最高/最低 8.4 1.2 晴後曇
この日も終日冷え込んだ。
強い寒波が通過中だ。
午前中ブログを読み返し、卒寿を超えて「上前智祐の自画道」展のフリートークを聞いて(20130126美術)を自選ブログ新規掲載に追加した。
夕方から、北区紅梅町のギャラリーびー玉で、行われている、ハタタニヨシカズ展に行った。
めったに行かないギャラリーで、10年間で数度しかいていないと思う。
地図を見ると、天神橋筋3丁目の近くで、携帯を見ることなく、案内はがきの地図を頼りに行くことが出来た。
彼の展覧会は、何度も行っているが、今回は写実で美人モデルやエロスをテーマにしたものだった。
作家はいなかったが、ギャラリーオーナーとしばらく話してから、ギャラリーを後にした。
天神橋筋3丁目は、工業高校を卒業して最初に10年間勤務した会社のある所で非常に懐かしい。
会社を退職してからも、天神橋筋は様々な用事で折に触れ通っている道だ。
天神橋筋はどんどん変化していて、4-50年前の面影はほとんどない。
当時はさびれた商店街だったが、今はおしゃれで華やかな商店街に変身している。
南森町から梅田のグランフロント大阪まで、地下鉄を利用していく予定だったが、時間があったので歩いていくことにした。
途中元のタバイ製作所を訪ねその周囲をぐるりと回った。
会社の前の堀川公園もすっかり変わった気がする。
公園横には専務の家があり、毎朝犬と一緒に会社のまえを散歩しておられた。
昔は、南側の公園の前が正門で、昼休みは検査の連中とバレーボールを楽しんだりしていた。
組合を作ったことも懐かしい思い出だ。
その会社は、名前を変え今や東証1部の大企業だ。
元の上司が社長になったり、同僚や後輩が幹部社員や役員になった話を聞いた。
当時、親しかった設計の1年後輩の同僚が10年ほど前に亡くなったときに参列した葬儀では、同じ工業高校の先輩2人(工業高校1期生で私は2期生)も幹部になって参列していた。
その時会って話をしたが、当時の頼りない感じやおどけた感じは全くなく、大企業幹部の落ち着いた風格で、それなりの話し方をしていたので驚いた。
タバイ製作所には、数々の青春の思い出があり、技術や仕事面でも育ててくれたというより、一緒に育った会社で懐かしい。(電気関係の設計基準も電気設備の技術基準をベースに関係者が集まり議論しながら、社内の技術基準を作った。それまで複線表示だった配線図を、シーケンスと実装図・制御盤配置図に統一したのもこのころだったと記憶している。それが更にブロックシーケンスに発展したが<SEで効果を発揮>、そうした関係者のメンバーとして、いろいろ提案できたのも非常にやりがいがあった。)
残業が終わると、親しい飲み仲間が集まって、阪急東通り商店街の行きつけの店に集まって酒を酌み交わした。
もっと驚くのは、技術の酒好きの連中が、8時間の定時作業が終わり残業開始までの15分?の休みの間に走って近所の居酒屋に行き、コップ酒を飲んでいたのだ。
技術部長を含め、上司も咎めはしなかった。
当時の技術・設計は、入社数年の社員がほとんどで、高卒は私の2-3年後輩までで後は全員大卒になっていた。
特に大卒の若手は体育会系が多くバンカラ的気風があった。
とにかく、この会社のエピソードは、実際の仕事も含め、面白い話が数多くある。
天神橋筋を北上しながら阪急東通り商店街へ通った道をたどって歩いたが扇町公園もすっかり変わったし阪急東通り商店街も変わった。
この周辺に、馴染みの店がいくつか(5-6軒)あったが、今は家庭料理の店とギターライブのスナックの2軒を除いてすべてなくなった。
そのなじみの店(一部代替わり)にも行きたいが、経済的に無理だ。
そんなことを思いつつ、梅田のグランフロント大阪まで速足で歩いた。
グランフロント大阪北館のカフェラボでは、「みんぱく×ナレッジキャピタル -フィールドワークを語る
第2回 太平洋を歩く:カヴァ飲みから日本人探検家まで」 丹羽 典生(国立民族学博物館 准教授)が開かれ、それに事前申し込みし参加した。
オセアニアの島々は、下記の3つの文化圏に分かれているという。
ポリネシア (多くの島々)
ミクロネシア (小さい島々)
メラネシア (黒い人たち)
様々なスライドを使用しカヴァの作り方や飲み方や儀礼についての解説があり、非常に面白かった。
カヴァは、メラネシアとポリネシアで飲まれているという。
その他興味深い話がいろいろあった。
終了後はまっすぐ帰宅した。
思い出・私的生活住環境(このブログは左記リンクのカテゴリー別「思い出・生き方」ホルダーに収納しています。)(自分のメモとして)
過去の注目ブログは、自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダーに保存しています。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
この日も終日冷え込んだ。
強い寒波が通過中だ。
午前中ブログを読み返し、卒寿を超えて「上前智祐の自画道」展のフリートークを聞いて(20130126美術)を自選ブログ新規掲載に追加した。
夕方から、北区紅梅町のギャラリーびー玉で、行われている、ハタタニヨシカズ展に行った。
めったに行かないギャラリーで、10年間で数度しかいていないと思う。
地図を見ると、天神橋筋3丁目の近くで、携帯を見ることなく、案内はがきの地図を頼りに行くことが出来た。
彼の展覧会は、何度も行っているが、今回は写実で美人モデルやエロスをテーマにしたものだった。
作家はいなかったが、ギャラリーオーナーとしばらく話してから、ギャラリーを後にした。
天神橋筋3丁目は、工業高校を卒業して最初に10年間勤務した会社のある所で非常に懐かしい。
会社を退職してからも、天神橋筋は様々な用事で折に触れ通っている道だ。
天神橋筋はどんどん変化していて、4-50年前の面影はほとんどない。
当時はさびれた商店街だったが、今はおしゃれで華やかな商店街に変身している。
南森町から梅田のグランフロント大阪まで、地下鉄を利用していく予定だったが、時間があったので歩いていくことにした。
途中元のタバイ製作所を訪ねその周囲をぐるりと回った。
会社の前の堀川公園もすっかり変わった気がする。
公園横には専務の家があり、毎朝犬と一緒に会社のまえを散歩しておられた。
昔は、南側の公園の前が正門で、昼休みは検査の連中とバレーボールを楽しんだりしていた。
組合を作ったことも懐かしい思い出だ。
その会社は、名前を変え今や東証1部の大企業だ。
元の上司が社長になったり、同僚や後輩が幹部社員や役員になった話を聞いた。
当時、親しかった設計の1年後輩の同僚が10年ほど前に亡くなったときに参列した葬儀では、同じ工業高校の先輩2人(工業高校1期生で私は2期生)も幹部になって参列していた。
その時会って話をしたが、当時の頼りない感じやおどけた感じは全くなく、大企業幹部の落ち着いた風格で、それなりの話し方をしていたので驚いた。
タバイ製作所には、数々の青春の思い出があり、技術や仕事面でも育ててくれたというより、一緒に育った会社で懐かしい。(電気関係の設計基準も電気設備の技術基準をベースに関係者が集まり議論しながら、社内の技術基準を作った。それまで複線表示だった配線図を、シーケンスと実装図・制御盤配置図に統一したのもこのころだったと記憶している。それが更にブロックシーケンスに発展したが<SEで効果を発揮>、そうした関係者のメンバーとして、いろいろ提案できたのも非常にやりがいがあった。)
残業が終わると、親しい飲み仲間が集まって、阪急東通り商店街の行きつけの店に集まって酒を酌み交わした。
もっと驚くのは、技術の酒好きの連中が、8時間の定時作業が終わり残業開始までの15分?の休みの間に走って近所の居酒屋に行き、コップ酒を飲んでいたのだ。
技術部長を含め、上司も咎めはしなかった。
当時の技術・設計は、入社数年の社員がほとんどで、高卒は私の2-3年後輩までで後は全員大卒になっていた。
特に大卒の若手は体育会系が多くバンカラ的気風があった。
とにかく、この会社のエピソードは、実際の仕事も含め、面白い話が数多くある。
天神橋筋を北上しながら阪急東通り商店街へ通った道をたどって歩いたが扇町公園もすっかり変わったし阪急東通り商店街も変わった。
この周辺に、馴染みの店がいくつか(5-6軒)あったが、今は家庭料理の店とギターライブのスナックの2軒を除いてすべてなくなった。
そのなじみの店(一部代替わり)にも行きたいが、経済的に無理だ。
そんなことを思いつつ、梅田のグランフロント大阪まで速足で歩いた。
グランフロント大阪北館のカフェラボでは、「みんぱく×ナレッジキャピタル -フィールドワークを語る
第2回 太平洋を歩く:カヴァ飲みから日本人探検家まで」 丹羽 典生(国立民族学博物館 准教授)が開かれ、それに事前申し込みし参加した。
オセアニアの島々は、下記の3つの文化圏に分かれているという。
ポリネシア (多くの島々)
ミクロネシア (小さい島々)
メラネシア (黒い人たち)
様々なスライドを使用しカヴァの作り方や飲み方や儀礼についての解説があり、非常に面白かった。
カヴァは、メラネシアとポリネシアで飲まれているという。
その他興味深い話がいろいろあった。
終了後はまっすぐ帰宅した。
思い出・私的生活住環境(このブログは左記リンクのカテゴリー別「思い出・生き方」ホルダーに収納しています。)(自分のメモとして)
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