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旅行記、世相独言

目と目で乾杯!上げ底は駄目よ -台北―(異文化体験27 日韓台ラウンドテーブルの旅1) 

2012年12月28日 16時21分10秒 | 異文化体験_アジア
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目と目で乾杯!上げ底は駄目よ -台北― 1995.11.16~11.18

 台北のランドマーク的ホテル「圓山大飯店」 工事火災で焼失


 台湾への旅は羽田から中華航空機が飛んでいるので、至極便利である。日韓台ラウンドテーブルは、文字通り3ケ国の都市ガス関係者が一同に会し、都市ガスの製造・供給・利用面に関する情報交換を行う場で、今回が3回目である。
 空港で中華民国公用ガス事業協会副秘書長の出迎えを受け、会場兼宿舎となる晶華飯店(Grand Formosa Regent)に向かう。

          
 (左)今回の宿舎兼会議場「晶華飯店」      (右)晶華飯店のエントランス

 チェック・イン後、ホテルで明日からの会議の簡単なスケジュール説明を受け、お腹の調子の悪い1名をホテルに残して、3名で夕刻の街に出る。おりしも夕方のラッシュアワー時、道路はオートバイの洪水状態。ホテル近くを1時間ほど散策し、とある屋台で汁麺と各自1品ずつ取って腹を満たす。

 翌朝9時からラウンドテーブル開始。日本からの参加者4名に対し、韓国、台湾からは夫々10名近い参加者である。今回のテーマは「保安の確保」。
 日本では阪神大震災、韓国では地下鉄工事現場での爆発事故、台湾では国内輸送幹線での漏洩事故と、各国で大きな災害・事故が発生しており、その内容報告と対策議論が行われ、夕刻4時に初日の会議を終了。


 夕刻6時からは、VIPルームでの晩餐会。小生の右隣には、台湾ガス協会会長(中国国民党中央評議委員、民衆日報発行人他、多数の肩書きをお持ちの方)、左隣は台湾最大の都市ガス会社、大台北区ガスの元總経理(以前ご夫妻で来日時に面識のある方)。お二人とは旧知の間柄で、かつ大台北区ガスと小生の出向元の会社が友好関係にあるが故の私の席なのであろう。

 晩餐会(左が協会長、右が元総経理)、乾杯論議

 私が前回の中国内陸部出張時の乾杯による急性アルコール中毒の話を始めると、「中国式乾杯」が俄然話題になった。

 乾杯の正式なマナーを大台北区ガスの副總経理が演じて見せてくれる。
 まず酒は祝いの席では白酒、透明なグラス(上げ底でなく、中のお酒が見えるように)を用い、相手を指名し「**に乾杯しましょう!」と呼びかける。
 呼び掛けられるとお互い盃を持って立ち上がり、相手の目を見ながら軽く一礼、「乾杯!」と言って盃を乾し、再び相手の目を見ながら、盃をひっくり返してお互い軽く一礼、着席ということらしい。

 台湾も最近欧米各国との商取引が増加し、この中国式乾杯が簡略化されつつあると言う。欧米人にとってもこの慣習は馴染めないようだ。
 このため、最近では台北でのほとんどの宴席は「随意」方式になっているが、台湾内陸部に行くとまだまだ中国式乾杯は根強く残っており、正直言って台北人にとってもこの乾杯セレモニーを好む人は少ないようだ。
 内陸部へ特に商談等で業務出張する場合、社員同士が譲り合う場面が社内に見られるというのも分かるような気がする。

 今宵は乾杯1回、後は随意、随意でやれやれ!



北京ミニ・ミニ観光 - 北京 - (異文化体験26 中国内陸部の旅8)

2012年12月20日 15時53分32秒 | 異文化体験_アジア
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北京ミニミニ観光 -北京― 1995.11.10

 西安8:15発のWH2123便は、万里の長城を機窓に見せながら北京に9:55到着。15:10の帰国便(JAL782)まで直ちに市内観光に出発する予定である。
 
 が、が、が、どうも手違いが生じてバスがチャーターされていないようだ。帰国便との関係で遅くとも13時半過ぎには空港に戻ってこなければならない。

 団長と小生以外のメンバーは北京を知らない。皆さん楽しみにしている北京観光である。添乗の王さん、必死に北京の関係先に連絡し待つこと1時間。やっと急遽チャーターしたバスが到着した。



 時既に11時。一路天安門広場に向け出発したものの、紫禁城に入る時間もなく、天安門広場の広さだけを実感して、直ちに空港に戻るという、正にミニミニ観光となった。



 発展著しい中国沿岸部に対し、まだまだ出遅れている中国内陸部の現状をつぶさに視察したが、内陸部の政府や人々の大いなる不満が果たして今後の中国発展の秩序維持にどのように影響するのか、計り知れないものを感じた次第である。

 以上、8回に亘って中国内陸部の旅を旅ログしました。次回から、日・韓・台3国会議の旅を旅ログします。

2200年前の地下大軍団 - 西安 - (異文化体験26 中国内陸部の旅7)

2012年12月14日 17時55分13秒 | 異文化体験_アジア
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2200年前の地下大軍団 -西安ー 1995.11.07~11.10

 西安の解説書「絲綢之路的起點」=シルクロードの起点

 紀元前1134年、周に築かれた都は以来11王朝の都として1000年以上栄え、唐代には「長安」と名を変え、シルクロードの東の起点として栄えた都、「西安」。

 華清池は、唐代玄宗皇帝が楊貴妃を伴って毎年越冬した温泉。「春寒くして浴を賜う華清池温泉水滑らかにして凝脂に注ぐ」と白楽天が詠んだ場所。それほど大きくない池を取り囲んで建物が配され、楊貴妃が使ったとされる湯殿も復元されている。

 楊貴妃がどこかから現れそうな早朝の華清池


 朝、皆に散々冷やかされたF君も二日酔い状態ではあるが、元気な姿で参加している。
 華清池から兵馬俑坑への途中に秦始皇帝陵がある。西安市の東30kmにある何の変哲もない高さ47mの丘であるが、実は盛り土だそうで、史記には想像を絶する地下宮殿があったと記されている。

 バスの車窓から見た始皇帝陵墓

 始皇帝陵南東約2kmの所に秦始皇帝兵馬俑坑博物館がある。始皇帝は生前に陵墓を造営し、それを守る兵馬俑坑を建設した。俑とは死者を葬る時に添える土偶の意味である。
 20年前の1974年、地元の農民が井戸を掘っている時に地下に埋もれた一大歴史遺産が発見された。発見された1号坑は最も大きなもので、東西230m、南北62m、深さ4.5~6.5mの所に6000体の陶塑の衛士と軍馬が東を向いて眠っていた。

   
  (左)秦始皇帝兵馬俑博物館                 (右)兵馬俑の解説書(人民中国出版社)

 2200年前の地下大軍団 秦始皇帝の兵馬俑(人民中国出版社)

  2200年前の武人と記念撮影(博物館入口にて)

 現在3号坑まで確認されているようだが、1.8mくらいある兵士の衣装、表情、髪型等、どれ一つ同じものはないと言う。およそ千点の金銀の装飾具をつけた、今にも走り出しそうな4頭だての青銅製の馬車。始皇帝の駿馬は史書に7頭の名が伝えられている。この銅製の車馬は、当時万里を馳駆した馬車と駿馬をモデルにしたものなのであろう。
 このような高度の技術を有する中国の文明に驚嘆せざるを得ない。

 
           (左)1号銅車馬                 (右)2号銅車馬   

    博物館前の土産物売り場


 市内に戻り、大雁塔で有名な大慈恩寺に立ち寄る。大雁塔は、寺の住持であり三蔵法師で有名な玄奘がはるかシルクロードを経てインドから持ち帰った経典を納めるために建造された。7層64mの塔の最上部からは西安の街が一望出来る。

  西日に映える大雁塔
  
 晩秋の太陽が西に傾き、薄暗くなり始めたシルクロードの東の都は、1周12kmの城壁で取り囲まれている。唐の長安城の皇城を基礎に明代に造られた城壁で、4つの城門とそれぞれに角楼を備えている。人影のないそのうちの一つに昇ってみる。西日に映える無人の角楼、家路に急ぐ人々の流れ、2000年の時の流れが回り灯篭のように空想の中に展開される。そして、視界の中には近代中国の躍進の波がこの内陸部の古都にまで及んでいる。
 
  夕暮れの城壁に建つ何か物悲しさを感じる角楼

 今夕は、調査団の解散式。市内のレストランで中国内陸部の3大都市訪問の様々な印象を語り合い、白酒抜きの身内の宴が盛り上がった頃、レストラン内で新作チャイナドレスのファッションショーが行われるという。
 こりゃ、ついてるね!と一同すっかりおじさんになって、ショーの始まるのを待つ。ピンク、赤、白、黄、緑5色のドレスを身に纏ったモデルが我々の前でファッションショーを繰り広げる。大きく割れた背中とスリットの間に見え隠れするすらりと伸びた脚に目線が釘付けに。全体的にスリムな中国娘にあって容姿端麗なモデルが通り過ぎる度に甘い香水の香が中国最後の夜を癒してくれる。

 何故かレストランでのファッションショー

 成長著しい沿岸部と未だ遅れている内陸部、経済格差はそう簡単に埋まりそうにない。今は全体として順調に経済成長が続き、皆が生活レベルの向上感を味わっているため、さほど問題が表面化しないだろうが、経済が停滞しだすとこの内々格差が国内事情に悪さをしなければ良いが……..。


白酒宴席にはご用心! -西安― (異文化体験26 中国内陸部の旅6)

2012年12月03日 23時43分38秒 | 異文化体験_アジア
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白酒宴席にはご用心! -西安― 1995.11.07~11.10 
  <誰よ、この人にお酒飲ましたのは!>


 「西安の案内書」 

 重慶発16:40のWH241便で18:40に西安着。
日本の美人女将が営む日本料理店「東中野」という店で久々の日本料理に、昼間の蛇鍋料理を味わった胃袋もさぞ安心したことだろう。

   
(左)拍手と共に着陸した「西安」空港 (右)西安の日本料理店「東中野」蛇鍋から解放された胃に久々の和食


 華南と言われる四川省成都、重慶から華北の陜西省の省都「西安」へは険しい泰嶺山脈が横たわっている。西安の西・甘粛省蘭州には団長K氏の会社が技術交流を行っている都市ガス会社がある。
 ここ、西安でのお宿は「長安城保大酒店」。

 
          「西安」でのお宿「長安城保大酒店」(左:外観、右:ロビー)

  西安・街の朝の風景

 8日、9時半に西安市天然氣公司を訪問、更に11時に西安市煤氣公司を訪問する。
 天然氣公司は正に天然ガスを供給する会社で周辺ガス田からの天然ガスを西安市に供給している。ここでも日本の資本と技術に対する熱い眼差しを感じ取ると共に、既に欧米資本の進出検討がなされており、したたかな中国商人気質を垣間見るのである。

  西安市煤氣公司を表敬訪問

 西安煤氣公司は石炭ガスを西安市に供給しており、地域によって天然ガス、石炭ガス、更に液化石油ガス(LPG)の3種類のガスが供給されている。いずこの都市もガスの値段は安く、国や地方都市から補助金が出ている。しかし、近代化が進む中でエネルギー消費も拡大し、それに伴い補助金額も増加の一途で、いずれ地方財政を圧迫するのは必至との見方が多い。

  会議風景 名刺交換しない出席者(共産党員)が2人いる


 お昼は例によって市内レストランで歓迎の宴。今日は作戦を立て、年寄組みのテーブルと若者組のテーブルに分かれて座る。それでも結局白酒を7杯も飲むことに。比較的おとなしい年長組みのテーブルに反し、若者組のテーブルは大いに盛り上がって、乾杯の嵐が吹いている。大丈夫かなあ?と心配をする。

  お昼から乾杯!乾杯!乾杯! 
この日は7回杯を乾した。白酒の器は透明ガラス製。上げ底でないことを見せるため。

 はっきり言ってこちらの人も本当はこの風習は好きではないらしい。やれ体調を壊しているからジュースで、と最初からジュースに決め込む人も多い。中途半端が一番いけないようだ。少し飲んで後は軽い飲み物ということが許されない。まだまだ俺の酒が飲めぬのか!という風習が、内陸部ほど根強く残っている。
 さすがに沿岸部は西側諸国との様々な関係構築の中で西側の風習も取り込まれているが、「内陸部に行くと大変よ」と上海ガスが言っていたのを思い出す。

                     
様々な白酒(パイチュー) (左)白酒の代表格 マオタイ酒   (右)白酒の廉価版

 昼食後、全員赤い顔で煤氣公司の工場見学を終えたあたりで、事務局のF君の様子がおかしい。
 とりあえず一度ホテルに戻ることにしたが、その途中で手足が真っ白、首を苦しいと掻き毟る、手足をばたつかせる等、今にも死ぬのではないかと思われる程、のた打ち回る有様である。
 大急ぎでホテルに戻り、フロントで直ちに救急車の手配を依頼する。が、しかし何と全て出払っており手配不可能との返事。となれば仕方がない。チャーターしているバスで、現地通訳と3人で外国人・政府高官用の病院に救急運搬する。

 抱きかかえて医務室に運び込むと女性の医師が診察し、解毒剤らしき注射をする。「しばらく寝かせておけば治るだろう」と言う女性医師の言葉を聞いて、小生の疲れがどっと沸いてくる。「それにしても、この人にアルコールを飲ませたのは貴方?、この人はコップ1杯のビールも駄目よ! 気をつけて!」ときつく叱られる。

 西安市中心医院(参考写真)

 1時間以上経って、「もう連れて帰っても大丈夫」との医師の言葉を得て、再びホテルに連れ戻す。本人の部屋のベッドに寝かすも意識が薄れているため、背広を脱がし下着姿にして毛布を掛けてやる。やれやれ!と思うと、今度は小生も酔いと疲れがどっと出て、隣のベッドに横たわるとそのまま眠ってしまった。正直、小生も7杯くらい乾杯をやったので、アルデヒド分解酵素を持ち合わせない小生は、このことがなければ多分ダウンしていたであろう。

 陝西省人民医院(参考写真)

 物音で目を覚ますとF君が顔を洗っている。何と時刻は既に夜の8時。やれ、やれである。恐縮するF君の様子にもう大丈夫と思うとやたらと空腹を感ずる。自室に戻ってルームサービスを取る。

 それにしても、飲み過ぎに支払った治療費は日本円で5000円ほど。現地の人の数か月分のお金である。


 ついでに白酒宴席に関する日本での面白い話。日本で開催された歓迎宴席でのこと。
松井さんも出席者の一人。中国人客と乾杯やお話をするのだが、松井さんは彼らのいない所で何か気に入らぬ様子。松井の松はsong、井はjingと中国語で発音する。
Songjingさんは、ソンチンさんなのだが、何故か「ソチン」に聞こえる。何と失礼な奴だ!とご立腹。男性にしかわからない話しかも。

 長い長いとんでもない西安の一日であった。