(写真はクリックで拡大します)
アンデルセン童話を生んだ街 -オーデンセ- 1994.9.6~9.9
(左)右からスカンジナビア半島、シェラン島、フェン島、ユトランド半島 (右)フェン島のパンフ
ユトランド半島とスウエーデンの間のシェラン島に位置するコペンハーゲンから半島寄りの隣の島、フェン(Fyn)島に位置するオーデンセ(Odense)まではデンマーク国鉄(DSB)の列車の旅。
(左)デンマーク国有鉄道(DSB)網 (右)動輪、羽、王冠からなるDSB徽章
コペンハーゲンを出てシェラン島の西端Korsфr(コルソー駅)からはフェリーで海を渡る。列車ごとフェリーに積み込まれ、フェン島のNyborg(ニューポー駅)から再び列車でオーデンセに向かう。
(左)コルソー駅のフェリーの甲板から撮影 (右)フェリーに積み込まれた列車
(左)フェリー内の案内看板 (右)ストアベルト沖合の両島を結ぶ建設中の橋(写真をクリックして下さい)
両島の間をストアベルト(大海峡)と現地では言うが、現在両島を結ぶ橋とトンネルが建設中でフェリーからもその橋が見える。3年後の1997年に完成予定だそうだが、完成すると約1時間の列車の船旅が、わずか10分で結ばれるようだ。
(左)オーデンセの会議場兼宿舎「ホテル・アンデルセン」 (右)オーデンセの地図
オーデンセの会議場兼宿舎のホテル名はアンデルセン。当地最大のホテルに夕刻チェック・インし会議登録も行う。今夕は歓迎レセプションである。
(右)童話の世界を巡るツアー出発点の市庁舎前広場 (右)アンデルセン生家近くの街の景観
デンマーク第3の都市オーデンセは、かつて造船で栄えた町。緑豊かな自然と赤褐色の瓦屋根の家々が落ち着いた雰囲気を醸し出している。
7日のプログラムは、理事会メンバーのための徒歩によるオーデンセの街の見物。市庁舎から始まって、この市が誇る世界的に有名な童話作家アンデルセン(H.C.Andersen)の生家や幼少の家、博物館など、童話の世界を巡るツアーである。
(左)アンデルセンの生家、博物館になっている (右)会議お土産の童話集(各国版を用意)
1805年貧しい靴職人の子として生れた家が現在修復されて博物館として利用されている。また、2歳から14歳まで過ごした小さな貧しい家も作家ゆかりの品々が展示されている。
アンデルセンは非常に洞察力の鋭い人だったようだ。目で見た印象を素早く絵で表現する能力もあり数々のスケッチ、絵画も残されている。ちなみに理事会のお土産は各国語に翻訳された彼の6つの童話集であった。(マッチ売りの少女、皇帝の新しい着物、親指姫、モミの木、空とぶトランク、父さんのすることはいつも良し)。
ツアーの締め括りのレストラン「Den Gamle Kro」
ツアーの締め括りは、創業1683年の「Den Gamle Kro」というレストランで昼食・解散。
(左)1200年頃建設のNyborg城 (右)お城の案内パンフ表紙
(左)城の庭で中世の騎士による格闘デモンストレーション(参考写真) (右)今宵のディナー・メニュー
今宵はNyborg城を借切ってのディナーパーテイ。食事の前にかがり火の焚かれたお城の庭で中世の騎士によるパフォーマンスを楽しむ。1200年から1549年にかけて順次増設されたお城である。
翌8日午前は理事会。IGUのR新会長の初めての理事会である。
ホテルでのIGU理事会風景
役割のない午後は、お城の好きな同行者とEGESKOV SLOT(イーエスコー城)を訪れる。
(左)それほど大きくはないが綺麗なEGESKOV SLOT(イーエスコー城) (右)お城の解説
1554年完成の小さな湖の中に建つお城は公園とあわせて15haの広さ。樫の木の森の木を全部使用したという杭の上に建設されたお城は部屋数66室、バスルーム6室を有し、優雅な姿を湖面に映し出している。
(左)EGESKOV SLOT(イーエスコー城)を背景に (右)綺麗に手入れされた庭園
フェアウェルパーティは、郊外のレストラン。JGA事務局長席がJGA代表者席より上席となっており、慌てて変えて貰おうとしたが皆着席し始めており、時既に遅し。
国際的な団体の事務局長という職は、日本での理解とは異なり極めて重職なのである。従って、小生は日本の業界のナンバー3という位置づけになり、たまに出向もとの社長より上席になる場合があるので、要注意である。
日本の総理大臣がころころ変わる昨今、国際会議における席順は、さぞかし外務省の人間が会議事務局と必死にネゴをしていると思われる。当然、何度も顔合わせしている間柄が優先されるのは西も東も一緒である。
フェアウェルパーティー(午後7-11時半まで同じ席で延々と)
例によって延々と続くパーティ。翌日早く帰る組は徐々に退席を始める。我々も翌朝7時半の飛行機でコペンハーゲン経由パリに向かうことになっている。同行の氏とぼつぼつ引き上げるかとアンデルセンホテルに戻ったのは、午前零時。
翌9日は、生憎の朝からの雨。小型のオーデンセ発コペンハーゲン行きの飛行機は理事会出席者で貸切状態。アンデルセン一色の印象深いオーデンセの理事会であった。
アンデルセン童話を生んだ街 -オーデンセ- 1994.9.6~9.9
(左)右からスカンジナビア半島、シェラン島、フェン島、ユトランド半島 (右)フェン島のパンフ
ユトランド半島とスウエーデンの間のシェラン島に位置するコペンハーゲンから半島寄りの隣の島、フェン(Fyn)島に位置するオーデンセ(Odense)まではデンマーク国鉄(DSB)の列車の旅。
(左)デンマーク国有鉄道(DSB)網 (右)動輪、羽、王冠からなるDSB徽章
コペンハーゲンを出てシェラン島の西端Korsфr(コルソー駅)からはフェリーで海を渡る。列車ごとフェリーに積み込まれ、フェン島のNyborg(ニューポー駅)から再び列車でオーデンセに向かう。
(左)コルソー駅のフェリーの甲板から撮影 (右)フェリーに積み込まれた列車
(左)フェリー内の案内看板 (右)ストアベルト沖合の両島を結ぶ建設中の橋(写真をクリックして下さい)
両島の間をストアベルト(大海峡)と現地では言うが、現在両島を結ぶ橋とトンネルが建設中でフェリーからもその橋が見える。3年後の1997年に完成予定だそうだが、完成すると約1時間の列車の船旅が、わずか10分で結ばれるようだ。
(左)オーデンセの会議場兼宿舎「ホテル・アンデルセン」 (右)オーデンセの地図
オーデンセの会議場兼宿舎のホテル名はアンデルセン。当地最大のホテルに夕刻チェック・インし会議登録も行う。今夕は歓迎レセプションである。
(右)童話の世界を巡るツアー出発点の市庁舎前広場 (右)アンデルセン生家近くの街の景観
デンマーク第3の都市オーデンセは、かつて造船で栄えた町。緑豊かな自然と赤褐色の瓦屋根の家々が落ち着いた雰囲気を醸し出している。
7日のプログラムは、理事会メンバーのための徒歩によるオーデンセの街の見物。市庁舎から始まって、この市が誇る世界的に有名な童話作家アンデルセン(H.C.Andersen)の生家や幼少の家、博物館など、童話の世界を巡るツアーである。
(左)アンデルセンの生家、博物館になっている (右)会議お土産の童話集(各国版を用意)
1805年貧しい靴職人の子として生れた家が現在修復されて博物館として利用されている。また、2歳から14歳まで過ごした小さな貧しい家も作家ゆかりの品々が展示されている。
アンデルセンは非常に洞察力の鋭い人だったようだ。目で見た印象を素早く絵で表現する能力もあり数々のスケッチ、絵画も残されている。ちなみに理事会のお土産は各国語に翻訳された彼の6つの童話集であった。(マッチ売りの少女、皇帝の新しい着物、親指姫、モミの木、空とぶトランク、父さんのすることはいつも良し)。
ツアーの締め括りのレストラン「Den Gamle Kro」
ツアーの締め括りは、創業1683年の「Den Gamle Kro」というレストランで昼食・解散。
(左)1200年頃建設のNyborg城 (右)お城の案内パンフ表紙
(左)城の庭で中世の騎士による格闘デモンストレーション(参考写真) (右)今宵のディナー・メニュー
今宵はNyborg城を借切ってのディナーパーテイ。食事の前にかがり火の焚かれたお城の庭で中世の騎士によるパフォーマンスを楽しむ。1200年から1549年にかけて順次増設されたお城である。
翌8日午前は理事会。IGUのR新会長の初めての理事会である。
ホテルでのIGU理事会風景
役割のない午後は、お城の好きな同行者とEGESKOV SLOT(イーエスコー城)を訪れる。
(左)それほど大きくはないが綺麗なEGESKOV SLOT(イーエスコー城) (右)お城の解説
1554年完成の小さな湖の中に建つお城は公園とあわせて15haの広さ。樫の木の森の木を全部使用したという杭の上に建設されたお城は部屋数66室、バスルーム6室を有し、優雅な姿を湖面に映し出している。
(左)EGESKOV SLOT(イーエスコー城)を背景に (右)綺麗に手入れされた庭園
フェアウェルパーティは、郊外のレストラン。JGA事務局長席がJGA代表者席より上席となっており、慌てて変えて貰おうとしたが皆着席し始めており、時既に遅し。
国際的な団体の事務局長という職は、日本での理解とは異なり極めて重職なのである。従って、小生は日本の業界のナンバー3という位置づけになり、たまに出向もとの社長より上席になる場合があるので、要注意である。
日本の総理大臣がころころ変わる昨今、国際会議における席順は、さぞかし外務省の人間が会議事務局と必死にネゴをしていると思われる。当然、何度も顔合わせしている間柄が優先されるのは西も東も一緒である。
フェアウェルパーティー(午後7-11時半まで同じ席で延々と)
例によって延々と続くパーティ。翌日早く帰る組は徐々に退席を始める。我々も翌朝7時半の飛行機でコペンハーゲン経由パリに向かうことになっている。同行の氏とぼつぼつ引き上げるかとアンデルセンホテルに戻ったのは、午前零時。
翌9日は、生憎の朝からの雨。小型のオーデンセ発コペンハーゲン行きの飛行機は理事会出席者で貸切状態。アンデルセン一色の印象深いオーデンセの理事会であった。