最高/最低 12.1 2.5 薄曇時々晴
午後から、大阪日本橋にあるAMI-KANOKOに行った。
下記(末尾に掲載)の催し物に参加した。
評論対象者の樋口尚氏と芥川賞作家でもある吉村萬壱氏の作品を、3人の人が作品を評論した。
樋口氏は、以前から現代作家としてギャラリーで顔を合わせることもあり、個展会場でも会って話すことも何度かあった。
吉村氏とは、以前にこの会でお会いし、その後の親睦会でお話したことがあるが、絵を描かれるとは知らなかった。
この会のディスカッションでいろんな意見が出て、なかなか面白かった。
吉村氏の作品は、描かれている内容や表現手法について様々な面から分析できそうだし、樋口氏の作品は、作品をどう評価するのかどれを作品にするのか、行為か出来上がった絵の具の像かといった、現代美術の根源にかかる問題を内包しているように思っている。
催し物終了後、懇親会が開かれた。
懇親会でいろいろんな人と話したいことがあったが、天野画廊の忘年会を予約してあったので、懇親会に参加する訳にはいかず、非常に残念に思いながら忘年会に向かった。
その後日本橋で酒屋を探し、ワインを購入して、大急ぎで阪神西宮の天野画廊が開催する参鶏湯パーティー会場に行った。
30分程遅れて入ったが、会場(個人の民家)は数十人の人で一杯だった。
この会場では、友人知人や初対面の人達とも酒を酌み交わし、いろんな話をした。
10時過ぎに会場を後にし、阪神西宮駅で特急電車を待っていて、ベンチに座りうたた寝をした。
目を覚ますと特急電車の扉が閉まった後だった。
仕方なく次の電車に乗り梅田まで行き地下鉄に乗ろうとした。
地下鉄駅構内で、私の地元の駅までの乗り継ぎが怪しいので駅員に聞くと、乗り継ぎの最終電車に間に合わないという。
大急ぎで、地下鉄の駅から出て、JR大阪駅で環状線の天王寺行最終電車に乗った。
地元の駅に着き、千鳥足で30分ほど歩いて、やっと自宅に着いた。
長い一日で疲れた。
第16回 評論を書くことを考えてみる会
今年最後のイベントとなりました。
”評論”などと聞くと小難しい、かた苦しく感じます。
美術を見る眼と美術を語る言葉があれば、美術館に行っても、ギャラリーを廻っても、もっと楽しめるはず!是非お越しくださいませ。
「文筆家の絵画作品を評論する」
2017年12月23日(土/祝) 14:30~
司会 上倉庸敬(かみくらつねゆき) 大阪大学名誉教授
■批評の対象となります作品
樋口尚 デカルコマニー技法(Decalcomania)での絵画制作
吉村萬壱 「絶滅精神病院1-17」(人間が廃人となる様子を描写)/ペン画
画廊で展覧会をしております作品です。
展覧会会期:2017/12/11~12/23
■批評するとはどういうことか。
作品が言語として別の形として現すことに批評者は苦労するものです。
過去に次に記します議論が展開されました。
・作品の詳述(Describe)と作品との関係性。適切か不適切?
・作家はいかなる瞬間に創造したのか。
・作品と作家との関係は。作品は作家を離れて存在するものか。
・批評・文の為に作家との対話は必要なのか。
・タイトルと作品との関係性。
■今回の寄稿者
横道仁志 SF文芸評論家
土田耕督 大阪大学 大学院助教.
高見澤なごみ 京都近代美術館、研究補佐員
午後から、大阪日本橋にあるAMI-KANOKOに行った。
下記(末尾に掲載)の催し物に参加した。
評論対象者の樋口尚氏と芥川賞作家でもある吉村萬壱氏の作品を、3人の人が作品を評論した。
樋口氏は、以前から現代作家としてギャラリーで顔を合わせることもあり、個展会場でも会って話すことも何度かあった。
吉村氏とは、以前にこの会でお会いし、その後の親睦会でお話したことがあるが、絵を描かれるとは知らなかった。
この会のディスカッションでいろんな意見が出て、なかなか面白かった。
吉村氏の作品は、描かれている内容や表現手法について様々な面から分析できそうだし、樋口氏の作品は、作品をどう評価するのかどれを作品にするのか、行為か出来上がった絵の具の像かといった、現代美術の根源にかかる問題を内包しているように思っている。
催し物終了後、懇親会が開かれた。
懇親会でいろいろんな人と話したいことがあったが、天野画廊の忘年会を予約してあったので、懇親会に参加する訳にはいかず、非常に残念に思いながら忘年会に向かった。
その後日本橋で酒屋を探し、ワインを購入して、大急ぎで阪神西宮の天野画廊が開催する参鶏湯パーティー会場に行った。
30分程遅れて入ったが、会場(個人の民家)は数十人の人で一杯だった。
この会場では、友人知人や初対面の人達とも酒を酌み交わし、いろんな話をした。
10時過ぎに会場を後にし、阪神西宮駅で特急電車を待っていて、ベンチに座りうたた寝をした。
目を覚ますと特急電車の扉が閉まった後だった。
仕方なく次の電車に乗り梅田まで行き地下鉄に乗ろうとした。
地下鉄駅構内で、私の地元の駅までの乗り継ぎが怪しいので駅員に聞くと、乗り継ぎの最終電車に間に合わないという。
大急ぎで、地下鉄の駅から出て、JR大阪駅で環状線の天王寺行最終電車に乗った。
地元の駅に着き、千鳥足で30分ほど歩いて、やっと自宅に着いた。
長い一日で疲れた。
第16回 評論を書くことを考えてみる会
今年最後のイベントとなりました。
”評論”などと聞くと小難しい、かた苦しく感じます。
美術を見る眼と美術を語る言葉があれば、美術館に行っても、ギャラリーを廻っても、もっと楽しめるはず!是非お越しくださいませ。
「文筆家の絵画作品を評論する」
2017年12月23日(土/祝) 14:30~
司会 上倉庸敬(かみくらつねゆき) 大阪大学名誉教授
■批評の対象となります作品
樋口尚 デカルコマニー技法(Decalcomania)での絵画制作
吉村萬壱 「絶滅精神病院1-17」(人間が廃人となる様子を描写)/ペン画
画廊で展覧会をしております作品です。
展覧会会期:2017/12/11~12/23
■批評するとはどういうことか。
作品が言語として別の形として現すことに批評者は苦労するものです。
過去に次に記します議論が展開されました。
・作品の詳述(Describe)と作品との関係性。適切か不適切?
・作家はいかなる瞬間に創造したのか。
・作品と作家との関係は。作品は作家を離れて存在するものか。
・批評・文の為に作家との対話は必要なのか。
・タイトルと作品との関係性。
■今回の寄稿者
横道仁志 SF文芸評論家
土田耕督 大阪大学 大学院助教.
高見澤なごみ 京都近代美術館、研究補佐員