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旅行記、世相独言

「疲れたッス」異例6分40秒大相撲で8年ぶり水入りの珍事NHK中継もオーバー身長差30セ…

2023年11月19日 00時16分31秒 | コーヒーブレイク
久々に見た「水いり」。昔はよくありました。
北青鵬VS翠富士、あれだけの体格差で、必死に攻める翠富士に自分から一向に攻める気配のない北青鵬。
時間制にして柔道やレスリングのように審判団の判定で決着を付けたら?
何もせず相手が疲れるのをただただ待つ大型力士にカツ!

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/dailysports/sports/20231118136

南紀白浜のミニ新名所

2022年11月13日 19時48分54秒 | コーヒーブレイク
南紀白浜のミニ新名所

 南紀白浜には、恐らく20回以上訪問をしているが、初期の観光を除くとほとんど温泉、グルメ、ゴルフに訪問が集約される。今回も正に温泉と九絵会席の訪問であったが、白浜の「旅館むさし」が紹介する珍しいスポットが目にとまったので行ってみた。

 
      白浜のお馴染みの光景                白良浜(いずれもホテルマリオットから撮影)

白浜の北部には有名な円月島、京都大学白浜水族館、番所山公園などがある。高台の公園内には和歌山が生んだ世界的な博物学の巨星、南方熊楠(みなみかたくまぐす)の記念館もある。このため、学生の遠足等で公園入口は観光バスがよく停まっている。

 
  地図の上部左側に番所山公園               お馴染み円月島

今回紹介するミニ新名所は、番所山公園の入り口に面した海岸沿いにある洞窟である。大型バスで来た人は公園入口で下車、後は徒歩で公園内を登っていく。マイカーも同様、もしくは入口信号に従って一車線の細い道を登っていくので、海岸沿いの洞窟に気づく人はほとんどいない。
折角ここまで来たのなら、是非立ち寄っては如何でしょうか。円月島が全く違った角度で見ることも出来ます。

  
                  全長10数メートルの洞窟です

              
    洞窟内の開口部から撮影          洞窟を出たところから見る円月島


半世紀 50年

2022年01月27日 12時06分23秒 | コーヒーブレイク
半世紀 50年

 この方を覚えておられる方も、めっきり少なくなったのではないでしょうか。横井庄一さん(1915~1997)、元日本軍兵士。
           

 1972年1月24日、グアム島の奥地で現地住民に発見され、日本軍が玉砕した1944年8月から28年間、捕虜になることを禁じた軍令を守り、グアムのジャングルで人知れず生き延びてこられ、「恥ずかしながら生きながらえて帰ってきました」と母国に帰還されました。
ちょうど今から50年前のことです。
この知らせは、戦後27年高度成長期真っただ中の日本国中に衝撃が走りました。私たち若者には戦争の実感を間近なものにし、死亡通知を受け取った遺族の方々にはもしやわが父、わが息子もと。(さらに1974年フィリピン・ルバング島から小野田寛郎さんが29年間の潜伏を経て帰還されました)

 横井庄一さんは発見後、グアム島に初めて出来た日系ホテル「グアム第一ホテル」で10日間ほど過ごされ、2月2日に帰国されました。
我々夫婦はその3ケ月ほど後に、心の片隅に少し複雑な思いを偲ばせながらグアム第一ホテルに新婚旅行で訪れました。ビザとイエローカードを持ち、1ドル360円、円の持ち出し規制の中で。
大阪伊丹空港からパンナム機でグアム島へ、帰路は就航が始まったばかりのジャンボジェットに乗りたくて羽田経由で伊丹に戻りました。当時の伊丹空港は、ジャンボジェットが離着陸出来るだけの滑走路延長がなかったためです。

40年後の2012年9月、私は再びグアムの地に降り立ちました。タモン湾に面し当時一軒家だった日系のグアム第一ホテルは、建物は存続していましたが、経営は台湾系の企業に代わっており、タモン湾周辺には様々なホテルやDFS等の施設が林立し、昔の面影を見出すことは出来ませんでした。

朝日新聞2022年1月25日号夕刊の横井庄一さんの記事を見て、50年前を思い起こしてみました。

  
元日本兵発見を伝える新聞  グアム島初の日系ホテル「グアム第一ホテル」 台湾系の経営に代わった現在のホテル

  
左:50年前のタモン湾から恋人岬方面の景色 右:ホテル等が林立する現在の景色  PANAMのジャンボジェット  


松山選手のマスターズ制覇に思う グリーンジャケットとダブルボギー

2021年04月14日 01時20分13秒 | コーヒーブレイク
松山選手のマスターズ制覇に思う グリーンジャケットとダブルボギー


 2021年度第85回マスターズは、日本のゴルフプレイヤーたちにとって忘れられない大会となった。過去、日本のゴルファーたちが挑み続け誰もがなしえなかったゴルフトーナメントの最高峰「マスターズ」に、ついに日本人の名前が刻まれた。
4月11日、松山英樹選手の快挙を見届けようと、多くのファンが深夜から早朝にかけてのテレビ中継に一喜一憂しながら固唾をのんで見守った。
2打差をもって臨んだ最終18番、第1打で喜び、第2打で憂慮し、第3打で勝利を確信し、1打差で勝利を手中に収めた瞬間に、自然と涙する人も多かったであろう。

 ダブルボギーのない素晴らしいラウンドは、誰もが認める彼の並々ならぬ練習によるテクニックとオーガストという難コースのマネージメント戦略の習得によるものだろう。そして10度目の挑戦にして、ついにオーガスタの女神を呼び寄せ、認めさせることが出来たのであろう。
 松山選手の素晴らしいプレイとチーム松山の総合力がグリーンジャケットを手中にしたように思う。心からの敬意と祝意を送りたい。

            

 ただ一つ、個人的に残念であったのは、全72ホールを3イーグル、13バーディ、9ボギーという、ダブルボギーのない素晴らしい成績で回ったのだが、場外で1つのダブルボギーがあったように思う。
 それは、表彰式でのこと。あのシャイな松山選手が前回優勝のジョンソン選手からグリーンジャケットをかけてもらい、小躍りして両手を突き上げ喜びを爆発させたのは、普段決して見ることのできないほほえましい光景であったのだが、その直後、主催者から優勝スピーチを要請された彼のスピーチは、残念ながら私は唯一のダブルボギーであったと思う。
 彼のスピーチは、優勝できたことを喜ぶとともに、ファンへの感謝の言葉であった。通常、こういった大きな大会での公式スピーチでは、まず主催者はじめ多くの大会運営の関係者への謝意があるべきで、特に今回はコロナ禍での大会で運営関係者の努力は並大抵のものではなかったはず。見かねた通訳からナショナルオーガスタへの謝意を述べなさいと耳打ちされたのは、やはりダブルボギーと言わざるを得ない。
 もう一つ残念なのは、部分的でも英語でのスピーチが欲しかったが、サンキューの一言であった。10年間、米国でプレイしてきた人間として、また日本の最高学府を出た選手として少し寂しい思いをしたのは、私だけではないであろう。

 ただ、早藤将太キャディのとった行為が、松山選手のこのダブルボギーをボギー程度に軽減したかも知れない、素晴らしい行為であった。

 マスターズの覇者は、次回以降もこの大会への出場権が与えられる。松山選手にはぜひ次回優勝への宿題として、頑張ってほしい。













御巣鷹35

2020年08月12日 22時59分34秒 | コーヒーブレイク
御巣鷹35


その日、お盆休みを交代でとっていたのと、退社定時をまわっていたので企画部の事務所内には私ともう一人いただけだった。
帰ろうかと支度を始めたその時、秘書部から電話があり、JAL伊丹便が行方不明との連絡。

この便は、当社も東京出張の際、復路便として大抵毎日数名が利用している。
かく言う私も当時は週に1,2回は必ず朝一番のJAL便で上京し、18時のJAL便で帰阪していた。

早速手分けして、全所属で出張者の有無、この日の伊丹便を使う可能性のある者を調査した。
一名乗客名簿と同姓同名(カタカナ表示)がいたので大いに心配したが別人であることが確認できた。
この日、当社の人間が乗っていなかったのは奇跡的であった。

あの日から35年が経つ。さぞかし長時間にわたって怖い思いをされた被災者の方々のご冥福を心からお祈りしたい。
圧力隔壁の損傷が原因だったようだが、コロナで多くの飛行機がスタンバイ状態が続いている。
この際整備だけはしっかりとお願いし、空の安全をより確かなものにして欲しいものだ。

頑張れ、イタリア!

2020年03月24日 17時36分22秒 | コーヒーブレイク
頑張れ!イタリア


 イタリアが大変なことに。
ウイルスが変異していないことを祈りたいけど、それにしても、イタリア、スペイン、フランスとラテン系の国々での感染がひどいですね。

 イタリアには、何度も出張しましたが、思い出深い出来事があります。
 今から26年前の1994年6月、エネルギー業界の世界最大規模の国際会議がミラノで開催されました。世界中からエネルギー業界のVIP3千人が集まる会議で、私も日本代表の一人として参加しました。わずか1週間で20数億円の予算を消化する欧州風の豪華な会議です。当然、会議参加登録費も一人15万円程度だったと記憶してます。

             
      第19回世界ガス会議のポスター    プリンシペ・ディ・サヴォイアホテル

 会議と並行して主催国及び参加主要国主催のレセプションが、夜毎ミラノ各地で開催されます。前夜祭はミラノスカラ座貸し切りの特別プログラム。会議参加者3千人が一堂に会して同じメニュー・同じ食器で食事をするガラ・ディナーはフィエラ・ミラノで開催されました。この規模のインフラは残念ながら日本にはありません。

             
      ミラノ・スカラ座での前夜祭            前夜祭のプログラム

             
      フィエラ・ミラノでの開会式            3000人のガラ・ディナーの風景

 日本国主催のレセプションは、ミラノを代表するプリンシペ・ディ・サヴォイアホテルの大広間で開催しました。日本国主催のレセプションは、和食の提供が不可欠のためケータリング・サービスが必要で、屋外(お城や美術館等)での開催はリスクが大きく、どうしてもホテルでの開催となります。
 レセプションの最大の目玉は、スカラ座オーケストラのピックアップメンバーとイタリアに音楽留学している日本人たちによるステージ、そして先ほどの食事メニューとお土産でした。

             
  ミラノ・スカラ座オーケストラのピックアップメンバーと    イタリアへの日本人音楽留学生

 何度もスカラ座メンバーやホテル側マネジャーと綿密な打ち合わせを行い、いよいよ明日が本番という日を迎えました。この日は主催国代表者による限定招待者のプレジデント・ディナーがミラノ大学で開催される日でした。
私も招待されており、楽しみにしていたところに、ホテル宴会部門長から、今まで詳細打ち合わせをしてきた宴会マネジャーがおたふく風邪で倒れたという電話が入りました。

  
プレジデント・ディナーへの招待状      開催国事務局長夫妻と      展示会場スタッフ達と

 「相手は、イタリア人」。マネジャーがどこまで現場の人間に打ち合わせ内容を徹底できているか、大いに不安がよぎりました。私はホテル宴会部門長に私のスタッフたちと共に再確認をしたい旨伝え、その夜は部門長、代行マネジャーを交えて、遅くまで再確認を行いました。

 結果、当初の「相手はイタリア人だから」という不安は一掃されました。さすが、イタリア・ミラノを代表するホテルでした。打ち合わせ内容は、寸分違いなく末端まで伝えられていて、逆に感動しました。
 国賓ももてなす一流ホテルのスタッフたち、レセプションが終了した後、我々とホテルスタッフ達はお互いこのレセプションの成功を抱き合って喜んだのを今も忘れることが出来ません。

 素晴らしいホテルの仲間たち!

 打倒!コロナ。頑張れ!イタリア!!

世にも不思議な物語   鳥居が私を呼ぶ (宝山寺と朝護孫子寺)

2019年12月09日 20時57分48秒 | コーヒーブレイク
(写真はクリックで拡大します)

世にも不思議な物語  鳥居が私を呼ぶ(宝山寺と朝護孫子寺)


 私の祖父は、明治時代大阪船場で舶来のネクタイ問屋を営んでいました。丁稚も数人抱えるそれなりの商売が出来ていたようです。
 そんな祖父は商売繁盛を願って仲間の商人たちと生駒・宝山寺に大鳥居を寄進しています。生駒山に登るケーブルカーの始発駅の名前は鳥居前駅ですが、今はモータリゼーションの時代になって大鳥居は山の上の宝山寺の入口に移動しています。移動の連絡が我が家にあり、幼少の私は父に連れられて見に行ったのを覚えています。

        
生駒山に登るケーブルカーの始発駅「鳥居前」(鳥居は上に移設され名前だけ残っています)     

  
宝山寺参道側から見た大鳥居       寺院側から見た大鳥居       寄進者の名前が彫られています   

 10年前の2009年、久々に宝山寺を訪ね、祖父と再会(刻まれた名前と)し、おりしも「大和十三佛」を巡り御朱印集めをする催しが始まっていたので、奈良は嫁の実家があり度々来るので宝山寺で御朱印集めをスタートさせました。

        
「大和十三佛」の御朱印帳(A4版)    全部整いましたがその最初と最後に・・・     

 その後、奈良に行くたびにゆっくりと少しづつ御朱印を集め、なんと8年もかかって最後の信貴山・朝護孫子寺で満願を迎えました。
その日、駐車場に車を置いて初めて訪れる広大な寺院に圧倒されながら、1時間ほどかけてお参りをし御朱印をいただき、元来た駐車場の方に向かっていました。

        
信貴山の朝護孫子寺(虎で有名です)    境内案内図(現在地と書いた下に駐車場、通り過ぎると鳥居や仁王門が)

 しかし、どこかで間違ったらしく来た時と異なる周囲の風景に気づきました。そこには古い鳥居や仁王門があり、旧参道の方に歩いていたようです。仁王門の方に引き返し、上の石が落ちたらしい古い鳥居を通り過ぎようとした時、何気なく見た鳥居に刻まれた名に我が目を疑いました。
 なんと、なんと! そこにあったのは祖父の名前でした。祖父が私を引き寄せたとしか思えない偶然ですが、私は信貴山にも寄進していたとは聞いていませんでしたので、ほんとうにビックリ!でした。

        
旧参道の立派な仁王門           旧参道の鳥居(上の石が落ちたのか?) 

        
明治43年の寄進のようです      そして、見てビックリ!祖父の名が!!!

 生駒山宝山寺に寄進した鳥居は、大正5年9月の建立ですが、この信貴山朝護孫子寺の鳥居はお寺に問い合わせるとそれより古く、明治43年に朝護孫子寺成福院に寄進されている旨、連絡を受けました。今は参道がスカイライン側に変わっていますが、当時はここがメインの参道だったようで、今でもいろんなお店があります。

 祖父が、これもあるから知っておけ!と孫の私に伝えたかったのでしょうか?。それにしても、大和十三佛を巡る御朱印集めの最初と最後で、祖父の姿を見るとは、本当に不思議な出来事でした。


【ブログ投稿】HUROM(ヒューロムスロージューサー)を10名様にプレゼント!

2018年04月04日 16時19分34秒 | コーヒーブレイク
健康のための朝のひと時 ヒューロムスロージューサーで自己流のレシピにチャレンジ

【ブログ投稿】HUROM(ヒューロムスロージューサー)を10名様にプレゼント!

今年はいずこへ

2018年02月01日 14時43分25秒 | コーヒーブレイク
初めての海外旅行から昨年の南イタリアの旅まで、49回の海外渡航を行った。
国際線の総搭乗マイルは、約46万マイル。月を67周した勘定だ。

50回目となる今年の記念の渡航先をどこにするか?
行ってみた所は山ほどあるが、一番はアイスランド。2番はアメリカ西部の国立公園。
異文化交流をメインに旅してきた関係からか、最近は大自然の造形を間近に見てみたい
欲求に駆られている。

3年後の金婚式を迎えるので、女房と行くハワイ、もしくはオーストラリアは残して
おかなければいけない。

しかし、加齢と共に国内豪華版もいいのでは?と妻が言い出している。
いろいろ、思いを巡らす年初である。

行く時は、ECナビ旅行予約ページ( http://ecnavi.jp/travel/ )が役に立つかも。
ECナビ経由で旅行予約するとECナビポイントが貯まるようだ。


運転免許の高齢者講習会

2017年12月18日 11時31分53秒 | コーヒーブレイク
大阪府公安委員会の「運転免許高齢者講習会」に行ってきました。

自動車教習所での安全運転の講習に引き続き、視力検査を受けます。
静止視力、動体視力、視野角、夜間視力(暗→明、眩明)の検査です。
幸いいずれも余裕を持ってパス。

次いで、教習所のコースの実走テスト。教習所は違えど50数年前に走ったあのコース。
S字、クランク、車庫入れ等々。新たに、昨今の踏み間違えを想定した歩道乗上げ即停車というテストも。
取得時は、同じクラウンでも車幅はもっと狭くかつマニュアルシフトだったので、S字等のコース幅が
狭く感じられましたが、問題なくパス。

ということで、先日免許所で何ら待ち時間なく更新された免許を貰いました。

3年後に講習を受ける時は、75歳。
テストで免許不適合にならないよう、心技体しっかり安全運転目指してがんばらにゃあ!

とは言え、ぼつぼつ次なる移動手段を考えねばならない歳になってきました。
一度、折り畳み式3段変速のバイクを買って、天気のいい日にはジムの行き帰り等に
利用していたのですが、隣に住む孫に取られちゃって、今はもっぱら車頼り。



楽天市場で電動サポートの自転車を買おうか、買おまいか、迷っている今日この頃です。

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