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2011年、最後のブログは「異文化体験18 世界ガス会議の旅」の完結編です。
来る年が皆様に良い年であるよう、祈っています。
ヨーロッパ・アルプス 白銀の空中散歩 -ミラノ- 1994.6.15~6.26
全ての会議日程を終えた世界ガス会議は今日からポストコングレス・ツアーに入っている。シシリー島へのツアーに人気があるようだ。
我々は、4月のチャレンジが吹雪に阻まれたイタリアからフランスへのゴンドラによるアルプス越えに再チャレンジ。会議で頑張ってくれた仲間3名でミラノを早めに出発。アオスタの街は4月の景色とは一変し、新緑に覆われている。
モンテビアンコ(モンブラン)へのルート(今回は左手イタリア側エルブロンネルからのゴンドラで、数年前は右手フランス側シャモニーから。写真とルート図はほぼ対応しています)
(左)ラ・パリュ-エルブロンネル間の切符 (右)出発点ラ・パリュを眼下に高度を上げていく
アオスタ郊外ラ・パリュ(La Palud)からモンテ・ビアンコ(Monte Biancoモンブラン)、正確にはエギーユ・デュ・ミディ展望台(Aiguille du Midi)まで往復の切符を手に、まずはロープウェイに乗り込む。4月の時は1度乗り継いだ先で悪天候と寒さでギブ・アップしたが、神が味方してくれたのか今日は雲ひとつない快晴である。
(左)エルブロンネルからの眺望(参考写真) (右)エルブロンネル-エギーユ・デュ・ミデイ間の切符
標高1370mのラ・パリュから、2173mのパヴィリオン(Pavillion)、3375mのトリノ小屋、そしてエルブロンネル(Helbronner)へとロープウェイを乗り継いでやって来るとアルプスの山々の威容が眼前に迫ってくる。ここで行き着く先の見えない4人乗り3重連のゴンドラに乗り換える。眼下にはまばゆい白銀の世界がどこまでも続いている。
4人乗り3重連のゴンドラ
何故か数分毎に不規則にゴンドラが停まるのは、全く見えないステーションでお客が乗り込んだためと理解するのに少し時間を要した。ゴンドラが停まり、窓から身をのり出すとそこには物音一つしない静寂の世界がある。シーンと静まりかえった静寂の中にわが身が吸い込まれそうな感じがする。真っ青な空、白銀がまばゆく陽光をはね返す。眼下の白銀の上を小さな黒い物体が動いている。良く見ると登山者が手を振っている。声を出しても偉大な自然の中に吸収されて届かない。
4807m 澄み切った青空に雪煙をあげるモンテ・ビアンコ(モンブラン)の威容
白銀と青空と、そして静寂と。
エギーユ・デュ・ミデイ(Aiguille du Midi )が近づくと、アルプスの一大パノラマが更に大きく展開する。3842m、富士山より高いエギーユ・デュ・ミディは、モンブラン、いや今回はイタリア側に敬意を表して4807mのモンテ・ビアンコを間近に見る恰好のポイントとして沢山の観光客がイタリア、フランス両方から登ってくる。
(左)エギーユ・デュ・ミディ展望台の構造 (右)展望台テラスとシャモニーの街並み
エギーユ・デュ・ミディからはるか眼下にフランスからの拠点シャモニーの街の家並みが見えている。数年前はシャモニー側からロープウェイに乗ること20分でここに来たのだが、今日は雲一つない快晴でモンテ・ビアンコの雪煙が間近に見える。
更に、4478mのマッターホルン、4634mのモンテ・ローザ等々、4000m級のアルプスの山々が黒い岩肌を見せ付けている。
(左)3842m富士山より高い展望台、階段では息切れも (右)シャモニーに流れるボソン氷河
同行の2人は、エギーユ・デュ・ミディの展望台への階段を上がるのに、息を切らし気分が悪いとしばし休憩、軽い高山病である。ここから、イタリア側、フランス側それぞれに登山者が隊列を組んで降りていく姿が確認できる。
ラ・パリュに戻ると、ベンツの運転手が「どうだった? モンテ・ビアンコは良かっただろう!」と問い掛ける。日本人の富士山同様、彼等の山なのである。
帰途ゴンドラから見るアルプスの峰々、雲が出始めた
ミラノに戻り、会議応援仲間で独身のO君のためにレセプションで司会をしてくれた女性をレストラン「赤坂」での食事に誘っている。美人の彼女も留学生の一人。
その後、市内のカラオケ屋でお世話になった某商社の面々と打ち上げパーティ。本当に現地駐在でしか分からない細かい点で助けられた。
(左)お世話になったアローラおばさんからの贈り物 (右)ローマ建国伝説の狼と双子の幼子
もう一人お世話になった大事な人がいる。アローラおばさんである。おばさんがお別れの時に「シルバーウルフ(銀色の狼)」の置物をプレゼントしてくれた。何でまたこのようなものを、と思っていたが、帰国後それが理解出来た!
ローマ建国伝説の雌狼なのだ!捨てられていた双子の幼子を自らの乳で育てたという雌狼。双子はロムスルとレムス。兄のロムスルがローマを建国したというイタリアでは有名な伝説だ。
記憶に深く刻まれたイタリア・ミラノとも明日でお別れである。
2011年、最後のブログは「異文化体験18 世界ガス会議の旅」の完結編です。
来る年が皆様に良い年であるよう、祈っています。
ヨーロッパ・アルプス 白銀の空中散歩 -ミラノ- 1994.6.15~6.26
全ての会議日程を終えた世界ガス会議は今日からポストコングレス・ツアーに入っている。シシリー島へのツアーに人気があるようだ。
我々は、4月のチャレンジが吹雪に阻まれたイタリアからフランスへのゴンドラによるアルプス越えに再チャレンジ。会議で頑張ってくれた仲間3名でミラノを早めに出発。アオスタの街は4月の景色とは一変し、新緑に覆われている。
モンテビアンコ(モンブラン)へのルート(今回は左手イタリア側エルブロンネルからのゴンドラで、数年前は右手フランス側シャモニーから。写真とルート図はほぼ対応しています)
(左)ラ・パリュ-エルブロンネル間の切符 (右)出発点ラ・パリュを眼下に高度を上げていく
アオスタ郊外ラ・パリュ(La Palud)からモンテ・ビアンコ(Monte Biancoモンブラン)、正確にはエギーユ・デュ・ミディ展望台(Aiguille du Midi)まで往復の切符を手に、まずはロープウェイに乗り込む。4月の時は1度乗り継いだ先で悪天候と寒さでギブ・アップしたが、神が味方してくれたのか今日は雲ひとつない快晴である。
(左)エルブロンネルからの眺望(参考写真) (右)エルブロンネル-エギーユ・デュ・ミデイ間の切符
標高1370mのラ・パリュから、2173mのパヴィリオン(Pavillion)、3375mのトリノ小屋、そしてエルブロンネル(Helbronner)へとロープウェイを乗り継いでやって来るとアルプスの山々の威容が眼前に迫ってくる。ここで行き着く先の見えない4人乗り3重連のゴンドラに乗り換える。眼下にはまばゆい白銀の世界がどこまでも続いている。
4人乗り3重連のゴンドラ
何故か数分毎に不規則にゴンドラが停まるのは、全く見えないステーションでお客が乗り込んだためと理解するのに少し時間を要した。ゴンドラが停まり、窓から身をのり出すとそこには物音一つしない静寂の世界がある。シーンと静まりかえった静寂の中にわが身が吸い込まれそうな感じがする。真っ青な空、白銀がまばゆく陽光をはね返す。眼下の白銀の上を小さな黒い物体が動いている。良く見ると登山者が手を振っている。声を出しても偉大な自然の中に吸収されて届かない。
4807m 澄み切った青空に雪煙をあげるモンテ・ビアンコ(モンブラン)の威容
白銀と青空と、そして静寂と。
エギーユ・デュ・ミデイ(Aiguille du Midi )が近づくと、アルプスの一大パノラマが更に大きく展開する。3842m、富士山より高いエギーユ・デュ・ミディは、モンブラン、いや今回はイタリア側に敬意を表して4807mのモンテ・ビアンコを間近に見る恰好のポイントとして沢山の観光客がイタリア、フランス両方から登ってくる。
(左)エギーユ・デュ・ミディ展望台の構造 (右)展望台テラスとシャモニーの街並み
エギーユ・デュ・ミディからはるか眼下にフランスからの拠点シャモニーの街の家並みが見えている。数年前はシャモニー側からロープウェイに乗ること20分でここに来たのだが、今日は雲一つない快晴でモンテ・ビアンコの雪煙が間近に見える。
更に、4478mのマッターホルン、4634mのモンテ・ローザ等々、4000m級のアルプスの山々が黒い岩肌を見せ付けている。
(左)3842m富士山より高い展望台、階段では息切れも (右)シャモニーに流れるボソン氷河
同行の2人は、エギーユ・デュ・ミディの展望台への階段を上がるのに、息を切らし気分が悪いとしばし休憩、軽い高山病である。ここから、イタリア側、フランス側それぞれに登山者が隊列を組んで降りていく姿が確認できる。
ラ・パリュに戻ると、ベンツの運転手が「どうだった? モンテ・ビアンコは良かっただろう!」と問い掛ける。日本人の富士山同様、彼等の山なのである。
帰途ゴンドラから見るアルプスの峰々、雲が出始めた
ミラノに戻り、会議応援仲間で独身のO君のためにレセプションで司会をしてくれた女性をレストラン「赤坂」での食事に誘っている。美人の彼女も留学生の一人。
その後、市内のカラオケ屋でお世話になった某商社の面々と打ち上げパーティ。本当に現地駐在でしか分からない細かい点で助けられた。
(左)お世話になったアローラおばさんからの贈り物 (右)ローマ建国伝説の狼と双子の幼子
もう一人お世話になった大事な人がいる。アローラおばさんである。おばさんがお別れの時に「シルバーウルフ(銀色の狼)」の置物をプレゼントしてくれた。何でまたこのようなものを、と思っていたが、帰国後それが理解出来た!
ローマ建国伝説の雌狼なのだ!捨てられていた双子の幼子を自らの乳で育てたという雌狼。双子はロムスルとレムス。兄のロムスルがローマを建国したというイタリアでは有名な伝説だ。
記憶に深く刻まれたイタリア・ミラノとも明日でお別れである。