写真はクリックで拡大します
ピーテル あちこち 2015.07.09
エルミタージュ美術館におよそ5時間ほどの滞在の後、向かったのは「血の上の救世主教会」。公式名:ハリストス復活大聖堂。
(左・中・右)グリボエードフ運河沿いに建ち、色とりどりの玉葱坊主を持つ「血の上の救世主教会」
モスクワ赤の広場の「ワシリー寺院」(ポクロフスキー聖堂)とよく似ているので混同されるようだが、ワシリー寺院は古く16世紀半ばの建設。血の上の救世主教会は、農奴解放令を出し解放者と言われたアレクサンドル2世が1881年テロリストの爆弾に倒れ、その息子アレクサンドル3世がその現場のグリボエードフ運河沿いの道路上に建設したのがこの教会。従ってワシリー寺院より先進の建築技術が駆使され、明るく広い内部空間となっている。
(左)総面積7000㎡と言われるモザイク壁画の内部 (中)天井にもびっしり (右)中央クーポラの「全能者ハリストス」
(左)中央の主祭壇 (中)右側祭壇 (右)ネーステロフの原画による復活したキリストのモザイク画
(左)保存されているアレクサンドル2世の暗殺現場 (右)皇帝、女帝姿のモデルたちがあちこちにいます
玉葱坊主の石と煉瓦の色とりどりの外壁もさることながら、内部に入って圧倒されるのが総面積7000㎡と言われる全ての壁や柱を覆い尽くすモザイク壁画。とても幻想的な雰囲気を醸し出している。主祭壇の右側にネーステロフの原画による復活したキリストのモザイク画がある。また、中央クーポラ丸天井には「全能者ハリストス」と大天使が見下ろしている。
大混雑の教会内、見事なモザイク壁画を見上げているうちに大事なものが無くなる名所でもあるとか。しっかり用心して観賞するべし。
(左)芸術広場前のお土産屋「ONEGIN」 (中)我が家の昔買ったマトリョーシカ (右)今は店頭に多種多様な人気者マトリョーシカ
次に向かったのは芸術広場近くのONEGINというお土産屋さん。ロシア土産と言えばマトリョーシカ、最近はプーチンや有名サッカー選手のものもある。皆さんがお買い物中、土産物屋の前の「芸術広場」を散策する。ここには「プーシキンの銅像」が立ち、その奥に「ロシア美術館」(ミハイロフ宮殿を使用)がある。この美術館には是非見たかったレーピン作の「ヴォルガの船曳き」があるのだが、残念ながら入口までで観賞する時間はない。
(左・右)ロシアで一番人気、芸術広場のプーシキン像(後方の建物がロシア美術館)
(左)ミハイロフ宮殿を利用した「ロシア美術館」 (右)見たかったレーピンの「ヴォルガの船曳き」
次に向かったのは、宮殿橋の北詰「ストリェールカ」と呼ばれる場所。ここは広大なネヴァ川の左サイドに「ペトロパブロスフク要塞と122mの鐘楼が一際目立つその聖堂」、右サイドに「4つの建物がつながるエルミタージュ」を望む絶好のビューポイント。
ここにはまた「ロストラの燈台柱」がある。船首を意味するロストラ、戦勝記念に敵の船首を切り落とし柱の飾りにしたという古代ローマの習慣だそうな。ここの柱には、4つの彫像がありロシアを代表する4つの大河(ネヴァ、ヴォルガ、ドニエプル、ヴォルホフ)を表している。
(左)ストリェールカから見るネヴァ川と両岸 (中)左岸の「ペトロパブロスフク要塞」 (右)右岸のエルミタージュ美術館
⇔ 「ロストラの燈台柱」 4つの彫像はロシアの4大河川
最後に向かったのが、海軍省河岸通りから「青銅の騎士像」を左に見て「デカブリスト広場」の先の「イサク聖堂」。青年貴族たちが起こした反乱、デカブリストの乱に由来する広場には、ピヨートル大帝の後継者たるエカテリーナ2世が立てた大帝の有名な銅像「青銅の騎士像」がある。台座には「エカテリーナ2世からピヨートル大帝へ」と彫文されている。一方、イサク聖堂はロシアのシンボル的な大聖堂。写真撮影だけの小停車で見学は出来なかったが、この巨大聖堂建設に数万本の杭が打ち込まれ土台工事に5年を要したようだ。このイサク聖堂の前には、「ニコライ1世の馬上像」がある。
(左)「デカブリスト広場」と青銅の騎士像 (中)イサク聖堂とニコライ1世の馬上像 (右)ロシアのシンボル的大聖堂「イサク聖堂」
どうしても青銅の騎士像の写真を撮りたい私は、写真小停車の間に500m離れた像まで駆け足。往復1kmを走って息せき切ってバスに戻ると、添乗員のS嬢が行方不明の私を探し回っている。少し、皆さんを待たせたようだ。というのも、この後は夕食レストランへ行く予定。美術館では軽食の昼食しか取れなかったので、皆さんお腹を空かせている様子。待たせて御免なさい!である。
(左・中)台座に「エカテリーナ2世からピヨートル大帝へ」と彫文されている「青銅の騎士像」 (右)夕陽の要塞を背景に記念写真?
今日の夕食、メインはサンクトペテルブルグのストロガノフ家の家庭料理、ビーフ・ストロガノフ。肉ときのこをホワイトソースでじっくり煮込んだ料理、マッシュポテトと共にいただいたが、お腹が空いていたので量がもうちょっと欲しいねとテーブルを同じくする者同士囁きあう。
(左)前菜と思われるピクルス類 (右)肉ときのこをホワイトソースでじっくり煮込んだビーフ・ストロガノフ
明日は、郊外のエカテリーナ宮殿の大黒屋光太夫謁見の間、またペテルゴーフ(夏の宮殿)のポンプを使わない噴水芸術が待っている。
ピーテル あちこち 2015.07.09
エルミタージュ美術館におよそ5時間ほどの滞在の後、向かったのは「血の上の救世主教会」。公式名:ハリストス復活大聖堂。
(左・中・右)グリボエードフ運河沿いに建ち、色とりどりの玉葱坊主を持つ「血の上の救世主教会」
モスクワ赤の広場の「ワシリー寺院」(ポクロフスキー聖堂)とよく似ているので混同されるようだが、ワシリー寺院は古く16世紀半ばの建設。血の上の救世主教会は、農奴解放令を出し解放者と言われたアレクサンドル2世が1881年テロリストの爆弾に倒れ、その息子アレクサンドル3世がその現場のグリボエードフ運河沿いの道路上に建設したのがこの教会。従ってワシリー寺院より先進の建築技術が駆使され、明るく広い内部空間となっている。
(左)総面積7000㎡と言われるモザイク壁画の内部 (中)天井にもびっしり (右)中央クーポラの「全能者ハリストス」
(左)中央の主祭壇 (中)右側祭壇 (右)ネーステロフの原画による復活したキリストのモザイク画
(左)保存されているアレクサンドル2世の暗殺現場 (右)皇帝、女帝姿のモデルたちがあちこちにいます
玉葱坊主の石と煉瓦の色とりどりの外壁もさることながら、内部に入って圧倒されるのが総面積7000㎡と言われる全ての壁や柱を覆い尽くすモザイク壁画。とても幻想的な雰囲気を醸し出している。主祭壇の右側にネーステロフの原画による復活したキリストのモザイク画がある。また、中央クーポラ丸天井には「全能者ハリストス」と大天使が見下ろしている。
大混雑の教会内、見事なモザイク壁画を見上げているうちに大事なものが無くなる名所でもあるとか。しっかり用心して観賞するべし。
(左)芸術広場前のお土産屋「ONEGIN」 (中)我が家の昔買ったマトリョーシカ (右)今は店頭に多種多様な人気者マトリョーシカ
次に向かったのは芸術広場近くのONEGINというお土産屋さん。ロシア土産と言えばマトリョーシカ、最近はプーチンや有名サッカー選手のものもある。皆さんがお買い物中、土産物屋の前の「芸術広場」を散策する。ここには「プーシキンの銅像」が立ち、その奥に「ロシア美術館」(ミハイロフ宮殿を使用)がある。この美術館には是非見たかったレーピン作の「ヴォルガの船曳き」があるのだが、残念ながら入口までで観賞する時間はない。
(左・右)ロシアで一番人気、芸術広場のプーシキン像(後方の建物がロシア美術館)
(左)ミハイロフ宮殿を利用した「ロシア美術館」 (右)見たかったレーピンの「ヴォルガの船曳き」
次に向かったのは、宮殿橋の北詰「ストリェールカ」と呼ばれる場所。ここは広大なネヴァ川の左サイドに「ペトロパブロスフク要塞と122mの鐘楼が一際目立つその聖堂」、右サイドに「4つの建物がつながるエルミタージュ」を望む絶好のビューポイント。
ここにはまた「ロストラの燈台柱」がある。船首を意味するロストラ、戦勝記念に敵の船首を切り落とし柱の飾りにしたという古代ローマの習慣だそうな。ここの柱には、4つの彫像がありロシアを代表する4つの大河(ネヴァ、ヴォルガ、ドニエプル、ヴォルホフ)を表している。
(左)ストリェールカから見るネヴァ川と両岸 (中)左岸の「ペトロパブロスフク要塞」 (右)右岸のエルミタージュ美術館
⇔ 「ロストラの燈台柱」 4つの彫像はロシアの4大河川
最後に向かったのが、海軍省河岸通りから「青銅の騎士像」を左に見て「デカブリスト広場」の先の「イサク聖堂」。青年貴族たちが起こした反乱、デカブリストの乱に由来する広場には、ピヨートル大帝の後継者たるエカテリーナ2世が立てた大帝の有名な銅像「青銅の騎士像」がある。台座には「エカテリーナ2世からピヨートル大帝へ」と彫文されている。一方、イサク聖堂はロシアのシンボル的な大聖堂。写真撮影だけの小停車で見学は出来なかったが、この巨大聖堂建設に数万本の杭が打ち込まれ土台工事に5年を要したようだ。このイサク聖堂の前には、「ニコライ1世の馬上像」がある。
(左)「デカブリスト広場」と青銅の騎士像 (中)イサク聖堂とニコライ1世の馬上像 (右)ロシアのシンボル的大聖堂「イサク聖堂」
どうしても青銅の騎士像の写真を撮りたい私は、写真小停車の間に500m離れた像まで駆け足。往復1kmを走って息せき切ってバスに戻ると、添乗員のS嬢が行方不明の私を探し回っている。少し、皆さんを待たせたようだ。というのも、この後は夕食レストランへ行く予定。美術館では軽食の昼食しか取れなかったので、皆さんお腹を空かせている様子。待たせて御免なさい!である。
(左・中)台座に「エカテリーナ2世からピヨートル大帝へ」と彫文されている「青銅の騎士像」 (右)夕陽の要塞を背景に記念写真?
今日の夕食、メインはサンクトペテルブルグのストロガノフ家の家庭料理、ビーフ・ストロガノフ。肉ときのこをホワイトソースでじっくり煮込んだ料理、マッシュポテトと共にいただいたが、お腹が空いていたので量がもうちょっと欲しいねとテーブルを同じくする者同士囁きあう。
(左)前菜と思われるピクルス類 (右)肉ときのこをホワイトソースでじっくり煮込んだビーフ・ストロガノフ
明日は、郊外のエカテリーナ宮殿の大黒屋光太夫謁見の間、またペテルゴーフ(夏の宮殿)のポンプを使わない噴水芸術が待っている。