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旅行記、世相独言

キャプテン・クックは小人? -メルボルン-(異文化体験11 世界貿易センターの旅8)

2011年02月25日 11時16分34秒 | 異文化体験_オセアニア
(写真はクリックで拡大します)

キャプテン・クックは小人? -メルボルン-  1988.11.27~29

 メルボルンのダウンタウンを望む

 シドニーとメルボルンは、東京と大阪の関係に似ていて、お互いに相手の事を良く言わない。シドニーっ子は、メルボルンは落ち着き過ぎていて刺激に乏しく、お天気さえもぱっとしない曇の日が多いではないか、と言う。メルボルンっ子は、シドニーは海岸で日光浴するかヨットに乗るかであまり働かないから、経済を支えるために必要以上に我々が働かざるを得ない、と言う。
 まあ、そんなこともあるまいが、首都キャンベラが丁度中間に位置し、機能分担がうまく働いているようで、どこかの国のように一極集中だの双眼構造だの議論しているのと次元が違うようである。とは言え、街の活気となるとやはりシドニーに軍配が上がりそうだ。

 
 (左)テラスハウスの原型と言われる「コモ・ハウス」  (右)厨房に残るオーブン

 ヤラ川流域に発達したこの街の見所は、コモ・ハウス。ジョージア様式とコロニアル様式を折衷したテラスハウスの原型となる豪邸で、1840~75年にかけて建設された白亜の殿堂。建物の中には上流階級の人々が代々使用してきた調度品、生活用品が展示されており、商売柄当時の厨房に大いに関心を持ったところである。

 
 (左)フィッツロイ公園の「キャプテン・クック」の生家  (右)クックのベッド(意外と小さい)

 一方、この国の人達にとって聖地とでも言えるキャプテン・クックの生家が、広さ43haのフィッツロイ庭園の一隅にある。1934年に英国ヨークシャーからこの地に移転されたもので、中にはクックのベッドも当時のままに置かれている。しかし、そのベッドたるや1.5m位の長さしかなく、当時の人間の平均身長がそうであったのか、それともクック自身が背の低い人であったのか、はっきりしない。もっとも100年で身長が10cm伸びたという調査もあるようで、クックがこの大陸を調査、英国領土と宣言したのが1770年だから、今日に補正すると170cm程度となる。英国人としては小柄な方であったのでは、と推察する。


 
 (左)Kings Domainの戦争記念館の建物   (右)ダウンタウン方面で大きな黒煙が!!

 ヤラ川の南にKings Domainがあり、市内を一望出来る。おりしも先程訪問したWTCの方から大規模な黒煙が空高く上がり始めた。ホテルのTVニュースでコンビナートの化学製品タンクの火災であったことを知る。ちなみに今回の宿舎は「ハイアット・オン・コリンズ」。

 
 (左)昼食に訪れた「Island Trader」  (右)今回の宿舎「HYATT ON COLLINS」

 結婚するなら豪州の女は避けたほうが良いと知らされたのは、メルボルン郊外の肌もあらわなムームー調ドレスのウエイトレスで有名なIsland Traderというハワイアンレストランでのこと。兎に角「男は女性の僕となるべし」という話を現地人妻となっている日本人ガイドのおばさんからとうとうと聞かされる。怖い話である。


 
 (左)夜ともなればレストランと化すメルボルンの市電   (右)市電の走る風景

 メルボルンの市電には、火曜から土曜の夜に夜景を見ながらフルコース料理を味わえるツアーがあるらしい。残念ながら今日は月曜日。市電が数珠繋ぎになって街中を我が物顔で走っている様は、我々には懐かしい光景である。豪州を地球の真中に置いた地図を買おうとMYER百貨店に行く。かわいい店員が親切にも書籍、地図、玩具売り場等を探してくれるがSORRY。代わりにスイムウエアを買うことに。

 威風堂々たるセントポール大聖堂

 最後の夜は、某商社支店長宅にお招きをいただいての宴となった。わざわざ豪華な「刺身」を用意いただき、久しぶりの和食に感激である。ちなみにこのようなパーテイの時は、なじみの板場さんを呼ぶらしい。市の南の海岸通りに沿って南下し、少し入った所にある高級住宅街の一軒は、この日夜遅くまで賑やかな話し声が絶えなかった。小生も仕事上の有益な情報が入手出来た。

 グレートバリアリーフ上を一路日本へ

 目薬とヘアトニックを間違えて真っ赤な目をしたF氏。台北~シンガポール間で隣に座った尼さんの人生を変えるような話をしたK氏とS氏。帰国の機窓から見たグレートバリアリーフの美しい光景等々。
 楽しかった、そして躍進著しいアジア・オセアニアの旅であった。



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ガイト アイト? -シドニー-(異文化体験11 世界貿易センターの旅7)

2011年02月19日 17時57分30秒 | 異文化体験_オセアニア
(写真はクリックで拡大します)

ガイト アイト? -シドニー-  1988.11.26~27

 シドニーの街 ポートジャクソン湾の光景(Wikipediaより)

 シンガポール航空のスチュアデスのサービスを受けながら、早朝のシドニーに到着。11月の終わりともなればさぞかし暑かろう(出発直前帰国した社の同僚が35℃だったというので)と水着まで持参したが、涼しいこと限りなし。もっとも豪州では天候が常に不順とか。

  
(左)早朝のボンディ・ビーチ(どこかにトップレスがと運転手)(右)シドニーのビーチ(絵葉書)

 早速Bondi Beach経由でシドニーの町へ。自家用飛行機を持つと言うバスの運ちゃんはパイロットまがいの制服を着て、ビーチにトップレスがいるかも、と嬉しいことを言ってくれる。皆で下車して波の荒いビーチを散策すれど、早朝の寒いビーチにいるわけがない。

  
  (左)マリーナ付の高級住宅街         (右)海越しに見るオペラハウス

 マリーナ付のシドニー湾に面した高級住宅街は最近値上がりが激しいようで、億ドル単位になっているとか。日本の土地成金も暗躍しているという専らの現地の噂がある。

 貝殻をデザインしたオペラハウス,今宵のコンサートチケットは完売

 シドニーの街が一望出来る丘の上からRobertson parkを経てオペラハウスに着く頃には、青空が広がり澄み切った青い海には大小様々なヨットが大きな帆をなびかせている。貝殻をデザインした有名なオペラハウスで、今夜のコンサートの切符があればと尋ねたが、係員はさも残念そうにSold Outと言う。


 
 (左)アーガイル・ターバン(羊の毛の刈取りショーも見れる)(右)自家用飛行機を持つバスの運転手

 シドニー発祥の地と言われるロックスに、昔の保税倉庫を改造したアーガイル・ターバンというレストラン&バーで昼食。ウォーターフロントの新しい開発地、ダーリングハーバーを少し見学してヒルトンホテルへ。夕刻までの間、シドニータワーとその周辺を散策する。風が出てきて、おまけに小雨まで降りだす悪コンディション。

 
(左)豪州といえばオパール、その中でも貴重価値のブラック・オパール  (右)ショッピングセンターQVB

 オパール屋で勉強でもと思い、冷やかしに入る。ホワイトオパール、ブラックオパール、ブラックオパールでも貼り合わせのもの、原石のもの等色々あり、買うならブラックの原石が良いとアドバイスを頂戴する。来たついでに女房にこの価値が分かるかな?と思いつつもブラックオパールの原石を購入。

       
(左)今宵の食事は30ポンド級ロブスター  (右)今回の宿舎「ヒルトンホテル」

 夕食は、ツアーガイドが勧めるロブスターの店に。30ポンドはあろうかというロブスターをボイルして貰う。この店は日本の新婚さんばかり入ってきて、結局日本人だけで満席になってしまったが、それでも次から次にカップルが押寄せる。この情報網はそら恐ろしい感じがする。

 食後はキングス・クロスへ、有志で繰り出す。と言っても3人だが、この頃になるとお疲れの人も出てくるようだ。9時という時間が早過ぎたのか、何故か片手に煙草とライターを持つ(これが目印とか)夜の姫君も3~4人見た程度。ストリップにムービーとこればかりはどこへ行っても一緒のようだ。

 
(左)街中のビルの合間をぬうように走りダーリングハーバーに至るモノレール (右)乗車券
 
 翌日は日曜日。ダーリングハーバーを見学。市の中心部と港を結ぶモノレールが最近完成し、実に便利、快適、しかも眺望も良い。1986年から始まったPort Authorityによる16の施設整備計画もほぼ完成の時期に来ている。ショッピングセンターもその一つ。大勢の人が明るくゆったりした空間で買物を楽しんでいる。外観はトロント・イートンセンターと良く似た低層2階の建物。

 
(左)再開発されたシドニーのウォーターフロント (右)明るいショッピングセンター

 水族館も整備施設の一つ。水量が世界一とかでギネスの証書が入口に飾ってある。浮船を利用した鮫の水族館が圧巻である。視察に時間を費やし過ぎてコアラとは対面出来ず。

 
(左)水量世界一(当時)の巨大水族館   (右)水族館のパンフより 

 メルボルンへは国内線。アンセットという航空会社が牛耳っている。チェックインして、ゲートは何番?と聞くと、「ガイト・アイト」と言う。
そう!豪州ではGate Eight(ゲート・エイト)は「ガイト・アイト」なのである。

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YESか、NOか -ジョホール・バール-(異文化体験11 世界貿易センターの旅6)

2011年02月15日 00時21分47秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

YESか、NOか -ジョホール・バール-  1988.11.25

 1038mのジョホール水道 水道管も併設されている
 
 マレー半島最南端の町、マレーシアのジョホール・バール。シンガポールとは全長1038mのジョホール水道を隔てて向かい合っている。市街地に入ると極めてイスラム色が強くなり、手描きのろうけつ染の絨毯売りがあちこちの木陰で店を出している。

 手書きのろうけつ染め

 かつてジョホール州を治めたサルタン、アブ・バカールが1866年に建てた壮麗なサルタン王宮は、50haもの美しい庭園に囲まれ、緑の芝生に黄金色の建物が映え、ジョホール水道を見下ろすビクトリア調宮殿は圧巻である。

 アブ・バカール・モスク

   
   (左)イスタナ・ブザール              (右)ジョホール州政府庁舎

 シンガポールからジョホール・バールに至る道筋に、フォード自動車の工場跡地で今はブリジストンの工場になっている所がある。
 ここが、かつて日本軍のシンガポール侵略の際、山下将軍が英軍の将校パーシヴァルに対し、一か八かの降伏を「YESか、NOか」と迫った場所だそうである。この話は有名な話であるが、後年、実際は降伏の意思の有無を訊く為であって恫喝の類ではなかったとされている。

山下将軍とパーシヴァル(Percival)との会談(Wikipediaより)

 我々の知らない戦争秘話が現地では語り継がれ、バスの中で改めて現地ガイドから聞くと、我々の世代の戦争に対するある意味での責任を感じざるを得ない。

 今回の旅の目的は「大阪に世界貿易センター(WTC)」を作るための下調べである。
一都市に一つの「世界貿易センタービル」が認められており、実現すれば東京浜松町の世界貿易センタービルに次いで日本で2番目となる。

 ソウル、台北、シンガポール、メルボルン等、アジア・オセアニア地域の世界貿易センター(WTC)を視察し、大阪WTCの参考とするものである。

 このWTCという称号は、自由に使えるものではなく、本部がニューヨークにある世界貿易センターで「クラブ組織」となっており、WTC of Osaka(WTCO)が入居することで、その建物がWTCビルという称号が晴れて使えるようになっている。
 大阪市南港に建設予定のこのビルは、建物(ハード)が港湾局、WTCO(ソフト)は経済局と、両局が協力して建設するもので、今回の出張はその推進協議会のメンバーによる調査活動の一環である。


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光と若者の洪水 -シンガポール-(異文化体験11 世界貿易センターの旅5)

2011年02月03日 23時13分48秒 | 異文化体験_アジア
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光と若者の洪水 -シンガポール-  1988.11.23~25

  発展著しいシンガポールの街

 かつて国際会議の晩餐会の席上で一番人気であったシンガポール航空のスチュアデスとその制服、その制服もどきを買って帰ろうと思いつつムッとする熱気に包まれたチャンギ国際空港に降り立つ。

 
       クリスマス・デコレーションで不夜城と化すオーチャード通りのビル群

 クリスマス休暇に入った赤道直下の町シンガポールの夜は、まず人の目を仰天させる。オーチャード通りに面した全ての建物が、まるで不夜城のように何万個、いや何十万個という色とりどりのランプでデコレーションされ、大勢の人達が鑑賞しながら、そぞろ歩きを楽しんでいる。

 
 (左)世界一の高層ホテル「Westin Stamford」    (右)日本語の案内カード

 世界一の高層ホテル、Westin Stamfordの11階の部屋では世界一の高さを実感出来ないが、ここシンガポールでは仕事の事を頭の隅から追いやる、そんな雰囲気の街である。淡路島とほぼ同じ大きさ、アジアの縮図と言われるほど多くの人種が生活する自由貿易都市「シンガ・プーラ(ライオンの町)」なのである。

 
(左)マーライオンの噴水はメンテナンス中 (右)マウントフェーバー公園にて セントーサ島へのロープウェイが見える


 翌日は6時に起床し、プールで一泳ぎ。さすが泳いでいる人は少ないが、持参したスイムパンツが役に立った。マーライオン公園(Merlion Park)を皮切りにセントーサ島を見下ろすマウントフェーバー公園、植物園へと観光コースを巡る。植物園は、大安という日があるのかどうか知らないが、至る所に結婚式を済ませたカップルがウェディングドレス姿のまま、親類縁者に囲まれて記念撮影をしている。およそ30組はいたであろうか。ガイドのおばさんによると、植物園で夜な夜な愛を育んだ結果であり、そのお礼に来ているのだと冗談を言う。

←植物園であるカップルと シンガポール航空の制服→

 サラン工場でシンガポール航空のスチュアデスが着ていた同じ柄とまではいかないが、反物を買って「山源」で昼食。経済発展の拠点施設の一つ、シンガポール世界貿易センターを訪問。夕食は「トロピカーナ」というレストランでアドルト・ショー付きというふれこみ。大いに期待したショーであったがここは健全な街。
 食後は是非ニュートン・サーカスで果物三昧をしよう!と4人で出掛ける。
「ドリアン」、果物の王様と言われているがあの匂いには閉口。吹出る汗、掌、それらを拭ったハンカチ、染み付いた匂いは全く取れず、部屋に戻っても悩まされ続けたのである。一方、「マンゴスティン」は果物の女王様。この二つは男にとって都合の良い果物だとS氏が言う。
 でも「パパイヤ」は文字通り止したほうが良いそうである。本当かな?


 

 ←マンゴー  ↑左ドリアン 右マンゴスティン

 
 シンガポールに1987年に開通したMRT(Mass Rapid Transit)。地下を走るこの電車に通じるエスカレータは、実にスピードが速い。日本の倍の速さで地下の駅に導く。何故このようなシステムが導入されているのであろうか?
よく考えると利用者はほとんど若者が中心である。老齢化が進む先進国と違って、当地ではまるで若者が支配する町になっているかのように見える。
しかし、少し裏通りに入ると中国系の年配者も沢山いるのだが?街の美化運動といい、これらの近代的設備といい、旅行者にはBeautiful Cityとしか映らないが、そこに住む人達にとって果たしてどうなんであろうか?

  
(左)経済発展の拠点施設 シンガポールWTC  (右)サマセット・モーム等著名人が宿泊したラッフルズ・ホテル

 今日もオーチャード・ロードは、ブランド商品を求める若い日本女性でごった返している。現地の人達は決して手を出さない。ガイドのおばさんは「コピー商品で十分よ!貴方、違いが分かる?」と、いともあっさり言いつつ提げている偽ヴィトンのバッグを見せつける。
 今シンガポールはRaffles Hotelが取り壊され、新たに建設されるという象徴的な話があるようで、旧き良きシンガポールが消え、近代的リゾート&ビジネス都市シンガポールへ脱皮しようとしている。


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