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旅行記、世相独言

四国・足摺岬‐四万十川‐四国カルストを巡る旅

2019年11月27日 16時13分43秒 | JALどこかへマイル
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四国・足摺岬‐四万十川‐四国カルストを巡る旅(その3)

(JALどこかへマイル第3弾)
 
                        
2019年11月14日(木)~16日(土)


 有効期限が迫ったJALマイルの活用策として、昨年同様(新潟空港拠点山形の旅、札幌空港拠点洞爺・支笏湖の旅)「JALどこかへマイル」で松山空港が指定された。
幸い足摺・四万十方面は行ったことのない地域ゆえに、2泊3日で四国西部方面を旅することにした。以下を3回にわたり掲載します。
【11月14日(木)】松山空港からひたすら足摺岬へ、お風呂でいろいろ!
【11月15日(金)】足摺岬‐四万十川・沈下橋‐滑床渓谷‐鹿野川温泉 ひやひや運転!
【11月16日(土)】四国カルスト‐道後温泉  地獄と天国の一日


         今回のドライブルート

【11月16日(土)】四国カルスト‐道後温泉  地獄と天国の一日

 鹿野川湖の水面を水蒸気が漂う冷え込み。今日も快晴の一日が期待できる。四国カルスト周辺には給油施設が少ないと言う情報を得て、宿のすぐ近くの施設で満タンに。
 四国カルストへのアクセス情報は見聞できるものが少ない。南からのアプローチとなると197号で梼原(ゆすはら)へ、そこから440号で、と宿の案内。梼原の道の駅で再度確認すると440号は少し道が狭いので、197号をもう少し行ってトンネル先の高野からがいいかも、との案内。しかし、今いる440号もそれほど狭い道ではないのでナビも示す440号を選択した。しかし、これがまたまた大間違いの地獄の始まりであった。

  
鹿野川湖面を流れる水蒸気         四国カルスト広域地図        四国カルストアクセス詳細図

 440号は新道・旧道があり新道はカルストの下を抜ける地芳(じよし)トンネルとなっており、カルストに行くには旧道を通って地芳峠に出なければならない。440号を走ってトンネル手前まで来るとナビが左手前の車1台やっと通れる道を行けと言う(四国カルストアクセス地図の✖印)。まさかこんな状態が永遠に続くとは思わず、とりあえず行ってみようと左折したが、引き返すことが出来るところもなく、対向車が来れば?という恐怖でそこからの30分程は地獄。何とか地芳峠に到着して一安心。今度は是非〇で囲った高野から行って下さい。

 カルストほぼ中央の姫鶴平(めづるだいら) 前の山荘はすでに閉鎖。 

 愛媛・高知の県境に位置し、標高1400m、東西25㎞のゆるやかな高原の尾根が続く四国カルスト。羊の群れと見間違うような白い露出石灰岩のカレンフェルト、浸食作用で出来た窪地のドリーネ等々、広大なカルスト地形が今までの苦労を一掃させてくれる。
カルスト公園線(383号)は、カルスト地形の四国の屋根を爽快な気分でドライブさせてくれる素晴らしい天国の道。地芳峠から東の端の天狗荘までドライブし、営業中の天狗荘でトイレ休憩と支配人から松山方面への帰路情報を得る。天狗荘には詳しいアクセス資料やカルスト関連資料が置いてあり、下界で入手できればもっと楽にカルスト観光が出来るのにと感じた次第。なお、カルストほぼ中央に位置する姫鶴荘(めづる)は、この時期既に閉館しており、トイレ休憩できるのは天狗荘のみ。地芳峠に戻り再び440号旧道で松山方面に下る。登りと違ってこちらはやや道が広く対向車も多かった。やっと地芳トンネルの先で新道と合流して、後は33号で一路松山に。

          
                    姫鶴平から見る四国カルストの景色

          
                    四国の屋根と言われる景色

  
カルスト内の立ち入りは制限されている 壮大な景色を見ながらのドライブ     まるで羊が群れているような石灰石群

  
 カルスト東方に位置する天狗荘    愛媛と高知の県境をまたぐ天狗荘の建物 天狗荘で入手できる様々な情報パンフ

 途中、久万高原町の道の駅「天空の郷さんさん」で何やらイベントが。おりしも「道後湯けむり遍路道ツーデーウォーク」の初日で、ここが途中のチェックポイントになっていて、大変な賑わい。我々もここでSansanパン工房の美味しい総菜パンで昼食休憩。

 久万高原町道の駅「天空の郷さんさん」

 道後温泉本館は、本年1月から保存修理工事中で神の湯のみ入浴可能。2期7年間の工事に入っている。2年前に新たに別館「飛鳥の湯泉」が完成し、本館と同じスタイルの営業をしている。2階大広間コースは1階浴室入浴と2階大広間休憩(貸浴衣と茶・茶菓子)で1280円。本館(神湯)、別館(新湯)、椿の湯(親湯)ともに無加温・無加水で10本の源泉を混ぜ合わせ、やや熱め(46℃)の源泉かけ流しとなっている。7年後は、本館、別館とも同じスタイルのサービス提供となると競合するのでは?と余計な心配。別館には本館と異なるアミューズメント機能が欲しい気がした。

      
      二期七年のREBORNプロジェクトが始まった道後温泉「本館」

  
   別館「飛鳥乃湯泉」       入口の待合           2階大広間(人がいない時を狙っての撮影)

      
2階大広間からの景色(左手が椿の湯)       賑わいが絶えぬ温泉駅舎と坊ちゃん列車

 全ての日程を終え、19時25分のJAL2310便で伊丹空港へ。マイカーに乗り換えて無事午後10時頃帰宅した。晴天に恵まれた2泊3日のJALどこかへマイルの旅であった。



四国・足摺岬‐四万十川‐四国カルストを巡る旅

2019年11月26日 23時58分49秒 | JALどこかへマイル
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四国・足摺岬‐四万十川‐四国カルストを巡る旅(その2)

(JALどこかへマイル第3弾)
 
                        
2019年11月14日(木)~16日(土)


 有効期限が迫ったJALマイルの活用策として、昨年同様(新潟空港拠点山形の旅、札幌空港拠点洞爺・支笏湖の旅)「JALどこかへマイル」で松山空港が指定された。
幸い足摺・四万十方面は行ったことのない地域ゆえに、2泊3日で四国西部方面を旅することにした。以下を3回にわたり掲載します。
【11月14日(木)】松山空港からひたすら足摺岬へ、お風呂でいろいろ!
【11月15日(金)】足摺岬‐四万十川・沈下橋‐滑床渓谷‐鹿野川温泉 ひやひや運転!
【11月16日(土)】四国カルスト‐道後温泉  地獄と天国の一日


         ドライブルート

【11月15日(金)】足摺岬‐四万十川・沈下橋‐滑床渓谷‐鹿野川温泉 ひやひや運転!

 昨日の風もおさまり、澄み切った秋空が広がる。四国最南端の足摺岬周辺は遊歩道が整備されている。ジョン万次郎銅像が太平洋を睨む観光案内所前の無料駐車場に車を停めて、まず展望台へ。真っ白な足摺岬灯台が真っ青な空と紺碧の海に映える雄大な景色が目に飛び込んでくる。灯台下の岩礁に砕ける波も今日は穏やかである。次に椿のトンネルを潜りながら天狗の鼻から灯台を遠望する。

      
  足摺岬観光地図               観光協会前のジョン万次郎銅像

      
  展望台から見た足摺岬灯台          天狗の鼻から見た灯台

 再び展望台に戻り写真撮影、まだ時間があるので「足摺の七不思議」と観光マップが案内する灯台を一周するコースを巡る。更に400m先に「白山洞門」という天然記念物があるという案内板を見て、頑張って行ってみようとアップダウンのあるロマンス歩道を進むと、白山洞門に下りる階段の所に通行禁止の縄張り、道が崩れて行けないようだ。仕方がないので上の道路に戻ると、ここにも白山洞門への進路案内があるものの通行禁止の案内はない。観光案内所が目の前にありながらのこの為体。しっかり仕事をしろ!と言いたくなる。第38番札所「金剛福寺」にお参りをして足摺岬を後にする。

  
足摺七不思議「地獄の穴」        同「大師の爪書石」          同「亀呼場」

  
足摺七不思議「亀石」         道路脇の亜熱帯植物園          第38番札所金剛福寺

 次なる観光地は、四万十川と沈下橋。日本最後の清流と言われる四万十川。不入山を源流に196㎞流れて中村で太平洋にそそぐ四国最長の大河である。その川には本流最上部に高樋の沈下橋、最下流には「今成橋(通称:佐田沈下橋)」等、47の沈下橋がかかっている。
 最下流の佐田沈下橋を見るには中村から441号線沿いにしばらく走ると、沈下橋への脇道案内が出ている。大きな駐車場もあり、駐車場から300mほど歩くと沈下橋に着く。また橋近くには新しいトイレも整備されている。最下流とあって川幅は広く、橋も全長291.6m、幅員4.2mと長大である。生活道路でもあるので、数台の車の往来があった。

  
四万十川の48の沈下橋    最も大きい佐田沈下橋       傍にかつての沈下橋の残骸

 
 今成橋(通称:佐田沈下橋)        上流側パノラマ写真

 見物の後、元(441号)に戻るか、このまま川沿い(340号)に進むか迷ったが、道路幅も広そうなので340号を進んだが、これが大間違い! 道路幅はどんどん狭くなり、車1台やっと通れるほどの道が延々と。先で441号に合流するのでそれまでの辛抱と女房と私の四つの目で前方を確認しながらの走行。やっとこさ441号に合流して安心!と思いきや、441号も狭い道の連続。川にいくつかの沈下橋を見ながらも、それを楽しむ余裕もなく安全運転を強いられた。

 想定以上の時間を取ってしまい、滑床渓谷に着いたのは午後2時半。昨年7月豪雨でアクセス道路が崩落し、その影響もあって森の国ホテルも営業停止し民間事業者に譲渡されたようだ。松野町のふるさと創生課に問い合わせると10月1日から通行可能とのことで、立ち寄った次第。滑床という名前の由来は、ほぼ全域が花崗岩から成り立っているため、長年の浸食によって岩肌が滑らかになっていることによる全長12㎞に及ぶ渓谷だ。
 万年橋の万年荘で散策マップを貰って、その奥行きの深さを初めて知って、時間の関係で片道約10分の出合滑(であいなめ)まで行くことに。周囲は鬱蒼とした森で、この時間でも薄暗く、出会う人も少ない。出合滑は大きな平らな一枚岩の上をまさになめる様に清流が流れている。片道40分ほど歩けば全長300mの五層の滝・雪輪の滝があるという。

  
滑床渓谷散策マップ     万年橋付近の紅葉           三筋の滝

      
    出合滑                  出合滑のスケール感

 再び元来た道を引き返し、本日の宿のある鹿野川湖畔の鹿野川荘に向かう。この宿は明日の四国カルストへの拠点・かつ温泉のある宿として選定した次第。大洲市交流促進センターという別名通り、公共の宿というより、地域の交流センター的な施設で、部屋数は少なく宴会場と温泉がメインの宿であった。観光地の宿と比べることは出来ないが、同レベルの料金となると昨夜の足摺テルメとの落差は大きい。

  
鹿野川湖畔の鹿野川荘パンフ       夕食お品書き(松会席)          早朝の湖面の水蒸気 




四国・足摺岬‐四万十川‐四国カルストを巡る旅

2019年11月25日 14時43分47秒 | JALどこかへマイル
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四国・足摺岬‐四万十川‐四国カルストを巡る旅(その1)

(JALどこかへマイル第3弾)
 
2011年11月14日(木)~16日(土)


 有効期限が迫ったJALマイルの活用策として、昨年同様(新潟空港拠点山形の旅、札幌空港拠点洞爺・支笏湖の旅)「JALどこかへマイル」で松山空港が指定された。
幸い足摺・四万十方面は行ったことのない地域ゆえに、2泊3日で四国西部方面を旅することにした。以下の3回に渡って紹介します。
【11月14日(木)】松山空港からひたすら足摺岬へ、お風呂でいろいろ!
【11月15日(金)】足摺岬‐四万十川・沈下橋‐滑床渓谷‐鹿野川温泉 ひやひや運転!
【11月16日(土)】四国カルスト‐道後温泉  地獄と天国の一日

                 今回のドライブルート

【11月14日(木)】松山空港からひたすら足摺岬へ、お風呂でいろいろ!

 風が強いが雲一つない日本晴れ。午前7時5分伊丹空港発、午前8時松山着のJAL2301便は時間通りの運航。オリックスレンタカーで女房と二人の時はいつもHONDAのFITを借りてのドライブ。
 午前8時半過ぎ、松山を後に伊予から松山自動車道を南下する。途中休憩しながら宿毛の柏島近くに到着したのがお昼前。この日は北海道では今冬初の第1級寒波到来でこちらも天気はいいのだが風が強く、海の奇麗さで有名な柏島訪問を断念。道の駅大月の「まあるいお月さま」というレストランで昼食。日替わりランチは、鰹のたたき、酢鶏をメインの780円は安い!

  
 海が奇麗な柏島(参考写真)      道の駅大月の「まあるいお月さま」     日替わりランチ780円 

 足摺サニーロード(321号線)の快適なドライブで、最初の観光地「竜串・見残し奇岩パーク」に到着。
 竜串一帯の奇岩は、2000~1500万年前の砂岩と泥岩の層が交互になって、その層が波食、風食を受け形成されたものだそうだ。中でも一直線上に、丸みを帯びた節理が見られる大竹・小竹は竜串を象徴する代表的なもの。見残し海岸の奇岩は観光船で見ることになるが、1時間ほどかかるので、パス。夏季は大勢の観光客で賑わうのだろうが、この季節人影もまだらでお店もほとんど閉まっている。

       
   竜串の観光案内図               白浜の千畳敷等とも異なる海岸

        
   丸みを帯びた節理が見られる          遠くに見えるのは足摺海底館

 再び足摺サニーロードから348号線椿の道に入って足摺岬を目指す。途中、「唐人駄馬」という観光スポットが山中にあるので少し寄り道をする。しかし、案内の立札等もなく、行き過ぎてしまったのか車1台やっと通れる林の中に。適当な所でUターンし、引き返すと右手に小さな立て札を発見。観光スポットなら駐車場も含めもう少し見易い表示をお願いしたいものだ。高知を代表するパワースポットだそうだ。巨石群、石器・土器が出土した駄馬(平地)、ストーンサークルらしき列石群等々、時間をかけて見る所のようだが、案内板も少ないので早々にホテルに向かう。

  
  唐人駄馬遺跡の解説         巨石群(参考写真です)         唐人駄馬の広場

 足摺テルメは元国民宿舎。現在民間経営となり、国民宿舎の臭いは全くしないおしゃれなホテル。明日も快晴で風もおさまるという予報に、岬見物は明日朝として今日はゆっくり疲れを取ることに。ラドンを含む温泉、すばらしい黒潮会席、部屋から見る太平洋への落日、ライブラリーでのフリードリンクとマッサージ等々、快適な宿舎である。

        
    足摺テルメのパンフレット           部屋から見る太平洋への落日

        
   夕食「黒潮会席」のお品書き           これから会席料理のスタート 

        
ライブラリーのフリードリンク(3種のワインやコーヒー)  ホテルの入口(最上階が入口)

 唯一、残念なことは男湯から太平洋からのご来光がプールの建物が遮って見れなかったこと。ただし、女湯からは雄大なご来光が見れたようで、女心を上手につかむお宿のようだ。
 お風呂と言えば、露天風呂で一緒に入浴した男性。北海道から来られたようで、実はお遍路さん。少し足を痛め38番札所金剛福寺に先達とは一日遅れてしまったようで、民宿からこの宿の温泉入浴券のお接待を受けて入浴しに来られ、これで明日は元気にお遍路を続けられると喜んでおられた。


伊勢神宮 斎王と斎宮

2019年11月04日 00時51分04秒 | 日本遺産
伊勢神宮 斎王と斎宮

                           
令和元年10月24-25日


 2019年11月に新天皇が即位のご報告に伊勢神宮に参られるのに先立ち、令和になって初の伊勢詣でに行ってきました。昨年2月にもお参りしましたが、伊勢神宮の近くに660年間続いた斎王の制度が色濃く残る街があることを知り、訪ねてきました。その街が日本遺産のまち「明和町」。

  
明和町の観光ガイドブック(しっかりとしたガイドブックです)     斎王のみやこMAP     

 斎王とは、天皇が即位すると未婚の内親王や女王から占いで選ばれて、宮中の初斎院や野宮で足掛け3年の潔斎生活の後、斎宮に旅立ちます。斎宮はこの伊勢神宮に仕える斎王(いつきのひめみこ)の宮殿と彼女に仕えた官人たちの役所である斎宮寮を指します。

  660年間 歴代の斎王

 日本書紀によると、垂任天皇の時代、皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神に奉じて伊勢の地に神宮を定めたと記されていますが、伝承的な記録が多く実態は定かでないようです。実在した最古の斎王は673年に就任し、泊瀬(はっせ)の斎宮を経て伊勢に入った天武天皇の娘「大来(おおく)皇女」で、斎王という言葉が初めて見られるのは奈良時代だそうです。

 
         斎王歴史博物館の案内書

 10世紀前半に編纂された「延喜式」(律令の施行規則)の中に「斎宮式」があり、斎宮に関する取り決めが書かれています。
 斎王の務めは、天皇に成り代わり伊勢神宮の祭りに参加することで、9月の神嘗祭と6月、12月の月次祭の3回(三節祭)伊勢神宮に詣でたようです。斎宮では当然季節ごとの年中行事が行われました。

 
        いつきのみや歴史体験館の案内書

 「斎宮式」によると、新天皇の即位に伴い斎王は先に述べた3年間の潔斎生活の後、伊勢神宮で9月15-17日に行われる「神嘗祭」に合わせ旅立ちます。多くは葛野川(現在の桂川)で禊を行ない平安宮の大極殿に入り、天皇と対面します。天皇は「都の方におもむきたもうな」と声をかけ、斎王の額髪(ぬかがみ)に櫛をさします。別れのお櫛と言われる厳粛な儀式です。

 群行路と帰京路

 斎王の一行は、都を離れ、近江の国勢多・甲賀・垂水、伊勢の国鈴鹿・一志の五か所の頓宮(仮設の宮)で泊まりを重ね、五泊六日の旅で伊勢に赴きます。この一行は数百人からなり「群行(ぐんこう)」と称されたようです。
 後嵯峨天皇即位の時の斎王は、実の娘で8歳の「良子内親王」。1038年の良子内親王の斎王としての群行は、同行貴族「藤原資房」の詳細な日記でその様子が明らかになっており、再現映像が博物館で見ることが出来ます。
 
 天皇が亡くなると群行路とは異なる帰京路で戻ることになるようで、幼い内親王にとって斎王は父との永遠の別れを意味する場合もあったようです。

 さいくう平安の杜の案内書

 この斎王の都「明和町」は、平成27年「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」として日本遺産認定されました。斎宮跡史跡は東西2km、南北700mの137haが指定され、昭和45年から本格的発掘調査が継続されています。

  
斎宮歴史博物館            館内展示の一例(写真はフラッシュなしでOK) 

  
いつきのみや歴史体験館       斎宮での当時の様々な生活体験をすることが出来ます(入場無料)

 
浅沓(あさぐつ)平安時代の男性の履物   斎宮跡歴史ロマン広場の全体模型

 現在史跡内には、斎宮歴史博物館、いつきのみや歴史体験館、斎宮跡歴史ロマン広場(10分の1史跡全体模型)、さいくう平安の杜等、立派な施設が整備され、伊勢神宮と天皇との関係や古代の斎王の生活等を知り、体感できる場所として、伊勢神宮参拝の折にはぜひ立ち寄りたいところです。