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旅行記、世相独言

和泉の国ジャズストリート 2011

2011年09月25日 23時40分17秒 | イベント
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和泉の国ジャズストリート 2011  2011.9.24-25

     
  今年の開催安内                   一つの会場の雰囲気

 市制50周年を記念して始まった和泉の国ジャズストリートも、今年で6回目を迎えた。
毎年参加グループも増え、今年は総勢82バンド、550人のミュージシャンが参加し、日頃の成果を披露した。

 24日は前夜祭が行われ、和泉シティプラザ弥生の風ホールで「桑名正博」のスペシャルライブと和泉中央駅会場で8グループがライブ演奏を行った。

 
(左)アカペラコーラス「Sei Dolce」の皆さん     (右)迫力ある演奏「I.C.U」の4人組


 25日は、12時からエコールイズミ・アムゼ広場で開会式が行われ、桃山学院大学のチアリーディング部「Funky Flappers」の演技と南池田中学校ブラスバンド部のマーチング演奏が華を添えた。

     
(左)桃山学院大学チアリーディング「FUNKY FLAPPERS」の演技   (右)「南池田中学」マーチング演奏

 13時から和泉中央駅周辺及び緑ヶ丘地区11会場で、さわやかな秋晴れの下、各ミュージシャンが日頃の成果を思う存分披露し、夕闇迫るまで和泉市の山の手地区には至る所から楽器を奏でる音や歌声、手拍子がこだましていた。
 ほんのその一部をですが、ご紹介しましょう。

 
(左)府立高校唯一のジャズバンド泉陽高校「Senyo Light」  (右)「ラズベリージャズバンド」

 
(左)ニューオーリンズサウンドを追求する「Free Flight Brass Band」   (右)「LOFT-A」の皆さん

 
(左)「Mod-Concept Jazz Orchestra」の皆さん    (右)「吉田美雅(ヴォーカル&ピアノ)トリオ」

 
(左)お馴染み「EARLY BIRD」の皆さん   (右)ヴォーカルの「臼井優子」さん 追っかけさんもちらほら。

 
(左)「FUNNY COMPANY JAZZ ORCHESTRA」の皆さん  (右)「サウスユニオン」の歌と演奏


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バリのジゴロと大和撫子 -バリ島-(異文化体験16 神々の島への旅3)

2011年09月17日 15時08分06秒 | 異文化体験_アジア
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バリのジゴロと大和撫子 -バリ島-  1993.9.27~10.2

 
             (左、右)グランド・ハイアットのプライベートビーチ 

 グランド・ハイアットのプライベートビーチは長さが1km位ある。色とりどりのビーチパラソルやビーチソファが自由に使える。適度な風にホテルの旗が靡き、凧が舞っている。凧売りがビーチで寝そべる客に声をかけてくる。遠浅の海は、潮が引くとかなり沖合いまで歩くことが出来、いろんな海の生物を観察出来る。

 
(左)潮が少し引き始めた状態 (右)潮が引ききった状態、かなり沖合いまで干潟の観察ができる。

 木陰のソファに寝そべってしばらくすると、頃合を見計らったようにビーチボーイが近づいて来る。「何かご注文はありませんか?」と片言の英語で聞いてくる。午後のビーチは人影もまばらで、ビーチボーイも暇を持て余している。こちらも暇なので話相手に丁度良い。年の頃は20代後半か。

      
   (左)ワンドリンクフリーチケット              (右)タオル等の貸出カード 

 以下はそのやり取りである。『』は私、「」はビーチボーイの会話である。

『結婚しているの?』
「独身だよ。」

『ビーチボーイの仕事で飯は食えるの?』
「飯は食えるが余裕はないよ。だから他にアルバイトをしている。」

『どんなアルバイトだい?』
「観光客の案内や相手をしている。」

「貴方は、車を持っていますか?」
『持っているよ。』
「どんな車?」
『トヨタの普通のセダンだ』
「いいなあ!俺も早く買いたいよ」

『観光客の案内や相手でお金になるの?』
「うん、日本の女の子は沢山お金持っているから」

『どんなことをするの?』
「こちらから声をかけて、バイクの後ろに乗せてあまり知られていない観光スポットに連れて行ったり、おいしいお店に連れて行って一緒に食事したり、飲んだり」

『バイクの後ろだと1人しか乗せられないよね?』
「結構、一人で遊びに来る女性がいるよ」

 ホテルの一般的な一室

『食事やディスコだけで終わらないだろう?』
「向こうもそれを求めているのじゃないかな。でも、日本の女性は最高だよ、色も白くて、優しくて。でも、ベッドの上では大胆だよ。この前なんか、2人で俺も友達呼んでバイク2台で。夜はくたくただったよ」

『それで、幾ら位になるの?』
「全部向こう持ちで、最後に大体1万円くらい小遣いくれるよ。あ~あ、マチコやケイコに早く会いたいよ。俺も日本に行きたいなあ!」

 まあ、ざっとこんな会話が交わされたが、最近このような日本女性が増えているという。

 
ホテル内のプール(左)とエントランスの裏側(右)、ガムランの調べが風に乗って聞こえてくる

 うだるような暑さで昼間ごろごろしているバリの男達、夜ベッドの上でしっかり奉仕することで大和撫子を翻弄し、大和撫子は滞在中のアバンチュール、後腐れのない擬似恋愛を楽しみ、帰国してしまうとバリのジゴロは次なる女性のナンパに走る、このような繰り返しは夜毎展開されていると言う。5~10人のパトロンを抱かえるジゴロもいるらしい。

 一人バリ島通いする大和撫子は、皆この類なのかなあ?



初顔見世の世界ガス連盟(IGU)理事会 -バリ-(異文化体験16 神々の島への旅2)

2011年09月11日 14時59分51秒 | 異文化体験_アジア
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初顔見世の世界ガス連盟(IGU)理事会 -バリ-  1993.9.27~10.02

 バリダンスの代表その1 レゴンダンス 

 夕刻から会議の受付が始まる。登録デスクに赴くと会議の資料一式が手渡される。
 歓迎レセプションは夕闇迫るホテルのプライベートビーチを借り切って行われる。
主催者はインドネシアガス協会、と言っても実態は国営のプルタミナという会社。日本からは理事として日本ガス協会(JGA)会長、副会長(今回は代理出席でシンガポール所長)、専門委員会の日本委員とJGA事務局代表の小生といったところが主な出席者。

 
(左)バリダンスの代表その2 ケチャダンス   (右)バリダンスの代表その3 バロンダンス

 右も左も分からない小生は、先輩諸氏に各国のVIPを紹介して貰う。特段の挨拶もなくレセプションが始まり、先輩諸氏と共にプルタミナの重役達と同じテーブルについて、バーベキュー料理を味わう。すっかり陽も落ちて松明のかがり灯が要所要所を照らし出している。食事のペースが落ち着いてきた頃、浜辺でレゴンの舞が始まり、バロンダンス、ケチャダンスと続く。ダンスも終わると三々五々参加者は漆黒の闇に消えて行った。

 
              ホテルの広大なプールで、様々に自由時間を過ごす

 バリの男性用バティックシャツ これがあればどこでもOK

 翌日いくつかの専門委員会が開催されるが、自分の担当会議以外の時は、それぞれ自由時間となる。小生の場合は、プライベートビーチやプールでビキニ姿の女性を目で追いながらの日光浴。韓国から来ているKGU事務局長も同様の身で、寝そべりながら情報交換を行う。昨夜先輩がバティックを1着買っておけばこの国ではどこでも正装で通るというので、日本から持参のバティック風シャツをやめて、ホテルの売店で購入。

 
 (左)ホテル内の庭園でのレセプション       (右)レセプションにバリダンスはつきもの

 
(左)ダンサーの体の動きと表情に魅入る        (右)記念撮影

夕刻のレセプションは、この日から参加の理事夫妻も加わって、一段と活気がある。ホテル内の屋外特設会場は舞台も据えられ、主催者や世界ガス連盟(IGU)会長、バリ県知事等の挨拶が続く。バーベキュー料理とバリの様々な優雅なダンスを十分に堪能させるレセプションで、隣のカナダ人に誘われてダンサーとの記念写真も。


 翌日は理事会の日。30数カ国の代表が集まり、IGUの運営、例えば南米や中東諸国の加盟問題、会費未納国への対応、天然ガス諸問題等を議論する。インドネシアのナショナルレポートも国内ガス田と各島を結ぶPL網構想をぶち上げる等、開発途上国の天然ガス需要が将来相当増加する気配がうかがえる。

 クタビーチは夕陽の美しさでも知られている

      
   (左)会議主催国のVIP席            (右)インドネシアのジャズシンガー

 フェアウェルパーティは、場所を変えてクタ・ビーチにあるプルタミナ・コテージでネクタイ着用(正装)で開かれた。JGA会長は会議後帰国のため、プルタミナ最大の顧客である日本のO社、その社員である小生と現地所長が総裁席に案内される。隣国マレーシア代表のペトロナスの副社長氏始め、VIPの顔が並んでいる。
 今日は西洋式料理が提供され、舞台も伝統的なダンスと違って、庶民の田舎のダンスがメイン。一体どれ位のダンスがあるのかと言うほど多種多様である。インドネシアの有名な女性歌手が登場してジャズが始まるとマレーシア代表委員が小生に歌手にテーブルのバラの花を持って行けと盛んに勧める。ここは一つ乗ってやるかとバラを手に舞台に近づき、美人歌手に差し出し投げキッス。会場はやんやの喝采で盛り上がる。

 翌日、シンガポール経由で帰国する飛行機に小柄なマレーシア代表委員も一緒。早朝からゴルフを1ラウンドしての帰りとか。煙草を咥えるとお付がすぐさま火を差し出す程の隣の資源国マレーシアのVIPであった。



神々と芸能の島 -バリ-(異文化体験16 神々の島への旅1)

2011年09月04日 18時29分56秒 | 異文化体験_アジア
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神々と芸能の島 -バリ-  1993.9.27-10.02

 バリ島ヌサドゥア地区でも最高級の「グランド・ハイアット」

 成田を午前10時に飛び立って、香港経由インドネシア・バリ島デンパサールに降り立ったのは夜の8時過ぎ。熱帯特有のムッとする熱気が押寄せる。
 手配していた迎えの車が私を探している。ホテルはNUSA DUA地区でも最高級の「グランド・ハイアット」。
 ガムランの響きに迎えられチェック・インしたが、兎に角広い。部屋まで若いジャワ娘のガイドで薄暗い所々ライトアップされた庭園を歩くこと5分、広い広い部屋に到着。
 インドネシアのガス協会から明日の歓迎レセプションの案内と果物の差し入れが届いている。今回の目的はIGU(世界ガス連盟)の理事会出席であり、国際部長としての初お目見えでもある。

 翌朝、昨夜の迎車が観光案内に連れて行ってくれる。特段の希望もないので、一般の観光コースを廻ってもらう。

 ウブドの芸術村で買った$120の細密画

 デンパサールから芸術の村ウブドへ。1930年代西欧の芸術家がバリを訪れこの地に住み着いたことからバリ絵画が生れた。そして森羅万象を描き込む細密画ウブド・スタイルの絵が確立されたという。
 あるギャラリーに案内されたが、どの地でも旅行業者と観光地は共存ルールがある。一人で行ったのが悪かったが、どうも買わないと店外へ出れそうにない。$200という細密画を$120まで値切って次なる観光地へ。(その後、値を調べると$120は妥当な値と分かって一安心)


 ゴア・ガジャ(象の洞窟)

 ウブド近郊にゴア・ガジャという11世紀頃の古代遺跡がある。「象の洞窟」という意味だが、洞窟内は僧の修行の場と言われている。6人の女神が彫られた沐浴場は、40年程前に埋もれていたのを発見され、右が男、左が女性用だそうだ。


 
(左)タンパクシリンの聖なる泉の湧く寺    (右)澄み切った聖なる泉(忍野八海のようなもの)

 次に訪れたのはタンパクシリンにあるティルタ・エンブルという聖なる泉の湧く寺。綺麗な豊かな地下水脈があるようで、池には地下水が噴出し小石や砂が舞い陽にきらきら輝いて踊っているように見える。聖地に入るのに黄色い紐を腰に巻いた(スレンダンという)が、どんな意味があるのか?


 
(左)バリのRice Table(棚田)は有名   (右)毎日どこかでお祭りがあるバリ、お供え物

 キンタマーニのバトゥール山と外輪山の雄大な展望

 ここからは一路キンタマーニ村のあるバリ最高峰バトウール山に向かう。バリ特有の棚田、毎日どこかでやっているという村々の祭りを車窓に、バトウール湖が見えると一気に視界が開け、1717mの巨大なクレータを持つバトゥール山を始めとする外輪山の一大パノラマが展開する。1917、1926年とたて続きに大爆発を起こした活火山である。


 木彫りの村で購入した黒檀の神様と鹿の彫物

 帰りは、バリのバティックで有名なテキスタイル工房に寄り、マスという木彫りで有名な村にも立ち寄る。見ていると欲しくなるのが人情。丁度玄関の飾り物に手頃な黒檀の神様と鹿の彫り物があったので購入。送るのかと言うので、持って帰るというと丁寧に梱包してくれる。でも、たいそうな荷物になってしまった。


      
(左)ホテル・エントランスではガムランの音楽で迎えられる    (右)ホテルのレターセット

 ホテルに戻ると、エントランスではゴングが鳴らされ、開放的なロビー周辺では絶えずガムランが奏でられ、異空間に迷い込んだ気分にさせる。広大な敷地に6つのプール、4つに分かれたコテージ(全750室)、熱帯庭園、プライベートビーチが配せられ、広々した部屋で一人シャワーを浴びるのも切ないものである。

 さあ、いよいよ歓迎レセプションだ!