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旅行記、世相独言

巨大都市の胃袋と夜 -バンコク-(異文化体験42 微笑の国の旅7)

2014年07月27日 14時20分26秒 | 異文化体験_アジア
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巨大都市の胃袋と夜 -バンコク-   2009.09.07-09.08

 タイの人口はおよそ6200万人。首都バンコクは統計上その約13%の820万人だそうだが、出稼ぎ等住民登録していない人達が多く、軽く1000万人を超える巨大都市だ。
 外食が多いバンコク市民を支えるのがフードコート、レストラン、食堂、おかず屋台、屋台といった店々。

 バンコク初日は、ワット・プラケオと王宮見物後、ホテルに戻り1時間半に及ぶゴルフの段取りを終え、BTSでナーナー駅から3つ先のサヤーム駅に向かう。

  超大型ショッピングセンター、「サヤーム・パラゴン」

 サヤーム・スクェア周辺は正に東京の渋谷・原宿、大阪の心斎橋界隈に匹敵する若者の街。その一画に2005年暮れ超大型ショッピングセンター、サヤーム・パラゴンが完成し、1階に巨大なフードコートが出現した。白を基調に明るくて清潔感溢れるところが若者の支持を得て、夕刻ともなれば連日大入り満員である。

                          
(左)センミー・ナーム&タオクー・ソン・クルアン             (右)ケーン・カーオ・パット(料理名は不正確かも)

 我々はAsian Cuisineのコーナーで食事を選択。小生はミートボールの入ったセンミー(米から作った麺)・ナーム(スープありの汁ソバ)90バーツと、タオクー・ソン・クルアン(揚げ豆腐の野菜炒め煮)80バーツを注文。税・サ込みで丁度200バーツ。比較的あっさり系だが、ボリューム満点で満腹。
 相方の一人はケーン(カレー系)カーオ・パット(タイ風チャーハン)に汗を拭き拭き挑戦。小生は、朝食が付いていないのでフードコートで焼きたてのパンを買ってホテルに戻る。


 二日目はアユタヤ観光の後、ホテルでシャワーを浴びていると激しい雷雨になった。相方達は別のツアーでまだ戻っていない。様子見で30分ほどロビーで待つが、雨も止まず、相方達も戻らない。
 実質、最後の夜なのでタイ人が「スキー」と呼ぶ本場のタイスキを食べることにし、一番近いサヤームのMKに行くことにした。

            
(左)MKレストランのポイント割引券                    (右)タイスキ・イメージ(参考写真)

 15年前ほど前に女房とシンガポールを旅した際、当時の現地事務所長がタイスキの「コカ」という店に案内してくれた。その際、東京・六本木に最近出店したという話を店員から聞き、日本に戻って何度かコカに通ったし、またタイからの研修生を連れて行ったりもした。そのコカもサヤームにあるようだが、今回は一番人気というMKに行くことにした。

            
(左)満腹コースも道半ばあたり消化したところ                 (右)〆て431バーツ(食べ過ぎ)

 一品一品頼むのも邪魔臭いので、満腹コースというのを頼んだ。肉系が勝って野菜が少ない感じがしたが、何とか一人で平らげた。最後はアイスクリームまで頼んで、〆て431バーツ(日本円で1200円ほど)。少し食べ過ぎたようだ。
 結構、人の入りも多い。この価格は日本では4,5千円程度の感覚かと思われるが、タイの所得水準もかなり改善されつつあると言うことだろうか。
 タイスキの両雄、「コカ」と「MK」ではタレの味が異なり、MKの方がやや甘口のような気がする。個人的にはコカの味が好きだ。

            
(左)バンコクでのホテル最寄り駅「NANA駅」             (右)バンコクでの確かな足 BTS(1999年開業のスカイトレイン)

 まだ降り止まぬ雨の中、サヤーム駅構内のヤマザキ屋でパンを買ってBTSでナーナー駅に戻る。何とも優しい感じの親しみを覚える駅である。というのも、我が家のポメラニアンの名が正にナナ。


    
     (左・中・右)「ナナ・プラザ」 中庭を囲む3階建てのビル。ゴーゴーバーがびっしり。中庭はカウンター・バー。

 駅のスクムウィット通りからソイ4に曲がってホテル方向にほんの少し歩くと、ナナ・プラザがある。3階建てのビルと中庭にゴーゴーバーがひしめき合って立地し、通りにも怪しげなお姐さん達がたむろしている。
 行く時も帰りも露出度の高い服を着た同じお姐さんからウィンク・手招きされたが、大柄な背丈や全体の感じからして多分おかまさんであろう。おかまさんがこれほど人権を得て暮らす国も珍しい。

 この中にも「おかまさん」がいるかも・・・

 夜目、遠目、笠の内と言うが、正に夜ともなれば区別はなかなかつかない。通りに面したオープン・バーにも、双方が物色し会う男女、もしかしたら男々達?で賑わっている。男は圧倒的に西欧人が多い。安く遊べるということだろう。賑やかな駅前周辺である。

 それにしても、夜遅くまで降り続く雨に明日のゴルフは大丈夫であろうか?


世界文化遺産 古都アユタヤ (異文化体験42 微笑の国の旅6)

2014年07月21日 22時53分55秒 | 異文化体験_アジア
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世界文化遺産 古都アユタヤ -アユタヤ- 2009.09.08


 アユタヤ、正式にはプラ・ナコーン・スィー・アユタヤ県は、タイの歴史の中で417年という最も長い時代の都として栄えた古都である。 建国は1350年、バンコクの北80km、チャオプラヤー川とその支流に囲まれた中洲の都市である。
 アユタヤ朝はウートーン、スパンナプーム、スコータイ、プラサートトーン、バーンプルールワンの5王朝からなり、度重なるビルマとの戦争で、1767年ついに陥落、建造物は徹底的に破壊された。
 それまでのアユタヤは海のシルクロードの東南アジアにおける最も栄えた港市・都市の一つとして遠くペルシャやヨーロッパ諸国とも外交・交易関係を樹立していた。

 中世・最盛期のアユタヤ。多くの仏塔も描かれている


 朝、6時半のホテルピックアップの車が来ない。安物のツアーだからやばいと心配していると30分遅れでピックアップの車が到着。カオサンに着くと、それぞれ行き先の異なる車が待機している。アユタヤ行きは小生が一番最後のようで、15名ほどの同行者は待ちくたびれた様子。カオサン出発は、結局8時頃となった。

 A&R Travel社のツアー料金表

             
(左・右)ワット・プー・カオ・トーン(81段の急な階段、仏塔の黄金色は色褪せ、周囲には水田が)

 最初に立ち寄ったのは「ワット・プー・カオ・トーン」。黄金の山という意味だそうな。
 ここで説明・ガイド役のおじさんが加わる。両側にはねた口ひげを持った丸顔の中国系タイ人のようだ。ワット・プー・カオ・トーンは1387年の建立で、高さ80mのチェディ(仏塔)が黄金に輝いている。81段の急な階段を昇ると、のどかな水田地帯が広がり、王宮跡までは南東方向に2km。
 

 アユタヤ遺跡の地図

  
                                   (左・中・右)アユタヤの様々な寺院遺跡


 アユタヤには、膨大な遺跡・寺院群があり、今回のツアーでも全てに立ち寄ったわけではない。今回立ち寄った中で小生流3大遺跡を選択すると、
(1) 「プラ・スィー・サンペット寺院」
(2) 「マハー・タート寺院」
(3) 「ローカヤスターラーム寺院」というところか。

 「プラ・スィー・サンペット寺院」は、ウートーン王朝時代に建立された王室の守護寺院。1500年には高さ16m、171Kgの黄金に覆われた仏像が建造されたが、ビルマ軍により跡形もなく破壊され、残っているのはアユタヤ中期に建てられた3人の王のセイロン様式のチェディ(仏塔)。

             
(左)3つの仏塔が連なるプラ・スィー・サンペット寺院     (中)焼失時の仏像        (右)現在の仏像 


 「マハー・タート寺院」は、仏頭が木の根に取り込まれた姿が印象的な寺院。44mの仏塔があったがビルマ軍に破壊された。寺院内の仏像もことごとく打ち首状態で残っている。

         
     (左・中)木の根に取り込まれた仏頭                        (右)頭を斬り落とされた仏様が至る所に・・・


 「ローカヤスターラーム寺院」は、長さ28m、高さ8mの巨大な寝釈迦がある寺院。アユタヤ時代の末期頃の作らしいが詳細不明。台座は蓮の花の形になっており、数度の改修・復元工事が行われた。

                  
                       (左・右)長さ28mの巨大な寝釈迦像

 今回行けなかったが、アユタヤには16世紀から17世紀にかけて、日本やヨーロッパから沢山の商人が集まり、時の王はこれら外国人に居留地を作ることを認めたので日本人町も出来た。ご朱印船貿易が華やかなりし頃で、最盛期には3000人規模とも言われている。日本人町の頭領山田長政は、傭兵隊長や地方長官まで重用されたようだ。

 16~17世紀、3千人の日本人で栄えた日本人町遺跡


 観光拠点アユタヤにもエレファント・キャンプがあり、象乗りが出来る。ほんの数百メートル、数分乗るだけだが、2人乗りで一人500バーツ。象使いが足で操りながら歌を披露、結構な高さがあるのと歩くたびに左右の揺れが大きい。

   
 (左)象たちも昼食の時間? (中)象に乗った目線は田舎道を走る2階建てバスの様  (右)前の象の女性と撮り合いっこ


 ツアー客の中にスペイン人のグループがいる。チェンマイへの帰路、彼らは「バーン・パイン離宮」に立ち寄るらしく、直帰するグループと立ち寄りグループに分かれた。小生は急ぐ旅でないので立ち寄るグループに。

 「バーン・パイン離宮」(資料より)

 アユタヤの南20km、チャオプラヤー川の中州に歴代王が夏の離宮としたのがバーン・パイン離宮。小生は中には入らずに、スペイン人達を待つ間、川を渡るのに一役買っているゴンドラや離宮のバックヤードを見学。およそ1時間ほど離宮周辺を散策する。

              
(左)川を渡る裸のミニケーブルカー(対岸建物の上で人が操作)   (右)かつての繁栄を支えたチャオプラヤ川

 帰路、運転手の青年に頼んで足の便の悪いカオサンではなく、BTSのサラディーン駅近くで降ろして貰ったが、例の渋滞で時既に5時。ホテルに戻ったのは6時であった。雲行きが怪しい。シャワーを浴びていると、閃光と雷の音。大粒の雨が降り出した。
  
 そう! 9月はまだ雨季なのだ。



極彩色の王宮と寺院と -バンコク-(異文化体験42 微笑の国の旅5)

2014年07月16日 22時05分58秒 | 異文化体験_アジア
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極彩色の王宮と寺院と -バンコク-     2009.09.07

 午前8時半にチェンマイ・プラザホテルをチェックアウトし、Mr.Mのタクシーで空港へ。
 月曜日の朝ということもあってか、10時発バンコク行きジャンボジェット777-400は満席である。11時20分バンコク・スワンナプーム国際空港着。機窓から見る2006年開港の空港は大きくて様々なエアラインが乗り入れ、活気がありそうだ。
 駐機場から何と800mほど歩かされて荷物を受け取り、ターミナルビルの外へ。若い国の飛行場だ。

 広大かつ沢山のエアラインが乗り入れるバンコク空港

 メーター・タクシーでBTS(1999年開業のスカイトレイン)Nana駅近くのホテル「Ibis Nana」へ向う。バンコクへの人口集中で交通渋滞は聞きしに勝る激しさだ。今回滞在するホテルはNana駅から著名なゴーゴーバーの密集エリアを通って10分ほど歩いた所にある真新しいビジネス風ホテル。

    
(左)まだ新しいホテル「Ibis Nana」 (中・右)最寄り駅は、BTSのNana駅(我が家のポメラニアンと同名、親しみを覚える駅だ)

 ホテル・チェックイン後、早速、翌日の観光の申し込みのため「カオサン通り」に向う。「カオサン通り」は、世界に名だたるバック・パッカーの聖域で、安宿や激安旅行代理店等がひしめいている。

            
(左)雑多な感じのカオサン通り                   (右)A&R Travelの事務所

 その中の1軒が、A&R Travel. タイ初めての小生はアユタヤ、タイ複数回目の同行者たちはカンチャナプリー・トレッキングのツアーに夫々申し込む。朝食・昼食込みで前者は450、後者は550バーツ。アユタヤ観光は日本で申し込めば1200バーツ前後するから1/3と随分安い。ただし、英語のツアーだそうだ。朝食の代わりにホテル・ピックアップ可能とのことで、そちらをお願いした。

 時刻は既に午後2時近い。空腹を満たす必要がある。カオサン通りの近くの「竹亭」という和食レストランに向う。久々に座敷席に坐ってフィレカツ定食、160バーツを食する。
 カオサン通りは王宮に近いが、王宮とワット・プラケオの入場は午後3時までらしく、歩けば15分ほどの距離だがタクシーを奮発?し、滑り込みセーフ。

                         
(左)日本語案内書          (右)王宮とワット・プラケオ配置図

 バンコク遷都は1782年。アユタヤを滅ぼしたビルマ軍をタイから追い出し、トンプリーに新王朝を打ち立てたタークシンは、現王朝の祖ラーマⅠ世に取って代わられ、ラーマⅠ世はバンコクに遷都した。230年ほど前の話である。

 エメラルド寺院とも呼ばれるタイで最も格式の高い王室寺院「ワット・プラケオ」は、遷都の年の建立。王宮と共に外側を白亜の外壁で囲まれた22haという広大な敷地を有する。

            
(左)エメラルド寺院の本堂                   (右)エメラルド仏(実際は翡翠で彫られた66cmの仏様)

 本堂のエメラルド色の仏像は1434年チェンライで発見され、幾多の歴史を経て、今日タイ国の本尊仏として最も崇められている。
 実際は緑色をした翡翠で彫られ、ブッサボクという金箔で覆われた木彫りのタイ様式の須弥壇に安置されている66cmの小さな仏様。この仏様は撮影禁止。

 回廊にはインドの有名な叙事詩のタイ版「ラーマーキエン」の世界が黄金色で描かれており、補修作業も念入りに行われている。

 根気の要る修復作業

 日本のそれとは大いに異なる黄金色のチェディ(仏塔)や極彩色の仏教施設に驚かされる。とても1時間で見て回れる代物ではない。

                  
(左)左の黄金塔プラ・シー・ラタナー・チェディ、右の建物プラ・モンドップ      (右)半人半鳥のキンナラと後ろはヤック.

 精密に再現されているアンコール・ワットの模型

 
 高僧か、国賓級の来客か、王宮・寺院の中は軍服姿の高級将校達が椅子に腰掛けて待っている。よく事情は分からないが儀礼兵の行進もある。

             
(左)儀仗兵の行進 (王宮内には何種類かの衛兵がいる)  (右)ビクトリア様式とタイ様式の融合したチャクリー・マハ・プラサート宮殿
 

 チャクリー・マハ・プラサート宮殿は、ラーマⅤ世時の建物。ビクトリア様式とタイ様式の融合した建物で、残念ながら内部見学は丁度タイムアウト。この宮殿西側のドゥシット・マハ・プラサート宮殿はラーマⅠ世時のもの。王宮内で最も古く歴代王の戴冠式が行われている宮殿である。

                  
(左)アポーン・ピモーク館とその後はチャクリー・マハ・プラサート宮殿  (右)ドゥシット・マハ・プラサート宮殿

 1時間ほど見物して、次に訪れたのが1788年建立の「ワット・ポー」。
 タイ最初の大学として、また巨大涅槃仏のある寺として有名である。長さ46m、高さ15m。悟りを開き涅槃の境地に達した様子だそうな。足の裏には108の螺鈿細工画が施されている。

             
            (左・中)「ワット・ポー」の46mの巨大涅槃仏               (右)「ワット・ポー」極彩色の尖塔群

 既に5時近い。三島由紀夫の小説「暁の寺」の題材となったワット・アルンにも足を延ばしたいところだが、明後日の帰国日のゴルフの段取りがまだ出来ていない。
 ひとまずホテルに戻り、ツアーデスクで段取りを行うことに。ホテルのツアーデスクもあまりゴルフの段取りの経験がないらしく要を得ないが、何だかんだで結局予約が成立したのは18時30分であった。

 ああ、腹が減った!!!

チェンマイ駆け足観光 3寺院 -チェンマイ-(異文化体験42 微笑の国の旅4)

2014年07月02日 12時40分57秒 | 異文化体験_アジア
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チェンマイ駆け足観光 3寺院 -チェンマイ- 2009.09.06


 チェンマイが歴史舞台に登場したのは、1296年。ラーンナータイ王国の首都としてマンラーイ王が建設した。もともとラーンナータイ王国の首都はチェンマイより更に北のチェンライ(「マンラーイの街」という意味)であった。

 チェンマイは「新しい街」という意味で、ラーンナー王朝の首都として発展を遂げる。ラーンナー王朝は1558年にビルマにより属国化されるが、チェンマイはラーンナー地方の首都として発展。13世紀末から19世紀後半までおよそ600年間、タイ北部の中心地として栄えた。
 チェンマイには、北の「元」の侵攻を防御すること、ビン川を通じてチャオプラヤ川、更にタイ湾に通じ、中国貿易が効率的に可能といった立地特性がある。

             
(左)堀と城壁に囲まれた旧市街を中心に広がるチェンマイ         (右)旧市街を囲む掘割


 現在のチェンマイは、四方を堀に囲まれた旧市街地と、その外側の新市街地からなる。
 かつては堀の内側に城壁が続き、立派な城門が市内外を結んでいたが、今はチェンマイ門、ターペー門等、5つの門がその名残を留めている。ビン川が街の東側を流れ、下流でチャオプラヤ川に流れ込む。

   
                      堀と崩れかけの城壁がチェンマイの歴史を物語る(車窓より)

 ゴルフのプレイ後、Mr.M(入国以来世話になっているタクシーの運ちゃん)に頼んで旧市街の3つの寺院を観光する。
 寺院は運ちゃん任せ、各寺院見学10分の約束で、時間的には午後2時半から3時15分の45分間の無償サービス提供である。

 最初に案内されたのは、チェンマイで最も長い歴史を有する「ワット・チェン・マン」。
1296年の建都時に建立された寺院で、かつては宮殿でもあったようだ。2体の仏像が納められ、一つは1800年前の水晶仏、一つは大理石の仏像。

 チェンマイで最も長い歴史を有するという「ワット・チェン・マン」


 次に案内されたのは、旧市街の中央に位置する巨大仏塔の「ワット・チェディ・ルアン」。
 格式の高い寺院で、一際大きな仏塔が印象的である。1411年に建立され、高さ86mの仏塔が1545年地震で壊れたが、日本とユネスコの援助で修復されたようだ。

                      
「ワット・チェディ・ルアン」(左)地震で崩れた86mの仏塔 (中)本殿入口のドラゴン     (右)本殿の巨大黄金仏

 仏塔の横の木陰で2人の女子学生と一人の男子学生がたむろしている。大学をサボって何をしちょる!と思っていると、声をかけてくる。チェンマイの大学・社会学部の学生で、観光客に「チェンマイの中・長期滞在に関するアンケート調査」への調査協力である。可愛い子に声をかけられると断らないのが、おじさんのいい所。Mr.Mとの時間約束そっちのけで英語のアンケート調査に協力。

 チェンマイの大学生の調査に協力

 ここ、チェンマイは物価が安く、タイの中でも比較的涼しく年金生活者にとって生活しやすい外国の一つとして、沢山の日本人リタイア組のロングステイ先となっている。地元日本人向けコミュニテイ誌には不用品の物々交換のアイテムが写真入りで掲載されるなど、生活感溢れる紙面構成である。

 地元日本人向けのコミュニティ誌

 最後に訪れたのは、 「ワット・プラ・シン」。チェンマイで最も格式の高い寺である。
 1345年、時のラーンナー王が父の墓として建立。シヒン仏(獅子仏の意)を祭るようになってワット・プラ・シン(獅子仏の意)と呼ばれるようになった。

      
(左)チェンマイで最も格式の高い寺「ワット・プラ・シン」     (中)本殿に参拝           (右)本殿の仏像

            
      (左)本殿の後ろ側                       (右)プラ・シン仏を納めるライカム礼拝堂)

 日曜日ということもあって、どの寺院とも市民の参拝者が多い。信心深いタイの人々、我々が本堂で仏像をバックに写真を撮っている横で、お坊さんにお供えと共に願い事や感謝の祈りを熱心に行っている。

  参拝者相手の物売りのおばさん

 Mr.M(タクシーの運転手)に明日の空港までの送りを再度頼んで、ホテルに戻る。
さあ、明日はバンコク! どんな街だろう。 楽しみだ!