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旅行記、世相独言

頑張れ! チンチン電車

2016年02月29日 11時46分56秒 | コーヒーブレイク
頑張れ! チンチン電車

チンチン電車、これも立派な鐵道だよな。

街中をチンチン言いながら身体を左右に揺らしながら我が物顔で走る姿。

200m程を走っては、停まり、走っては停まり。

そんなチンチン電車もモータリゼーションの流れに隅っこに追いやられて、
石畳の線路が消え、視界から消えて地下世界に行っちゃった。

でも、交通渋滞や都市生活の快適性を求めるニーズは、このチンチン電車を
復活させようとしているんだ。

ライトレールやトラム・ウェイと言う新しいチンチン電車が、欧米中心に復活し
日本でもどんどん導入され始めているんだ。

床も低く、揺れも少なく、地下鉄と違って駅間距離も短いので、高齢化社会
にも馴染むんだ。

頑張れ!チンチン電車

  ⇒  


お土産とビーチと -ハワイ- (異文化体験48 戦後70年 ハワイdeゴルフの旅5)

2016年02月20日 15時26分00秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
(写真はクリックで拡大します)

お土産とビーチと    2016.01.25~01.30

 ハワイのお土産といえば、ABCストアで気軽に買えるハワイアンホストのマカデミアンナッツチョコが定番。しかし、最近少し変化が出始めているとか。
 一つは、ダークチョコの出現。少し値が高くなったが、大人っぽい味でABCストアでも味見が可能。7オンス入り$8.99、3箱セットで$26.89。

          
(左)従来のハワイアンホスト・マカデミアンナッツチョコ  (右)少し大人の味? ダークチョコ

 新顔のお土産定番になりつつあるのが、ホノルルクッキー。パイナップル形状のクッキーで味がいろいろあって、若い女性に人気がある。でも、結構いいお値段で、4種12枚入りが$20。

          
(左)パイナップル形状のホノルルクッキー      (右)4種12枚入り 20ドル

          
(左)ホノルルクッキーのロゴマーク         (右)市内各所にお店はあるが写真は空港内店


 免税店のT GALLERIAは、2,3階にブランドものの専門店が並んでいる。女房殿への土産はいつも私を悩ませるが、今回はスワロフスキーのペンダントを購入。

          
                  (左・右)T GALLERIA のカラカウア通り側の外観と内部

 1階では食料品等を扱っており、先ほどのホノルルクッキーや様々なチョコの試食、KONAコーヒーの試飲が出来る。我が家で一昨年栽培を試みたパッションフルーツ、日本でなかなか手に入らなかったパッションフルーツのジャムがここで手に入れることが出来た($7.5)。

  
(左)1階の食料品を扱うコーナー  (中)パッションフルーツのジャム  (右)一昨年我が家で栽培したパッションフルーツの花

 一方、ABCストアでは、ドライ・トロピカルフルーツが安価に手に入る($5.39)ので、自家製パンに混ぜるためにこれも購入。

          
(左)ABCストアで買ったパンに入れるトロピカルフルーツ     (右)ハワイと言えばコナコーヒー

 

 ワイキキの浜は、いつ来てもその景色は変わらない。浜の中央に立つデューク・パオア・カハナモクの彫像(1990年設置)。1910-20年代の水泳のオリンピック・ゴールドメダリストにして、観光客にサーフィンやカヌーを教えるワイキキビーチボーイズの創始者として、今なおその遺志が引き継がれている。
 浜の端には動物園のあるカピオラニパーク公園がダイヤモンドヘッドを背景に、巨大なバンヤンの木と共に緑豊かな景色を見せている。

        
(左)浜の英雄・レジェンド デューク像  (中)カピオラニパーク内の動物園   (右)巨大なバンヤンの木

 昼間の浜辺は、日光浴の若い女性たちや小さな子供連れのファミリー客で華やかだ。

          
  ワイキキビーチ  (左:ダイヤモンドヘッド側の光景)  (右:ハレクラニビーチ側の光景)

          
                      (左・右)ビーチの日光浴

 夕刻、日没近くになるとサーファーが引き上げ、太平洋に沈む夕日見物で浜辺は賑わう。午後6時にはデューク像の前でホラ貝が吹かれ、松明に灯がともる。一際大きさを増した夕日がサンセットディナークルーズを楽しむスター・オブ・ホノルル号のシルエットを浮かばせながら海に沈んでいく。

          
(左)午後6時 法螺貝の音が鳴り響き、灯が入る      (右)落日に引き上げるサーファー

          
(左・右)この季節の日没は6時15分頃 沖合のヨットやスター・オブ・ホノルル号のシルエットが美しい

 朝のワイキキは、早くも波待ちのサーファーが沖に漕ぎ出し、今日帰るという若い女性たちが最後の記念撮影をしている。

  
(左)波を待つサーファーたちの朝も早い  (中)今日帰るというティーンたちの記念撮影  (右)いつものワイキキの始まり

 我々も11時のホテル・ピックアップで、思い出多き常夏の国から厳寒の日本へ戻る。さらば、ワイキキ!

ワイキキ de グルメ -ハワイ- (異文化体験48 戦後70年 ハワイdeゴルフの旅4)

2016年02月20日 11時08分50秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
(写真はクリックで拡大します)

ワイキキ de グルメ    2016.01.25~01.30

 旅行本を買うまでもなく、ハワイに上陸すると至る所にカラフルで立派なフリーのガイド本が何種類も置かれている。本によってはガイド内容が一般的なものから高級なものまで様々である。

 到着後、JTBツアーデスクで滞在中の予定をフィックスした我々は、空腹を満たすため周辺を徘徊。折しも小雨が降り出したため、雨除けも兼ねてロイヤルハワイアンセンターのフードコートに。各国のB級グルメが体験できる。「えぞ菊」の味噌ラーメン($7.95)を選択。ボリュームは満点。でも具は少なめ。

          
(左)えぞ菊(クヒオ通りにワイキキ店がある)       (右)ロイヤルハワイアンセンターのフードコート

 初日の夕食。ホテルに置かれているガイド本とにらめっこ。衆議一決したのが、ホテルからさほど遠くない「ShoreFyre」という店のステーキとシュリンプの一皿。本持参で10%ディスカウントと書いてる。行ってみると多分同じ本を見たのだろう、日本のおばさん達4人が店員に同じ料理を日米語でやりあっている。結局頼んだ料理は、これ。黒色のやや大きめの発泡スチロール容器に入って出てきた。この店、テイクアウトも多いようだ。値段は$17ほど。

  
(左)ShoreFyreは右下の店(2階はメキシカン)      (中)店内の様子     (右)食べたのはこれ!テイクアウトがメインの店?


 二日目、ゴルフから戻って自由行動に。美術館に行く者、散策する者、ビーチで泳ぐ者。ゴルフをスルーでラウンドしているので、腹が結構減っている。散策・ビーチ組の3人は浜に面したカラカウア通りのマクドナルドへ。Grilled Artisan CknとFilet-O-Fish、アイスコーヒーの昼食($12.07)。ちょっと食べ過ぎ。

 浜辺のマクド。食事時とは関係なしにいつも賑わっている。

 二日目の夕食。総予算目標20万円ではそうそう豪華ディナーというわけには行かない。が、昨夜の弁当もどきの夕食に反省し、同じく10%ディスカウントで大型ロブスター&ステーキ$25と宣伝する「Seaside Bar & Grill」という店に。太平洋に沈む夕日を見た後、店の前まで行くと何と店のおばさんが道行く人に1割引のチラシ呼び込みをしている。まだ6時半、夕食には少し早いようだ。私が注文したのはフィレ・ステーキ。300gほどあったが$27ほど。サラダ、トースト、デザートがついたセット・メニューでこの値段。満腹!

  
(左)「Seaside Bar & Grill」の外観        (中)店の勧誘おばさんが配るチラシ        (右)同行メンバーと  

          
(左)フィレ・ステーキ $25                     (右)チラシの大型ロブスター&ステーキ $25

 三日目は、半日観光の最後に軽食(パンケーキと飲み物)が提供され、かつ、この日の夜はポリネシアン・カルチャー・センターでのディナー・ショーということもあって、昼食は抜き。免税店に行って試食や買い物で夕刻までのひと時を過ごす。

                
(左)PCCのガイドペーパーとチケット(オフシーズン価格のようだ)  (右)PCC内部(劇場とレストランは左端)

 午後4時半ころ、ポリネシアン・カルチャー・センター(PCC)の専用バスでワイキキを出発。一路サーフィンのメッカ・ノースショアを目指す。道中の説明では、PCCの設立目的の一つは、PCCに近接するブリガム・ヤング大学にポリネシア・トライアングルからの多くの学生が学んでいるが、金銭的理由から中途退学せざるを得ない学生が多く、それを解消するためにPCCを設立(1963年)し、学生たちがアルバイトをしながら学業が続けられる仕組みを構築しているとのこと。現在社員1000名でそのほとんどが学生とか。PCCが提供する「ルアウ=おもてなし」を存分に楽しんで下さいとのこと。

          
(左)ポリネシア・トライアングル      (右)シャカサイン(親・子指を立てるハワイの挨拶)創始者ハマナ・カリリ像

 スタンダードコース($60)の我々は、700名収容のダイニングレストランでチキン・ポーク・ハワイアンフード等のビュッフェが提供される。デラックス($80)では、どんな料理?か、知る由もないが、空腹にはこれで十分である。

          
(左)スタンダードコースのビュッフェ               (右)700名収容のレストラン

 食事を楽しんだ後は、2400名収容の大劇場で300万ドルを投じて創り上げた総勢約100名のキャストによる90分間のイブニングショーが始まる。
「HA BREATH OF LIFE」。ハワイ・タヒチ・トンゴ・サモア・アオテアロア・フィジー6つの島々の文化を取り入れた一人の一生を題材にした物語が展開される。ファイアーナイフ、フラ、タヒチアアン等のダンスと音楽が存分に楽しめる。終演は午後9時。ワイキキへの帰着は午後10時過ぎ。

  
(左)300万ドル、100名のキャストによるショー (中)幕間の学生による民族楽器演奏    (右)フィナーレ

 最後の日。ノースショアのゴルフ場から戻ってきたのは午後2時半ごろ。多少、空腹感はあるが帰りの飛行機のWEBチェックインを済ませる必要があり、終わったのが3時半頃。

 最後の夜は早めの夕食にしようと、別のガイド本等を物色。衆議一決したのは、カラカウア通りとクヒオ通りが交差する辺りのリブ・ステーキの店。名を「Tony Roma's」という。6時過ぎではあるが、結構賑わっている。チョイスはいろいろあったが、ウェイター君のお勧めの
Original Baby Back Ribsを注文。カットがいろいろあるようだがRoma Rack($25.99)で。付き合わせも選択可能で、私はブロッコリーとベイクドポテトを選択。飲み物、アイスクリーム、チップ等込々で$39.00の最後の晩餐であった。

          
(左・右)Tony Roma's Ribs・Seafood・Steaks の外観(全米に展開されている)

私の中でのバーベキュー・リブの世界ナンバー1は、S.F.郊外メンロパークにあるマッカーサーパーク。かつてスタンフォード大学の研究所と1年ほどプロジェクトを組んだ時にモーテルから通った駅舎改造の店だが、この時の味を思い出させるお薦めの店である。

          
(左)一押しのOriginal Baby Back Ribs Roma Rack($25.99) (右)お店のメニューから
 
 我々は利用していないが、興味ある店を二つ紹介する。
 一つはホテル斜め向いのMakino Makittiiという店。ポリネシアンショー付きのJapanese Seafood Restaurantで、シニアーは何と$21。
 もう一つは、ご存知丸亀製粉。クヒオ通りに面した店には、食事時には長蛇の列が出来る。オフタイムでも、中はかなり混雑している。$10以下で食事が出来る。

   
(左)Makino Makittii(手軽にポリネシアンショーが見れる) (中・右)丸亀製麺(食事時はこのロープの内に長蛇の列が)

 こうして見ると、肉ばかり食ったワイキキ・グルメレポートでした。

パール・ハーバーとカメハメハ王朝 -ハワイ- (異文化体験48 戦後70年 ハワイdeゴルフの旅3)

2016年02月19日 11時09分22秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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パール・ハーバーとカメハメハ王朝   2016.01.25~01.30

 ゴルフの合間は、再訪者も初訪者も行ったことのない真珠湾とイオラニ宮殿をメインとする半日ツアー。オプショナルツアーを手掛けるmyBus社の88ドルのツアーである。

 ハイアットのピックアップポイントを7時半ごろに出発し、まず最初に向かったのがホノルル1のビューポイント「タンタラスの丘」。1840年頃、ある学校の生徒たちが急勾配の長い坂道を登りながら「Tantalizingly out of reach (まだ着かないのかよ、じれったいよ)」とつぶやいたのがこの丘の語源だとか。夜景も素晴らしくツアーが出ている。

朝のタンタラスの丘からの眺望(私が撮った3枚の合成写真)

 次に向かったのは、ハール・ハーバー (真珠湾)。
 時間の関係で今回はフォード島の日本の降伏文書調印式が行われた戦艦ミズーリと今なお1777名の遺体と共に海面下に沈む戦艦アリゾナの上に建つアリゾナ記念館には行けないが、ハール・ハーバー・ビジターセンターと1941年12月7日の1年後に着水した潜水艦ボーフィンを見学。
 宣戦布告が奇襲行為から1時間後という、いわば不意打ちで始まった戦争に、戦艦アリゾナは奇襲忘れぬ「屈辱」の象徴として今なお訴え続けている。ルーズベルトは、12月7日を「Remember Pearl Harbor」を合言葉に屈辱の日とし、1945年8月トルーマンは原爆投下の理由の一つにこの無警告攻撃をあげている。

          
(左)アリゾナの遺品(We will never forget Dec.7.1945) (中)案内図     (右)潜水艦ボーフィンと真珠湾歴史施設サイト

  
(左)80人乗り 敵艦44隻を撃沈したボーフィン (中)船尾側魚雷発射装置  (右)ボーフィンから見たアリゾナ歴史館と戦艦ミズーリ

  
(左)ARIZONA記念館(右側)と MISSOURI記念館(左側)  (中)アリゾナの水中艦影を跨ぐ形の記念館   (右)炎上するアリゾナ 

 お次は、ご存知「この木なんの木のモンキーポッド」。モアナルア・ガーデンは日本人しか行かない観光スポット。高さ約25m、最大枝幅約40m、幹回り約7mのこの日立の樹に、日立は毎年4000万円の維持費を払っているとか。

 あの木なんの木は、年間維持費は何と4000万円

 次に向かったのは、ハワイアンの聖地マウナ・アラ(ロイヤル・モザリウム=ハワイ王室の墓地)。ここは合衆国星条旗を掲げずハワイ王国の旗のみを掲げることが許されている地球上で唯一の場所。この墓地を守るのはカメハメハ1世の重臣のアリイの家系の人々。カメハメハ1世の「遺骨は隠せ」との遺言で、強大なパワーが残っていると思われる遺骨は未だみつかっていない。ゆえに彼のお墓はここにないとのこと。ここに眠っているのはカメハメハ王朝とカラーカウア王朝の人々。

   
(左)ハワイ王国の旗 星条旗はない         (中)カメハメハ王朝の墓碑           (右)神聖なる墓所

 最後の訪問地は、イオラニ宮殿。
 その前にハワイの歴史を少々。ハワイ王朝は、カメハメハ1世によって1796年に君主国家として成立し、1893年リリウオカラニ女王の代に王朝が終焉するまで約100年続いた。イオラニ宮殿は、1882年~1893年までの約10年間、最後のハワイ王国の中心としてカラーカウア王とその後継者リリウオカラニ女王の公邸であったところ。

          
(左)イオラニ宮殿正面                (右)ツアーのお土産 イオラニ宮殿解説本

        
(左)カラーカウア王           (中)カピオラニ王妃      (右)ハワイ王国最後の王、リリウオカラアニ女王

 イオラニ宮殿は、アメリカン・フローレンス様式と言われるヴィクトリア時代の熱帯・亜熱帯地方に多く建てられた建築様式で、カラーカウア王は多くの斬新な要素や設備を取り入れた。例えば、水洗トイレ付化粧室、ガス灯のシャンデリア(その後一早く電気の導入)、箱型電話等々。クリスタルガラスの扉パネルや入口の正面大階段、玉座の間等々、その建築美には目を見張るものがある。

 来日経験もあるカラーカウア王には献身的な慈悲深い妻カピオラニ王妃がいたが子供には恵まれなかったようで、動物園一帯がカピオラニ公園として今もハワイの人々に親しまれている。
 王国最後の王、リリウオカラニ女王は、カラーカウア王の妹でわずか2年間の在位であったが、1895年には謀反隠蔽の疑いで宮殿2階の客間に幽閉され、筆記用紙と鉛筆を与えられていた彼女は五線譜を自ら引いて多くの曲を譜面に起こし、「女王の祈り」という素晴らしい歌を作詞・作曲している。

  
(左)宮殿扉のクリスタルガラスには彫られた王国の紋章      (中・右)大階段 素晴らしい木工芸術

          
(左)赤い絨毯が一際映える玉座の間        (右)戴冠式の宝器(純金の英国製)王冠にはハワイのタロイモの葉の模様が。

           
(左)金の間/音楽室(金色モヘアサテン地張りの円形ソファには楽譜が    (右)贈られた各国の勲章(日本のもある)

 また、ハワイの代表歌「アロハ・オエ」も彼女がつくったものである。

Ha`aheo ka ua i nā pali        雨が誇らしげに尾根を横切り
Ke nihi a`ela i ka nahele         森の中を通り抜けていく
E hahai (uhai) ana paha i ka liko   未だ開かぬ蕾を探しているかのように
Pua `āhihi lehua o uka          山あいに咲くレフアの花よ[注釈 2] 〈Hui〉
Aloha `oe, aloha `oe           あなたにアロハ あなたにアロハ
E ke onaona noho i ka lipo       木の陰に佇む心優しき人
One fond embrace, a ho`i a`e au  去っていく前にもう一度あなたを抱きしめよう
Until we meet again           また会えるその時まで

          
(左)カメハメハ大王(1世)とその王妃の肖像画        (右)イオラニ宮殿を見つめるカメハメハ大王の像

 今日も、カメハメハ大王(彫像)がイオラニ宮殿の正面を見つめている。

てんとう虫とビッグウェーブと -ハワイ- (異文化体験48 戦後70年 ハワイdeゴルフの旅2)

2016年02月18日 16時22分34秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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てんとう虫とビッグウェーブと    2016.01.25~01.30

 今回選択したゴルフ場は、Ko Olina GC & TURTLE BAYのGEORGE FAZIO COURSE の二つ。

 島の西(左)側コオリナ と 北(上)側タートルベイ

 Ko Olina GC(コオリナゴルフクラブ)は、毎年LPGAのロッテチャンピオンズシップが開催され、オアフ島でゲストがプレイできる1,2を争う名門コースと言われている。2012年に宮里藍選手が優勝しており、今年2016年は4月13-16日の開催だ。

       
(左・中)LPGAロッテチャンピオンズ過去4年の覇者とスコア   (右)2016年(4月13-16日)の覇者は? 

 一方、タートルベイにはジョージファッジオコースとアーノルドパーマーコースの2つのコースがあるが、上級者向けのパーマーコースは避けて、ファッジオコースにチャレンジ。ノースショアに面しサーファー好みのビッグウェーブと風が名物の難コースである。

          
(左)タートルベイ進入路の案内石               (右)ノースショアのビッグウェーブ(パイプライン)

 代理店はKATOゴルフ。送迎込でコオリナが205ドル。ファッジオが125ドル。

 1月26日6時45分のホテル・ピックアップで島の西側のコオリナへ。往路の車中でスロープレイや乗り入れカートの90度ルール、コース内トイレ等の注意事項を聞きながら、延々と続く反対車線の朝の通勤ラッシュに驚かされる。
 クラブハウスの前には、2014年の覇者ミシェル・ウィーの実話が銘板で張られた彫像がある。「(コオリナのロゴ)てんとう虫が舞い降りたらやさしくそっと息を吹きかけて逃がして上げると幸運が舞い降りる」という伝説らしい。

    
(左)てんとう虫ロゴのGPS搭載電動カート  (中)クラブハウス入口のレジェンド彫像   (右)ミシェル・ウィーの実話

 スタートは8時24分。GPS搭載の二人乗りカートには氷で冷やされたミネラルウォーターと名前入りのジャンボ・プラコップが備えられお土産にどうぞということらしい。300ヤードあるドライビング・レンジは無料のボール貸し出しで好きなだけ練習できる。
朝露に濡れたフェアウェイは朝日に光ってボールが見えにくいが、数ホール進むと朝露も消え、きれいに整備されたフェアウェイと木々の緑、真っ青な空が南国のゴルフを実感させる。

  
(左・中)スコアカード OUT3252yd IN3180yd TOT6432yd             (右)OUT1番ホール 朝露が陽光に輝いてまぶしい

 OUTの名物ホールは8番165ヤード、2段グリーンのショートホール。池の先に小さな滝をしつらえた庭園がありその上にグリーンがある。ここはワンオンしてパーで通過。

  
(左)OUT#4 184yd ワンオン・パー通過 (中)OUT#6 357yd ボギー通過  (右)名物ホール OUT#8 165yd ワンオン・パー通過

 INの10番から11番にかけては、ホールの右側を列車の線路、左側を一般道路が走っており、かなり気を使うホール。更に11番が終わるとカートが滝の下を通って、名物12番やや打ち下ろしのショートホールを迎える。ティグランドの下はここにも小さな滝をしつらえたきれいな庭園が広がる。

          
(左)IN#11 337yd 右に線路、左に車道           (右)曜日によってはゴルフ場内を列車が通る

          
(左)#11 パーで通過後、滝の下をくぐって#12ティグランドへ  (右)名物#12 166yd ティショット失敗でダボ通過   

 もう一つの名物ホールは、18番ホール。403ヤードのパー4。途中池で分断されたフェアウェイをドライバーでどこまで稼げるかが第2打の鍵になる。

  
(左)名物#18 403yd 第2打池越え失敗ダボ  (中)300ydのドライビングレンジ     (右)マスター室・クラブハウスとロイズ

 結局、46・45の91がこの日のスコア。ガイドがお勧めのチーズバーガーを食することもなく、ショップで記念にてんとう虫のグリーンマーカーを買って、ワイキキのホテルに戻ったのは午後1時半ごろ。


 1月28日6時30分のホテルピックアップで、一路北へ北へ。オアフ島のノースショアはビッグウェーブが期待できることからサーフィンのメッカでもある。今日は大会でもあるのだろう、沢山の車が詰めかけている。

 クラブハウス前のマスター室

 タートルベイの商標はビッグウェーブ、いわゆるパイプライン状の波。今日回るコース名のジョージ・ファッジオは1940年代に活躍したゴルファーらしい。途中混んでいたこともあって9時過ぎのスタートとなった。

     
(左・中)ジョージ・ファッジオコースのカードと本人画像         (右)アーノルド・パーマーコースのカード 次回は是非挑戦

 普段はもっと風が強いらしいがこの日はそれほどでもなく、広々としたフェアウェイ、やや短めのコース(計6100ヤードほど)にOUTはスコアも好調を維持。途中、カートのパワーがダウンし、カートの交換というアクシデントもあった。
 INには名物ホールの11番150ヤードのショートホールがある。グリーンの先には、ビッグウェーブが押し寄せる名物ホールだ。さすがに海っぺりは風が強い。
 更に、12番ホールはこの海を背に打ち出していく362ヤードのミドルと続く。

           
(左)名物ホール11番ホール 150yd パー通過          (右)グリーンの奥にはサーファー好みの波が 

           
(左)11番グリーン横に12番(362yd)ティグランド ボギー通過  (右)吹き抜ける風に潮飛沫が感じられる

 恐らく普段は特にINは強風との戦いとなるゴルフ場と思うが、この日は幸い穏やかで、41・45の86でのラウンド。ホテルに戻ったのは午後2時半過ぎであった。
 早速、翌日の帰国にそなえ飛行機のWEBチェックインに取り組むも、これが一苦労。

 実はホテル・サンドヴィラの横にアラワイ・カナルという運河があり、その向こうにAla Wai Golf Courseがある。ホテルで聞くと早いもの順でスタートしていくパブリックで、料金は不確かだが多分50ドルほど、とのこと。練習ラウンドにはうってつけだ。

 ホテル部屋から見るカナルの先にアラワイゴルフコースが広がる

 いずれのゴルフ場も、苦労するのは距離測定。GPS搭載でも日本のようにご親切に残り表示が出るわけでなく、自分で計算しないといけない。ましてGPSのないカートであればコース案内を見ながらバンカーやクリーク等目標物を踏まえて計算する必要がある。また、タートルベイはバンカーが固く締まっていて、バンカーショットは極めて難しい。
  しかし、快適なゴルフプレイが楽しめる。是非また来たいものだ!!!

Viva ハワイ! -ハワイ- (異文化体験48 戦後70年 ハワイdeゴルフの旅1) 

2016年02月18日 12時24分48秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
(写真はクリックで拡大します)

Viva ハワイ!   2016.01.25~01.30

 戦後60年の時は、サイパンに行った。そして、今回は戦後70年。戦争のない幸せを噛みしめながら、過去2回のハワイ訪問で行っていない真珠湾を訪問してみよう。
 初めて乗ったハワイアン航空が25年ぶり、3度目のホノルル空港に着陸した。再訪3人、初訪1人、計4人の学生時代の仲間による念願のハワイでのゴルフツアーの幕開けだ。
 現地実質3.5日、ゴルフ2ラウンド、半日観光、半日ワイキキ浜浴、1回は豪華ディナー、そしてホテルはワイキキ無星OK、これらの条件を満たして総予算は20万円の旅。

  
(左)初めて乗ったハワイアン航空               (中)ホノルル空港            (右)ホノルル空港周辺の風景   

 今冬最大の寒波に見舞われている日本からホノルルに降り立つと、誰しも早く何とか着込んだ防寒具を脱ぎたいもの。一流ホテルを次々回って一番最後に今回の宿舎「ワイキキ・サンド・ヴィラホテル」に到着したのが12時過ぎ。ラッキーにもチェック・インOKとのことで早速2部屋に分かれて夏バージョンに着替えを済ます。バスタブもあり、ウオッシュレットまで完備されており、申し分ないホテルだ。

          
(左)WAIKIKI SAND VILLA HOTEL                 (右)ワイキキ周辺MAP(ホテルは中央上の運河沿い) 

 早速、JTBオフィスに出向いて、日本で申し込んだ観光ツアーの確認とディナーショーの申し込みを済ませ、ワイキキ周辺を散策する。若い女性の浜辺の日光浴姿、ウクレレ同好会の練習、カピオラニ王妃の公園の緑等々、いつもと変わらぬワイキキである。

          
(左)ハワイといえばこの景色(昔は消波ブロックはなかった?)   (右)浜辺ではウクレレ同好会の演奏会?

           
(左)いつもの浜辺の景色                       (右)緑豊かなカピオラニ王妃公園

 私が初めてハワイを訪れたのは、今から丁度30年前の1985年2月。オイルショック後の日本のエネルギー事情の混迷期に主要電力・ガス会社が合同で我が国の都市エネルギーの在り方を研究するチームが発足し、約1ケ月3~4名の2班に分かれて欧米諸国を調査し、最後に合流・立ち寄ったのがこのハワイ。西海岸からハワイに向かう予定がパン・アメリカン(パンナム)だったのだが、急なストでアメリカン航空への振替輸送となった。席の奪い合いで大混乱の中何とか席にありつけたのが何とファーストクラス。この時泊まったのがパシフィックビーチ・ホテル。今も健在だ。

  
初めてのハワイ訪問時(40歳) (左)ハナウマ・ベイにて  (中)ワイキキにて     (右)現在のパシフィック・ビーチ・ホテル

 2回目のハワイは、25年前の1991年6月。義弟のジューン・ブライド、結婚式でオアフ島とマウイ島を訪問。若い人達にまじって女房とマリン・スポーツの一日ツアーに参加。ウインド・サーフィンで最後までボードに立てなかったのが未だに残念な想いとして残っている。マウイ島での泊まりはラハイナ・ショアーホテル。オアフの喧騒とは別世界の静かな魅力ある島だ。ホノルルでの泊まりは、カピオラニ女王公園に面したパーク・ショアホテルで、これまた今も健在だ。ホノルルではこの時パン・パシフィック・フェスティバルが開催され夜遅くまでカラカウア通りはブロックパーティで賑わっていた。

       
2回目のハワイ (左・中)ZERO GRAVITYのスキューバ入門修了書と参考写真   (右)オアフ・ワイキキのパークショア・ホテル 
              
(左)マウイ島のラハイナショア・ホテル      (右)マウイ島 ラフィオカラニ教会


 さて、25年ぶりのハワイ・オアフ島。明日は、早速コオリナ・ゴルフクラブでのラウンドが待っている。
ビジターゴルフ場ではオアフ島で1,2を争うゴルフ場と聞いている。

  Duke Kahanamoku像の前で

 さあ、ツアーの始まりだ。