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旅行記、世相独言

行ってきました、世界遺産「石見銀山」

2011年08月27日 14時17分09秒 | 異文化体験_日本
(写真はクリックで拡大します)

行ってきました、世界遺産「石見銀山」  2011.8.20

  
(左)16世紀の日本地図 「銀鉱山王国」の文字も。   (右)龍源寺間歩(まぶ=掘削坑)入場券


 余り下調べもせず、某旅行社のバスツアーに参加して世界遺産「石見銀山」に行ってきました。何故か山口県の萩温泉で宿泊するという、大阪から往復1100kmの1泊2日の長~いバスツアーでした。私の見たその世界遺産を感じるままに紹介しましょう。

 石見銀山「見て歩き」 

 世界遺産「石見銀山」は、少し期待はずれでした。何が期待はずれかというと、

1)現地とその周辺での銀山情報が極めて少ない!(島根県内の立ち寄った道の駅や観光案内所には、石見銀山の案内パンフ的なものはほとんどありません)

 入坑の際に貰うパンフ 

2)現地ですら入場時に「石見銀山遺跡・龍源寺間歩(まぶ)」の薄っぺらいパンフを貰う以外、有料・無料を問わず解説書も見当たりません。坑道内を7~8分歩いて出口坑道付近に「石見銀山絵巻」がパネル展示され往時の状況を知るのみです。

3)詳しくは町並み地区に足をのばして旧代官所跡の資料館を訪ねる必要があります。

4)もっとも、500円出すとイヤホンガイドを借りることが出来、また有料の銀山ガイドの会の人達の案内もありますが、無料ガイドツアーは10時半と12時半の2回だけです。

5)バス停から現在一般公開されている龍源寺間歩までは、往復約4.6km。健常者以外の人にとっては数台の有料の輪タクを利用することになります。

6)現在一般公開中の江戸期に開発された龍源寺間歩へのコースは、英語等外国語表示もなく、内国人だけを対象にした世界遺産のようです。

 大久保間歩への限定的一般公開ツアー案内

7)ほとんどのツアー客は行っていないようですが、「世界遺産センター」という施設が別にあり、そこを起点に3800円出して「大久保間歩」という銀山最大の間歩を巡る限定ツアーもあるようで、現地で初めて知りました。


 愚痴っていてもしようがありませんので、世界遺産「石見銀山の銀山地区と町並み地区」の一端をご紹介しましょう。

 銀山公園の石見銀山模型
    ↓
 舗装道と併走する遊歩道
    ↓
 清水谷精錬所跡
    ↓
 龍源寺間歩入口
    ↓
 背を屈める高さの坑道
    ↓
 坑道内(水抜き)竪坑
    ↓
 解説板(この横に絵巻パネルがある)
    ↓
 鉱石(見すぼらしい展示?)
    ↓

 下河原吹屋跡(選鉱し吹床で精錬した場所)です
    ↓
 町並み地区(美味しいパン屋さんあり)
    ↓
五百羅漢の羅漢寺



今回の「行ってきました、世界遺産「石見銀山」」を評価下さい。

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ディベート合戦、煙草は場外で -ワシントン-(異文化体験15 日米舌戦の旅2)

2011年08月21日 13時08分52秒 | 異文化体験_北米
(写真はクリックで拡大します)

ディベート合戦、煙草は場外で -ワシントン-  1993.8.27

 ディベート合戦の場 ワシントンDC

 ラガーデイア空港を午前8時半に飛び立ったデルタ航空のシャトル便は、1時間後にワシントン・ナショナル空港に着陸。アメリカ・ガス協会(AGA)の理事長は、ロビー活動も含めなかなかにやり手と聞いている。副理事長は私の交渉の相手で、気の良いおじさんである。AGAから今夕の食事の誘いも無かったし、こちらも気の進まない出張だけに夕刻には早々とワシントンからニューヨークに戻るつもりである。

     
(左)ワシントン・ユニオン駅(AGAの建物はこの近く)   (右)AGAのロゴマーク

 10時にAGAとのミーティングがスタート。デリケートな問題だけに通訳を用意して貰った。そもそも何故日本で縦断パイプライン(PL)の入札が始まろうとしているという情報がAGAにもたらされたのかが、はっきりしない。会員の一部からそのような情報が寄せられ、実態調査もせずに日本に圧力を加えようとするあたりが米国らしい行動である。

 そんな事実はないと説明すれども、相手はなかなは信用する気配も無く、日本の天然ガスパイプライン網の実態説明から始めることにした。今回は少しお硬い話で恐縮です。

 1)東京、大阪、名古屋周辺を中心に、ローカルなパイプライン網しか存在しておらず、縦断パイプライン網を整備するためには、経済性を確保するためにエネルギー業界が賛同し、共同PJとして整備、運用する必要性があり、必ずしも足並みが揃っていないこと。

 日本の国内パイプライン網(網には程遠い)

 2)米国のPLと違って日本のPL整備は、太平洋ベルト地帯の都市部を繋ぐだけに、保安コスト等も乗っかり工事費が少なくとも米国の数十倍以上はかかること、

 
         原野を伸びるロシアの天然ガスパイプライン敷設工事風景

 3)また過密地帯を通るだけに一日あたりの工事進捗がパイプを転がすだけの米国と違って数十分の一以下であること。

     
(左)ロシア~ヨーロッパへの天然ガスパイプライン網 (右)カナダ国内の天然ガスパイプライン網

 4)更にライト・オブ・ウエイ(敷設ラインに対し公益を優先させる権利)を有する米国に対し、日本には似たような概念として土地収用法があるが、発動された例が極めて少ないこと、等々時間を忘れての議論となる。

 日本より遥かに遅れて天然ガスを導入した韓国のパイプライン網

 JGAの専務理事は大学で弁論部出身とあって、日本語同士のディベートであればそれなりの迫力はあるが、何せここはワシントン。通訳を介してのディベートでは効果はいまいちか?

 昼食をはさんで、延々6時間半に及ぶ議論に、最初に降参!まいった!と言ったのは通訳!、朝から夕刻まで休むことなく続く議論に音をあげた。
 次にまいった!のは喫煙家の小生、全館禁煙とあって1時間ごとに小休止を提案すれども、あまりの議論の堂々巡りに一人席を抜けて建物の外で、その都度2服。

 16時半になって、相手方理事長も「分かった!動きが出れば米国も参画出来るよう配慮して欲しい」でやっとけり。


 シャトル便の元祖 シャトル・イースタンの初期広告

 17時半のシャトル便で、ワシントンからニューヨークにとんぼ返り。46番街の「AWOKI(青樹)」という日本レストランで「ああ、しんど!」と一応の所期の目的を達成した慰労会を催す。

 それにしても、米国人とは何といい加減な人種なのだろう。AGAだけがそうなのかなあ?


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日米決戦前夜 -ニューヨーク-(異文化体験15 日米舌戦の旅1)

2011年08月16日 23時23分23秒 | 異文化体験_北米
1993年7月から業界団体の国際関係の仕事を任され東京に単身赴任。
任期は3年間。霞ヶ関のお膝元「虎ノ門」のオフィスに、おばあちゃんの原宿「巣鴨」のマンションから通う。3年間で十数度の海外出張、国会対策、国内での国際会議対応と結構忙しくもあり、また楽しくもあり。
その第1回目は、アメリカ合衆国への旅。

(写真はクリックで拡大します)


日米決戦前夜 -ニューヨーク-  1993.8.25~28

 7月から業界団体の国際部長として出向し、東京に単身赴任の身となった小生。初の海外出張先はアメリカガス協会(AGA)である。
我が業界が打ち上げた日本縦断パイプライン構想が、何を間違ったのかAGAでは既に入札が始まるという情報になっている。貿易摩擦解消のテーマとして米国から日本の通産省に国レベルの外圧になりかけている。実態はまだまだ構想レベルの話なのだが、これを米国側に正しく認識させるのが今回の出張の目的である。

 海外留学経験も無い小生が何故、国際部長なのか自ら疑問に思うところであるが、どうも海外出張回数が多かったという、ただそれだけの理由らしい。7月から英会話の個人レッスンの猛特訓を始めるが、この出張には間に合うはずもなし。極めてデリケートな話だけに、専門通訳を用意していざ、米国へ。

  
      (左)ホテル外観                 (中)ルームキイ                 (右)ロビー

 JL006便は予定通り11時半にJFK国際空港に到着。The Waldorf-Astoria Hotelにチェックイン後、同行のG氏が早速日本で入手困難なゴルフクラブを物色に。小生もこれに同行する。S-YARDのドライバーがお目当てのようで、結局番手違いを2本ゲットしたG氏、でも価格はさほど日本と変わらなかったようだ。


         
(左)「SULKA」(スルカ)のカード       (右)ゴールド系のお気に入りネクタイ

 N.Y.で今流行のネクタイ屋があるというので、そちらに出向く。「SULKA」(スルカ)というブランドの店。フランスの有名なネクタイブランドで、しっかりした作りで独特の色合いのものが置いてある。渋いゴールド系のものと他1本を購入。

         
(左)53番街イタリアンレストラン「イル・ニド」       (右)マジェスティック劇場

         
(左)オペラ座の怪人 解説             (右)一番初期のオペラ座の怪人Tシャツ

 夕食は53番街のイタリアレストラン「IL NIDO」。その後は楽しみにしているMajestic Theatreでのブロードウエイ・ミュージカル「The PHANTOM of the OPERA(オペラ座の怪人)」を観劇。Marcus Lovett演ずる怪人とMary D’arcy演ずるChristineの舞台を一杯に使った迫力ある演技に感激。日本未上陸のT-シャツをお土産に買って帰る。

 
 世界貿易センタービル屋上展望台への入場チケット

 
    世界貿易センタービル屋上からの(左)マンハッタンの眺め (右)自由の女神
 
 翌日は、パークアヴェニューの我が業界T社の現地事務所で翌日のAGA対策打ち合わせ会議。会議終了後、絶好の天気なので世界貿易センタービルの最上階に上がってみる。マンハッタンの摩天楼や自由の女神が圧倒的存在感で眼前に迫る。

         
(左)WF独特の開放感あるPIER17     (右)PIER17のショップで買った蝶の置物

 PIER17にも足を伸ばし、ウォーターフロント独特の水辺の開放空間を楽しむ。きれいな蝶のはく製を加工し、光をあてるときらきら輝く飾り物があったのでお土産にゲット。今日の夕食は、旧PANAMビル56階のスカイクラブ。明日の決戦を前に秘策を話し合いつつ、早めに床に着く。


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ハワイアン・ウェディング -マウイ島-(異文化体験13 ハッピー・ウェディングの旅2)

2011年08月06日 15時10分54秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
ハワイアン・ウェディング -マウイ島-  1991.6.15-6.16

 
(左)ハワイ諸島間の航路 オアフ-マウイ間は35分     (右)エア・チケット

 オアフ島からマウイ島へはアロハ・エアラインの35分の空の旅。
 マウイとは、ハワイの神話にでてくる半神半人の若者のことで、「マウイ・ノ・カ・オイ(マウイは最高)」というハワイ語で呼ばれるほど、美しく魅力的な島だそうな。


     
               マウイでの宿舎ラハイアナ・ショア・ホテル

 マウイでのホテルは、ラハイナ・ショアホテル。ホテルで身支度を整え、向かった先はラフィオカラニ教会という海辺に建つ可愛い教会。主人公たちは当然ずっと先に現地入りし、諸準備をしてこの日を迎えている。教会での結婚式は日本もここハワイでも手順はさして変わらないが、神父さんがハワイに伝わる恋物語を現地語を交えて紹介し、ギターをバックにハワイアンソングが効果を盛り上げたりと、ハワイアン・ウェディングの雰囲気を大いに実感させてくれる。

    
                       (左・右)海辺に建つラフィオカラニ教会      

 式の後は教会前の芝生の広場でシャンパンを片手に記念撮影へと続く。目の前に紺碧の海が広がり、少し暑いのを除くと最高の雰囲気である。


       
(左)午餐会会場の「ザ・ウェスティン・マウイ」  (右)ホテル内の庭園がとても綺麗!!

 夕刻、場所をカアナパリビーチの「ザ・ウェスティン・マウイ」に移して、両家の会食が始まる。庭がとても綺麗なホテルで、会食会場はその庭に面したトロピカ (tropica)というビーチウォークと海が見渡せる半オープンエアのレストラン。庭の水辺のフラミンゴや空を染める夕陽を楽しみながらの会食となった。

 フラミンゴと夕日が楽しめるレストラン「トロピカ」

 夕陽が沈むとローソクの灯りの中での会食となり、ピアノの演奏も始まる。しばらくして演者の女性の所に行って「日本の新婚さんのために何か弾いてくれる?」と少しチップを渡すと、しばらくして「さくら、さくら」が始まった。


 
 (左)夜のラハイナの街       (右)ラハイナ周辺海域はホウェール・ウォッチングが楽しめる

 部屋から見えるラハイナ周辺の海域は、毎年11月~4月の間、ザトウクジラ(Humpback Whale)が暖かい環境を求めやって来て繁殖活動を行うらしくホウェール・ウォッチングのツアーが盛んなようだ。

  かつての捕鯨基地の海辺のランドマーク的レストラン

 翌朝、オアフ島に戻るフライトまでの時間、ラハイナの街を散策する。ラハイナはカメハメハ王朝時代のハワイの首都で、その後捕鯨産業で栄えたノスタルジックな町である。

 
(左)2年前に開業した「チーズバーガーレストラン」   (右)さすがにデカイ!

 フロント通りという海岸沿いの道を30分ほど歩くとランドマークになりそうなレストランがあった。その名も「チーズバーガーレストラン」。2年前の開業で雰囲気の良いレストランである。特大のチーズバーガーをマウイの思い出に頬張って、再びオアフ島に戻る。

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