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旅行記、世相独言

ちょっと思い出話「歌劇 蝶々夫人」

2024年07月10日 01時07分30秒 | 異文化体験_西欧
東京キューバンボーイズ(TCB)&アロージャズオーケストラ(AJO)のクリスマスジャズフェスティバルでおなじみの兵庫県立芸術文化センターの今年の佐渡裕プロデュースオペラは、Giacomo PucciniのMadama Butterfly(2024年7月12日~21日)。詳細は、芸文センターHPを参照ください。

 

  オーケストラピットの中

 7月9日本日、ラッキーにもゲネプロ(公開リハーサル)に当選し、しかも1階A列24番というオーケストラピットと舞台にかぶりつきの最高席を与えられ、オペラの迫力と魅力に感激し、そして1994年6月の感動を再び思い起こすことが出来たのである。

 今から30年前、私はイタリア・ミラノで開催された世界最大規模のエネルギー会議に論文審査、展示会、日本国主催のレセプションという3つの役割責任を持って出席した。

 
フィエラミラノでの開会式会場風景   プリンシペ・ディ・サヴォイアホテル

 開催国イタリアがスカラ座での前夜祭、フィエラミラノでのガラ・ディナー(3000人の出席者が同じ食器で同じメニューの食事を一堂に会して食する)、プレジデントディナー、同伴者プログラム等々のプログラムを用意する一方で、参加主要国は約1週間の会議中に夜毎独自の趣向を凝らしたレセプションを開催する。

 
1904年 Madama Butterflyが世界に先駆けて初演されたミラノスカラ座

 日本国のレセプションは、ミラノの最高級ホテル「プリンシペ・ディ・サヴォイアホテル」の大広間を使って、ホテルが提供する温・冷メニューに寿司・天ぷら.蕎麦等の和食のケータリングサービスを加え、広間の後方にステージと椅子席のアトラクションスペースを設けて開催した。

 
スカラ座オーケストラのピックアップメンバーと日本からの声楽留学生

 演目は、種々検討の結果、ミラノと日本に大いに関係するオペラ「蝶々夫人」に決定した。ご承知の通り、「蝶々夫人」は小説としてアメリカで発表され、1900年に戯曲化され、プッチーニがオペラ化を計画し、1904年2月17日イタリア・ミラノスカラ座で初演されたオペラである。
 ミラノスカラ座オーケストラのピックアップメンバーと日本から声楽留学中の歌手たちに演じてもらったプログラムは、とびきり大盛況で、後日面識のある各国VIP達からお褒めと感謝をいただいた。

 
「タンゴの警句」でアトラクションがスタート     レセプション会場の様子  
  
 難問がもう一つ。レセプションの締めをどうするか、このようなレセプションは開始時刻だけを案内状に書く。前夜オーケストラのリーダーのマンションでリハーサルを行った際、締めのアイデアを募ると「ワンダフル・コペンハーゲン」が良いのではないかということに。
次回開催国がデンマーク(更にその次が日本)なので、皆が知っている曲ならいいのだがと思いつつ、演奏が始まると会場全員の大合唱が始まった。

会場出口でお土産 400の招待状に700名の来場

 ということで、皆さん三々五々退場され、今度は私が他の会場で開催されているレセプションに日本の会長代行として顔を出しに出かけた大いに疲れた一日であった。




ナポリの再生(その2) (南イタリアの休日7) 2017.07.17

2017年08月18日 22時26分35秒 | 異文化体験_西欧
ナポリの再生(その2) (南イタリアの休日7) 2017.07.17

(写真はクリックで拡大します)

 洞窟に入れず、強い日射と揺れる船に多少酔ったのか、女房があまり気分がすぐれないようなので、市内散策をやめてホテルに戻ることにした。昨夕からのホテルはナポリ中央駅から1km強ほど離れたインターコンチネンタル・ホテル。

            
ホテルは中央駅右上の大規模再開発地区内のマークの位置        高層のホリデイ・イン・ナポリ 

 このエリアは、「ナポリ新都心計画1982」に基づいて開発整備されたもので、基本設計は日本の丹下健三氏が行っている。車と人の交通システムを完全に分離し、下レベルに道路・公私駐車場を、上部に歩行者用の緑に覆われた人工地盤をかけ、住宅・各種業務用施設・スポーツ施設等が融合する新都心計画のようだ。人工地盤は図面上は中央駅までつながっているようだが、歩くと30分近くかかる巨大な開発である。

  
           帰国後に調べてわかった「ナポリ新都心計画1982」             ホテルの部屋から見た再開発地区

 しかし、現実はハードは出来上がったものの、経済状況が好転しないためか、至る所に空店舗が目立ち、人の往来もあまり見られず新都心形成には至っていない。
 夕刻、女房がまだ眠っているので一人で食事に出かけるも、周辺のデッキ上には空いている店もなく、おりしも近所の工場か廃材置き場あたりからの火事の煙が漂ってきて、異臭が立ち込めている。こりゃたまらん!と、ホテルのレストランで食事をすることに。

  
夕刻、少しホテル周辺を歩いたが人影少なく空き店舗が目立つ     近隣地区の火災の煙と異臭がホテル近辺にも漂う

 パスタとピッツァに慣れ親しんだ胃袋が肉類を求めている。スライスしたビーフと野菜サラダ、フライドポテト、パンで18ユーロというのがある。近くのウェイター氏に注文するも英語が通じず、フロアマネジャーの女性が注文を聞いてくれた。
 出てきた代物は結構なボリュームで、とても一人では食べきれそうにない。部屋で寝ている女房の夜食に半分をテイクアウトしようと、先ほどのフロアマネジャーに事情を話し依頼すると快く引き受けてくれた。

  
ホテルのテラスレストラン 雰囲気は良いが異臭が   ホテル内のレストラン        久々の肉料理(半分食べたところ)多すぎる

 私の席の後ろのコーナーで、おじさんがピアノ演奏をしてくれている。私の席の少し前には夫婦と2人の女の子の家族が食事を終えようとしている。姉の方の子供がおじさんの所に行って何やら話をして、どうやらこの子がピアノを弾かせてもらえることになったようだ。多分日ごろの練習の成果を家族に聴かせようということらしい。多少、おぼつかないところもあったが、一生懸命の演奏を終え、家族ともども私も拍手したところ、ありがとうと言ってレストランを去って行った。
 テイクアウト処理をした紙袋を持って部屋に戻ると、幾分気分が良くなったようで、女房殿がたいらげてくれた。

            日頃の成果を家族に聴かせる少女、見守る男性ピアニスト

 翌18日、朝6時に朝食のボックスを持ってローマへ。12時50分発CX292香港行きの搭乗手続きでラウンジ利用券とバゲージのプライオリティ・タグを付けてもらう。パスポートコントロールは長蛇の列、お土産品を買ってアリタリア以外の航空会社の共同ラウンジで小休止後、搭乗ゲートに行く。
 香港でのトランジットは1時間半ほどの19日午前8時発CX594便。関空着は12時50分の予定。が、遅れに遅れて午前9時半発に。結局3時間の乗り継ぎ。こういう時にラウンジが使えるのは助かる。おまけにここ香港はキャセイの本拠地。キャセイの7つのラウンジのうち、搭乗ゲートに近い「ザ・キャビン」というラウンジを利用。広々として飲み物、軽食、読み物、なんでもござれ。

            
キャセイの7つのラウンジの一つ「ザ・キャビン」、広い        オーダーすれば盛り合わせてくれる  

            
かつての啓徳空港に代わりハブ空港を目指すチェプラップコク空港       青の洞窟は残念!な旅でした。

 結局、関空には午後2時半ごろ到着。自由解散とのこと。荷物も一番先に出てきたので、添乗員の野村嬢に礼を言って、3時半には自宅に戻る。1週間の駐車代金もKIXポイント等を使って、5千円台。安い!

 青の洞窟は誠に残念であったが、天気にも恵まれ、久々の夫婦揃っての長時間のフライトも何事もなく、南イタリアの休日をエンジョイした旅でした。

天気晴朗なれど波高し、青の洞窟(南イタリアの休日6) 2017.07.17

2017年08月17日 16時13分55秒 | 異文化体験_西欧
天気晴朗なれど波高し、青の洞窟(南イタリアの休日6) 2017.07.17


(写真はクリックで拡大します)

          
    ナポリからカプリ島へ1時間の船旅           島の上側にマリーナ・グランデ、上左端に青の洞窟

 今日は、我々にとってこのツアーのメインイベント、オプショナルツアーのカプリ島観光。目的は青の洞窟。
 
 基本的に朝の早い方が海は凪いで、入洞確率も上がるはず。なんでこんなに遅いのだろうと思っていると、HISのローマの観光客とのジョイントだと言う。ローマを早朝出てとなるとナポリには10時以降の到着となる。
 
 我々は、9時過ぎにホテルからタクシーに分乗してヌオーヴォ城前のベヴェレッロ埠頭に向かう。わずか10数分の距離だが、傷んだ路面を相当なスピードで荒っぽいハンドル操作とブレーキ操作で朝のラッシュの街を走り抜けて、何とか無事埠頭に到着。9ユーロと少しのメーターに、11ユーロ位払ってやろうかと思ったが、命の縮む思いを差し引いて10ユーロにする。他の分乗組で15ユーロ払ったという組もあったようだ。

  
ベヴェレッロ埠頭の豪華客船         カプリ島行きは30分おき位に出ている        期待を胸に いざ、出航 

 30分ほど待ってローマ組とも合流し、10時35分の船でカプリ島に向かう。1時間ほどの船旅であるが、波が少々あるのが気にかかる。多分、出航時点で入洞可否はわかっているのだろうと思いながら、カプリ島のマリーナ・グランデに入港。モーターボートが沢山桟橋に係留されているのを見て、こりゃダメかと思ったが、案の定「高潮のため青の洞窟への入場は中止になりました」とご丁寧に各国語で標記されている。

           
     カプリ島マリーナ・グランデに到着 モーターボートが整理着岸しているのが気になるが・・・        

          
無情にも「高潮のため青の洞窟への入場は中止になりました」      昼からに期待して、昼食へ

 「午後に入れるかもしれないので、とりあえず昼食に行きましょう」とガイドが言い、小型のバスで山の上のカプリ地区に登っていく。ここにはケーブルカーで上がることも出来る。島の西部には自然味あふれるアナカプリ地区があるとのこと。ローマ通りに合流した辺りでバスを降り、坂道を少し下るLa Pigna(ラ・ピーニャ)というレストランがランチの場所。Capri Gourmet傘下のこのレストランは、創業141年とカプリ島で最も古いレストランの一つだそうだ。メニューはリゾット、海鮮フリッター、サラダ、カプリ風ケーキのツアー客向け定番メニュー。

          
    レストラン La Pigna(ラ・ピーニャ)            団体客ご愛用のようだが雰囲気は良好

  
       リゾット                    カプリ風ケーキ                オリーブの木とティレニア海

 再び小型バスでマリーナ・グランデへ。状況は変わらないらしい。しからば、せめて洞窟くらい見て帰りたいのが人情。ということで、大型ボートで青の洞窟見物に出航。港を出ると結構波が高く揺れを実感する。20分ほど進んだ左手の岩壁を、「Grotta azzurra」だと言う。確かに小さな穴が開いている。これがそうなの?と疑うほど小さい。
 船はこの間大きく揺れている。入口高さ1m、内部長さ54m、高さ15m、水深14~22mと言われている洞窟の入口は、高潮のためか更に低くなっている。こりゃだめだ!全員納得して、マリーナ・グランデに戻る。

          
水着女性を沢山乗せてこの船はいずこへ?          青の洞窟を一目見ようと大型ボートで出航

          
左岸に「Grotta azzurra(青の洞窟)」と言うがどれ?     これが入口?というほどの小ささと波高に皆納得

  
               本来なら、こういった体験をするはずであったが、残念!(写真は借用してます)

 ナポリへの船まで1時間ほど自由散策。埠頭周辺には沢山の店がひしめき、観光客でごった返している。カプリ島の土産となると、特産レモンのリキュール「レモンチェッロ」やレモンクッキー等の加工食品、カプリ・サンダル、カプリ・ウォッチ等々。
 それにしても暑い。日陰のない埠頭周辺、店のテント貼りのテラスはほぼ満席。女房殿も先ほどの船の揺れと日射で少し気分がすぐれないようだ。
  
ソレント半島や遠くナポリを遠望しながら港へ        特産レモンのリキュール「レモンチェッロ」を売るお店

  
    カプリ・ウォッチの店先          ベネチア・ムラーノ島からきた装飾品       試食用レモンの加工食品

 3時25分の船でナポリに戻ったのは、4時半頃。サンタ・ルチア地区周辺の散策をしてどこかのレストランで最後の夕食をと思っていたが、女房殿が気分がすぐれないようなのでホテルに戻ることに。

  
マリーナ・グランデの雑踏 日陰が少ない         乗船券                 残念な想いでナポリへ(後ろの船)  

岩山の洞窟住居群「マテーラ」(南イタリアの休日5)  2017.07.16

2017年08月16日 21時05分25秒 | 異文化体験_西欧
岩山の洞窟住居群「マテーラ」(南イタリアの休日5)  2017.07.16


 アルベロベッロから内陸に90分ほど走って、マテーラに到着。Castello Tramontanoにバスを止め、ガイドのコシモ氏と合流。

 1993年にユネスコ世界遺産に登録されたマテーラは、近年急速に人気の観光地に変身している。
その理由の一つは、イタリアがホスト国のひとつとなる2019年の「欧州文化首都(EUROPEAN CAPITAL OF CULTURE)」に、ペルージャ、アッシジ、シエーナ等を抑えて2014年にマテーラが選出されたからのようだ。旧市街のあちこちに「マテーラ2019」の旗がなびいている。
欧州文化首都に選出されると、EU全体の文化の特徴を備えた文化プログラムを計画し、そのイベントにはその都市市民や欧州各国からの参加も不可欠で、プログラム自身もその都市の長期的な文化、経済、社会発展に継続的な効果のあるものとされる。毎年別個の国の二都市が選出され、この2都市は協力して活動・イベント運営を行う。2019年のマテーラの相手都市は、ブルガリアのプロヴディフである。


         2014年「欧州文化首都2019」発表の瞬間と歓喜するマテーラ市民       街の至る所にMATERA2019の旗が

 マテーラの洞窟住居はサッシ(Sassi)と呼ばれる。クラヴィーナ渓谷の崖や斜面に二つのサッシ群地区(サッソ・カヴェオーソとサッソ・バリサーノ)を形成している。コシモ氏の案内で結果的にカヴェオーソ地区を歩いたようだが、どこをどう歩いたのか、とにかく迷路そのものでもう一度同じ道は歩けない。

        
マテーラ旧市街地図(地球の歩き方より)      渓谷にへばりつくように展開された住居群の様子

 リドーラ通りに面した国立考古学博物館界隈には商店が軒を並べ、その突き当りのランフランキ宮横にマテーラ旧市街を一望できる展望台がある。

        
   国立考古学博物館前のリドーラ通り             ランフランキ宮(この横に展望台が)  


          マテーラの主にサッソ・カヴェオーソ地区のサッシを一望する

 この浸食された石灰岩の岩山にこのような姿が形成され始めたきっかけは、一説によると8世紀ころ東方イスラム勢力から逃れてきた修道僧が住み着いたのが始まりとされる。17~18世紀最盛期を迎えたマテーラも、小作民の住居が中心で、州都の移転、人口増加や経済停滞等の影響で住環境は徐々に劣悪なものに変貌。1950年代サッシ地区の住民を強制移住させ一時廃墟となった。しかし、石窟聖堂や3,000戸ほどの洞穴住居、地下水路による各戸上水供給システムなどの文化的資産が評価され、1993年世界文化遺産に指定された。今日、サッシ地区の70%が国有財産になっている。

        
石灰岩の住居の壁には貝殻の化石が見られる         往時の住居「グロッタの家」の前にやってきた

 往時の住居が「グロッタの家」として復元され、見学することができる。当初、家畜小屋や保存小屋として活用されていた洞窟に、人が住まざるを得ない状況となり、人畜共生の住宅となった住まいの一端が垣間見える。ツアー客の人種によって日本語を含む主要言語での解説(約8分)が流れる。このため、住居隣のかつて岩を掘って集会所として使われていた洞窟での映像が、時間調整に使われている。


  グロッタの家の解説書             グロッタの家の周辺の景色           人畜共生時代の住宅が復元          


   ベッドは衛生上足高            予想以上にきれいな厨房            当時の生活者の写真

 サッソ・カヴェオーソ地区のどこからも見ることが出来る巨石に十字架を掲げるサンタ・マリア・デ・イドリス教会が一際印象的だ。迷路をさまよって、渓谷の端に建つカヴェオーサ教会で小休止後、サッソ・バリサーノに近いセディレ広場で昼食解散。

        
巨石に十字架を掲げる印象的なサンタ・マリア・デ・イドリス教会      カヴェオーサ教会前の広場

        
教会横はすぐにこのような急峻な渓谷             広場には手作りの陶板焼きの置物等が売る屋台が

 広場の通りに面してスーパーマーケット(Supermercato Diva)がある。涼を求めて店内に入る。美味しそうなお惣菜も売っている。チーズと生ハムを挟んだ小ぶりのサンドと多彩な野菜をオリーブ油で煮込んだコントルノをチーンしてもらい、店の前のテラスで昼食。


サン・フランチェスコ広場のAssisi教会     スーパーマーケット(Supermercato Diva)      店頭で昼食 

 昼食後、サッソ・バリサーノの中に少し足を踏み入れたが、標識のない迷路、どこに出るかわからないため、元来た道を引き返す。リドラ通りに人気のジェラート屋があり、隣のピザ屋と共に賑わっている。しっかり食べないとすぐに溶けてしまうこの暑さ。


サッソ・バリサーノ地区にちょっとお邪魔         リドラ通りのジェラート店 (この時期はカップ◎、コーン✖)

 午後1時半ごろ、自由時間を終え、再び風車が回る田園地帯をナポリに向かう。トイレ休憩等を入れて、およそ5時間ほどのドライブである。
 ナポリに戻り、午後7時前にメルジェリーナ港に近い海岸通りのレストラン「TOTO’s SAPORE」で最後の会食。と言うのも明日は全日フリータイム。この店の 、レモンケーキとこのツアーとしてはやや豪華版の夕食で、午後9時前に2連泊となるホリデイ・イン・ナポリに到着。

          
      南イタリアの農村風景                   ヴェスビオは依然として森林火災が続いている


ナポリ・メルジェリーナ港に近いレストラン「TOTO’s SAPORE」    Spaghetti con le Vongole&舌平目のムニエル 

 明日はいよいよ一番の楽しみにしているカプリ島・青の洞窟ツアー。少し風が出ているのが心配だ。

とんがり屋根のトゥルッリ -アルベロベッロ-(南イタリアの休日4)

2017年08月15日 23時11分24秒 | 異文化体験_西欧
とんがり屋根のトゥルッリ -アルベロベッロ-(南イタリアの休日4)  2017.07.15-07.16

(写真はクリックで拡大します)

 アマルフィの海岸ドライブから内陸へ、カンパニア州サレルノからプーリア州アルベロベッロへは、長靴のくるぶしのような所をティレニア海からアドリア海へ横断するような形になる。景色も南イタリア特有の農業・牧畜色となり、風車があちこちで発電している。

 アルベロベッロに近づくと、境界に石積みされた放牧地や耕作地があちこちに見受けられる。本来無い方が効率的な土地利用になるはずだが?  円錐形の石積み三角屋根、間違いない! きっとこの辺りは、表層下に石灰岩の岩盤があるのだ。耕作地にする際には大変な苦労があったのだろう。この石灰岩の有効利用の結果が世界遺産にしたのだろうと推察。

            
南イタリアの丘陵地帯に広がる耕作・牧草地と風力発電   あちこちの農地境界に不合理な石積み、下が石灰岩の岩盤?

 HOTEL ASTORIAに到着したのは18時半。19時からホテルのレストランで、オレッキエッテと呼ばれるパスタにローストポーク、サラダ、フルーツの夕食。

 
HOTEL ASTORIA 小奇麗なホテル   オレッキエッテ&ローストポーク        バー・ラウンジ 

 円錐形の石積み屋根の家をトゥルッロ(trullo)と言う。集合して存在することから複数形のトゥルッリ (trulli) で呼ばれることが多く「部屋一つ、屋根一つ」」という意味だそうな。
 そんなトゥルッリに住み土産物屋を営む在伊20数年の陽子さんという女性が、日本からのツアー客情報を得てホテルにお迎えに来ている。「食後の散歩に夜のトゥルッリ地区観光をかねて我が家に来ませんか?」というお誘いである。

         
ホテルからポポロ広場に至る電飾された道        ポポロ広場の高台から夕刻のリオーネ・モンティ地区を望む 

 他に何もない小さな街、早速陽子さんの案内で日暮れに差し掛かった街に繰り出す。ポポロ広場には野外音楽舞台が設置され、21時頃からステージが始まるようだ。陽子さんの店でトゥルッロの家屋構造を拝見し、商売上手な陽子さんのお勧めでお土産品の品定めが始まった。
 平たく加工した石灰岩を積み、壁を石灰で塗る。白壁は紫外線防止、保温効果、室内を広く明るく見せる等の効果がある。屋根は円錐形である。地下岩盤のため井戸が掘れず、円錐形の屋根で雨を受け、水路を通して床下の貯水槽に貯め生活用水に用いる。

         
夜も人通りの絶えないモンティ地区               在伊20数年の陽子さんの店          

  
三角錐の屋根を内側から見ると         雨水が生活用水 地下貯水槽        トゥルッリの構造(地球の歩き方より)

 《このおとぎの国のようなアルベロベッロの可愛いとんがり屋根は、圧政の傷跡だった??》 という話を少し。
 15世紀末、家の数によって税金を徴収していたナポリ王に対し、ナポリから送られたアクアヴィーバ伯爵は、森林を伐採し石の多い土地を豊かにするため、周囲の領土から人々を呼び集め、農民達は石を掘り出し、それで小屋を建てた。これがトゥルッリの始まり。
 しかし伯爵家は、小作人たちに石を組み立てるだけの家を作るよう命じた。王の税金取立て調査の際、小作人たちの家をすぐとりこわせて、税金を払わなくていいようにするためだった。
 しかし、18世紀終わりには、絶えず家を造ったり壊したりすることにも、伯爵家の横暴にも耐えかねた小作人たちが、プーリアを訪れていたブルボン家のフェルディナンド4世に直訴し、その結果、王直属の領土となった。めでたし、めでたし。

          このとんがり屋根が、圧政の傷跡とは。

 翌日曜日の朝、少しばかりの雷雨があったがすぐに止み、青空が広がる街を散策する。何かお祭りでもあるのか、駐禁のビラがあちこちに貼られている。トゥルッリが集積する地区が2つある。お店が多いのがリオ-ネ・モンティ地区で、実居住が多いのはアイア・ピッコラ地区。

  
HISお手製の散策マップ    街の中心ポポロ広場(左端特設ステージ、中央市庁舎)     朝のモンティ地区

         
                  早朝のリオーネ・モンティ地区 ニャンコがお出迎え

 現在、人口約1万人。観光、手工芸、農業、アグリツーリズム、第3次産業に多く携わり、このあたりの土壌にもっとも適しているのは「チーマ・ディ・モーラ(cima di mola)」と呼ばれる良質のオリーブだそうな。

   
アルベロベッロのランドスケープ写真      ミニチュア・トゥルッロを売る店       きれいな花植で飾られた露地

 リオーネ・モンテイ地区の南のはずれにあるトゥルッリ建築の教会サン・アントニオ教会は日曜ミサの真っ最中。ポポロ広場・市庁舎の北側に歩いて行くと、行進する音楽隊に出くわした。やはり何かのお祭りのようだ。

        
トゥルッリ建築の教会サン・アントニオ教会  やはり街はお祭りだ。週末の予定表ポスター  7月から9月に至るお祭り行事内容

 大通りの正面に建つのがサンティ・メディチ・コズマ・ダミアーノ聖所記念堂、これを回り込むように更に北に歩くと街で唯一の2階建てトゥルッロ、実に12のとんがり屋根を持つ「トゥルッロ・ソブラーノ」がある。

        
奥の聖所記念堂を出発した音楽隊   サンティ・メディチ・コズマ・ダミアーノ聖所記念堂   だから至る所に駐車禁止の張り紙が

           
街で唯一の2階建てトゥルッロ「トゥルッロ・ソブラーノ」     早朝のため入れず、入口横の解説案内

           
街の教会毎に音楽隊が行進をやめて演奏             とある教会で見かけた気になるご婦人  

 駅はホテルのすぐ隣と言っていい距離。駅前にカフェテリアが1軒あるだけの小さな街の小さな駅である。

           
                ホテルから歩いて2分のアルベロベッロの無人駅 

    (クリックしてください)    Alberobello Night & Day

 午前10時、マテーラに向けて出発。


アマルフィ海岸のドライブ(南イタリアの休日3)  2017.07.15

2017年08月14日 17時48分03秒 | 異文化体験_西欧
アマルフィ海岸のドライブ(南イタリアの休日3)  2017.07.15

(写真はクリックで拡大します)

 かかるツアーの弱点は、とにかくゆっくり出来ないこと。Hotel AmericaのContinental Breakfastを6時50分から取り、7時45分にはミニバス2台に分乗してアマルフィ海岸ドライブに出発。大型観光バスの通行が出来なくなったためだそうだ。

 本日の行程は、小型バスで「ナポリ→ソレント→ポジターノ→アマルフィ→サレルノ」→大型観光バスでアルベロベッロへと走る。
 ナポリからソレント半島の北側にある「帰れ、ソレントへ」で有名なソレントまでは約30km。ソレントからサレルノまでの約40kmの海岸線は世界一美しい「コスティエラ・アマルフィターナ」と言われる。ポジターノで海山側の客席交換、アマルフィで観光・昼食。サレルノで大型観光バスに乗り換え、アルベロベッロまでが今日の行程。

                  
21年前に買ったイタリア道路地図   (クリック拡大して見て!) 海岸に沿ってナポリからサレルノまで走ります

 ヴェスビオ火山は今日も噴煙ならぬ森林火災の煙をあげ、消火セスナがひっきりなしに行き来している。
 出発後1時間ほどでソレントの街を見下ろす「プンクアスクートロ展望台」での一時停車は運転手のサービス。というのも、この時期海岸線は渋滞が常態化していて、今日は比較的順調にドライブ出来ているのも一因のようだ。
 切り立った海岸線を走る狭い道路。海側の景色は最高なのだが、山側の景色はとても恐ろしい。というのも垂直に切り立った岩山には今にも落ちてきそうな大きな岩石が頭上にごろごろしている。

   
      ソレントを見下ろす展望台にて      頭上を見上げると今にも落ちてきそうな岩が・・・

 「トルディアーノ展望台」での写真撮影タイムのあと、ソレントとアマルフィの中間点「ポジターノ展望台」に到着。駐車場があるわけでもなく狭い道路の路肩に止めて、イタリア屈指のリゾート地を眺めるのだが、観光客目当ての乾燥トマトや特産のレモン加工品等を売る露店もあり、狭い道路がますます狭くなる。ポジターノは60年代のポジターノ(リゾート)ファッションで有名となった街。

 
       アマルフィ海岸屈指のリゾート「ポジターノ」を展望する       かつてのリゾートファッションの聖地ポジターノ

 ここで左右の席を交代して、ミニバスは再びアマルフィ目指して快走する。ポジターノを少し過ぎた所に最終日に予定しているカプリ島の「青の洞窟」ならぬ「エメラルドの洞窟」がある。内部空間は青の洞窟より広く、入洞確率はこちらの方がはるかに高そうだ。


海岸の街にはアラブ色の教会が   中央のホテルがNO1ホテル、その下辺りにエメラルドの洞窟   花束を持ったマリア像の岩山

 45分ほど走って、11時前にアマルフィに到着。中世のアマルフィ共和国は海洋都市国家として強盛を誇り、航海の法典である「アマルフィ海法」を作成した。現在イタリアの海事関係の国旗には、海洋国家として発展したヴェネツィア(左上の獅子)、ジェノヴァ(右上の十字)、ピサ(右下の十字)とともに、アマルフィの紋章(左下)が取り入れられている。


岩山にへばりつく道路の先にアマルフィの街    ランドマークのドゥオーモ         イタリア海事関係の国旗にアマルフィ紋章

 13時の出発まで自由時間。小さな街である。港から急峻な坂が山の手に伸び、観光客目当ての店がひしめきあっている。この小さな街が中世共和国として栄えたと信じがたいが、度重なる地震と津波の浸食で今日の姿になったようだ。

       
     HISお手製の地図         海岸から山の手に延びる坂道        魚屋さんの店頭   

 アマルフィの見どころと言えば、街の守護聖人アンドレアを祀るドゥオーモ。アマルフィ大聖堂として6世紀に建造され、1208年ギリシャからアンドレアの聖遺物が地下聖堂に運び込まれ、今日に至るまでビザンチン・ロマネスク・ロココ・ゴシック・イスラム・バロック等々様々な建築様式で増改築が行われている。イスラム様式の天国の回廊、十字架上のキリストの聖堂、バロック様式の地下礼拝堂、祭壇後陣に収められているアンドレアの後頭部等が見どころ。


        ドゥオーモ(正確には聖人アンドレアの複合記念建造物)とその案内書           入場チケット 


  天国の回廊(貴族の墓地)         十字架上のキリストの聖堂            大聖堂

              
イエスキリストの最初の使徒聖アンドレアを祀る地下聖堂      聖アンドレアの後頭部が祭壇後陣に保管されている


 昼食は、街角の「RISTORANTE LA PIAZZETTA」でのサンドイッチとカプチーノ。パルマハムとモッツァレラを挟んだどでかい代物。1/4づつ夜食用にテイクアウト。隣の席でイタリアの老夫婦が1人前をシェアして食べて行ったのが正解であった。

            
      街角の「RISTORANTE LA PIAZZETTA」でサンドイッチとカプチーノの昼食。食べきれずこれだけ残しました。

 イタリアの海岸は白砂青松には縁がなさそうで、猫の額のような砂浜や岩礁の間に日光浴をする人々をよく目にする。ポジターノもアマルフィもさほど広くないが砂浜があり、ビーチパラソルの花が咲いている。また、突堤の先端からは街全体が見渡せ、様々なポーズで記念撮影する人の姿が見られる。


          突堤の先から街を振り返る   地震や津波で浸食される前のアマルフィはどんな美しい街であったか?     

 イタリアのビーチリゾートは、このアマルフィ海岸やシチリア島が超人気地のようだが、過去に訪れたジェノバから西、サン・レモ等の地中海沿いの海岸「イタリア・リビエラ」、更にはアドリア海に面したイタリア最大の「リミニの海水浴場」等々も有名。
 夏にジェノヴァからモナコ・ニース・カンヌを旅した時、海辺の写真を撮るとイタリア側ではなかったものが、フランス側では沢山飛び込んでくる。上半身裸の女性たち。隣国同士でこの違いは何故だろう?と未だに謎である。


アドリア海に面したイタリア最大のリミニ海水浴場  (コート・ダ・ジュール)フランス・ニースの海岸       こんな姿があちこちに   

 アマルフィからサレルノまでも、渋滞がなくノンストップで同じような海岸線を走り、午後2時前に到着。大型バスに乗り換えBaronissi Nord、アドリア海を見渡せるBisceglieを経てアルベロベッロ(Alberobello)に午後6時半に到着。
今宵の宿は、Hotel Astoria。来る道中の景色で円錐形の石積みの屋根の謎が解けた!

             
サレルノで大型バスに乗り換え、アルベロベッロへ。         謎が解けた!この三角錐の石積み屋根!!!



ナポリの再生(その1) (南イタリアの休日2) 2017.07.14

2017年08月12日 20時07分36秒 | 異文化体験_西欧
ナポリの再生(その1) (南イタリアの休日2) 2017.07.14

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 ポンペイからナポリに戻り車窓からの市内観光。王宮からサンタ・ルチア周辺は様々な工事やインフラ整備がなされ、随分楽し気な空間になっている。以前訪問時のウンベルト1世のガッレリア周辺は退廃的な雰囲気であったが、今は気軽に歩ける街に変貌している。

     
          Napoli市街地図            サンタルチア方面に向かう(道路左手はトラムの工事が) 

  
ヌォーヴォ城(中央入口アルフォンソ凱旋門)  左手王宮、奥がプレビシート広場         ウンベルトⅠ世ガレリア方面

    
現在お化粧直し中のウンベルト1世ガレリア  閑散としていた21年前のガレリア  12世紀建造のかつての王の住居「卵城」

             
   サンタルチアの海岸通りに面した緑地帯の前の海岸で海水浴を楽しむ人々(砂浜に乏しい海岸ゆえテトラポッド上で日光浴) 

 ギリシア語の「ネアポリス」(新しいポリス)を語源とする「ナポリ」は、古代ギリシア人によって建設された植民市で、13世紀以降ナポリ王国の首都として南イタリアの政治・経済の中心地として栄えた。
 元来、イタリアのイメージである輝く太陽に温暖な気候、人々の陽気さは、このナポリが元になっている。しかし、その裏側では反社会的勢力がはびこっており、ここナポリはマフィア・カモッラの影響が強い都市である。

        
        ENIの社章                       現在のSNAMの社章   

 イタリア最大の企業集団ENIの傘下に私と同業のミラノを本拠とするSNAMという巨大なガス会社がある。現役時代、知人であるこの会社のCEOのL.M氏と会食した際、氏がやや複雑な表情で「この度、ENIの総裁を引き受けることになった。前任者がマフィアとの贈収賄の容疑で収監され、彼らの手によって獄中で殺された。」と打ち明けてくれた。昇進はおめでたい話なのだが。ここナポリもマフィアが関与するごみ問題や環境問題で一時都市機能が退廃し、その影響は今なお残っている。


 そんなナポリではあるが、ポジリポの丘から見るナポリは、ヴェスビオやソレントの岬、カプリ島と共に、人々をして「ナポリを見てから死ね (vedi Napoli e poi muori)」と言わせしめる景色を提供している。
 以前、ここに訪れた時、その景色もそこそこに屋台のネクタイ屋に群がる同行の男性たちがいた。何でもないネクタイなのだが、裏地を見ると当時日本では解禁されていないヘアヌードの女性のプリントが。日本人向けの新手の商売である。お土産に沢山買って帰った同行の士がいたのを思い出す。かく言う私も1本買って帰ったが、どこかにお蔵入りしている。

 
ポジリポの丘から見たナポリ市街とヴェスビオとソレント半島(デジタル2枚連結)           21年前のアナログ写真

            
世界3大夜景の一つと言われる夜景(借用写真)        2000年前の爆発で上部が吹っ飛んだヴェスビオ火山

 夕食時である。ツアー初日の夕食は、海岸に近いCIROというレストランでのナポリピッツァの代表格、トマト(赤)とバジル(緑)とモッツアレラ(白)のシンプルピッツァ「マルゲリータ」とサラダ、カプリ風ケーキ。最初は美味しいがその大きさが邪魔をして、完食者は若い人達。
 マルゲリータは、統一イタリア王国のマルゲリータ王妃が1889年ナポリ来訪の折、ブランディという店がイタリアの三色旗を模して前述の材料で生地を飾って捧げたことに由来する。

           
          サンタルチアのレストランCIRO(18時開店、それまで近くのスーパーで時間つぶし)  

           
27人分のピッツアを1枚1枚焼いています     直径30cm級のピッツア・マルゲリータ(過ぎたるは及ばざるがごとし)  

 今宵のホテルは、市の中心から5kmほど離れた自動車会社が集まる企業団地に位置する何故か「AMERICAN PARK HOTEL」。口コミでは悪評高きホテルだったが、それほどでもなく、湯船につかって早々に就寝。

  
  トリップ・アドバイザーの酷評で覚悟していたホテルだが、バスタブもあり、お湯も出て一安心。それにしても食事を何とか・・・



燃えるヴェスビオと古代都市ポンペイ (異文化体験49 南イタリアの休日1)

2017年08月10日 18時42分57秒 | 異文化体験_西欧
南イタリアの休日 2017.07.13-07.19

 21年ぶり、9回目のイタリア訪問である。
 南イタリアのナポリ・ポンペイとなると実に25年ぶり。
 21年前、当時国際業務を担当しマイルがたくさん貯まった私は、手作りの豪華イタリア旅行に女房を招待した。
 イタリアの北から南へ、その最終日にはナポリ・ポンペイ訪問を予定していた。ところが、バス組合のストで全国的にバスがストップという事態になり、急遽電車で行ける「オスティア・アンティカ」という古代ローマの外港都市遺跡に変更し、南イタリア訪問は宿題として残った。

(この時のブログは「異文化体験28 イタリア満喫の旅」をご覧ください。Vol.1~10まで10話あります。
スタートのVol.1は、http://blog.goo.ne.jp/skhr0247/e/ee70e83563db0a32b915e0c78f2f7976)

 そして今年、結婚45周年を迎え、やり残した宿題を片付けることにした。女房の仕事の関係で1週間の旅。HISの「お得旅、新!南イタリアの休日 7日間」がスケジュール的に合うというので、このパッケーズツアーで、いざ、南イタリアへ出発。

今回の旅は、以下の7話で構成されています。
1. 燃えるヴェスビオと古代都市ポンペイ
2. ナポリの再生(その1)
3. アマルフィ海岸のドライブ
4. とんがり屋根のトゥルッリ(アルベロベッロ)
5. 岩山の洞窟住居群(マテーラ)
6. 天気晴朗なれど波高し(カプリ島)
7. ナポリの再生(その2)

燃えるヴェスビオと古代都市ポンペイ (異文化体験49 南イタリアの休日1)
                                                    
 2017.07.13-14

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 関空へは我が家から30分。車を駐車場に入れようとしたが、この時期何と満車状態。何とかP2 4階に駐車し、HIS添乗員の野村嬢からチケット等を受け取り、搭乗手続きへ。
 今回のキャセイ・パシフィックはワンワールド加盟航空会社。JALのマイルが付与され、かつワンワールド・サファイアの小生はラウンジ利用・優先搭乗が可能である。

 関空19時発CX569便は1998年開港の香港チェクラップコク空港22時着、翌0時40分発CX293便でローマ着は午前7時25分の予定。JALは定時発着・世界1を売り物にしているが、CXは30分ほど遅れてローマ着。
 LCCとの競争もあり、機内食の楽しみが徐々に薄らいでいくのは寂しい限り。しかし、CXが本拠とする香港のラウンジは、レストラン並みの料理と飲み物が提供されている。ここでしっかり食べたので機内食への期待は霧散する。

 ローマ・フェミチーノ空港(旧ダ・ヴィンチ空港)から南へ、ナポリ経由3時間少々走るとポンペイに至る。車窓左手にヴェスビオが見えるが、どうやら森林火災が発生して小型セスナ機が海水消火でひっきりなしに往復している。

        
ナポリからポンペイへは車で30分ほどの距離      ヴェスビオ火山の麓で森林火災 画面左手に小型消火飛行機           

 レストラン「VESVIO」で、シーフードリゾット・魚介フリット・サラダ・ババのランチの後、2度目のポンペイ遺跡の観光である。
 初めての時のような感動は薄らいでいるが、女房殿は初めて。2000年の時の隔たりを感じさせない人々の生活の営みと、そこに展開する文化・技術や技法には感動ものである。

        
レストラン「ヴェスビオ」 各国のツアー客で商売繁盛      あまり期待できない今回のツアー食事  

     
      ポンペイ遺跡への入口             21年前に購入した解説本

 前回も含め、今回の訪問で知り得た2000年前の生活の一端を、前回購入した紹介本の助けを借りて、ここにいくつか再現してみよう。

  
ポルタ・マリーナ(町から海に通じていた門)  正面はバシリカ(裁判所等公共建造物)        フォロ(町の中心広場)

  
ジュピターの神殿(ヴェスビオの火災煙が右手に)  ジュピターの神殿と凱旋門(復元図)         フォロを背景に

           
     さぞかし無念な・・・・                    カール・ブリューロフ作ポンペイ最後の日

            
     フォロの浴場(外来者のための浴場)             風呂屋の前には一杯飲み屋

                
         街の要所要所に水飲み場               何と鉛管による水道設備が完備  

            
         パン屋さん                          こんな感じだった

 前回訪問時のハイライトは、男性中心のツアーだったためか「娼婦の館」と「ベッティ家」を詳しく見て回ったが、今回は女性中心のツアー、ハイライトは遺跡から少し離れた「秘儀荘」を訪問。まずは前回の「娼婦の館」と「ベッティ家」。

  
      娼婦の館              以外と小さな石のベッド         各部屋にこのような得意技が

  
富豪商人ベッティウスの家の中庭   ポンペイの赤を基調にグロテスク様式のフレスコ画     豊穣の神プリアポス

 今回の「秘儀荘」。何が秘儀かというと、29人の人物像で描かれたディオニュソス祭の厳かで神秘的な儀式(ディオニュソスの秘伝が花嫁に伝授される過程)が描かれた壁画を見ることが出来る。絵画と壁の装飾に見るポンペイの芸術様式は大きく4つに分類される。秘儀荘は第二様式(BC80~DC14)に分類され、建築学的遠近法が採用され絵柄がリアルに描写されているのが特徴とか。

             
   秘儀荘の復元図(半円形テラスが海の方向に)   トスカーナ風アトリウム(ガラス内は住民の遺体形)

      
              29人の人物像によるディオニュソス祭の厳かで神秘的な儀式絵物語

 この日のポンペイのガイド・ロベルタ氏は御年84歳、日本語を話さないので添乗員の野村嬢が通訳・解説し、それを各自に配布された無線イヤホーンで聞くのだが、このスタイルは8年前のエジプト旅行時に初めて経験し、最近常態化しているようだ。

 秘儀荘隣のバール 日陰でレモンジュース

 それにしても暑い。森林火災が各所で起こるのも頷ける。秘儀荘を出た所にあるBARで名物レモンジュースで喉を潤す。16時ころ、バスで今宵の宿舎ナポリに向かう。


ベルサイユ宮殿とクッキー争奪戦 -パリ- (異文化体験37 ロマンティック街道の旅 10)

2014年02月06日 13時01分12秒 | 異文化体験_西欧
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ベルサイユ宮殿とクッキー争奪戦  -パリー  2002.08.07~08.08
 

 いよいよツアー最終日。午前中はルイ14世が建造したバロック建築の集大成、ベルサイユ宮殿観光である。私にとっては3度目のベルサイユ宮殿。

  
                  早朝のベルサイユ宮殿と広大・華麗な庭園

 妻にとっては初めての訪宮であり、壮大豪華な宮殿と広大な本格庭園とに大感動である。時間が十分あれば大・小トリアノン等の見学も出来るのであるが、そこは団体ツアーの悲しさ。午前中の見学を終え、昼食後は自由行動となっている。
 フォンテーヌブロー城とバルビゾン観光(お一人様1万円)や豪華なパリショー(お一人様2万円)のオプショナルツアーが用意されているが、参加者は少ないようだ。

 ←その華麗さに誰もが感嘆する「鏡の間」


 我々は、オペラ座前で下車し、ギャラリー・ラファイエットの松坂屋の一角にあるルイ・ヴィトンに直行する。売り場にごったがえす人種の多様性に驚かされる。それだけ、世界経済が広範な地域で好転しているということだろう。2002年1月1日から欧州通貨がユーロに統一され、1ユーロは40フラン程度。日本円では100円レベルとドルに近い換算レートである。

 
              パリ・オペラ座              ギャラリー・ラファイエット

 ヴィトンで長男の嫁にプレゼントする財布を購入後、ラファイエットで寝具や家庭用品のお買物に付き合う。以前出張時、新婚さんにテーブルカバーーを買って帰って喜ばれたりしたものだ。今回は建替新築なった我家のベッドカバーがお目当て。手頃な品の良いデザインのカバーセットを購入し、その他のお土産類も買って、いよいよ奥様が自分のバッグが欲しいということで、昨夕ウィンドショッピングした店を再訪問。いろいろ迷ったあげく、お気に入りのバッグを購入。これ以上買われては財布がたまらん!とタクシーでホテルに戻る。

 ←ホテル「ソフィテルフォーラム・リブゴーシュ」

 夕食までまだ時間があるので、近くのスーパーに添乗員君お薦めのクッキーがあるかも知れないと散歩がてら出かける。同じ目的で一組の親子が来ていたが、残念ながら置いてなかった。このクッキー、添乗員君がお薦めのクッキーで値段が安く、実に美味しい代物。気の置けないお土産に最適品である。このツアーでは、行く先々でこのクッキー争奪戦が見られた。

 ←過去10回は訪れたパリ。その象徴「エッフェル塔」

 最後の夕食は、ホテルのレストラン。7泊8日の旅も前半はほとんどがバスの旅。アルプスでお天気に恵まれなかったのは残念であった。

 帰国のパリ・ドゴール空港での乗り継ぎ時間待ちの時、添乗員君が近くの免税店に例のクッキーが置いてあると教えてくれる。早速に出向いて残りの箱を全部買い占めた。レジ係りの女性がこの珍しい客に、ニコッと笑顔。

 8月9日(金)パリ発13時15分発のAF-292便は、8月10日(土)午前8時10分に無事関空到着。
 ロマンティック街道の旅もこれにておしまい。


偏頭痛と買物とバトームーシュ -パリ-(異文化体験37 ロマンティック街道の旅9)

2014年02月03日 00時44分17秒 | 異文化体験_西欧
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偏頭痛と買物とバトームーシュ -パリー  2002.08.07~08.08


 ジュネーブ・コルナヴァン駅には、フランスからTGV等のフランス国鉄が乗り入れている。今回の旅ではフランスご自慢の新幹線TGVでパリへ、およそ3時間30分の旅である。気になる音や震動もなく日本の新幹線よりはゆったりした車内空間である。

          
(左)ジュネーブ・コルナヴァン駅                       (右)発車前の記念撮影

         
(左)ジュネーブ-パリ間を結ぶTGV                      (右)乗車券(運賃は91.90ユーロ)  
 

 この快適な車内で朝食のサンドウィッチを食べ終わると、いつしか睡魔が襲い、気がつけばそこはパリ。

  車内でサンドウィッチの朝食


 観光バスに乗り込んだあたりで妻の様子がおかしい。恐れていた偏頭痛が出てきたようだ。昼食のお寿司屋さんでは妻の分も私が食べるはめに。
 ノートルダム寺院やルーブル美術館、コンコルド広場からシャンゼリゼ通りを経て凱旋門といったパリ市内観光も、妻にとっては頭痛と吐き気との戦いであったようだ。

   ノートルダム寺院にて

         
(左)ルーブル美術館入館券(表)                    (右)ルーブル美術館入館券(裏:7.50ユーロ)

              
          (左)ご存知「モナリザ」と(右)「ミロのヴィーナス」

 ホテルに戻る前にオペラ座界隈でショッピングタイムとなる。長男の嫁への土産にルイ・ヴィトンの財布を予定しているが、ヴィトンの店は今までの旅程にはない。明日の午後の自由時間でショッピングすることにしているが、気分も良くなってきたのか、妻の動きがここに来て俄然活発になってきた。結局、この日はウィンドショッピングだけで、ホテル「ソフィテルフォーラム・リブゴーシュ」にチェックインする。


           
(左)ソフィテルフォーラム・リブゴーシュホテル            (右)セーヌ名物「Bateaux Mouches」(パンフより)

 今宵は、セーヌ河クルーズ。Bateaux Mouchesは2回目。前回は豪華船で船上での夕食であったが、今回は夕食後の乗船。陽はまだまだ高く、各国からの団体客や夏休みでパリ見物をしている若者たちが船上を賑わしている。前回乗船時にはビデオカメラを持参していたので、帰国してから「パリの恋人達」という小編ビデオを編集した。要は船から対岸を照らす強烈なライトで、水辺の暗闇のカップル達の生態が面白く映し出されている。場所場所によって男女のカップル、ホモのカップル、レズのカップル等、棲み分けが出来ていて、それでいて乗船客との間に明るいコミュニケーションが成立しているのである。

          
(左)夕暮れ真近のノートルダム      (中)暮色に染まるパリの空   (右)セーヌの川面から見た「夜のお化粧をしたエッフェル塔」

 セーヌ川の折り返し点を過ぎた辺りで薄闇が迫り、エッフェル塔の電飾や両岸のライトアップされた建物が闇夜に映し出されると、このクルーズもクライマックスを迎える。