Anchor

旅行記、世相独言

ハワイでマリンスポーツ -オアフ島-(異文化体験13 ハッピーウェディングの旅1)

2011年07月30日 13時51分26秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
ハワイでマリンスポーツ  1991.6.13-6.18

 今回は2度目のハワイ!!

 大阪を夕刻6時に飛び立ったノースウェスト16便は、同じ日の早朝6時55分にハワイ・ホノルル空港に到着する。
 今回は米国西海岸で仕事をしている義弟がマウイ島で結婚式を挙行するので、義弟の家族7人が呉越同舟でハワイにやって来た次第。小生にとっては2度目のハワイで仕事の合間のちょっとしたバケーションである。

    
(左)今回のオアフ島での宿舎パークショアホテル  (右)隣接するカピオラニパークとダイヤモンドヘッド

 
(左)部屋からダイヤモンドヘッドが見える    (右)ホテル前のクヒオビーチ

 ワイキキに近いパークショア・ホテルがオアフ島の基地ホテル。クヒオビーチから道路を挟んだ向かいにあるこのホテルは、緑が広がるカピオラニパークにも面し、部屋から1.6kmと至近距離にあるダイヤモンドヘッドもよく見える。

 初日の13日は眠い目をこすりながらの島内観光。15日がマウイ島での結婚式なので実質フリーな1日は14日のみ。いろいろ現地のツアーを検討して、我々夫婦はマリーン・スポーツの1日コース($95、8hr)をチョイスした。
 説明書によると「カネオヘ湾でジェット・スキー、ウィンド・サーフィン、シュノーケリング等人気のマリーンスポーツを楽しみ、大型ヨット上でのバーベキューも格別」とある。

 オアフ島の北側に位置するカネオヘ湾

 翌朝、ツアー送迎バスが各ホテルで客をピックアップしながら集合場所に連れて行く。ある程度予想はしていたが参加者は若い人達ばかりで我々夫婦は場違いな感じ、しかしそこは気持ちで同調して、初体験の一日が始まる。

   
     ボードに立って帆を立ち上げるのが一苦労(参考写真)

 まず最初のチャレンジはウィンド・サーフィン。ボードの上に立って水面に倒れている帆を引き起こすという簡単な作業が、なかなか上手くいかない。表面張力で結構引き上げるのに力を要する。
 海上は風も強くボードそのものが流されるので、ロープが付いていてある許容距離内で作業を完結させなければならない。やっとの思いで帆が立ち上がり、ボードが風に乗って走り出したと思ったら、ロープがそれ以上の走行を許さず、そのショックでボードから落下してしまう。ロープが無ければなあ!と思うが、行き先定まらずではねえ。

       
(左)ゼロ・グラヴィティーのパンフ         (右)体験ダイブ修了証書

 次は、このツアーのオプションとなるが「ゼロ・グラヴィティーのスクーバダイビング(体験ダイブ$55)」にも挑戦することにした。PADIは世界180ヶ国以上で13万5千人以上のプロフェッショナルメンバーと約5,800以上のダイブセンターからなる組織で、世界最大のスクーバ・ダイビング教育機関。ゼロ・グラヴィティーはそのダイブセンターの一つである。

 
    スクーバ・ダイビング(海中はここまで綺麗ではなかったなあ 参考写真)   


 マウスピースを咥えての呼吸と器材装着時の水中でのバランスを取ることが出来れば、初心者でも簡単に海中散歩が出来る。インストラクターと手をつないで、見事な珊瑚礁の海?というわけにはいかないが、何とか岸に近い海辺の海中散歩を暫し楽しんで昼食となる。

 大型ヨット上でバーベキューの昼食後、ジェットスキーに挑戦。これは自転車に乗るより易しい乗り物だが、スピードが出ると波のうねりとの関係で結構バウンドする。体重移動とうまくハンドル操作すれば、これまた心地よい乗り物である。

    
               ジェットスキーとシュノーケリング(参考写真)

 その後、シュノーケリングやバナナボート、小型ヨットでのセーリング等々を体験して夕刻ホテルに戻る。
 明日15日は、いよいよマウイ島でのハワイアン・ウェディングである。


 
       カラカウア通りの「パン・パシフィック・フェスティバル」(参考写真)


 16日、マウイ島から再びオアフ島のパーク・ショアホテルに戻り、最後の夜を如何に楽しもうかと検討していると、「パン・パシフィック・フェスティバル」なる催しがカラカウア・アベニューで行われているという情報を得て、早速街に繰り出す。日中にパレードとホオラウレア(ハワイ語でブロック・パーティーの意)が行われ、夜は設置された沢山のステージで、いろんなジャンルのエンターテイナーたちが多彩なシーンを繰り広げている。
 軽快なリズムに女房を含む3姉妹と姪っ子達は、ステップを踏みつつ踊りながらアベニューを進んで行く。

 今回のハワイの旅のエンディングは、夜の更けるのも忘れさせるものとなった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パリの恋人達 -パリ-(異文化体験14 港湾空間を巡る旅10)

2011年07月11日 13時10分07秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

パリの恋人達 -パリ-  1992.7.28~30

 今回のパリでの宿舎 オペラ座前の「ル・グランホテル」

 パリは何度目の訪問であろうか、ドゴール空港から市内への道は相変わらず混んでいる。今回の宿舎はオペラ座前の「Le Grand Hotel」。今宵は久々の日本食で、クリームたっぷりの食事に抵抗を始めた我がお腹には有り難いすき焼きである。その後は「LIDO」のショーを観賞。

 
(左)グラン・アルシュ最上階からのラ・デファンスの眺め     (右)入場チケット


 
(左)凱旋門から見たラ・デファンス(6度差分かります?) (右)パリ大改造PJの一つ「ラ・ヴィレット」
 
 翌日は、5大プロジェクトの視察。今回は時間的余裕もあってラ・デファンスのグラン・アルシュ最上階まで上がってルーブル、凱旋門の延長線の6度差(角度)を目で確かめる事が出来た。100年前オスマン男爵が現在のパリの骨格を計画し、歩道と車道を分離、家々をブロック化したとか、ブールバードという呼称は城壁の跡地を道路にした所を特に言うとか、アパートメントでは3階が一番良い部屋で家賃も高いとか、旧オペラ座をガルニエオペラというのに対して新オペラ座はカルロスオットーオペラと言うとか、ベルシーの大蔵省の以前にはブドウ酒倉庫が沢山あった等々、数々の雑学が耳に入る。

     
(左)パリの風景「ノートルダム寺院」  (右)パリの風景「サン・マルタンのカナル・ツアー」

 煙草屋が少なくなったのも不便な事の一つ。英語では通じない。色々試みて結局日本語の「たばこ」が通じるのもおかしな話。正確には「タバ!」でなければダメ。

 
(左)ルーブル宮ナポレオン広場のピラミッド型メイン・エントランス (右)I.M.ペイ氏設計のエントランスホールへの階段

  
 お馴染みの (左)モナ・リザ  (中)ミロのヴィーナス  (右)入場チケット

 ルーブル美術館に入ったのは信じられない事だが、今回が初めて。過去数回は工事中で、前回は行列の凄さに諦め、その分オルセー美術館をじっくり鑑賞したのだが。半日かけて「ミロのヴィーナス」「サモトラケの勝利」「モナ・リザ」等々、脚が痛くなるまで歩き回った。
 
     
(左)セーヌ川からの景観を楽しむバトー・ムーシュ・パンフレット  (右)航行ルート図

 最後の夜はバトー・ムーシュ(Bateaux-Mouches)で2時間半の食事をしながらの舟遊び。Pont de I'Almaを観光船がゆっくり離れた真夏の夕刻8時はまだまだ明るい。シャンパンを飲み、オードブルルを味わい、メインディッシュの肉料理が出る頃には、やっとセーヌ川にも黄昏がやってくる。エッフェル塔にはイルミネーションが灯り、対岸には舟の強烈なライトに照らし出された風景が展開する。舟の中ではシャンソン弾きが各テーブルを回り、我々には「さくら、さくら」を演奏してくれる。

 
(左)バトー・ムーシュはアルマ橋から出航する  (右)ディナー付きコースの出航前の船内

対岸や橋の上の人々は、船から放たれる強烈なライトが眩しいらしく目を細めながら手を振ってくれる。肩を組みながら手を振るカップル、お構いなしにキスを続けるカップル、スカートが捲れあがって下着まる見えで逆立ちしている意味不明な若い女性達、楽器の練習をしている男達、ベンチに横たわり抱き合って動かないカップル、様々な人間模様が強烈なライトの中に浮かび上がる。河畔の柳が異常に神秘的な青さを見せ、エッフェル塔のオレンジ色のイルミネーションが一際際立っている。
 操舵室が橋が近づくと背を低くし、通り過ぎると元の高さに上がるという極めて合理的な仕組みのこの船も、いよいよ最終コースにUターンし始めた頃から、対岸の景色が少し過激になってくる。

     
(左)強烈なライトが対岸を照らしだす。(右)船の上に突き出た操舵室は橋を潜る時に上下動する。

   
 抱き合っているカップル、濃厚なキスを交わしているカップルではあるのだが、よく見るとお互い髭をはやしている。どうやらホモ達の天国らしい。セーヌ河畔のデートの場所にもどうやら縄張りルールがあるようだ。ホモ達が集うエリア、レズ達が集うエリア、・・・。真夏のパリの恋人たちの饗宴が対岸に展開される。

  
船の対岸にはパリの恋人たちの様々な夏の夜の饗宴が見られる(イメージ写真)

「蛍の光」が流れて3時間のバトームーシュも花火と共に着桟。時刻は既に11時を回っている。ホテルへの帰路、バスの中は「Oh! Champs-Elysees」の大合唱。

      
(左)綺麗にライトアップされたエッフェル塔     (右)セーヌ河畔から見たパリの街


 真夏の欧州、潮香の旅。目の保養にもなる楽しい旅であった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エズ村の夜は更けて・・・ -コート・ダジュール-(異文化体験14 港湾空間を巡る旅9)

2011年07月04日 00時32分38秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)


エズ村の夜は更けて・・・ -コート・ダジュール-  1992.7.26~28

    
           ニースのお城からニースの港、旧市街、更には延々と続く海岸線を望む

 モナコ、ニース、カンヌからマルセイユ辺りまでは、コート・ダジュール(COTE D’AZUR)と呼ばれる海岸地域。モナコからニースに至る20kmには、海岸沿い、断崖の中腹、断崖の上と3本の道路が並行して走っている。

 
(左)白砂ではなく白い小石のコート・ダジュールの浜辺 (右)浜辺に沿ってのびる3.5kmの遊歩道

 初日は午前中モナコ市内を視察し、ニース市内で昼食。リビエラの女王コート・ダジュールの中心都市ニースはプロムナード・デ・ザングレから全長3.5kmの海沿いの遊歩道が続き、南に「天使の湾」を抱き、北側に高級ホテル、ブティックが並ぶ。日本のような白砂青松の海岸ではないが、白い小石を敷き詰めたような海岸にはカラフルなパラソルやベンチが並び、カメラのアングルを何処に向けても恰好の良いオッパイが飛び込んでくる。

 ニースもかつてコンベンション都市としてモナコと競い合ったが、ホテルと会場が離れている等の理由でモナコに敗れたとあって、現在新しい会議場を建設中である。しかし土地不足でこれもホテルから離れた場所である。

  カンヌ映画祭の会場、パレ・デ・フェスティバル(Wikipediaより) 

 ニースからカンヌまでは30km。毎年5月に映画祭が開催されることで有名だ。ラ・クロワゼット通りの西端にある「パレ・デ・フェスティバル」がその会場。最高賞「パルム・ドール」を昨年、今村昌平監督の「うなぎ」が獲得した。
 マリーナには超豪華ヨットが横付けされ、夫々のヨットクラブの旗が誇らしげに風になびいている。ある統計によるとコート・ダジュールのトップレスは4人に一人らしいが、欧州人の間でも夏は肌の黒さが金持ちのシンボルとかで、惜しげもなく肌を焼くため、最近皮膚ガンが増えてきたという。

 
(左)カンヌの浜辺を背景に。1/4はToplessとか、本当?  (右)豪華ヨットが係留されているマリーナ

 断崖の上は、ソフィア・アンテイポリスだというので、車をそちらに向ける。広大な地中海に面した丘陵部に開発中のハイテク研究都市である。

 モナコに戻って夕食をどうしようかと思案、女性同伴の一流ホテルでの晩餐も良いがタキシードや蝶ネクタイでは疲れるし、Y女史も着る服に困ると言うので、彼女お薦めのEze(エズ)村の雰囲気の良いレストランに行くことになった。

 
   (左)エズ(EZE)村の地図      (右)地中海に面した断崖絶壁の鷲巣村の一つ エズ村

      
(左)お城のレストラン「シャトー・ドゥ・ラ・シェーブル・ドール」 (右)狭い曲りくねった急な石畳の路を上がって行く

 
(左)かつて外敵から身を守った迷路が今は観光客を呼び込む (右)オーベルジュの象徴「シェーブル・ドール(金の山羊)」

 エズ村はモナコとニースの間にある小高い断崖絶壁の村で、両側の古い建物の間の急な坂を登っていくとお城があり、ここがレストランだと言う。名前は「シャトー・ドゥ・ラ・シェーブル・ドール」。中庭が地中海を一望する断崖絶壁に面し、折しも地中海の彼方の島に沈む夕日が空を染めている。

 
到着時は陽も高かったが、いつしか地中海に陽が傾き黄昏時が、そして夜の帳に岬の明かりや船の灯りが・・ 

 Y女史はモナコよりニースが好きで、目下旧市街で一人住まいの28歳。語学留学で来て一匹狼の旅行案内役で小遣い稼ぎをしている等々、食前酒を飲みながらの身の上話をしている間に陽も沈み、辺りは薄暗くなってきた。レストランの中は、こんなに人がいたのかと言うほど満席に近い。不幸にもお腹の調子がいまいちの小生は、美味しいはずの料理がもう一つ進まない。ウェイター氏が心配してムッシュは料理が気に入らないのか?と心配する。逆に彼女はワイン片手に料理をぺロッと平らげる。

 
(左)レストランのバー・コーナー(レストランHPより)  (右)Y女史の提案で隠れた穴場を体験出来た

 デザートが近づくと少しは調子も戻り、再び断崖絶壁の上にせり出した小部屋で飲み物を手に、月明かりの地中海に行き交う船の灯明を目で追いつつ話が弾む。運転手はマルセイユから来ている。「先に帰そうか?」。時計を見るともう午前1時。
 旅の穴場、エズ村の夜は更にふけて行く。

 
(左)内陸の鷲ノ巣村の一つ サン・ポール村   (右)ここもエズ村同様、狭い曲りくねった石畳の道
 
 翌日は、ニース市内のバラ園とニースとカンヌの間の山間にあるシャガールが眠る村、サン・ポール・ド・ヴァンス(サン・ポール村)を訪問する。ピカソ、コクトーなど有名な画家が描いた壁画やイブ・モンタン経営のレストラン等もあり、エズ村とは趣を異にする鷲巣村である。

 イブ・モンタンが経営するというレストラン

 彼女の見送りで16時発のAF2321でニース空港を飛び立ち、一路パリへ。
結局、持参した水着はコート・ダジュールでは役に立たなかったなあ!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする