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ここ掘れ、ワンワン。王家の谷 -ルクソール- 2008.12.20
「鯖腹減る(サバハラヘル)=おはよう!」と教えるのは独身現地ガイドのモハメッド氏。本当はサバーヒルヘールらしい。
ナイル西岸の王家の谷に向かう道中、サトウキビ畑が広がる。エジプト人の砂糖消費量は何と32kg/年・人、お菓子の甘さは中途半端じゃない。
西岸入口のメムノンの巨像。アメンホテプⅢ世の坐像だが、坐像の後ろにあるはずの彼の葬祭殿は後の王たちの石材として破壊されて、お気の毒と言わざるを得ない。
(左)ナイル西岸 王家の谷入口の「メムノンの巨像」お気の毒! (右)巨像の辺りから見た王家の谷方面
バスはカーナボン卿の家や早稲田ハウスを右手に見ながら王家の谷の奥深くに入っていく。
ビジターセンターは我々の血税も入って鹿島建設が建てたもの。電動カートに乗り換えて墳墓の近くまで行くが、その距離わずか数百メートル。今は冬場だからわずかと言えるが、40℃以上になるともいう夏場のことを想像すると納得。
(左)ビジターセンターで電動カートに乗り換え (右)カートに乗って王家の谷の奥へ
王家の谷は、新王国の時代(今から3500年ほど前)の多くのファラオが眠っている。3つのお墓に入れる入場券で、ラムセスⅠ、Ⅳ、Ⅸ世の墓に入る。撮影禁止である。王家の谷自身ビデオ撮影は全面禁止である。しかし、これもおかしな話で、デジカメには動画撮影機能がある。デジカメOKでビデオ×という論理はいずれ見直されるだろう。
王墓には古代エジプト人が信仰する太陽神ラーを中心とする宇宙の営みや生活様式が極彩色で描かれている。ご興味のある方は、岩波新書:古代エジプト人の世界―壁画とヒエログリフを読む―(村治笙子著、仁田三夫写真)の購読をお奨めする。
(左)ラムセスⅠ世王墓壁画(上記図書より) (右)今日の入場券(上:3墳墓、中:ツタンカーメン、下:女王葬祭殿)
KV62、これがトゥトアンクアムン(ツタンカーメン)王の墓である。別途入場料2000円が必要。王墓の入口に案内板がある。カメラすら持って入れない。散々、TVで見た王墓であるが、実際入ってみると意外と小さい。
今もツタンカーメンのミイラが王墓内前室に温湿度調節されたガラスケース内に安置され、玄室にお棺も置かれている。これだけのスペースに、あの数々の副葬品が所狭しと置かれていたのだ。
(左)王家の谷とKV62(右下)入口 (中、右)ツタンカーメンの墓発見時の記録写真
ところで、KV64を目下探索中なのがザキ博士。ツタンカーメンの墓の前には休息所があり、多くの見物人が休息を取っているが、何と墓と休息所の間に新たな墳墓があるのではないかと掘削が始まっている。ツタンカーメンの妻の墓があるはずとのこと。
まさに、「ここ掘れ、ワンワン」ではないが、何せまだ遺跡の70%が砂の中とのこと。第2のツタンカーメン級が待ち焦がれる。
ツタンカーメンの妻の墓? ザキ博士が目下発掘中、入口はどこ?
王家の谷を回り込んだ所にあるのが、ハトシェプスト女王葬祭殿。夫トトメスⅡ世の死後、わが子Ⅲ世の摂政となり、更に自らファラオとなったエジプト初の女王の葬祭殿は、3層のテラスからなる素晴らしい建築物である。女王の誕生や古代プントとの交易等がレリーフに描かれている。
ハトシェプスト女王葬祭殿全景
1997年11月、この葬祭殿でテロ事件が発生し日本人10名を含む外国人観光客58名が死亡する事態が発生。以後、観光警察を設置して観光立国を目指すエジプトは主要な観光地には多くの警官を配置している。この葬祭殿にも銃を持った警官が多数いる。
(左) 葬祭殿前の広場(1997年 日本人10名を含む58名がここで射殺された) (右)葬祭殿下のホルス像
葬祭殿の端のレリーフを撮影していると、立ち入り禁止の縄張りの中にいる警官が手招きしている。写真を撮ってやろうということらしい。ご親切に、さすが観光警察!と感心してカメラを渡すと縄張りの中に入れと言う。いいのかな?と思いつつ、言うとおりにすると結構いいカメラアングルで葬祭殿背景に撮影してくれる。雰囲気的にどうもこれは小遣い稼ぎだな!と気づいたが、まさにその通り。おおっぴらには言えないので、ジェスチャーで1$くれ!と言う。
(左)この観光警察官、仕事の合間の小遣い稼ぎ!! (中)立入り禁止域で警察官が撮影 (右)祭殿内部 色彩も鮮やかに。
今はテロとは程遠い平和な観光地となっていいことだが、有事に彼らは本当に大丈夫?
ここ掘れ、ワンワン。王家の谷 -ルクソール- 2008.12.20
「鯖腹減る(サバハラヘル)=おはよう!」と教えるのは独身現地ガイドのモハメッド氏。本当はサバーヒルヘールらしい。
ナイル西岸の王家の谷に向かう道中、サトウキビ畑が広がる。エジプト人の砂糖消費量は何と32kg/年・人、お菓子の甘さは中途半端じゃない。
西岸入口のメムノンの巨像。アメンホテプⅢ世の坐像だが、坐像の後ろにあるはずの彼の葬祭殿は後の王たちの石材として破壊されて、お気の毒と言わざるを得ない。
(左)ナイル西岸 王家の谷入口の「メムノンの巨像」お気の毒! (右)巨像の辺りから見た王家の谷方面
バスはカーナボン卿の家や早稲田ハウスを右手に見ながら王家の谷の奥深くに入っていく。
ビジターセンターは我々の血税も入って鹿島建設が建てたもの。電動カートに乗り換えて墳墓の近くまで行くが、その距離わずか数百メートル。今は冬場だからわずかと言えるが、40℃以上になるともいう夏場のことを想像すると納得。
(左)ビジターセンターで電動カートに乗り換え (右)カートに乗って王家の谷の奥へ
王家の谷は、新王国の時代(今から3500年ほど前)の多くのファラオが眠っている。3つのお墓に入れる入場券で、ラムセスⅠ、Ⅳ、Ⅸ世の墓に入る。撮影禁止である。王家の谷自身ビデオ撮影は全面禁止である。しかし、これもおかしな話で、デジカメには動画撮影機能がある。デジカメOKでビデオ×という論理はいずれ見直されるだろう。
王墓には古代エジプト人が信仰する太陽神ラーを中心とする宇宙の営みや生活様式が極彩色で描かれている。ご興味のある方は、岩波新書:古代エジプト人の世界―壁画とヒエログリフを読む―(村治笙子著、仁田三夫写真)の購読をお奨めする。
(左)ラムセスⅠ世王墓壁画(上記図書より) (右)今日の入場券(上:3墳墓、中:ツタンカーメン、下:女王葬祭殿)
KV62、これがトゥトアンクアムン(ツタンカーメン)王の墓である。別途入場料2000円が必要。王墓の入口に案内板がある。カメラすら持って入れない。散々、TVで見た王墓であるが、実際入ってみると意外と小さい。
今もツタンカーメンのミイラが王墓内前室に温湿度調節されたガラスケース内に安置され、玄室にお棺も置かれている。これだけのスペースに、あの数々の副葬品が所狭しと置かれていたのだ。
(左)王家の谷とKV62(右下)入口 (中、右)ツタンカーメンの墓発見時の記録写真
ところで、KV64を目下探索中なのがザキ博士。ツタンカーメンの墓の前には休息所があり、多くの見物人が休息を取っているが、何と墓と休息所の間に新たな墳墓があるのではないかと掘削が始まっている。ツタンカーメンの妻の墓があるはずとのこと。
まさに、「ここ掘れ、ワンワン」ではないが、何せまだ遺跡の70%が砂の中とのこと。第2のツタンカーメン級が待ち焦がれる。
ツタンカーメンの妻の墓? ザキ博士が目下発掘中、入口はどこ?
王家の谷を回り込んだ所にあるのが、ハトシェプスト女王葬祭殿。夫トトメスⅡ世の死後、わが子Ⅲ世の摂政となり、更に自らファラオとなったエジプト初の女王の葬祭殿は、3層のテラスからなる素晴らしい建築物である。女王の誕生や古代プントとの交易等がレリーフに描かれている。
ハトシェプスト女王葬祭殿全景
1997年11月、この葬祭殿でテロ事件が発生し日本人10名を含む外国人観光客58名が死亡する事態が発生。以後、観光警察を設置して観光立国を目指すエジプトは主要な観光地には多くの警官を配置している。この葬祭殿にも銃を持った警官が多数いる。
(左) 葬祭殿前の広場(1997年 日本人10名を含む58名がここで射殺された) (右)葬祭殿下のホルス像
葬祭殿の端のレリーフを撮影していると、立ち入り禁止の縄張りの中にいる警官が手招きしている。写真を撮ってやろうということらしい。ご親切に、さすが観光警察!と感心してカメラを渡すと縄張りの中に入れと言う。いいのかな?と思いつつ、言うとおりにすると結構いいカメラアングルで葬祭殿背景に撮影してくれる。雰囲気的にどうもこれは小遣い稼ぎだな!と気づいたが、まさにその通り。おおっぴらには言えないので、ジェスチャーで1$くれ!と言う。
(左)この観光警察官、仕事の合間の小遣い稼ぎ!! (中)立入り禁止域で警察官が撮影 (右)祭殿内部 色彩も鮮やかに。
今はテロとは程遠い平和な観光地となっていいことだが、有事に彼らは本当に大丈夫?