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旅行記、世相独言

和泉の国ジャズストリート 2010

2010年09月27日 01時02分54秒 | イベント
(写真はクリックで拡大します)


和泉の国ジャズストリート 2010 2010.9.25-26

 第5回目を迎える「2010年 和泉の国ジャズストリート」は、9月26日(日)まだ酷暑の名残の秋空の下74バンド、約500人弱のプロ、セミプロのミュージシャン達が参加して、和泉中央駅から桃山学院大学に至る11の特設会場で開催された。
 昨年の50数バンド、約350人ほど、9会場に比べると、今年は一段と盛大に開催され、和泉市民の秋の行事として確実に定着しつつあるようだ。

 
(左)上田正樹ライブコンサートのちらし   (右)アジアの平和を祈って「Peace to Asia」

 
 これに先立つ25日(土)夕刻から、今年はアジアを中心に活躍する関西を代表するソウルシンガー上田正樹を迎えてSpecial ライブが和泉シテイプラザ 弥生の風ホールで開催された。小生と同年代のはずだが、まだまだ精力的にアジア各国を中心に国境を超えた歌による相互理解・平和活動を続けている。

 26日は地元の小学校の運動会とも重なり、小生も孫の運動会とJazz Streetと両方を掛け持つ忙しい日曜日で会った。

わざわざこのJazz Streetに参加してくれたグループのほんの一部であるがこのブログの中で紹介しよう。


(左)エコールイズミ・アムゼ会場風景 (右)ファニーカンパニージャズオーケストラ(泉大津市中心に活動)


(左)我龍(太鼓ユニット、広島より) (右)Mod-Concept J.O.(大阪府立大学OB、中央駅会場)


(左)中川MARIAバンドwith石丸理恵子(シティプラザ会場) (右)お馴染み 宮下博行トリオ


(左)Peaceful World(ホンダ泉州会場)       (右)ポケット(大阪トヨペット会場)


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奈良まほろばウォーク3 稲渕棚田と案山子コンテスト

2010年09月23日 00時33分57秒 | 異文化体験_日本
(写真はクリックで拡大します)

奈良まほろばウォーク 3 稲渕棚田と案山子コンテスト

  稲穂が頭を垂れた稲渕の棚田

 大和のかくれ古刹「佛隆寺」を参拝した後、バスで石舞台に。
午後3時を回った石舞台周辺は人影もまばらであるが見物後、ここを起点に稲渕の棚田へ片道2km弱のウォーク。
 刈り入れまじかの棚田には頭を垂れた稲穂を守るべく、お百姓さんが電流バリアーを張る作業に余念がない。陽も少しづつ西に傾きはじめ、棚田がより映えるようになってくる。沿道の脇には、刈り入れ前の美しい棚田を絵にしたためる人が数人、最後の仕上げに没頭している。

 
 (左)西日に映える稲渕の棚田              (右)棚田の底に見つけたコスモスの群生


 稲渕棚田界隈では、案山子コンクールが行われている。随分沢山の創意工夫された案山子が畦道の両側に10mおき位に並んでいる。バスに戻る時間の関係で、とても全部を見ることが出来なかったが、その一部をご紹介しよう。

 
(左)案山子ロードへの進入路案内               (右)案山子路を楽しむ人々

 
(左)大和らしい古調の案山子              (右)今年はやはりゲゲゲの鬼太郎からねずみ男

 
(左)力作かつ大作 農家の一こま            (右)これまた大作、手前に曼珠沙華(彼岸花)が一輪

 今日の行程は、山辺の道5.5km+佛隆寺4km+稲渕棚田4km=13.5km
久しぶりの長距離ウォークを楽しんだ一日であった。


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奈良まほろばウォーク2 曼珠沙華の寺 佛隆寺

2010年09月22日 11時10分00秒 | 異文化体験_日本
(写真はクリックで拡大します)

奈良まほろばウォーク2 曼珠沙華の寺 佛隆寺


 山辺の道を歩いた後、車中で弁当を食しながら宇陀郡榛原町に移動、大型バスが入れない高井地区で下車する。上がっていた雨が歩きだすと再び降り出した。ここから佛隆寺までは片道2kmのなだらかな上り道。

  
(左)西国番外札所「大和のかくれ古刹 佛隆寺」の由来書  (右)高井地区の石碑

 佛隆寺は西暦850年弘法大師の高弟堅恵大徳が室生寺の南大門として建立、開祖堅恵大徳が唐の徳宗皇帝より茶臼と茶の種子を拝受し、山内に茶園を造った。これが我国茶樹栽培の始まりとも言われている。茶臼は寺宝として今も見ることができる。

 日本のお茶の始まりを示す石碑

 その他、9世紀半ばに構築された宝形屋根の石室(国宝、堅恵大徳の入定所)や、鎌倉時代の十三重の石塔、県天然記念物の大桜(樹齢約1000年)等があり、寺の住職から本尊十一面観世音菩薩に始まる以上のような説明を受ける。

 
(左)宝形屋根の石室(国宝、堅恵大徳の入定所)  (右)鎌倉時代の十三重の石塔


 小さな秋を見つける今回の日帰り旅行、ここへ来た最大の目的は佛隆寺は大和三指の石段の両側に咲く曼珠沙華(彼岸花)が有名で、その真っ赤な群生を見ようというもの。

 
   今年は暑かったからねえ!と言っている石段両側の早咲き曼珠沙華(彼岸花)

 境内に咲くピンクの曼珠沙華


 その結果は、上の写真の如くで住職曰く10日ほど早かったようだ。一目10万本といわれる曼珠沙華は「さあ!これから咲くぞ!」と言っているようであった。

 ご参考までに、例年ならこんな景色が・・・・・。

(ちなみに旅行日は9月16日でした。)


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奈良まほろばウォーク 1 山辺の道

2010年09月22日 11時07分45秒 | 異文化体験_日本
(写真はクリックで拡大します)

奈良まほろばウォーク その1 「山辺の道」


ある旅行代理店が「山辺の道」定番コースを歩く企画をしたので参加した。
60数年も大阪にいながら山辺の道を歩くのは初めてである。
今回は石上神宮から長岳寺までの5.5km。
残念ながら酷暑続きの毎日の中にあって今日は朝から小雨模様。
しかしながら、涼しくてこれもまたいいものである。
歩いたのは、2010年9月16日でした。

 
(左)山辺の道(石上神宮~長岳寺)今回歩いたルート   (右)山辺の道(長岳寺~桜井)(三輪そうめん 山本提供)

 「いそのかみ神宮」と読む。石上は物部氏の根拠地

 神宝は「日の御楯」「七支刀(国宝)」等々

 鶏たちのお見送りを受け出発

 秋の景色を探すがなかなか見当たらず、竹林に紅葉?

 夜都岐神社

 畦道の両側にはたわわに実った稲穂が秋を告げる

 竹之内町環濠集落 中世末期自衛のため築いたもの

 ETのミイラ? いいえ、ひまわりの末路です

 この辺りいたる所に古墳があり大和古墳群を形成

 柿本人麻呂歌碑「あしひきの 山川の瀬の 響るなべに 弓月ケ岳に 雲立ち渡る」

 山辺の道は墓地の中も通る。念仏寺山門前の石像

 今回のゴール、つつじの名所「長岳寺」


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大司教の館に迫るJCB - ザルツブルグ - (異文化体験8 アルプス山麓の旅3)

2010年09月22日 11時05分08秒 | 異文化体験_西欧
(クリックで写真は拡大します)


大司教の館に迫るJCB -ザルツブルグ-  1986.09.18

 ミュンヘンから153km。楽聖モーツアルトを生んだ街ザルツブルグ。アルプスの山塊に連なる三つの丘陵に囲まれ、Salzach川の清流が街を貫いている。

アルプスの牧歌的風景を楽しむ(ミュンヘン~ザルツブルグ)

 ザルツブルグの街(ホーエンザルツブルグ城、背景はアルプスの峰々)

 委員会の作業は予定より早く昨日の午後に終えたので、今日はO氏、I氏と共に急遽車でザルツブルグへのミニ旅行を実施することに。小雨に煙るハイウェイを1時間半。アルプスの牧歌的風景を楽しみながら、オーストリア国境を越えるとそこはもうザルツブルグ。毎年7月から8月末まで開催される音楽祭(Festpiele)が終わったところで、街にはまだその余韻が漂っている。


 市内を一望出来る高台にはホーエンザルツブルグ城、別名「大司教の館」とも言う、がそびえている。1077年に着工されローマ教会の大司教が置かれた由緒あるお城である。この街で生れ25歳までここで過ごしたモーツアルトもその少年時代(幼名アマデウス)には、この館での音楽会でやんちゃぶりを発揮したようだ。


 (左)ホーエンザルツブルグ城の入場チケット    (右)右奥がゴシック式ストーブ

 大司教の儀式の間、今にもバイオリンやチェロの音が聞こえてきそうな黄金の間、囚人の部屋、1501年製の人の背丈の2倍はあろうかというゴシック式ストーブの部屋、「ザルツブルクの雄牛」と呼ばれる大オルガン等々を見ながら、この城館の見張り台に上がる。

 お城(大司教の館とも言う)から見た街並み
(街の中央を流れるSalzach川、手前が旧市街、川向うが新市街)

 折からの雨で霧の間に間に眼下のSalzach川向うの新市街や城下の旧市街に、欧州最大級のパイプオルガンを有するドーム、祝祭劇場、宮廷コンサートが行われるミラベル宮等々が見え隠れしている。晴れていれば目の前にアルプスの山々や映画Sound of Musicの舞台になった湖沼地帯が展望出来るようであるが、誠に残念である。

 
(左)街の至る所からお城が見える。欧州最大級パイプオルガンを有するドーム (右)モーツアルト生家の入場券


(左)ゲトライデ通りに面したモーツアルトの生家   (右)幼少のモーツアルト(Wolfgang-amadeus)

 ケーブルカーを利用して、旧市街地のモーツアルトの生家を訪ねる。市内で最も賑やかなゲトライデ通りに面したその家は、今は記念館として公開されている。1756年1月27日にこの家で生まれた楽聖Mozartsは、その後ウイーンを中心に活躍し、国立オペラハウスのコケラ落としでは新作「ドン・ジョバンニ」が演じられた。

   
(左)いつも賑わいを見せるゲトライデ通り  (右)急速に拡大するご存知JCBのロゴマーク

 人口10万少しのこの町にも日本人が大勢押寄せているらしい。訪問中に日本人と会うことはなかったが、店々が受け入れるカードの種類を見ているとその状況が良く分かる。欧州全体に数年前とは比較にならない程、JCBマークを貼っている店が増えているが、この小さな町でも然り。ほとんどの店が軒先やドアにJCBマークを貼り付けており、まさに大司教の館に迫るJCBである。

 夕刻にはミュンヘン・リーム空港に戻らなければならない。オーストリア・アルプスの牧歌的匂いと宮廷音楽の雰囲気を味わったわずか5時間足らずの滞在であった。

 ミュンヘン・リーム空港

 ミュンヘン空港に戻るとI氏が搭乗予定のロンドン便は離陸した後。O氏が少し後のロンドン便だったので、変更を交渉すれどもフィンエアー(フィンランドの航空会社)で欧州入りしているのでフィンエアーのエンドースが必要とか。しかし肝心の事務所がここにはないようだ。困った困った。小生のジュネーブ行きのフライトの時刻が迫ったので両氏と別れたが、後日談で結局ロンドンまでのチケットを買ったようだ。

 ジュネーブ行きの便は途中の天候が悪く1時間遅れで到着。休む間もなく再びジュネーブへ。ああ、明日のモンブランは大丈夫だろうか? どうか神様、天気にしておくれ!


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Oktober・Fest - ミュンヘン - (異文化体験8 アルプス山麓の旅2)

2010年09月16日 23時26分57秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)


Oktober・Fest -ミュンヘン-  1986.9.16~18


  
               ホテルの部屋に配布された今夕レセプションの案内状


 ヒースローを飛び立って1時間30分。芸術とビールの都、ミュンヘンに着く。ペンタホテルにチェックインしたのは午後1時。IGU(世界ガス連盟)の世界天然ガス需給調査は、従来のタスクフォースからJ-committeeという委員会に昇格して初の活動。部屋にはホスト会社のルアーガスからビアジョッキのプレゼントと今夕のレセプションの案内メッセージが置いてある。早速街見物に繰り出す。

世界的に有名な「Oktober-Fest」は、もうすぐそこ。

 オクトーバーフェストは、今月(9月)の下旬から来月(10月)上旬にかけて世界中から何百万という人達が押寄せて盛大に行われるビール祭り。今や街中がその準備に大忙しである。

  
   (左)ミュンヘンの街並み(ホテルの絵葉書)       (右)PENTA HOTELで貰った地図

 ミュンヘンはバイエルン州の州都であり、イザール川の北岸、旧市内の約200ヘクタールに数多くのバロック建築が集積している。ホテルで貰った地図は建物の特徴をうまくとらえて書かれているので、大いに頼りになる。

     
(左)町の中心マリエン広場と新市庁舎 (右)新市庁舎の仕掛け時計(絵葉書より)

 中世の建築物は夫々に自己主張があり、独特の顔を持っている。イザール門から新市庁舎一帯は大勢の市民や観光客でごった返している。市の中心部マリエン広場に40年の歳月を費やして1908年に完成した新市庁舎はネオ・ゴシック様式の大建築で、美しい鐘楼の仕掛け時計はお昼時になると等身大の32の人形が鐘と共に結婚式を演出し、市民や観光客の人気者となっている。


    
(左)市のシンボル「フラウエン教会」 (右)市内を流れるイザール川

 市庁舎の裏側に市のシンボルとなっているフラウエン教会(Frauenkirche)が堂々の面構えで聳え立っている。遠くから見ると今で言うツインタワー。15世紀後半の建物で、高さ99mの二本の塔は市内のどこからでも見ることが出来る。


 さすがミュンヘン、音楽家の卵たちが街頭で。

 街頭では至る所で音楽家の卵たちがバイオリンやその他の楽器を奏で、足を停めて耳を傾けるのも楽しいもの。何時間も弾き続ける20歳位の女性の楽器ケースに、1DMコインを投げ入れた時の彼女の笑顔。思わず「がんばれ!」と叫びたくなる。


 マリエン広場に近いチョコレート屋さんに面白いものが。
 
 街角のチョコ屋さんの店先に、白木で作った小さな人形とチョコがかわいい箱に入って売られている。幾種類もあるのでお土産にと思い、女主人に人形のことを聞くと「これは・・・、これは・・・」とドイツ語で説明してくれる。何だかさっぱり分からない。とにかくプレゼントだと言っていくつかの種類を指定すると店の女の子総出できれいにリボンをかけてくれる。この間一生懸命意味を考えていたが、分かった!この人形は星座の人形なのだ。しかし、時既に遅し。綺麗に梱包されてしまっている。まあ、何種類か買ったので会社の女性の何人かは誕生日と星座が一致していたであろう。


 
                     夕刻の歓迎レセプション、テーブルのお品書き

 夕刻、歓迎レセプションが始まる。東京のT社から初参加のI氏もフィンランド経由で姿を見せている。前回ロンドン会議以来の懐かしい顔が揃っている。英国、仏国、独国の常連にスエーデンのMr.バイキング、スペインのギョロ目氏等々・・・。例によってのマラソンディナー、珍しく午後11時にはお開きになったが、誰も部屋に戻らない。ホテルのビアホールで一足早いOktober-Festの始まりである。


  
            二日目のレセプション、ケーファーハウスのテーブルのお品書き

    
(左)二日目の会場「Kafer-Haus」ケーファーは高級グルメブランド (右)13の個室を持つレストラン部門(その一部)

 二日目のマラソンディナーは、ホテルからバスに乗って10分とかからないKafer-Hausという13の部屋を持つ由緒ある音楽歴史博物館のようなレストランで開催される。著名な指揮者の指揮棒や譜面等が何気なく飾られており、7時過ぎから12時まで、例によって1時間の食前酒タイム、2時間半のディナータイム、そして1時間半の食後酒と葉巻タイム。最後は全員バンドに合わせての大合唱。

 延々と続くマラソンディナー

 T社から初参加のI氏曰く「もう懲り懲り、次回は誰かに代わって貰うよ!」。


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寿司食いねえ! - ロンドン - (異文化体験8 アルプス山麓の旅1)

2010年09月09日 15時41分51秒 | 異文化体験_西欧
(写真は原則クリックで拡大します)


寿司食いねえ! -ロンドン-  1986.9.15~16


 いつものことながら、大阪のチェックインカウンターで成田のJALさくらラウンジのチケットを貰う。一人旅の時はラウンジを使えるのは大いに助かるものである。

  
      海外への出発口「成田空港」 しかし、大阪伊丹-成田間の便は少なく極めて不便である。

 
 最近、海外への土産に冷凍・即席の寿司を持っていく人がいるという噂を聞き、今回はロンドン事務所のO君に約束をしてしまった。未確認情報であるが成田空港内の京樽という寿司屋で売っているという情報をあてにして、空港内を探し回るが京樽がない。仕方なく成田北ウイングのさくらラウンジに入り、ホステスに聞くと寿司屋は「国内」にあるという。既に出国手続きの終わった我が身、「買ってまいりましょうか?」の一言にお願いすることにした。これで約束が果たせると一安心。後日談になるが、帰路成田に寄った時、お礼に名前を忘れたこのホステスさんにチョコを置いていった所、後日お礼の葉書が会社に来て会社の女性達から詰問されるハメになった。

  
                     (左右とも)成田空港JALさくらラウンジ

 さてさて、苦労して手に入れた寿司は残念ながら頼んだものとは違う「生の寿司」。ロンドンまで10数時間、早朝に着くからご家族の口に入るのに更に12時間くらい、都合25時間も持たさなくてはならない。スチュアデスに相談すると、機内に冷蔵庫がないのでドライアイスで包んでは?ということになり、出来るだけ冷気に当てるほうが良いので機内食用ナプキンを貰ってドライアイスと共に包み、座席の下に保管。以後、ロンドンに着くまで3回ドライアイスを交換して、無事O君の手に渡った次第である。

  
(左)今日では多種多様な冷凍寿司が、当時はまだ・・ (右)機内で貰った生の寿司を冷却したドライアイス

 昼飯をロンドン事務所近くの天ぷら屋で済まし、事務所に戻るとN.Y.事務所のO氏が飛び込んできた。O氏によると今朝のTVで「フランスではテロ多発につき、仏政府が急に入国ビザを要求するようになった!」と放映されたという。それは今回の行程の最期に仏国に入る小生にとっても困った問題である。大使館に問い合わせて貰ったところ、本国からの具体的指示がまだ来ていないので運用は不明との事。まあ、どうせ仏政府のこと、対外的カモフラージュかも知れないし、既に出国済みの人間にまで必要とは言わないだろうと推測。

 バーバリー本店 日本人に合うサイズは少ない

 ロンドンに寄ったついでにバーバリーのコートを買おうとバーバリー本店に行くがサイズの合うのがなく、三越で310ポンドのライナー付きコートを買う。海外出張で自分の物としては過去最高の買物である。

  
 (左)サイエンス・ミュージアムの玄関     (右)産業革命時の蒸気機関等が展示してある

 ロンドンのサイエンスミュージアム。この辺りは博物館が多く、延々と続く地下道を通って苦労して目的の博物館に辿り着く。さすが、産業革命の国、蒸気機関や大きなレトルト等の実物が所狭しと展示してあり、科学の歴史が存分に体験出来る。また、現代ハイテクを応用した遊びのコーナーもあり、大人も子供も楽しく遊べるように工夫されている。

  
       (左)パークレーンホテル              (右)ホテル前のグリーンパーク
 
 夕刻、O君が晩飯を気にしてパークレーンホテルに訪ねて来てくれたが、例のお寿司を早く持って帰ってもらわないと苦労が水の泡となるので、ミュンヘンでの再会を約し、自宅に帰ってもらう。ピカデリーサーカスに以前から良く利用するサンドウィッチ屋さんがあり、ここのローストビーフサンドがいけるので、夕方散歩がてら出かけてついつい3種類のサンドを買ってしまった。ホテルの部屋での豪華?な夕食となる。


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