散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記20210729 木()

2021年08月04日 16時00分36秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日、政府は新型コロナ感染者急増で8月二日から8月31日まで、大阪 千葉 埼玉 神奈川 に緊急事態宣言を発出し、東京 沖縄は延長することを決めた。
新型コロナのデルタ株(インド由来)の感染爆発に対する政府の無策ぶりがあらわになった。
とるべき手段は、今までと大差ない。
酒類の提供禁止といっても、抜け穴だらけで実効性は薄く、神流も抑制されていない。
自粛と言いながらオリンピックというお祭りをやっているので、効果が上がらないのだ。
マスコミの報道量を見るとオリンピック関連の報道が大半で、コロナ問題を取り上げても、オリンピック報道の光にかすんでしまい、新型コロナに対する危機感は飛んでしまっている。
これでは、国民の間に危機意識が醸成されるはずがなく、したがって人流の抑制も効かなくなる。
昼からジムに行き、運動をした。
帰宅後は食事の準備以外は、TVでオリンピック観戦をした。



過去の注目ブログは、自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダーに保存しています。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo

コメント

昨日記20210728 水()

2021年08月04日 15時40分57秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日東京で新型コロナの感染者が3177名となった。
前日、ヒートエクササイズの後、ランニングを行いかなり疲れ、その影響がまだ残っていたので、午前から午後は、TVでオリンピック中継を観た。
夜は前日やり残した副食作りを行った。
副食作りをする台所は2畳と狭く、炊事場の電子レンジや冷蔵庫の熱が伝わり暑い。
狭く蒸し暑い中での副食作りは疲労を倍増させるので、ついつい3畳の間の椅子に座りTVを見てしまうので、仕事がはかどらず、Tシャツはびしょ濡れである。
無冷房なので、3畳の間も室温は33度以上あり厳しい。
いくら厳しくても、副食がなければ食事はできないので、どんなにしんどくても過酷な環境でもやるしかないのだ。
寝る前に必ず裏庭で冷水シャワーを浴び、縁側から裏庭の冷風を扇風機で送り込むことで、体を冷やし安眠している。


過去の注目ブログは、自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダーに保存しています。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
コメント

昨日記20210727 火()

2021年08月04日 15時23分57秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午後から、ジムへ行きヒートエクササイズのレッスンを受ける。
15分間、各種スクワットやレンジやバービージャンプで、足腰の筋肉を酷使する。
できていないメニューも多い。
しかし1-2か月ほど前に初めて参加したころから比べると、筋肉がついたらしくこなせるようになったメニューもある。
普段の動きにも、なんとなく細かな点で、力強さを増しているように思える。
数年前にはバービージャンプができなかったのが、今では普通に4回飛んでいることに驚くとともに、レッスン形式のグループ運動の効果を実感した。
多分、一人でやっていると適当なところでやめていて、筋力はつかなかっただろう。
夜夕方から夜遅くまで副食作りを行った。

コメント

昨日記20210726 月()

2021年08月04日 12時09分49秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午前から午後にかけて、TVでオリンピック観戦する。
夕方から夜にかけてブログの追加編集や、昨日記を描いた。
この日の「昨日記20210718 日(食事レシピの変更 表現の不自由展)追」は・食事のレシピの話と。表現の不自由展の話を書いた。
二つの大きなテーマで書いたが、いずれも単独のテーマのブログとして取り上げるべきものだったかもしれない。
食事のレシピ変更で、現在まで腹のもたれ感は少なくなったし、快調である。
表現の不自由展に関しての記述は、私の考え方や生き方をメモ的に書いた。
今までの人生経験から、黙っていることは黙認したことと同じだと考えている。
自分が大切だと考えることは、口頭で言ったり、文章で発表したり、行事に参加し外部に表現することが大切だと考えている。
表現の不自由展に関しては言論表現の自由に関する問題で、マスコミでも小さく取り上げられたが、方言内容の賛否は別にして、表現そのものを暴力やお金で抹殺しようという行為は許せないと思っている。
これが拡大すれば全体主義国家になり、権力者の意向を忖度し自由に物言えぬ社会になる。
そういう意味を考えると、マスコミの反応は鈍い。
保守的と言われるNHKは、この問題を全国ニュースで再三流していたことは評価できる。
特に問題と思うのは、美術家の反応で、現代美術に関係する人は、敏感に反応していたが、それ以外の部門からの声はほとんど聞こえてこなかった。
この問題の本質は、慰安婦問題ではない。
表現の自由の問題なのだ。
私は、慰安婦問題でのシンボル化された慰安婦像を政治利用するのはいかがなものかとは考えるが、表現の自由としては当然展示して何も問題はない。
プロパガンダの象徴としてみるか、慰安婦問題に関して感情移入して情緒的にみるかは個人の問題である。
そもそも、芸術はプロパガンダとして利用されている。
プロパガンダのもとになる政治思想は、人為的なもので正解はないのだ。
ただ、現代社会においては、人々が自由を求め戦い、現在の人権思想や差別をなくすといったことを実践するということは、全世界の共通の理解である。
しかしいまだに、多くの独裁国があり、独裁制に反することに関しては、人権を無視する対応がなされているのが現状だ。
ただ、わが国日本においては、現行憲法で保障された基本的人権を守ることが基本になっている。
しかしこの憲法も、多くの人が旧憲法のような天皇制的国家主義の方向を望んだりすれば、国の価値観は大きく変わり、現在保証されている表現の自由はなくなる。

こうしたことを考えるときやはり、大切と思ったことはできる限り表現し議論して、他者にも理解共感を得る努力をすることが必要だ。
政治は、価値観や利益のぶつかり合いでそれを平和的に調整するのが政治で、政治の結果できるルールが法律だ。
価値観は、原理主義を通せば妥協することがなく喧嘩から争いになり戦争になる。
宗教、民族主義、思想、差別偏見、趣味・好みといったものは、価値観だ。
意に沿わない価値観を押し付けられるのは、だれでも嫌である。
新自由主義的考え方と社会主義的考えや社会民主主義的考えは、対立する。
これを調整するのが政治だ。
この問題を体系的に書くとどんどん長くなるのでやめておく。


過去の注目ブログは、自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダーに保存しています。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo

コメント