobe Golf Club グルームからの伝言より)
TYBとまでは行かないがコースガイド 専用バッグにクラブは10本 キャディが担いで帯同する
平成30年6月4日、友人の計らいで神戸ゴルフ倶楽部でプレイする機会が得られた。開場後115年が経っている。
正直、こんな先にゴルフ場があるのかというほど細い道をゆっくり車を進め、やっとそれらしき建物と10数台の駐車場のある場所にたどり着く。こじんまりとした、それでいて歴史と風格を併せ持つクラブハウスである。
まず、ゴルフクラブの詰め替えを行う。ゴルフクラブは10本(パター込)に制限され、専用バッグに詰め替える。最長は396ydのミドル、最短は121ydのショート。
私はドライバー、7番ウッド、アイアンが6番からピッチングまで、52度と56度のウエッジ、パターの10本。
このバッグをアルバイトのキャディが担いで帯同するという。気の毒に我々は4人組。4つのバッグを担いで歩くとなると大丈夫か? 神戸大学の学生さんだが、決して屈強の若者とは見えないが、慣れていると言う。しかし、大抵は2サムでのラウンドが多いようだ。
スコアカード 裏面に英語表記のローカルルール(カード幅が6インチ)
クラブハウスでスコアカード(さすが、ローカルルールは英語表示)とTYBのようなコース案内を受け取り、午前9時にOUTスタート。1番ホールは170ydのショートホール。ホール名はDumpie。ホールインワンするとグルームが愛したウィスキーDumpie1箱が倶楽部から贈られるようだ。幸い7番ウッドでワンオン・2パットでパー。出足好調のゴルフに見えたが、以降はボギーやダボの連続でOUT・Par30 1710ydが44の14オーバー。総じてブラインドホールはそれほどないが、左右傾斜のフェアウェイ、高低差の大きなかつ小さな砲台グリーン、しかも読み難いグリーンに手こずってしまった。
3枚とも1番ホール170yd 幸いパーセーブ、全てがこのようなコースなら良かったのだが、知らぬは仏の1番ホール
#4は、ティグラウンドの下にステュクス川(三途の川)が流れていた 9番グリーンからはるか下のティグラウンドを見る(まるで若草山登り)
1番ホール(Dumpie)から10番ホール(The Boundary)までプレイして、昼食休憩に。
倶楽部の歴史を語る写真やグルームの彫像、その他の記念品が、談話室とそれに続くレストランに飾られている。レストランからは、神戸の町並みと港の眺望を楽しむことが出来る。名物のカレーライスを頂戴し45分ほどの休憩後、残りの8ホールに向かう。
クラブハウスにて 左:レストラン 中:談話室(グルームの彫像が見える) 右:名物カレーライス(前の友人は餡かけ焼きそば)
IN・Par31 2141ydとOUTに比べ430ydほど長く、ドライバーの出番が多くなる。11番ホールはDoctor’s Nob(医者の頭)という名がついているが、初代プレジデントの大頭をもじって名付けられたようで、180ydのショート。ここはボギースタートとなった。日頃、カートでのプレイに慣れ切った私には、ここのホールごとのアップ・ダウンは正直こたえる。さすが、キャディ君、4バッグを担いで的確に指図をして坂を上っていく。後半唯一の救いは、H’cap1番の15番ホール396ydでパーがとれたこと。
結局、IN Par31に対し43の12オーバー。Par61を87、16オーバーでプレイ終了。
レストランのトレイシート(全体レイアウトが良くわかる) #12のだらだら上りと#15(隣)の下り コースから神戸の街と海が見える
こじんまりしたお風呂で、今宵の寝床で足が攣るのではないかと危惧しつつマッサージをしながら汗を流した次第。
レストランで、飲み物片手に現在とはボールも道具も全く異なる状況下で、この厳しいコースをどのように先人たちは攻略していたのか、思いを馳せながら日本最古の名門ゴルフ場を後にした。
(注)幸い名門ゴルフ場が平日に限り、一般解放デイを設けているようだ。往復はがきで申し込む必要があるが、是非、一度体験されることをお勧めする。詳しくはホームページをご覧ください。
日本のゴルフ発祥の地 神戸ゴルフ倶楽部
- 4000ヤード、Par61ながらなかなかの難コース -
現在、わが国には2千数百のゴルフ場がある。私は300ケ所を制覇しようとゴルフを行っているが、残念ながら最近とみにゴルフ場の経営や名称変更等で、正確にフォロー出来なくなった。
しかし、2千数百あるゴルフ場で、最古のゴルフ場が今なお伝統ある素晴らしいゴルフ場としてゴルフ愛好家に愛されている、それが六甲山の山の上に創られた「神戸ゴルフ倶楽部」である。
伝統と格式のあるクラブハウス グルームからの伝言(マナーブックのようなもの)
1868年、英国人アーサー・ヘスケス・グルームが来日。日本をこよなく愛し、日本人の妻(宮崎直)を娶り、六甲山頂の別荘第1号「101」で、仲良し4人の茶飲み話の中で「ゴルフを為て見様じゃないか」となり、1901年手作りの4ホールで全てが始まった。
1903年2月、神戸外国倶楽部で「神戸ゴルフ倶楽部」創立総会を開催。5月24日開場式が行われ、9ホール、会員120名でその歴史がスタート。このことは、遠くゴルフの本場ロンドンのゴルフ誌「Golf Illustrated」に紹介されている。翌年、18ホールが完成。
現3,4番ホール以外は、その時のレイアウトが現在の原型となっている。
(以上は、Kobe Golf Club グルームからの伝言より)
TYBとまでは行かないがコースガイド 専用バッグにクラブは10本 キャディが担いで帯同する
平成30年6月4日、友人の計らいで神戸ゴルフ倶楽部でプレイする機会が得られた。開場後115年が経っている。
正直、こんな先にゴルフ場があるのかというほど細い道をゆっくり車を進め、やっとそれらしき建物と10数台の駐車場のある場所にたどり着く。こじんまりとした、それでいて歴史と風格を併せ持つクラブハウスである。
まず、ゴルフクラブの詰め替えを行う。ゴルフクラブは10本(パター込)に制限され、専用バッグに詰め替える。最長は396ydのミドル、最短は121ydのショート。
私はドライバー、7番ウッド、アイアンが6番からピッチングまで、52度と56度のウエッジ、パターの10本。
このバッグをアルバイトのキャディが担いで帯同するという。気の毒に我々は4人組。4つのバッグを担いで歩くとなると大丈夫か? 神戸大学の学生さんだが、決して屈強の若者とは見えないが、慣れていると言う。しかし、大抵は2サムでのラウンドが多いようだ。
スコアカード 裏面に英語表記のローカルルール(カード幅が6インチ)
クラブハウスでスコアカード(さすが、ローカルルールは英語表示)とTYBのようなコース案内を受け取り、午前9時にOUTスタート。1番ホールは170ydのショートホール。ホール名はDumpie。ホールインワンするとグルームが愛したウィスキーDumpie1箱が倶楽部から贈られるようだ。幸い7番ウッドでワンオン・2パットでパー。出足好調のゴルフに見えたが、以降はボギーやダボの連続でOUT・Par30 1710ydが44の14オーバー。総じてブラインドホールはそれほどないが、左右傾斜のフェアウェイ、高低差の大きなかつ小さな砲台グリーン、しかも読み難いグリーンに手こずってしまった。
3枚とも1番ホール170yd 幸いパーセーブ、全てがこのようなコースなら良かったのだが、知らぬは仏の1番ホール
#4は、ティグラウンドの下にステュクス川(三途の川)が流れていた 9番グリーンからはるか下のティグラウンドを見る(まるで若草山登り)
1番ホール(Dumpie)から10番ホール(The Boundary)までプレイして、昼食休憩に。
倶楽部の歴史を語る写真やグルームの彫像、その他の記念品が、談話室とそれに続くレストランに飾られている。レストランからは、神戸の町並みと港の眺望を楽しむことが出来る。名物のカレーライスを頂戴し45分ほどの休憩後、残りの8ホールに向かう。
クラブハウスにて 左:レストラン 中:談話室(グルームの彫像が見える) 右:名物カレーライス(前の友人は餡かけ焼きそば)
IN・Par31 2141ydとOUTに比べ430ydほど長く、ドライバーの出番が多くなる。11番ホールはDoctor’s Nob(医者の頭)という名がついているが、初代プレジデントの大頭をもじって名付けられたようで、180ydのショート。ここはボギースタートとなった。日頃、カートでのプレイに慣れ切った私には、ここのホールごとのアップ・ダウンは正直こたえる。さすが、キャディ君、4バッグを担いで的確に指図をして坂を上っていく。後半唯一の救いは、H’cap1番の15番ホール396ydでパーがとれたこと。
結局、IN Par31に対し43の12オーバー。Par61を87、16オーバーでプレイ終了。
レストランのトレイシート(全体レイアウトが良くわかる) #12のだらだら上りと#15(隣)の下り コースから神戸の街と海が見える
こじんまりしたお風呂で、今宵の寝床で足が攣るのではないかと危惧しつつマッサージをしながら汗を流した次第。
レストランで、飲み物片手に現在とはボールも道具も全く異なる状況下で、この厳しいコースをどのように先人たちは攻略していたのか、思いを馳せながら日本最古の名門ゴルフ場を後にした。
(注)幸い名門ゴルフ場が平日に限り、一般解放デイを設けているようだ。往復はがきで申し込む必要があるが、是非、一度体験されることをお勧めする。詳しくはホームページをご覧ください。