散歩者goo 

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昨日記181121 水(ワークショップ「大阪イマーミライ会議」の最終報告の作成作業)

2018年12月21日 18時45分02秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日も本を読み込み、考えをまとめ、ワークショップ「大阪イマーミライ会議」の最終報告の作成作業を行なった。
夕方食材の買い出しに出掛けた以外は、夜中の12時過ぎまでワークショップの報告書作成作業を行った。
ちなみに、私の課題は高齢者問題だった。
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昨日記181120 火(同窓会メールアドレス調査 ワークショップ報告作成)

2018年12月21日 13時56分44秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昼頃高校の同窓会関係者のメールアドレスをまとめたリストが、スマホの連絡帳やPCのメールリストから見当たらなくなっているので時間をかけて古いフォルダーとかの中を探したが、みつからなかった。今(12/21)も改めてみたが、見つからない。
外付けのHDに移したかもしれないので後日再調査仕様と思う。
それ以外に、立憲パートナーズのワークショップ「大阪イマーミライ会議」への提言まとめを行った。
夜になったジムに行きランニングを行なった。

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昨日記181119 月(疲労?)

2018年12月20日 21時31分01秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日は、前日の疲れもあり、TVを見ながらボーっと生きていることが多かった。
予定日報表やスマホの日報の記載もなく、行事予定もなくジムも休みでボーッとしていたようだ。(疲れを感じていた記憶はある)
ただレシートの記録から夕方に2件のスーパーに食材の買い出しに出掛けているので、その後副食製造をした可能性が強い。
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昨日記181118 日(アートエリアB1ツアー「大阪の学問・科学史をたどる」に参加)

2018年12月20日 20時52分51秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日、午後1時から行われる、『サイトツアー02 適塾 × 大阪市立科学館 × 大阪府立中之島図書館
「大阪の学問・科学史をたどる」』に参加するため大阪市立科学館に行った。
この催しは9月30日に行われる予定だったが、台風24号接近のためこの日に延期された。
今気づいたのだが、事前申し込み案内の末尾には、下記の仰々しい注釈がついていた。
平成30年度文化庁戦略的芸術文化創造推進事業
都市の地質調査・沿線再耕事業「クリエイティブ・アイランド・ラボ 中之島」
主催:文化庁、アートエリアB1(大阪大学+NPO法人ダンスボックス+京阪ホールディングス(株))
制作:アートエリアB1運営委員会
共催:大阪大学共創機構、中之島まちみらい協議会
共同企画:大阪市立科学館、大阪大学適塾記念センター、大阪府立中之島図書館、graf

私にとっては、最近よく参加しているアートエリアB1(京阪電車の文化事業)の催し物の一つだった。
コースの概要は次の通り。
『大阪・中之島とその周辺は、かつて思々斎塾(ししさいじゅく)、懐徳堂、適塾、大阪大学といった、江戸期の蘭学から近現代科学に繋がる学術拠点が築かれ、日本の近代化に貢献する多様な人材を輩出しました。今回のサイトツアーでは、近世日本の科学史に精通する大阪市立科学館の嘉数次人氏をナビゲーターに迎え、適塾の創始者、緒方洪庵の師である中天游(なかてんゆう)まで遡り、適塾や大阪府立中之島図書館などを巡り、江戸期から現代に連なる大阪の学問・科学史の軌跡を辿ります。』

江戸時代の蘭学者の事は全く知らなかった.
適塾も、一度行った記憶は有るが、2階には初めてあがった。
詳細をかくときりがないので省略するが、歩いた距離は結構長かったが、非常に充実したサイトツアーだった。
懐徳堂や適塾は大阪大学につながる歴史的流れを持っているし、慶應義塾の創立者の福沢諭吉も大阪で生まれ(生誕地も通り、立派な記念碑があった。)適塾で学んだ。
適塾での生活はすさまじかったようで、辞書は一冊しか無く多くの塾生が交代で辞書を引いたという。
しかも、一人畳一畳の定位置があり隙間なく密集していて、寝るときはその場で寝る雑魚寝状態で、そのスペース内で勉強もしたという。
とても信じられない話だが、当時は日本全国から優秀な人材が集まってそうした環境で猛勉強したらしい。
ツアー終了後、疲れた足で天満橋まで歩きコーヒーを飲みながら読書した。

移動途中、講師の先生から「山片蟠桃」や平賀源内の評価を聴けたのも収獲だった。
平賀源内は、物知りではあったが、科学者や研究家ではないという。
(私は初め間違って「片山ばんちょう」と間違った名前で質問して、後で誤りに気付記、恥かしかった。)



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昨日記181117土(立憲パートナーズミライセッション参加と参加までの経緯)追

2018年12月19日 16時50分07秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日の朝10時からマイドーム大阪で行われた、『立憲民主党大阪府連 「大阪イマ→みらいセッション」 〜パートナーズとともに〜』に参加した。
いつもの土曜日の朝のTVを見ながらゆっくり過ごすペースは完全に崩され、遅刻しながらメトロの谷町4丁目から必至に歩記き、ある意味難行苦行的気分だった。
党員でもない私がそこまで必死に参加する価値があるのか、政治活動にそれほど力を入れる必要があるのか、と自問自答しながら汗をかきながら歩いた。
会場は、大阪の議員や地方議員候補が勢ぞろいし、それなりに盛り上がった。

現与党の政治姿勢には反対だし、数に任せて強行突破は許されないし、それ以前にモリカケ問題をはじめ、過去に通過した重要法案は看過できないものがいろいろあるし、格差社会の進行はとまらないので、野党勢力が力を持つことが何より重用だと思っている。
そうした中でも、野党の中で私の考えに最も近いのが立憲民主党の主張だったので、ネット上の「立憲民主党議論の部屋」(立憲民主党の正式なサイトではないが、参考意見としてみているとのこと。)に参加し投稿したりしている。
そうした中、立憲民主党のパートナー(年500円支払えば誰でも参加できる。)参加の呼びかけがありパートナーになった。
6月ごろネットで、大阪府連のパートナーズミーティングの紹介があった。
ネットで投稿しているだけでは無責任ではないかと思うところもあり、実際のぱーとなーはどんな人たちなのかとか、ミーティングが、どのように運営され意見集約されるのか、どんな問題が討議されるのか興味を持ち、様子見のつもりで7月に行われたパートナーズミーティングに参加しした。
その時、意見を述べたり議論した関係上、継続討議のような形になり、その状態が続き今に至っている。
ただ、議論の方向性は、各テーブルごとに自由討議で何をしたいか意見を出し合い、KJ法を使って方向性をまとめるという形から始まったので、方向性はそれぞれ違っていて、まとまりのないゆるい会議体の感じであった。
組織や運動からすれば本当によちよち歩きの段階だろう。
しかし議論の内容を見ていると、市民運動に参加したり、活動家に近い人もそれなりに交じっていたように思う。

そもそも、支持のきっかけは、設立時の経緯や党幹部の言動や立憲民主党の綱領や国会討論から、立憲民主党の考えは私の考えに最も近いので支持をしているが、なにがなんでもという熱狂的支持者ではないし、政治活動に参加しようとは思ってもいなかった。
ただ、ミーティングに参加し、生まれて1年の立憲民主党の組織の実体は、想像以上に弱いという感じがし、我々市民一人一人が支えていかなければならない政党らしいということに気付いた。
即ち、国会活動等中央の活動はマスコミで報道される通り、しっかりと政治活動し注目されているが、少なくとも大阪府連やその他地方県連やそれに連なる地方組織の実体は、非常に脆弱という可能性が強く、更に県連のない地域もありここ半年以内に出来た県連も多く、体制が十分整っていないことが想像出来る。
例えば昔の民主党であれば、連合と民主党は結び付いていて支えられていたが、今の立憲民主党も組合との関係もあるだろうが、今は組合も弱くなりパートナーズミーティングに出ていても組合のバックアップを感じさせるものはない。(上部や裏の事は分からないが。)
そうしたことを考えて、今のところ時間があればお手伝いしても良いという感じで参加している。
日常生活に支障ある活動はできるだけ避けたいと思っているが、未成熟な組織では、外野的に口だけ動かしていても組織は動かず、ある程度首を突んで動き実践しなければ組織は動かない。
深入りするとどうしても日常生活のペースを崩すことになるし、現実に時折日常生活のペースを崩しているが、やむを得ないのかもしれない。

午後から淀屋橋までメトロで行き、天満橋まで歩いて銀行のATMで出金した。
その後、ファストフードで高齢者問題に関する本を読み資料や問題点を集めノートした。
11月23日にある最終発表会のための準備だ。
こんなに詰めて真剣に本を読んだのは久し振りだ。
しかも私の趣味とは全く関係のない事に。(趣味で読んでいる本は、主に考古学と哲学とたまに文学関連)
ただ、この日読んで貧困の実態や高齢者の問題点をかなりはっきりと認識出来た。

私も、少しの事でもホームレスにもなりかねない最下層に近い高齢の独居老人であるが、世間の高齢者問題は非常に複雑で深刻だと思った。
私の場合経済的理由に無暖房無冷房で過ごさねばならず、冬は最低室温4―8℃(今は13℃)夏は32―37℃で食事やサプリを含め栄養や運動で様々な工夫をして問題なく過ごしている。
体力筋力も維持していて病気もなく健康を維持していて、多くの高齢者よりは、貧困(どこにも行けず活動が制約される)を除けば恵まれていると思っている。
今後ともこの状態を維持したい。



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昨日記181116 金()

2018年12月19日 15時52分41秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
日中、大量にたまったスマホの日報メモからPCエクセルの予定日報表へのデーター転記を行なった。
夕方食材の購入で、2軒のスーパーを回る。
帰宅後、すぐに天満橋のカフェまで速歩で歩き読書。
ファストフードを出て後淀屋橋まで中之島経由歩きメトロで帰宅。
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昨日記181115 木()

2018年12月18日 20時30分01秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日は終日、食材の買い出しや副食製造といった食事関連家事に時間をとられ疲れた。
夜になって、気分転換と運動のため自宅から淀屋橋まで約6km弱歩いた。
帰宅は9時前になり、おそい夕食となった。
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昨日記181114 水(ジム アートエリアBi講座・電子冷却の苦い記憶)

2018年12月18日 16時50分48秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
夕方から、ジムに行き筋トレをする。
その後、中之島の地下にある京阪難波橋駅二あるアートエリアB1で行われた
「エネルギー・エントロピーを測る ─物質の中の常識と非常識─」
大阪大学リサーチクラウドカフェに参加した。
エントロピーと分子の化合物とどう関係があるのか興味が有った。
話を聴いていた時は、納得していたが、いま思いだせない。
ただ、ノートを見るとペルチェ効果等も書いてありソーレ効果やゼーベック効果も書いてあり、確か熱移動の話もあった様な記憶もある。

そういえば最近、高効率のフレキシブル熱電変換モジュールの論文が紹介されていた。
この論文の関連研究者は阪大教授だが、この日のレクチャーも阪大教授であり同じグループか関連グループなのかも知れない。
高効率電熱変換素子は、将来非常に応用範囲の広い技術で、多分一般的に多く使われるだろう。

これに関連した話だが、この話に関連のある電子冷却の応用技術開発に一次取り組んだ思い出がある。
画廊廃業後、3ー4か月間東大阪の中小企業に嘱託社員として勤めたが、その時任されたのが、試験装置につかう電子冷却技術の製品化への応用だった。
まず前任者が、私に電子冷却の設計資料を秘密にして見せなかった。
その後、彼はカタログや資料や実物を見せてくれた。
それからカタログのデーターや計算式を使用して設計すると、相手企業の要求している仕様に適合する性能は理論的に無理と分かり、報告書を作成した。
その後、私は設計に回されたが、未熟な設計リーダーの誤りを指摘すると窓際に追いやられ、仕事をさせてもらえず解雇された。
今から考えれば、その会社はみんな10時から11時ごろまで働く、いわゆるブラック企業だった。
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劇団態変

2018年12月17日 22時08分42秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
私がギャラリーをやっていた1990年代、劇団態変の関係者が私のギャラリーに何度か来ていて、顔見知りになった。
その人たちがギャラリーに来たのは、亡くなった金昌樹氏の紹介だった。
当時、劇団態変の関係者の人や金昌樹氏から、劇団の話を聴いていたが、どんな演技か想像もつかなかった。
そしてその考え方も知らなかったし、彼らも詳細な説明はしなかった。
とにかく、私は身体障碍者の劇団ということで、近親感を持った。
その後、ギャラリーは廃業し、彼らとの接点も無くなった。

障がい者ということに関して言えば、普段私は障碍者とは思っていないし、実際に身体障がい者でもない。
あえて言えば、幼いころから20代後半まで右耳の慢性中耳炎にかかっていて、30歳前に府立病院で鼓室成型手術を受け1か月入院したが失敗し、右耳の聴力はほとんどなくなっていた。
その時、主治医の話では3つの骨はすべて菌に侵され溶けてなくなっていたという話だった。
その後、40代のころ日赤で聴力検査を受ける機会があったが、骨伝導聴力も無くなっているとのことだった。
そういう意味では、聴覚障害の一種かもしれないが、自分では障碍者にはあたらないと思っている。
しかし、公立中学に入って1学期の末に担任から聴覚障碍者学校に転校しないかと強く勧められたことがあった。
その時は、大きなショックで、母からもその話を聴かされたが、左耳は全く正常だし小さな音も問題なく聞こえるので断わった。(その当時からクッラシック音楽に興味を持ち出しラジオの番組をよく聴いたが、家族からやかましいと苦情がでた。)
多分、私が中学に入ったときは、好成績で学級委員長に学校から指名されたのに、入学後中間考査、期末テストも悪く、90番から100番台になり、特に担任教諭の英語が30―40点以台で、文頭の大文字化やピリオッドの忘れといった注意ミスが多く、クラスの平均点を大きく下回っていたので、みんなの前で激しく怒られた事があった。
いまから思えば、当時の中学一年生の1学期の英語でそんな点数では、私でも怒っていただろうと思う。
その担任は、2学期には学校からいなくなり、別の先生が担任となった。

余談が長くなったが、私が障碍者に関心を持つようになったのにはもっと大きな理由がある。
実は私が2歳のころ、ポリオに感染し全身麻痺となり、自身身体障碍者になっていた可能性も有り、とても他人事とは思えないのだ。(同時に、どれだけ亡くなった両親に苦労を掛けたかと思うと、いつも涙が出る。)
幸い、ポリオは完治したが、物心つく頃の記憶(多分4―5歳)は、いつも家で寝かされている記憶しかない。(両親から、近くにあった大阪市立小児医療センターに通院したり、近所で評判の鍼灸医にかかったというが全く記憶にない。近所のおばちゃんからは、偶然小児センターに行ったときに、私が背中に大きな注射をされて泣き叫んでいるところを見たと良く聞かされていた。)
その後、近所の同年配の子供が遊ぼうと誘いに来ても、家の前にある幅20センチほどの下水の溝を渡れず、這って渡ったことを憶えている。(同年配の子供はふつうに歩いて渡っていた。)
私だけが、リンゴ箱に鉄の車をつけた物に乗せられ、子供たち(5歳から8歳ぐらい)だけで近くの田圃(当時数十メートル先には農地が広がっていた。)まで行き、ニワトリの餌のハコベを摘んだりした記憶もある。
母は、見守っていたのだろう。(なんでも極力手助けしてなかったように思う。)
幸い、いまは全くポリオの影響もないが、小学校の体育の通知簿は1か2で3になることは無かった。
小学校高学年の合同体操では、グループ(5―6人)に別れ鉄棒や跳び箱に取り組んだが、私の班はいつも学年で最後まで私ができないので残されたが、みんながんばれと言いながら付き合ってくれた。
おかげで、みんなに迷惑をかけたが運動能力はずいぶん向上した。
中学校以降も、必死にみんなに追いつこうと頑張り、運動神経は良くないが、筋力体力は遜色なくなった。
それでも、たまに歩き方がおかしいといわれることがあり、最近も久しぶりに会った方から足が悪いのかと指摘を受けた。
そうした記憶や現実に起きていることからの影響から、障害には関心を持っている。

先ほど、偶然Eテレのハートネット「TVの再放送で劇団態変のドキュメントを見た。
劇団態変の主宰者の金満里氏の生い立ちや境遇や差別や怒りを知り、障がい者の体や動きをそのまま表現として演じる意味を知った。
金満里氏の言う「未踏の美」は、いわゆる「美」ではない。
障がい者の体を通じた独特の容姿や動きを目を背けることなく直視してもらい、そこから湧き出る怒りや苦悩や様々な意味の表現を感じてもらい、既存の価値観を揺さぶろうとしているのだ。
彼女の話や、態変のパフォーマンスを見て深い意味の一端を知ることができて良かった。
今回のTVを見て、金昌樹氏が私に紹介した気持ちも理解出来た気がする。


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昨日記181113 火(予定日報表の効用)

2018年12月17日 13時52分02秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日の話は、今(12月17日)から見ると1カ月以上前の話で記憶にない。
予定日報表を見ると、午前中から午後にかけて昨日記を書いたことが記されている。
この日も、今と同様遅れた昨日記の記載をしていたらしい。
それ以外、昼には炊飯の記述もある。
その後の記載は全くないが、昼食後出来上がったご飯を140g前後に計量し、十数個ラップで包んで冷凍ご飯にしたようだ。

予定日報表には記載がないが、スマホメモに自宅から天満橋まで行きファストフードで読書し、その後再び淀屋橋までウオーキングした事が分単位で記されていた。
これからとりあえずこのスマホメモを、予定日報表に転記しよう。

この日の前後1―2か月ぐらい、自分の行動記録をスマホにメモし、それをPCの予定日報表に書き写す方式をとっていた。
しかし、スマホに自分の行動記録をメモするのは主に外出中の時だけになり、この当時はなにをしたか不明の時間が多い。
数日前の事は多少覚えているが、一か月前のことは忘れて思いだせない。
ただ、外出メモを見れば当時の事を凡そ思い出す。

最近までスマホメモから予定日報表に転記していたが、それが2重手間で時間がかかることに気づき、今は以前のように数時間から半日ごとに、直接自分の行動記録を予定日報表に書きこんでいる。
日報を細かく記載する事は、仕事の管理技術を応用したもので、実際サラリーマン時代からずっと続けていた。

高校卒業後、最初に10年間勤めた環境試験装置の会社では、設計指図書や検査指図書に仕事ごとに、分単位で時間を記入(非常に苦痛だった。設計に時間がかかりすぎると部長から呼び出され、その理由を問われた。)していたし、30代で10年間勤務し、最後数年間は技術部門の責任者をしていた会社では、よく似た作業日報を作り業務管理をした。
仕事では、作業時間が生産性をはかる尺度(通常の設計では問題ないが、開発設計の場合は問題がある。)となるが、私生活の場合、生産性は考えられないので無意味とも言える。
しかし、以前何度も書いたように、その日何をしたかグラフ化することで、無気力に生きているか、有効に時間を使っているか見えてくる。
この予定日報表で、無気力に生きていることを気付かされ日常生活を取り戻したことが、数多くある。
同時に、ジムやウオーキングや読書や画廊回りが続いているのも、予定日報表によることが大きい。
これは日記でも同じと思う。
私の場合、日記は数え切れず書き、毎年日記帳を購入していたが、数か月続いた試しは無い。
すべて3日坊主(長くて数週間)で終っている。
そこで考えた末に、生み出したのが予定日報表だった。
初めは、予定表に簡単にその日の行動のメモを付ける予定だったのが、毎年進化し15分単位でその日の日報を書きこむように進化し、いまも続いている。
やはり、何度か記載されない日があったが、予定を書きこむたびに日報の記載を思い出し、継続出来るようになった。




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昨日記181112月(プチ断食)

2018年12月13日 20時15分53秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
前日のワークショップ「大阪ミライ会議」の中間報告会に参加するため、前日プチ断食の予定日をこの日にした。
朝・昼絶食すると体重は減るし、その後数日は体調がよい。
ただ絶食中は体が冷え、特に冬は厳しい。
また、やる気が起こらず、力が入らないことも多い。
午後から、食材の購入に走った。
夕方になり、近くのファストフードに速歩で出かけ、この日初めての、軽食をとり、本を読んだ。
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昨日記181111 日(「大阪イマ→ミライ会議」参加)

2018年12月13日 16時54分07秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午後から立憲カフェで開催される「大阪イマ→ミライ会議」報告資料のまとめのため、朝から提出文書を作成した。
前回の話では、フォーマット等ネットで送るということだったが、ネットを調べても何もなかったので、仕方なく手書きで書いた。
地下鉄で最寄りの駅まで行き必死で歩いたが遅刻した。
各人の提出資料が配布され、それぞれの報告を聞いた。
その後、最終報告に向けたレクチャが行なわれた。
その中で理想とする社会の絵も描かされた。
初回はKJ法を使った議論が中心で、この回もおなじ手法も使われたが、絵を描くのははじめてだ。
私も製品開発の仕事をし責任者でもあったので、発想法や問題点抽出や解決策の提示についてもそれなりに講習も受け勉強して、多少なりともブレーンストーミングから始まって様々な手法に対しての知識や実践応用経験(設計開発チームで指揮・実践もした。)もあるが、これが絶対という手法はないのが現実だと思っている。
近年ではブレーンストーミングの効果も疑問視されている。
そうした観点からみると、今回の政策提言の発想法や手法はいかにも荒っぽいし未熟と思った。
最終報告に向けての課題とフォームを渡されワークショップは終った。
帰りはいつも行くファストフードに行き、コーヒーを飲みながら、各人の中間報告をみたり本を読んだりした。


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昨日記181110土(図書館 街宣応援 美術対話トーク 報告下書き作成)

2018年12月09日 14時25分10秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午前中、メトロに乗り西長堀にある市立中央図書館に図書の返却と、高齢者関係の社会問題を調べるために本を借りに行った。
社会問題関係を調べるのは初めてで、行政・社会・福祉・市民運動・政治といった分野を捜し歩いてかなり時間をとられたが、しっかりとした統計データを基に論を展開しているいい本が何冊かみつかった。

図書館を後にして大急ぎで帰宅し簡単な昼食をとった後、知り合いの人が街頭演説をするので来てほしいということだったので、短時間応援しに自転車で現場まで行った。
そこには元大阪市長の平松氏や国会議員も応援弁士として演説していた。
2ー30分演説やパフォーマンスを見た。
とりあえず実験的に街頭演説の馴らし運転している感じだった。

その帰りに、スーパー2軒に寄り食材を購入した。(約3km以上自転車で走行)
これだけでも、めったにない忙しさだった。
しかし、この後に予約していたギャラリー白の上にあるビルの4Fのギャラリーで行われる、美術記者と国立国際美術館学芸員の対話トーク「1980年代の現代美術」に参加しなければならず、帰宅後再びメトロで淀屋橋まで行き、会場へ向かった。
話の内容は、興味ある話だった。
いろいろ書きたいことはあるが、長くなるので省略する。

対話トーク終了後、天満橋のファストフードに向かい図書館から借りてきた老人問題関係の本を読んだ。
翌日に立憲カフェで大阪ミライ会議があり、そこで中間発表をするため、調査した結果をフォームに書き込んで提出することになっていたため、その下書きを作製した。
このように書くと、政治活動にのめりこんでいるように見えるが、そもそも立憲カフェに参加したのも立憲民主党が、パートナーズを募集(加入費500円)していたので、市民参加の政治システムとして今までにない方式であり、党の政治方針が私の思っている方向とほとんど同じだったので参加した。
そうした流れの中で、パートナーズ参加によるパートナーズミーティングが行われ、ミライ会議も其の一つだった。
下書き作成のために、問題点に関連した本を調べ読みつつ下書きを書いたりするので、時間がかかり帰宅が遅くなった。

帰宅後も夕食をかき込み、閉店間際の銭湯に駈け込んだ。
とにかく目まぐるしく動きまわり、頭もめいっぱい使った忙しい一日だった。



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昨日記181109金(神戸のギャラリー行閉店時間オーバーで断念)

2018年12月06日 19時41分10秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
スマホに記載した日報もデータをPCの予定日報表に転記するのに時間をとられた。
更に、午後になって食材の買い出しに時間をとられた。
午後から神戸元町のギャラリーに行くつもりでいた。
そのギャラリーの事は、堀尾氏の通夜か葬式に行った帰りに寄った人のFBに記載されていた。
堀尾氏の展覧会が、なんと亡くなられた日が個展の開催日で、ギャラリー名が私に関係した名前だったので、非常に強い偶然性を感じた。
この展覧会は、是非行かねばなるまいと思っていた。
しかし、そのギャラリーの名前を聞いたのは初めてで、どこにどう行けばよいのかも分からず、ネットと地図で調べた。
そうしたこともあって、出発が遅くなった。
5時過ぎに家を出て、阪神電車の特急(止まっていた通勤快速急行?のほうが早く神戸に着くことを知らずに、特急が最も早いと信じそのまま乗っていて、その後路線図を見て間違いを知った。)に乗ったが、それ以前にも地下鉄も発車直後だったり乗り継ぎも出発直後になり、予想より大幅に遅れ、電車の中で結局どう考えても7時までにそのギャラリーにたどり着けないことが分かり、西宮の先で引き返し野田で降りた。
というのは、以前から野田にイオンモールがあるのは知っていて一度見ておきたいと思ってたので行った。
初めて行くイオンモールのファストフードで、コーヒーでも飲んで読書しようと思っていた。
しかし、ファストフードは店内がひっそりしていて閉店状態になり、残った客が数人お茶を飲んでいたが、カウンター内のレジはクローズとなり、店員は一人機械類の片付けをしていた。
仕方なくイオンモール店内を見てから帰宅した。

この時期、ついていないことが多いと思った。
(最近の連続して起きたついていない事の詳細については、昨日記181104日「宝塚現代美術てん・てん 堀尾さんの死を知る」の末尾に記載)



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昨日記181108木(ジム・ランニング体力低下)

2018年12月06日 19時19分21秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午前中、FBに投稿したりブログを書いたりした。
午後になって、ジムに行きランニングを行なった。
時速9kmで20分、それも計測バーにつかまりながら走ったが、激しく疲労した。
体力持久力の低下が激しいようだ。
この日、終日PCの予定日報表に代わる、スマホの日報表のフォームについて試行錯誤していた。
現在従来通りPCをメインで使用し、外出時のみスマホにメモするようにしているので、この日やそれ以外のスマホでの予定表フォームの作成は無駄だったようだ。(転記することが、2重手間)
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