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躍進著しい中国における都市ガス事業は急送に拡大しつつある。新たな技術・事業ノウハウを求めてわが国にも協力要請がある。
しかし、面子を重んじる彼らは決して頭を下げるわけではない。彼らの表現を借りれば「日本にビジネスチャンスの場を提供してあげる」。
前回の北京に対抗して今回は上海が都市ガス関連技術展示会(ガス・チャイナ’95)を開催するのでそれへの出展要請があり参加協力すると共に、あまり良く知られていない中国内陸部三都市(成都、西安、重慶)の都市ガス事情を調査するのが、今回の出張の目的である。
魔都の夜 -上海― 1995.10.31~11.05
南京西路の上海錦滄文華大酒店(マンダリン・ホテル)
JL791便でお昼に上海空港に到着すると、創業130周年記念式典に併せガス・チャイナ‘95を企画した上海ガスの3人の外事課員の出迎えを受ける。彼らとは1年ぶりの再会である。上海での宿舎は、南京西路に位置しガス・チャイナの会場の上海展覧中心に隣接する上海錦滄文華大酒店(マンダリン・ホテル)である。
今回が第4回目のガス・チャイナ
ガス・チャイナのJGA(日本ガス協会)ブースは、昨年の北京同様C社の I 嬢が先発準備してくれているはずである。早速、準備状況のチェックを兼ねて会場視察を行う。相変わらずGパン姿の I 嬢がてきぱきと指示を出して、JGAブースがほぼ完成の域に達している。
英語を話せる中国人女子学生を雇って、展示会期間中ナレーションを担当してもらうことになっているが、その女子学生も会場に姿を見せ、練習に余念がない。JGAブースに各社の応援説明員に集ってもらって、明日のオープニングの諸打ち合わせを行う。
夕刻は、我々で前夜祭をやろうということになり、I 嬢が外灘に近い南京路のお店を予約。JGAのF君は今回が初出張。8人でテーブルを囲み本場中華料理でお腹を満たす。
日本展示会場の運営スタッフと会食後。
食後は、外灘を散策。長江の支流である黄浦江、その黄浦公園に沿って伸びる中山東一路の約1.5km一帯はかつて「バンド」と呼ばれ、上海が魔都と呼ばれた1920年代の租界時代の見事な建築群が残っている。
1992年に遊歩道が整備され、今や上海の観光スポットとなっているが、一際目につくのが中央にドームを持ち、正面に列柱を配したかつての香港上海銀行、現上海市人民政府の建物である。大勢の市民や観光客がライトアップされたこれらの建物群の美しさを背景にそぞろ歩きを楽しんでいる。
綺麗に整備された夜の外灘。市民の憩いの場でもある。
不動産投機で財を築いたサッスーン一族の本社ビルで、魔都時代キャセイホテルとして君臨した「和平飯店」もバンドの一角を占め、現在も外灘のシンボル的存在である。
「和平飯店」の1階にある「和平飯店バー」はジャズのライブハウスとして観光客の人気を集めている。店内には中国人、日本人、西欧人と種々雑多な人種が、5人の中国人のおじさん達が奏でる音色とテクニックに往事を忍ばせるライブを楽しんでいる
「和平飯店」の名物ライブ
我々も店の客となりライブを楽しんでいると、日本の曲の演奏でサービスしてくれる。そのうち、ステージ前の狭い空間で黒いシースルーのパンタロンスーツに身を包んだ若い女性とおばさんの2人の女性が踊り始めた。若い方の女性は、何ともセクシーな肉感的な女性である。どう見てもプロのダンサーではない。しばしば視線が合う。
ステージ前でにわかに踊りだした2人組み
45分ほど居たであろうか、店を出ようと出口に向かうと2人組みのこの女性達も店を出るところ。黒服の女性、間近で見ると吸い込まれそうな美人、「ダンスがお上手ですね」と英語で話しかけると、「叔母と観光に来たのよ」と流暢な英語での返事。
シースルーの黒服美人と。
これから何か期待出来そうな魔都、上海の夜である。
躍進著しい中国における都市ガス事業は急送に拡大しつつある。新たな技術・事業ノウハウを求めてわが国にも協力要請がある。
しかし、面子を重んじる彼らは決して頭を下げるわけではない。彼らの表現を借りれば「日本にビジネスチャンスの場を提供してあげる」。
前回の北京に対抗して今回は上海が都市ガス関連技術展示会(ガス・チャイナ’95)を開催するのでそれへの出展要請があり参加協力すると共に、あまり良く知られていない中国内陸部三都市(成都、西安、重慶)の都市ガス事情を調査するのが、今回の出張の目的である。
魔都の夜 -上海― 1995.10.31~11.05
南京西路の上海錦滄文華大酒店(マンダリン・ホテル)
JL791便でお昼に上海空港に到着すると、創業130周年記念式典に併せガス・チャイナ‘95を企画した上海ガスの3人の外事課員の出迎えを受ける。彼らとは1年ぶりの再会である。上海での宿舎は、南京西路に位置しガス・チャイナの会場の上海展覧中心に隣接する上海錦滄文華大酒店(マンダリン・ホテル)である。
今回が第4回目のガス・チャイナ
ガス・チャイナのJGA(日本ガス協会)ブースは、昨年の北京同様C社の I 嬢が先発準備してくれているはずである。早速、準備状況のチェックを兼ねて会場視察を行う。相変わらずGパン姿の I 嬢がてきぱきと指示を出して、JGAブースがほぼ完成の域に達している。
英語を話せる中国人女子学生を雇って、展示会期間中ナレーションを担当してもらうことになっているが、その女子学生も会場に姿を見せ、練習に余念がない。JGAブースに各社の応援説明員に集ってもらって、明日のオープニングの諸打ち合わせを行う。
夕刻は、我々で前夜祭をやろうということになり、I 嬢が外灘に近い南京路のお店を予約。JGAのF君は今回が初出張。8人でテーブルを囲み本場中華料理でお腹を満たす。
日本展示会場の運営スタッフと会食後。
食後は、外灘を散策。長江の支流である黄浦江、その黄浦公園に沿って伸びる中山東一路の約1.5km一帯はかつて「バンド」と呼ばれ、上海が魔都と呼ばれた1920年代の租界時代の見事な建築群が残っている。
1992年に遊歩道が整備され、今や上海の観光スポットとなっているが、一際目につくのが中央にドームを持ち、正面に列柱を配したかつての香港上海銀行、現上海市人民政府の建物である。大勢の市民や観光客がライトアップされたこれらの建物群の美しさを背景にそぞろ歩きを楽しんでいる。
綺麗に整備された夜の外灘。市民の憩いの場でもある。
不動産投機で財を築いたサッスーン一族の本社ビルで、魔都時代キャセイホテルとして君臨した「和平飯店」もバンドの一角を占め、現在も外灘のシンボル的存在である。
「和平飯店」の1階にある「和平飯店バー」はジャズのライブハウスとして観光客の人気を集めている。店内には中国人、日本人、西欧人と種々雑多な人種が、5人の中国人のおじさん達が奏でる音色とテクニックに往事を忍ばせるライブを楽しんでいる
「和平飯店」の名物ライブ
我々も店の客となりライブを楽しんでいると、日本の曲の演奏でサービスしてくれる。そのうち、ステージ前の狭い空間で黒いシースルーのパンタロンスーツに身を包んだ若い女性とおばさんの2人の女性が踊り始めた。若い方の女性は、何ともセクシーな肉感的な女性である。どう見てもプロのダンサーではない。しばしば視線が合う。
ステージ前でにわかに踊りだした2人組み
45分ほど居たであろうか、店を出ようと出口に向かうと2人組みのこの女性達も店を出るところ。黒服の女性、間近で見ると吸い込まれそうな美人、「ダンスがお上手ですね」と英語で話しかけると、「叔母と観光に来たのよ」と流暢な英語での返事。
シースルーの黒服美人と。
これから何か期待出来そうな魔都、上海の夜である。