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旅行記、世相独言

トロピカル・スニーカーズ -サイパン-(異文化体験40 サイパン戦後60年の旅1)

2014年03月08日 14時27分54秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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トロピカル・スニーカーズ -サイパン-      2005.07.07-07.08


 前回、ソウル・ゴルフ旅行の時の仲間と再びサイパンに行くことになった。ソウルの時は急遽一人が身内の不幸で行けなくなったが、今回は4人揃っての旅である。

 計画時には全く知らなかったが、我々が行く10日ほど前の6月27-28日に、戦後60年のサイパンを天皇・皇后両陛下が史上初めて友好親善ではなく戦没者の慰霊目的だけのために行幸され、その様子はテレビで紹介された。

 兎に角、安くコストパフォーマンスの高い旅にしようと皆で調べた結果、飛行機・ホテルのみのパック旅行を申し込んだ。一人48420円。サイパン・グランドホテル本館3階以上/オーシャンビューで、空港税・利用料5420円、初日の午前中のミニ島内観光も含んでいる。

 サイパン島・島内略図

        
(左)今回の宿舎 サイパン・グランドホテル正面玄関            (右)部屋の様子


 関空を22時丁度に飛び立ったJALウェイズJO949便は、翌午前2時25分サイパン国際空港に着く。時差は1時間。
 サイパンのお隣の島グァムに新婚旅行で行ったのが34年前。当時は固定相場制で1ドル360円の時代(ちなみに今回は$1=114)。イエローカードとビザが必要で、円の持ち出し制限もあった。あの時もグァム行きは伊丹から夜の遅い便で、南国のけだるい風の吹くグァムの空港に深夜に降り立ったのを昨日のように思い出す。そう!旅行後すぐに横井庄一さんがジャングルから出て来るというビッグニュースがあった。

         
(左)バンザイクリフに立つ慰霊塔             (右)何事もなかったかのように紺碧の海が広がるバンザイクリフ

 朝8時30分、島内ミニ観光「トロピカル・スニーカーズ」が始まる。数時間しか寝ていないがその辺は社会人生活で鍛えられている。
最初に訪れたのが島の最北端のバンザイクリフ。1944年6月のアメリカ軍をはじめとする連合国軍の上陸の際には住民を巻き込んでの激しい戦闘によって、ここバンザイクリフから多くの人々が身を投ずるなど多数の犠牲者を出した。今は何事もなかったかのように波が打ち寄せ紺碧の海が広がっている。

         
(左)最後の司令塔 畳8畳くらいの狭い洞窟空間      (右)連合国軍の上陸・戦火拡大の様子が見て取れる 

          
                    (左・右)戦争の様々な傷跡が司令塔前に残されている

  次に訪れたのが最後の司令塔跡。第二次世界大戦中は、日本軍司令部があったが、最後の司令塔跡は畳8畳位の狭い洞窟のような所で、今はその周辺に日本国慰霊塔があり機関砲、戦車の残骸等が当時の有様を今に伝えている。この時期、火炎樹の花が咲き乱れ、忌まわしい過去の出来事がうそのようである。

          
(左)最後の司令塔近くにある「日本国慰霊塔」          (右)この時期、島内には火炎樹の花が至る所で咲き乱れる

   
 その後、サンゴ礁の上にある石灰岩でできた無人島で、表面にはたくさんの穴があき、多くの鳥たちが暮らしているのがその名の由来のバードアイランド、南洋興発株式会社初代社長である松江春次氏の銅像が設置されているシュガーキングパーク、ここには砂糖きび運搬用として1944年まで使用されていた機関車が飾られている、等々を観光し、お昼にトロピカルスニーカーズを終了する。

           
(左)無人島のバードアイランド                  (右)南洋興発株式会社があったシュガーキングパーク 

           
(左)シュガーキングパークには神社が・・・            (右)1944年まで砂糖きびを運んだ機関車

 午後は、ゴルフの予約がある。DFS内のハードロックカフェで大急ぎでサンドウィッチの昼食を済ませ、ピックアップ場所であるグランドホテルに戻る。

グァム島 新婚旅行 -グァム-(異文化体験1 ハネムーン)

2012年10月21日 00時13分56秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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 人生初の海外旅行は、グァム島への新婚旅行である。
 「異文化体験1」となるこの旅は書く予定をしていなかったが、40年後の2012年ゴルフツアーでグァムを再度訪問、「異文化体験42」として書いた際に新婚旅行のことにも触れたので、書くことにした次第である。
 従って、40年の今昔比較は異文化体験42「グァムdeゴルフの旅その1」をご覧下さい。


グァム島 新婚旅行 -グァム-  1972.5.6-5.10

      
(左)当時の青色パスポート(右)と現在(左)           (右)旅程表

 新阪急ホテルでの結婚式・披露宴を終え、夕刻大阪国際空港(伊丹)発のPA801便(パンアメリカン航空)で一路グァムへ。
 パスポートに米国ビザ、イエローカード、制限付きの外貨申請(1$=¥360)等々、不慣れな手続きを経て、初の異国の地に降り立ったのは深夜であった。生暖かい風が吹いていたのを思い出す。宿舎は最近オープンしたグァム第一ホテル。

 
(左)人影もまばらなタモン湾に広がるビーチ           (2)ホテル前のビーチにて

 さすがに翌7日は疲れを癒すために、終日休息日。ホテルの前に広がる浜に出て日光浴。
 海はどこまでも透明で穏やか。しかし、入って行こうとすると何やら黒いものが足もとに。それも半端な数ではない。よく見るとナマコがうようよ。サンダル履きでないと気持ちが悪くて歩けない。それだけ自然が残されているということか?
 ホテルのプールには島北部にあるアンダーソン空軍基地の関係か、米国人の子弟をよく見かける。そんな子供をつかまえて、英会話の練習も出来る。

 
(左)きれいな海にはナマコがうじゃうじゃ(写真の黒いもの) (右)プールでアメリカの子女と英会話のレッスン


      
(左)1972年のグァム観光地図              (右)島内観光は主に島の南側(北側には空軍基地)

 15人乗りのリムジンで島内観光へ
 疲れも癒えて8日は島内観光。15人乗りのリムジンが迎えに来る。

 グァム第一の名所「恋人岬」
 最初に立寄ったのがタモン湾を一望出来る「恋人岬」。伝説によると恋に落ちたチャモロ娘と青年がかなわぬ恋となったのを嘆いて身を投じた岬だそうな。

 PITIにある自然エネルギーを利用した波動発電所
 その後、車はAGANAの海岸通りを南下してPITI(ピティ)へ。PITIには「波動を利用した発電所」や海軍基地がある。

 NIMITZの「スペイン古橋」
 更に南下するとNIMITZ BEACH(ニミッツビーチ)に至る。ここは「日米攻防の舞台」となったところ。スペイン統治時代の名残の珊瑚造りの「スペイン古橋」がある。

 スペイン統治時代の「ソレダド砦」
 更に南下を続けると、UMATAC湾(ウマタック湾)に出る。ここは1521年世界一周途上の「マゼランが上陸」した所。丘の上にはスペイン統治時代の哨舎「ソレダド砦」が残っている。

 グラスボートで海底見物
 少し南に行くとMERIZO(メリソ)の村がある。ココス島への渡船基地だがココス島は明日行く予定。今日は、グラスボートに乗って海底見物。

      
(左)INARAJANの浜辺から見た「熊石」        (右)イナラハンの村で椰子の実の試飲・試食
 INARAJAN(イナラハン)は島の最南端に近いところ。海上に熊のように構える「熊石」や、海辺に天然プール・飛び込み台がある。

        
(左)タロフォフォ川 (右)この川の上流で3ケ月前に横井庄一さんが発見、その新聞記事(日本中が驚いた日)

 イナラハンから北上するかたちで、しばらく走るとTALOFOFOの入江に着く。タロフォフォとは明日への道という意味だそうだ。このタロフォフォ川の上流で3ケ月前に横井庄一さんが発見されたそうだ。

 南太平洋の巨石文明の一つ「ラッテ・ストーン」
 ここから中央部アガナに戻って、最後に立寄ったのが「ラッテ・ストーン公園」。マリアナ諸島に残る石器時代の遺物。珊瑚岩から切出された1.5mほどの石造物で、イースター島やヤップに残る石造物と共に謎の史跡である。


 翌9日は、昨日通ったメリソの村からボートで5分のココス島へ。
 白砂の無人島「ココス島」から見たグァム本島

       
       無人のココス島に置いてけぼり、ランチは届けてくれるようだが・・・

 化粧品会社や水着のCM撮影によく使われる島だそうで、モーターボートで数分の沖合いの小島である。まばゆい白砂と熱帯の緑のコントラストが見事な島だが、「ランチはまた運ぶから」と、ここに二人で置き去りにされても・・・。まあ、無人島生活をしばし体感することに。

 夜はタヒチアンショーを見ながらのディナー

 
(左)帰国日 ホテルの正面玄関にて        (右)帰国日 ホテルのプールサイドにて

 
             グァム-東京便のジャンボジェット(東京経由で帰国)

 帰国日は、私の希望で東京経由に。ジャンボジェットが就航してまだ日が浅いが、伊丹には滑走路の問題で発着出来ないので、ジャンボに乗りたいがゆえの東京経由。

 グァムのお土産(首狩族の木彫り人形)

 やはり、熱帯は暑い!を実感した異文化体験の初旅であった。

ハワイアン・ウェディング -マウイ島-(異文化体験13 ハッピー・ウェディングの旅2)

2011年08月06日 15時10分54秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
ハワイアン・ウェディング -マウイ島-  1991.6.15-6.16

 
(左)ハワイ諸島間の航路 オアフ-マウイ間は35分     (右)エア・チケット

 オアフ島からマウイ島へはアロハ・エアラインの35分の空の旅。
 マウイとは、ハワイの神話にでてくる半神半人の若者のことで、「マウイ・ノ・カ・オイ(マウイは最高)」というハワイ語で呼ばれるほど、美しく魅力的な島だそうな。


     
               マウイでの宿舎ラハイアナ・ショア・ホテル

 マウイでのホテルは、ラハイナ・ショアホテル。ホテルで身支度を整え、向かった先はラフィオカラニ教会という海辺に建つ可愛い教会。主人公たちは当然ずっと先に現地入りし、諸準備をしてこの日を迎えている。教会での結婚式は日本もここハワイでも手順はさして変わらないが、神父さんがハワイに伝わる恋物語を現地語を交えて紹介し、ギターをバックにハワイアンソングが効果を盛り上げたりと、ハワイアン・ウェディングの雰囲気を大いに実感させてくれる。

    
                       (左・右)海辺に建つラフィオカラニ教会      

 式の後は教会前の芝生の広場でシャンパンを片手に記念撮影へと続く。目の前に紺碧の海が広がり、少し暑いのを除くと最高の雰囲気である。


       
(左)午餐会会場の「ザ・ウェスティン・マウイ」  (右)ホテル内の庭園がとても綺麗!!

 夕刻、場所をカアナパリビーチの「ザ・ウェスティン・マウイ」に移して、両家の会食が始まる。庭がとても綺麗なホテルで、会食会場はその庭に面したトロピカ (tropica)というビーチウォークと海が見渡せる半オープンエアのレストラン。庭の水辺のフラミンゴや空を染める夕陽を楽しみながらの会食となった。

 フラミンゴと夕日が楽しめるレストラン「トロピカ」

 夕陽が沈むとローソクの灯りの中での会食となり、ピアノの演奏も始まる。しばらくして演者の女性の所に行って「日本の新婚さんのために何か弾いてくれる?」と少しチップを渡すと、しばらくして「さくら、さくら」が始まった。


 
 (左)夜のラハイナの街       (右)ラハイナ周辺海域はホウェール・ウォッチングが楽しめる

 部屋から見えるラハイナ周辺の海域は、毎年11月~4月の間、ザトウクジラ(Humpback Whale)が暖かい環境を求めやって来て繁殖活動を行うらしくホウェール・ウォッチングのツアーが盛んなようだ。

  かつての捕鯨基地の海辺のランドマーク的レストラン

 翌朝、オアフ島に戻るフライトまでの時間、ラハイナの街を散策する。ラハイナはカメハメハ王朝時代のハワイの首都で、その後捕鯨産業で栄えたノスタルジックな町である。

 
(左)2年前に開業した「チーズバーガーレストラン」   (右)さすがにデカイ!

 フロント通りという海岸沿いの道を30分ほど歩くとランドマークになりそうなレストランがあった。その名も「チーズバーガーレストラン」。2年前の開業で雰囲気の良いレストランである。特大のチーズバーガーをマウイの思い出に頬張って、再びオアフ島に戻る。


ハワイでマリンスポーツ -オアフ島-(異文化体験13 ハッピーウェディングの旅1)

2011年07月30日 13時51分26秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
ハワイでマリンスポーツ  1991.6.13-6.18

 今回は2度目のハワイ!!

 大阪を夕刻6時に飛び立ったノースウェスト16便は、同じ日の早朝6時55分にハワイ・ホノルル空港に到着する。
 今回は米国西海岸で仕事をしている義弟がマウイ島で結婚式を挙行するので、義弟の家族7人が呉越同舟でハワイにやって来た次第。小生にとっては2度目のハワイで仕事の合間のちょっとしたバケーションである。

    
(左)今回のオアフ島での宿舎パークショアホテル  (右)隣接するカピオラニパークとダイヤモンドヘッド

 
(左)部屋からダイヤモンドヘッドが見える    (右)ホテル前のクヒオビーチ

 ワイキキに近いパークショア・ホテルがオアフ島の基地ホテル。クヒオビーチから道路を挟んだ向かいにあるこのホテルは、緑が広がるカピオラニパークにも面し、部屋から1.6kmと至近距離にあるダイヤモンドヘッドもよく見える。

 初日の13日は眠い目をこすりながらの島内観光。15日がマウイ島での結婚式なので実質フリーな1日は14日のみ。いろいろ現地のツアーを検討して、我々夫婦はマリーン・スポーツの1日コース($95、8hr)をチョイスした。
 説明書によると「カネオヘ湾でジェット・スキー、ウィンド・サーフィン、シュノーケリング等人気のマリーンスポーツを楽しみ、大型ヨット上でのバーベキューも格別」とある。

 オアフ島の北側に位置するカネオヘ湾

 翌朝、ツアー送迎バスが各ホテルで客をピックアップしながら集合場所に連れて行く。ある程度予想はしていたが参加者は若い人達ばかりで我々夫婦は場違いな感じ、しかしそこは気持ちで同調して、初体験の一日が始まる。

   
     ボードに立って帆を立ち上げるのが一苦労(参考写真)

 まず最初のチャレンジはウィンド・サーフィン。ボードの上に立って水面に倒れている帆を引き起こすという簡単な作業が、なかなか上手くいかない。表面張力で結構引き上げるのに力を要する。
 海上は風も強くボードそのものが流されるので、ロープが付いていてある許容距離内で作業を完結させなければならない。やっとの思いで帆が立ち上がり、ボードが風に乗って走り出したと思ったら、ロープがそれ以上の走行を許さず、そのショックでボードから落下してしまう。ロープが無ければなあ!と思うが、行き先定まらずではねえ。

       
(左)ゼロ・グラヴィティーのパンフ         (右)体験ダイブ修了証書

 次は、このツアーのオプションとなるが「ゼロ・グラヴィティーのスクーバダイビング(体験ダイブ$55)」にも挑戦することにした。PADIは世界180ヶ国以上で13万5千人以上のプロフェッショナルメンバーと約5,800以上のダイブセンターからなる組織で、世界最大のスクーバ・ダイビング教育機関。ゼロ・グラヴィティーはそのダイブセンターの一つである。

 
    スクーバ・ダイビング(海中はここまで綺麗ではなかったなあ 参考写真)   


 マウスピースを咥えての呼吸と器材装着時の水中でのバランスを取ることが出来れば、初心者でも簡単に海中散歩が出来る。インストラクターと手をつないで、見事な珊瑚礁の海?というわけにはいかないが、何とか岸に近い海辺の海中散歩を暫し楽しんで昼食となる。

 大型ヨット上でバーベキューの昼食後、ジェットスキーに挑戦。これは自転車に乗るより易しい乗り物だが、スピードが出ると波のうねりとの関係で結構バウンドする。体重移動とうまくハンドル操作すれば、これまた心地よい乗り物である。

    
               ジェットスキーとシュノーケリング(参考写真)

 その後、シュノーケリングやバナナボート、小型ヨットでのセーリング等々を体験して夕刻ホテルに戻る。
 明日15日は、いよいよマウイ島でのハワイアン・ウェディングである。


 
       カラカウア通りの「パン・パシフィック・フェスティバル」(参考写真)


 16日、マウイ島から再びオアフ島のパーク・ショアホテルに戻り、最後の夜を如何に楽しもうかと検討していると、「パン・パシフィック・フェスティバル」なる催しがカラカウア・アベニューで行われているという情報を得て、早速街に繰り出す。日中にパレードとホオラウレア(ハワイ語でブロック・パーティーの意)が行われ、夜は設置された沢山のステージで、いろんなジャンルのエンターテイナーたちが多彩なシーンを繰り広げている。
 軽快なリズムに女房を含む3姉妹と姪っ子達は、ステップを踏みつつ踊りながらアベニューを進んで行く。

 今回のハワイの旅のエンディングは、夜の更けるのも忘れさせるものとなった。



現代水着考 - ハワイ2 - (異文化体験7 世界一周の旅14)

2010年08月31日 16時26分04秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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現代水着考 -ハワイ2-  1985.3.6~9

 ダイアモンドヘッドとワイキキの浜辺(絵葉書より)


 最後の仕事を終え、ホテルのセーフテイボックスに貴重品を預け、ゴザを借りてワイキキの浜辺に寝転がる。快晴である。南国の太陽が遠慮会釈なく照りつける。焼けるなあ、そうだ!極寒のヨーロッパでの雪焼けにしよう、と言い訳を考えつつ、浜辺の様々なシーンを見つめる。

  今日も賑わうワイキキの浜辺

ワイキキの浜辺は約半分が米国のお年寄り、2割が米国の若者、1割が日本のお年寄り、そして2割が日本の若者といったところ。2割どうしの若者と言っても男は対象外、約1割どうしの女性の水着姿を考察してみよう。


 まず、日本女性の水着がほとんどがワンピースであるのに対し、米国女性はビキニとワンピースが半々といった比率。日本女性のワンピースはヒラヒラ等の装飾が付いているのが多いのに対し、米国女性のそれはハイレグや大胆なカットのものが多い。この水着の差は何からくるのだろうか?

ビキニ派、それともワンピース派

 まず、年齢的要素。日本女性は20代前半のOLが多く、米国は10代後半から20代後半が多い。つまり年齢的体型思考が徐々に保守的にしていくと考えられる。現に米国のおばさんは日本女性同様ワンピースが多い。
 次に、人種的体型要素。日本女性のお尻の扁平さがビキニよりワンピースを嗜好させる。アングロサクソンのお尻の出っ張りがビキニの美しさを引き出すのに適している。
 次に、気候的要素。肌の露出は日光にあたる機会の少ない米国女性にとって願望としてあるのではなかろうか? しかし、この説は緯度的に北海道の女性がそうかというと疑わしい。
 最期に歴史的要素。日本女性の羞恥心を美徳とする過去の教育の結果と、セックスアピールを重要と考える米国女性の考え方の差。

  
(左)欧米女性の水着はビキニか大胆なカットのワンピース  (右)日本女性の水着はヒラヒラ付きのワンピース

 結局、肉体も自己主張の重要な要素と考える欧米人と、精神的なものが自己主張と考える東洋人の差がワイキキの浜辺での結論である。ギリシャ彫刻の裸像に匹敵する日本の歴史的芸術作品は何であろうかと考えると、この説もうなずけるのではなかろうか。


 開放的な浜辺で誰とでも気さくにおしゃべりが楽しめる。

 小生が選んだ今日のミスワイキキ?は、ビキニの金髪女性でダラスから来たと言う19歳。少しラテン系の感じがするが、海の中で一緒に写真を撮る。


 旅行の最後を飾る雄大なサンセット 

 雄大なサンセットと共に、3週間の世界一周の旅も終わろうとしている。最期の夜は豪勢にいこうとホテルの和食レストランで最上のボリュームたっぷりの幕の内を注文。

  
             (上2枚) 夜のワイキキとカラカウア通り(Wikipediaより)

 夜のワイキキ、カラカウア通りは金曜の夜とあって心斎橋並の混雑。免税店に行こうとブラブラ歩いていると、どこからともなく男が近寄って「マリファナいらんかねえ!」、女が近寄っては「お○○こ$30!」。かつて会社の女性がハワイに来て、その種の女に間違われて声をかけられたと言っていたが、はてはて何ドルと答えたのだろう。多分真面目な日本女性ゆえ、怖い顔で睨みつけたのではなかろうか。しかし、結構美人ばかりである。

  
   (左)昼間のカラカウア通り(Wikipediaより)         (右)帰国の朝のワイキキの浜辺

 帰りの飛行機は大阪直行便。東京組は既に出発しており、小生一人出発までワイキキの浜で過ごす。今日も快晴。ビキニの華が咲いているワイキキの浜である。



これぞエンターテイメント - ハワイ1 - (異文化体験7 世界一周の旅13)

2010年08月24日 11時39分22秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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これぞエンターテイメント -ハワイ1-  1985.3.6~9




 ホノルル空港に着いたのは深夜である。生暖かい風に小雨が混じり、まるで嵐のような夜。パシフィックホテルのワイキキの浜に面した部屋からは、暗闇の中に波の音だけが聞こえ、窓に打ち付ける雨に頭の中で「照る照る坊主」を思い描きながらご就寝。

    
(左)サークル・アイランド社の一日ツアーコース (右)オアフ島MAP

 翌朝、各自夫々が島内観光ツアーを物色し、これが良いと自己主張。しかし、CIRCLE ISLAND社の一日コースは、同じコース内容なのに料金が異なる。今すぐ出るバスは$20に対し次のバスは$33.5。朝食も食っていないのでまあ次にしよう!と一応小生の名前で7名分申し込む。

  
(左)HANAUMA BAY(絵葉書より)  (右)ハナウマ湾(少し風がきつく白波が)

 我々のホテルにマイクロバスが来ると、既に夫婦連れ2組、母と娘連れの計6名が先客として乗っている。天気はどうやら回復基調、曇空に時折太陽が顔を覗かせる。ダイヤモンドヘッドを皮切りにココ岬、ハナウマ湾、ブローホール、カハナ湾、昼食を挟んでワイメアフォールパーク、パイナップル畑と工場まで、ほぼ島を一周するコースである。

  
 (左)ブローホール(岩に開いた穴から潮が噴出す)   (右)ツアー客と(Sandy Beachにて)

 サーフィンビーチとして有名なWaimea Beach(Wikipediaより)


 この間、運転手兼ガイド役の青年は、独特のエンターテイメントでお客を楽しまそうと智恵を絞っている。今日のネタはどうやら小生に絞り込まれたようだ。私の名前で申し込んだものだから、彼は小生の名前を知っていて、開口一番「ミスター・セコ!お前の時計はSEIKOか?」と聞いてくる。私の名前が似ているからだが、私が「オメガだ」と答えると「SEIKOの本場の彼はオメガだそうな」とか「ミスター・セコの彼女がいるよ」と日本の若い女の子の側を通過する時はクラクションを鳴らし、手を振って「オンリー・ジョーク、オンリー・ジョーク」を繰り返し、皆を和やかな雰囲気に盛り上げる。5分に1回は「ミスター・セコ」が出るので眠ることも出来ない。彼の皆を楽しませようとする熱意に協力してやるか、とこちらも頭を使った返事をする。

  
(左)Waimea Falls Parkの滝へのダイビングショウ  (右)お見事!孔雀も我々を歓迎?

 昼食時に運転手兼ガイド君曰く、「ガイドのエンターティメント性が料金に反映している。駆け出しのガイドは自己流がなく、また自分しか知らない観光ポイントを持っていない」さすが、アメリカ。日本ではマニュアル教育を徹底してサービスの均一化を図ろうとするだろうに。

  Waimea Falls Parkのハワイアンダンサーと

 夕刻、良いホテルから順にお客を降ろし最期は我々だけ。降りる際に「協力ありがとう」と彼。チップをあげるのを忘れたが時既に遅し。彼もこちらを出汁に一日商売出来たのだから、まあおあいこか。


 夜はヒルトンホテルのポリネシアンショウが良さそうだ!と例のフロリダで大失態をしたN氏が聞き込み、ディナーショーを手配。8時半まで飯も食わず、いざヒルトンに着くと今からカクテルショーが始まると言うではないか。N氏、フロリダに続いてここでも大失態。ついに最期まで食事に関しては信用ゼロとなった。

  
   (左)ヒルトンホテルのポリネシアンショー      (右)ドン・ホーのハワイアンソング

 ドン・ホーという、日本で言えばまさに杉良太郎?を中心とする歌と踊りのショーである。客筋は中年の夫婦かおばさんグループが圧倒的多数。ミスチョイスを嘆き悲しむことしきり。ショーの最期は今月が誕生日の婦人を舞台に集め握手のサービス。そこは米国のご婦人達、握手ではもの足らず一人がキスすると全員熱烈キス、しかも後になるほどディープキス。舞台にはまだ30人ほどが今や遅しと舌なめずりしながら待っている。馬鹿馬鹿しい、出よう! よく考えるとまだ飯を食っていない。しかし、もう11時である。ワイキキの裏通りの屋台で美味くもないラーメンと餃子の晩飯。

 ハワイってもっともっと楽しい所のはず?だよねえ。 きっと、明日こそ!

 注:DON HO:伝説のハワイアン歌手、ハワイでは誰もが知る神様のような人



リッチな気分で!! - 憧れのハワイ航路 - (異文化体験7 世界一周の旅12)

2010年08月16日 15時57分21秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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リッチな気分で!! -憧れのハワイ航路-  1985.3.6


 ロサンジェルス空港。ここでまた大トラブル。運悪く搭乗予定のパンアメリカン航空がストに突入でホノルル行きの便が大幅に減少。おまけにパンナムがオーバーブッキングとあって、ロビーは鈴なりの人。出発まであと30分ほどしかない。

  
       (左)パン・アメリカン航空機               (右)アメリカン航空機
 
 旅行代理店の現地従業員も必死になって我々の席確保に走り回っている。ここまで何とか予定通りきて、最期の旅程がパアとなるのは我々も絶え難い。少しづつアメリカン航空への振り替え搭乗の券がウェイティング客に渡されて、いよいよその座席も最期となって、こりゃ、あかんわ!と皆が思った時、現地従業員が「兎に角乗ってくれ、人数分確保出来たから空いている席に座ってくれ」と言う。

 機内は出発を待つ人達で満席状態。よく見ると確かに空席がビジネスクラスに2つだけあるが7人全員というわけではない。先に機内に入った2人がいち早く座ったが、残りは「どうしてくれるのよ。こりゃ、ダメだ! 降りよう!」と、ふと搭乗口横のファーストクラスを見ると5人分ほど席が空いている。「ん?きっとこれだ!!」。代理店の彼が言っていたのは。平然とファーストクラスの客を装い座席に座る。金を掴ませたのかな?

 ファーストクラス・イメージ写真


 さあ、これで無事に最終旅程のハワイへ行けるのだ! スチュワデスが名前を聞きに来る。ビジネスクラスでは誰でもサー(Sir)であったのが、ここではいちいち「ミスター・**」になる。
 食事も目の前でローストビーフを好きなだけカットしてくれる。本当に大丈夫なのかなあと一抹の不安を覚えながら、見破られてはならじと平然さを保つよう努力。それにしても、いち早くビジネスクラスのシートに座った2人にはお悔やみを申し上げる。

  ローストビーフも好きな大きさに目の前でカット
  

 本当かどうか知らないが、航空協定によるとファーストクラスにビジネスクラスの客を乗せた場合、ファーストクラスの客に差額払い戻しをしなければならないようだ。従って、航空会社も我々がもともとファーストクラスの客であった方が都合が良いのである。そういう意味からすると、困る人は誰もいないのである。

 オアフ島の滑走路に間もなく着陸!

 隣の米国人の新婚さん、さも楽しげにイチャついているが、一番馬鹿をみたのが正規料金を払って乗っている、この新婚さんかも。
 ごめんね、新婚さん。