FBに掲載された年収240万円の貧困独身男性の記事を読んで笑ってしまった。
生きがいを見失い、死を待つといった意味のことが書かれていた。
その人の境遇はその人でしか分からないので同情はするが、年収を比較した時、その人が大きな病気でもしていないとすれば、とても共感できないと感じた。
私は、年金の手取りが年収120万円程度で、その中から家賃2万円を払って暮らしている。
直系親族は今はおらず、親戚はあってもほとんど交流は無く、ずっと独身で知人友人は多いが、月1回でも連絡を取りあうような友人はおらず、物理的に一日中誰とも会わないこともあり、孤独な独居老人である。
会えば、すぐに打ち解けて話しできる親しかった友人は何人かいるし、同窓生もそれに近いが、普段こちらから積極的に連絡を取り合うことはない。
独居老人ではあるが、自分から積極的にいろんなところに顔を出し、友人知人とは、出来るだけ話すようにしているし、人との交流は好きである。
またずっと独身の為、LGBTと誤解されるが、女嫌いでもなく男色の気は全くない。
未だ経済的に余裕があったころは、友人たちとよく飲みにも行ったが、今では、そうした飲み会への参加は、同窓会かギャラリーのパーティー(無料)ぐらいの物であり、個人的に飲みに行く余裕はない。
こんな独居老人であるが、幸い肉体的には50から60代と思っていて、その分活動的であり、普段寂しさを感じたり、無常観に支配されることは少ない。(怠惰になることは多い。)
健康には、大変気を配っていて、健康診査(大阪市の補助で無料だが、)も行っているし、歯科の治療もきちっと受けているし、健康情報は、積極的に集めている。
健康の基本は食事と運動と健康に関連する医療健康の知識だと思っている。先ず月8万円(家賃を除くと食費その他に使える所得は8万円)で健康に暮らすには、自炊しかない。
自炊で、栄養バランスをとりしっかりとした食事をすることで、病気の予防につながると考えている。
同時に運動が、身体的能力の維持に不可欠なことと、免疫力の強化や精神衛生的に良いことも分かっているので、ジムに通っている。
ジムでは汗をかくので、必ずシャワーを浴びて帰る。(ジムでは、石鹸で体を洗うことは禁止されている。)
確か、有名な女性生物学者が言っていたが、温水で数十秒間シャワーを当てれば、石鹸を使わなくても、ほとんどの皮膚の汚れは落ちると言い、本人もほとんど風呂に入らず、シャワーだけの生活をしていると語っていたのを聞いたことがあるし、そもそも欧米人は風呂に入らずシャワーで済ますのが多いようだ。
アメリカに英語留学(40歳の時)していた時、最初に9か月滞在したシカゴの大学に併設された英語学校の大学(古い大学で設備は古かった。)のドミトリーでは、一度も風呂に入ったことはなかった。
大学の寮の部屋には、浴室は無く共同シャワーで、バスタブは無く、大学生全員風呂には入らずシャワーだけで過ごしていた。
しかも、そこではシャワーは水だけだった。
冬でも冷たい水をかぶっていた。(外気は氷点下でも、シャワーは凍っていなかった。)
そうした経験もあり、現在も週1回の入浴で残りはシャワーの生活を実践しているが、シャワーだけでも全く問題ないと思っている。
それに、銭湯の料金は440円なので、1ケ月毎日入ると1万3千円かかり、たちまち生活できなくなる。
肌着は、ほぼ毎日着替えていて、夏は家にクーラーがなく汗が出っぱなしなので、真夏の時は日に2回ぐらい着替える。(多分冬は2-3日おきでもいいのではないかと思っているが、原則毎日着替えている。)
こうした方法で、体は清潔に保たれていると思っている。
話を元に戻すが、冒頭に書いた男性の年収は240万円で、昼間は非正規社員やアルバイトで、働いているようだが、自炊と外食では、栄養の取り方が全く違う。
外で働いていれば、食材の買い出しに時間をとることが出来ず栄養的に十分なものが取れない可能性があるかもしれないが、最近はコンビニ等で惣菜が充実しているので、少し栄養的知識を勉強し生かせば、完全自炊よりは高くつくが、それでも外食よりははるかに安く栄養的に充実した食事ができるはずだ。
その結果、体の筋力や体力も維持されるし、抵抗力もつく。
生活の基本は、体であり体は、食事と運動でしか作ることはできない。
食事と運動をおろそかにすれば、体は衰えいくらお金があっても充実した生活は、できないだろう。
逆にお金が無くても、食事や運動に気を配り、体を健康に維持すれば意欲も湧いてくるし、行動も活発になる。
だが、いくら体が健康であっても知的興味や感動が無くなれば知的精神的に老化し、無感動になる。
私は精神活動の能力を維持するために、図書館を利用し、ラジオで音楽やカルチャー関連の話を聞いているし、大きな経済的負担ではあるがわざわざ新聞も購読している。
そして、日々このブログを書いて投稿している。
様々な活動をさぼり、休みすぎると、肉体的にも精神的にも廃用症候群の症状が現れると確信している。
そうならないためにも、月8万円のお金を使い、ネット・通信費や水道光熱費や受信料を払い、自炊し、ジムで運動し、図書館から借りた本を読み、新聞を読み、PCで様々な情報や音楽や画像を受発信し、TVやラジオから放送や音楽を楽しんでいる。
そうした生活に、ほとんど余裕はないが、余剰資金が出来れば(実際には徹底的に節約して目的の費用を作り出す。その間無駄な支出や衝動買いはしない。)、京都や奈良に物見遊山に出かけたり、美術館博物館に出かけたり、衣類を購入したりもするし、同窓会に参加したり、IT機器も購入している。
現に昨年秋には3.5万円でシムフリーのスマホ+SIMカードを購入し、上位機に近い機能性能を使いながらスマホの通信料金は税込み2千円丁度で、今や様々な用途で使いこなし、図書館やファストフード等で公共Wi-Fiを利用し、タブレットとスマホを使いデザリングして、外でも家にいるのと同じ環境でタブレットとキーボードを使い、メインPCのクラウドにも接続したりしながらネットを使ってSNSを楽しんだり、情報を集めたり、青空文庫を読んだりして楽しんでいる。
酒は好きだが飲まない、原則外食はしないし、映画やコンサートや美術館・博物館も好きだが余剰資金が出来ない限り行かない。(100円コーヒー程度は飲むが、無駄な支出はしない。)
この様に振り返ると、私は冒頭の男性とは少し違う生き方をしていると思っているが、人それぞれの生き方は違うので何とも言えないが、今負け惜しみでなくそれなりに充実した生活を送っていると思っている。
もし年収200万円程度あれば、もっと充実した生活を送れるだろうと思う。
そんなことを考えると、30年余り前のサラリーマン時代は、年収600万円弱あったが、梅田周辺の飲み屋にいくつもボトルをキープして飲み歩き、何と無駄だらけの生活をしていたのかと思っている。
今まで書いたことで、誤解を与えるとよくないので念のために書いておく。
前述の話では、工夫次第で無気力にならず、よりよい生活が送れるというゆとりのある話を書いたが、具体的に細かく客観的実態を見ると、相対的貧困層以下の月10万円で生活する私の年金生活は、悲惨な状態であると言わざるを得ない。(私自身はそんな感覚は無いが)
憲法で言う、誰でも人並みに生きられるようにするには、最低所得を補償する制度が必要であろう。(感覚的に都会では、家賃にもよるが一人当たり12万円~16万円以上が必要と思う。)
国民年金だけだと、年金は月6万円台なので、生活保護を受けなければとても生活できない。
以下具体的に見ていく。
先ず大病すれば、生活保護に頼らざるを得ない。(昨年は、歯科治療でかなり出費したために、経済的に厳しい生活を送り、遠出はほとんどしなかったし、必要なものも我慢した。)
冷暖房を一切使っていないので、真夏(7月中旬から8月下旬)は夜中でも室温は31℃以上になり毎日安眠できず、汗だくで一夜を過ごし、そのため日中は昼間の高温と寝不足が重なり、朦朧とした感じで生活していて、単に生物的に生きている感じが強い。(今年は、日中だけでも図書館やプールに避難しようと思う。)
銭湯は、週に一度しか行けない。毎日行くと1万3千円かかるので、とても生活できない。
生鮮食料品が急激に値上がりすると、副食の食材を減らさざるを得ず、健康に影響する可能性もある。
魚類は高いので、普段の生活では缶詰以外魚をたべたことはない。
外出は、大阪市の敬老パス(1回50円+年3000円更新料)に頼っていて、私鉄、JRはどうしても必要なとき以外は使わないので、行動範囲は狭くなる。
友達付き合いの飲み会は、同窓会等の特別なときに限らざるを得ない。
芸術鑑賞では、美術の場合、作品のある場所に行かねばならず、貧困生活を送るものにとっては、交通費の負担も大きく、行ける範囲は限定されるし、美術館等は入場料の問題で、簡単にはいけない。
音楽の場合、演奏会の入場料は高いので、めったに行くことが出来ない。
本も、新刊書を買うことが出来ず、図書館の古い本を見るしかなく、最新情報は得られない。
エッセイ
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生きがいを見失い、死を待つといった意味のことが書かれていた。
その人の境遇はその人でしか分からないので同情はするが、年収を比較した時、その人が大きな病気でもしていないとすれば、とても共感できないと感じた。
私は、年金の手取りが年収120万円程度で、その中から家賃2万円を払って暮らしている。
直系親族は今はおらず、親戚はあってもほとんど交流は無く、ずっと独身で知人友人は多いが、月1回でも連絡を取りあうような友人はおらず、物理的に一日中誰とも会わないこともあり、孤独な独居老人である。
会えば、すぐに打ち解けて話しできる親しかった友人は何人かいるし、同窓生もそれに近いが、普段こちらから積極的に連絡を取り合うことはない。
独居老人ではあるが、自分から積極的にいろんなところに顔を出し、友人知人とは、出来るだけ話すようにしているし、人との交流は好きである。
またずっと独身の為、LGBTと誤解されるが、女嫌いでもなく男色の気は全くない。
未だ経済的に余裕があったころは、友人たちとよく飲みにも行ったが、今では、そうした飲み会への参加は、同窓会かギャラリーのパーティー(無料)ぐらいの物であり、個人的に飲みに行く余裕はない。
こんな独居老人であるが、幸い肉体的には50から60代と思っていて、その分活動的であり、普段寂しさを感じたり、無常観に支配されることは少ない。(怠惰になることは多い。)
健康には、大変気を配っていて、健康診査(大阪市の補助で無料だが、)も行っているし、歯科の治療もきちっと受けているし、健康情報は、積極的に集めている。
健康の基本は食事と運動と健康に関連する医療健康の知識だと思っている。先ず月8万円(家賃を除くと食費その他に使える所得は8万円)で健康に暮らすには、自炊しかない。
自炊で、栄養バランスをとりしっかりとした食事をすることで、病気の予防につながると考えている。
同時に運動が、身体的能力の維持に不可欠なことと、免疫力の強化や精神衛生的に良いことも分かっているので、ジムに通っている。
ジムでは汗をかくので、必ずシャワーを浴びて帰る。(ジムでは、石鹸で体を洗うことは禁止されている。)
確か、有名な女性生物学者が言っていたが、温水で数十秒間シャワーを当てれば、石鹸を使わなくても、ほとんどの皮膚の汚れは落ちると言い、本人もほとんど風呂に入らず、シャワーだけの生活をしていると語っていたのを聞いたことがあるし、そもそも欧米人は風呂に入らずシャワーで済ますのが多いようだ。
アメリカに英語留学(40歳の時)していた時、最初に9か月滞在したシカゴの大学に併設された英語学校の大学(古い大学で設備は古かった。)のドミトリーでは、一度も風呂に入ったことはなかった。
大学の寮の部屋には、浴室は無く共同シャワーで、バスタブは無く、大学生全員風呂には入らずシャワーだけで過ごしていた。
しかも、そこではシャワーは水だけだった。
冬でも冷たい水をかぶっていた。(外気は氷点下でも、シャワーは凍っていなかった。)
そうした経験もあり、現在も週1回の入浴で残りはシャワーの生活を実践しているが、シャワーだけでも全く問題ないと思っている。
それに、銭湯の料金は440円なので、1ケ月毎日入ると1万3千円かかり、たちまち生活できなくなる。
肌着は、ほぼ毎日着替えていて、夏は家にクーラーがなく汗が出っぱなしなので、真夏の時は日に2回ぐらい着替える。(多分冬は2-3日おきでもいいのではないかと思っているが、原則毎日着替えている。)
こうした方法で、体は清潔に保たれていると思っている。
話を元に戻すが、冒頭に書いた男性の年収は240万円で、昼間は非正規社員やアルバイトで、働いているようだが、自炊と外食では、栄養の取り方が全く違う。
外で働いていれば、食材の買い出しに時間をとることが出来ず栄養的に十分なものが取れない可能性があるかもしれないが、最近はコンビニ等で惣菜が充実しているので、少し栄養的知識を勉強し生かせば、完全自炊よりは高くつくが、それでも外食よりははるかに安く栄養的に充実した食事ができるはずだ。
その結果、体の筋力や体力も維持されるし、抵抗力もつく。
生活の基本は、体であり体は、食事と運動でしか作ることはできない。
食事と運動をおろそかにすれば、体は衰えいくらお金があっても充実した生活は、できないだろう。
逆にお金が無くても、食事や運動に気を配り、体を健康に維持すれば意欲も湧いてくるし、行動も活発になる。
だが、いくら体が健康であっても知的興味や感動が無くなれば知的精神的に老化し、無感動になる。
私は精神活動の能力を維持するために、図書館を利用し、ラジオで音楽やカルチャー関連の話を聞いているし、大きな経済的負担ではあるがわざわざ新聞も購読している。
そして、日々このブログを書いて投稿している。
様々な活動をさぼり、休みすぎると、肉体的にも精神的にも廃用症候群の症状が現れると確信している。
そうならないためにも、月8万円のお金を使い、ネット・通信費や水道光熱費や受信料を払い、自炊し、ジムで運動し、図書館から借りた本を読み、新聞を読み、PCで様々な情報や音楽や画像を受発信し、TVやラジオから放送や音楽を楽しんでいる。
そうした生活に、ほとんど余裕はないが、余剰資金が出来れば(実際には徹底的に節約して目的の費用を作り出す。その間無駄な支出や衝動買いはしない。)、京都や奈良に物見遊山に出かけたり、美術館博物館に出かけたり、衣類を購入したりもするし、同窓会に参加したり、IT機器も購入している。
現に昨年秋には3.5万円でシムフリーのスマホ+SIMカードを購入し、上位機に近い機能性能を使いながらスマホの通信料金は税込み2千円丁度で、今や様々な用途で使いこなし、図書館やファストフード等で公共Wi-Fiを利用し、タブレットとスマホを使いデザリングして、外でも家にいるのと同じ環境でタブレットとキーボードを使い、メインPCのクラウドにも接続したりしながらネットを使ってSNSを楽しんだり、情報を集めたり、青空文庫を読んだりして楽しんでいる。
酒は好きだが飲まない、原則外食はしないし、映画やコンサートや美術館・博物館も好きだが余剰資金が出来ない限り行かない。(100円コーヒー程度は飲むが、無駄な支出はしない。)
この様に振り返ると、私は冒頭の男性とは少し違う生き方をしていると思っているが、人それぞれの生き方は違うので何とも言えないが、今負け惜しみでなくそれなりに充実した生活を送っていると思っている。
もし年収200万円程度あれば、もっと充実した生活を送れるだろうと思う。
そんなことを考えると、30年余り前のサラリーマン時代は、年収600万円弱あったが、梅田周辺の飲み屋にいくつもボトルをキープして飲み歩き、何と無駄だらけの生活をしていたのかと思っている。
今まで書いたことで、誤解を与えるとよくないので念のために書いておく。
前述の話では、工夫次第で無気力にならず、よりよい生活が送れるというゆとりのある話を書いたが、具体的に細かく客観的実態を見ると、相対的貧困層以下の月10万円で生活する私の年金生活は、悲惨な状態であると言わざるを得ない。(私自身はそんな感覚は無いが)
憲法で言う、誰でも人並みに生きられるようにするには、最低所得を補償する制度が必要であろう。(感覚的に都会では、家賃にもよるが一人当たり12万円~16万円以上が必要と思う。)
国民年金だけだと、年金は月6万円台なので、生活保護を受けなければとても生活できない。
以下具体的に見ていく。
先ず大病すれば、生活保護に頼らざるを得ない。(昨年は、歯科治療でかなり出費したために、経済的に厳しい生活を送り、遠出はほとんどしなかったし、必要なものも我慢した。)
冷暖房を一切使っていないので、真夏(7月中旬から8月下旬)は夜中でも室温は31℃以上になり毎日安眠できず、汗だくで一夜を過ごし、そのため日中は昼間の高温と寝不足が重なり、朦朧とした感じで生活していて、単に生物的に生きている感じが強い。(今年は、日中だけでも図書館やプールに避難しようと思う。)
銭湯は、週に一度しか行けない。毎日行くと1万3千円かかるので、とても生活できない。
生鮮食料品が急激に値上がりすると、副食の食材を減らさざるを得ず、健康に影響する可能性もある。
魚類は高いので、普段の生活では缶詰以外魚をたべたことはない。
外出は、大阪市の敬老パス(1回50円+年3000円更新料)に頼っていて、私鉄、JRはどうしても必要なとき以外は使わないので、行動範囲は狭くなる。
友達付き合いの飲み会は、同窓会等の特別なときに限らざるを得ない。
芸術鑑賞では、美術の場合、作品のある場所に行かねばならず、貧困生活を送るものにとっては、交通費の負担も大きく、行ける範囲は限定されるし、美術館等は入場料の問題で、簡単にはいけない。
音楽の場合、演奏会の入場料は高いので、めったに行くことが出来ない。
本も、新刊書を買うことが出来ず、図書館の古い本を見るしかなく、最新情報は得られない。
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