散歩者goo 

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昨日記190109 水()

2019年01月13日 16時29分08秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午前中、前日の疲れが残りTVを見ていた。
終日、食材買い出しや副食製造等の食事関連家事で時間を取られる。
副食製造に時間を費やし、たまった洗濯物を干したりして、寝たのは1時過ぎ。
我ながら、馬鹿げた時間の使い方だと思っている。
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昨日記190108 火(池田丈一展)

2019年01月11日 13時35分18秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昼食前に、とりあえず夕食、翌日朝食を含む4食の副食を完成させた。
午後から、奈良のギャラリー勇斎で開催されている池田丈一展に行った。(正式の丈一の丈は、右に点あり)
現代彫刻家の池田氏とは、塔本賢一さんと同じころからのお付き合いである。(1990―1995年)
池田氏も塔本氏と同じペースで日本を代表する主要な現代美術コンクールで、入選受賞を重ねる輝かしい実績を持っている。
少し遅れて勇斎に入ったが、ギャラリー内はオープニングパーティーが開かれており多くの人で一杯だった。
まず池田氏に挨拶し、作品を見て回った。
最近の池田氏の作品は、木彫で言葉・文字の造形化・デフォルメと、具象の形象(例:唇)をデフォルメして複雑な形に組み合わせて構成し謎解きの面白さも加わって、楽しい現代美術作品になっている。
その後、知り合いの作家や、美術関係者やコレクターも来ていて、そうした人たちと酒を酌み交わしながら話が弾んだ。
時間が経過しても、次々と池田氏の友人作家が続々来て人が増えたし、私もかなり酔ったので池田氏に挨拶してからギャラリーを出た。
帰り道、顔なじみのコレクターの方と一緒に近鉄奈良駅まで帰った。
その道すがら、とても貴重な話を伺うことができた。
コレクターの方と別れた後、東向商店街にあるファストフードにより、コーヒーを飲みながら読書した。
それでも、8時過ぎには自宅に着き、食事関連の家事を行った後、夕食をとった。



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昨日記190107 月()

2019年01月10日 22時01分37秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午前中昨日記を書いた。
午後からは、冷凍ご飯を十数食作ったり、食材の買い出しを行い、食事関連家事に時間を取られた。
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アボガドで思い出したこと

2019年01月10日 21時27分47秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今TVでアボカドを特集していた。
みかん農家が、ミカンの販売不振でアボガドを作り始めているという。

アボガドは、メキシコにいた時の日常食だった。
メキシコに行ったきっかけは、40代の時に英語留学のためアメリカのシカゴにある大学付属の英語学校に1年半滞在した後、中南米から、商品を輸入する目的で、スペイン語を学ぶためにメキシコに行くことにした。(英語は、落第を重ね日常会話がなんとか話せる程度で、英語がペラペラではなかった。帰国後30年間は、日本語しか使っていないのでほぼ英語初心者に戻った。)
アメリカの英語学校のアメリカ人ルームメイトの奥さん(メキシコ人)の紹介でメキシコのクエルナバカのスペイン語学校に、1か月半程度入学した。
結局スペイン語は、片言のブロークンスペイン語しか話せなかった。
その時ホームステイし、ホームステイ先では連日フエスタ(お祭り・宴会)に近い楽しい日々を過ごした。
食事は、トルティーヤが主食で、その中に必ずアボガドが多く入っていた。
確か、クレープのようにトルティーヤの上に具材を自由に皿からとって乗せて包んで食べていたように記憶している。

今、日本でアボガドが流行していると聞いて、当時のメキシコのにぎやかな食卓を思い出した。
マンゴーも日常的によく食べた。
それにしても、アボガドにしろマンゴーにしろ、値段の高さに驚かされる。
いずれもメキシコでは、庶民の日常食で安かったしうまかった。(アボガドは味がない)
メキシコでは様々な思い出があるが、時間があれば思い出して綴ってみたい。



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昨日記190106 日(シンポジウム「〈具体〉再考 大阪と前衛美術」聴講)

2019年01月09日 16時18分53秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午後から、大阪大学総合学術博物館主催のシンポジウム「〈具体〉再考 第3回 大阪と前衛美術」を聴講しに行った。

会場の大阪大学中之島センターは、以前大阪教育大学の那賀先生が現代美術の公開講座を行われたときに、数回参加したことがある。
当時は、周辺が開発されておらず、非常に殺風景な場所にポツンと大阪大学中之島センターが立っていて、こんな辺鄙なところになぜ建てたのかと驚いたことと、地下鉄から歩いてやたら遠く感じたことや、暗い夜道をとぼとぼと帰った強い印象が残っている。
当時、那賀先生の講義の中に哲学者の名前と思想が出てきて、当時講義内容を十分理解できていなかったことも覚えている。
今は、構造主義・記号論に興味を持って以来、現代哲学関係の本を読んだりして現代哲学の理解を深め今ならおおよその言説は理解できると思っている。
また近年歩行力の不足を痛感し、積極的に長距離を歩くようにした結果、この日肥後橋から中之島センターまで歩いたが、疲労を感じることなく速足で目的地まで歩くことができた。

このシンポジウムの趣旨とプログラムを末尾に掲載しておく。

発表1の橋爪節也先生とは、私がギャラリーを経営していた時にギャラリーでの雑談でお話を伺ったことがあり、前田藤四郎の話も伺った記憶がある。
先生の話は、テンポよく様々な側面から大阪の近現代美術と関連する話をされ非常に面白かった。
発表2の竹内幸恵先生の話や 発表3の今井祝雄先生の話もスライドを交え興味深い話が聞けた。
シンポジウム終了後は、たぶん多くの顔見知りと会って必然的に挨拶を交わすことになり、面倒なのでいち早く会場を飛び出し、天満橋まで歩いた。(形式的挨拶はできるが苦手である。飲み会なら、見知らぬ人とでも積極的に話しかけるし、相手に合わせて話をすることは苦痛ではないし、楽しいこともある。)
天満橋でいつものファストフードによりコーヒーを飲みながら、以前読了した考古学の本を速読で再読した。
一度読んだ本でも、学術的な本の場合、しばらくすると多くのことを忘れていることが多い。
重要な本は再読することもよくある。


以下参考資料

趣旨】
大阪大学総合学術博物館では、関西に生まれた戦後日本を代表する前衛美術グループ「具体美術協会」(略称:具体、1954-1972年)について、従来の解釈を複数の視点から見直すために、2016年度より一年に一度テーマを設けてシンポジウムを行ってまいりました。2016年度は「第1回 1950年代の前衛グループ」、2017年度は「第2回 1930年代の前衛」を開催し、それぞれの文脈で具体の特質を検討しました。シリーズ3回目で最後となる今年度はより視野を広げて、具体が活動を展開した大阪という都市との関わりに重点をおきます。大阪で前衛美術はどのような位置を占めてきたのか、そこに特徴はあるのか等について、実際に具体で活動し、グループ解散後も都市における美術のあり方を提起してきた作家や、都市と美術を考える上で重要な分野である広告デザインの研究者らを招いて話合います。なお本シンポジウムは、平成28年度科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金 基盤研究(C)課題番号16K02266「具体美術協会」再考—複合的視点から見直す戦後日本美術の一断面—)による研究成果の一部です。

【プログラム】

14:00〜14:05 趣旨説明 加藤瑞穂(大阪大学総合学術博物館招へい准教授)

14:05〜14:50 発表1 橋爪節也(大阪大学教授)

「大大阪の時代と前衛絵画——前田藤四郎の場合」

14:50〜15:35 発表2 竹内幸絵(同志社大学社会学部教授)

「吉原治良の「広報」と「広告」」

15:50〜16:35 発表3 今井祝雄(美術家、成安造形大学名誉教授)

「都市大阪の感性——〈具体〉とその後」

16:35〜17:50 討議
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昨日記190105 土()

2019年01月08日 14時50分09秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午前中疲労を感じ、TVを見て過ごす。
午後に、遅れている昨日記を書いた。
その後、缶詰で昼食をとり、夜は遅い夕食まで副食づくりを行う。
寝る前に銭湯に行き湯船で疲れをとった。
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昨日記190104 金(水屋・食器棚整理清掃 ブログ書き)

2019年01月07日 16時22分30秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
前日レンジ周りをきれいにしたので、台所にある水屋・食器棚の乱雑さが気になり整理をした。
この水屋は、多分両親が戦前この長屋に引っ越した当時購入したものに違いない。
多分80年から90年ぐらい前のものではないかと思われる。(両親は、大企業の管理職で近くに住んでいた父の兄を頼ってこの長屋に来たのが、昭和10年<1935年?>と言っていた。)

両親はよく、ここに引っ越した時、周りは田んぼだったと言っていた。
当時は、この長屋もハイカラな今でいえば新築マンションのようなものだったのだろう。
この界隈の住人は、船場界隈の番頭や工場経営の人が住んでいたようで、町内会も皆顔なじみで町会で大運動会なんかをした写真も見た記憶がある。

さて水屋の中を見ると私が購入したまま食べていない古い食材(パスタ そば 飴類 ゴマ オリーブオイル キナコ 春雨 片栗粉・・・)や調味料やお茶や食品容器や便利グッズが大量にあるではないか。
見れば、ほとんど見おぼえがあり、賞味期限を見ると5年10年前のものも多かった。
それらを集めごみ袋にまとめて入れ、その後汚れた棚をきれいに拭き掃除し、半日ぐらいかけて乾かした。
夕方から夜にかけては、再び遅れている昨日記を書き投稿した。
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昨日記190103 木(ファストフードで朝食 レンジ回り清掃 電子レンジ試運転)

2019年01月07日 13時12分00秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日、朝から自転車で1kmあまり離れた、ファストフードに行き、朝食を食べ、本を読んだ。
よく行く店だが、朝に行ったことは数回程度だ。
まして、新年早々は無い。
席についた頃は、空いていて居心地よかったが、10時前後になると急に混みはじめレジには長い行列ができ満席になった。
帰宅後、前日購入した際家電量販店でカードとポイント合算手続きを行ったが、帰宅後ネットで確認しようとして、この時初めて関係サイトにネット接続したが、パスワードの変更と最終手続きが必要と分かり、処理に時間を取られ昼過ぎまでかかった。
その際、手続き中机の上で居眠りしてしまった。
連日の疲れがかなり溜まっていたようだ。

昼食後、いよいよ電子レンジの片づけにかかった。
箪笥の上に積んである故障した電子レンジの梱包箱を取り出し、箱の埃を丁寧に埃が立たぬようぬぐい取った。
次いで、故障した電子レンジの中や周りの汚れをさっと拭き取り梱包に収納した。
物が大きいだけに、梱包に入れるのに一苦労した。

ところで、この故障した電子レンジはキャスター付きの置台に置いてあった。
(キャスター付きの置台は、私がアメリカから帰国した後、天王寺区の玉造<玉造公園南>で喫茶店営業後に地上げにあった後、十三で中南米の民芸雑貨店を営業したときに商品の置台として使っていたものだ。)
置台の上にはステンレスの板が張られているが、電子レンジは設置以来置きっぱなしだったため、電子レンジの下のステンレス板には、電子レンジから流れ出た油や出汁が山のようにこびりついていた。(週に一度、電子レンジ扉下のこぼれ出た汚れだけは、見える範囲で拭き取っていた。)
電子レンジの中には、小さなゴキブリが住み着いていて、時折機械室に殺虫剤を吹きかけたり、ゴキブリの餌を置いたりして退治するが、すぐに繫殖する。
以前、食品機械の会社に勤めていた時、修理依頼の食品機械(フードプロセッサー・・有名店も含む)を見るとすべての機械の電気ボックスやその周辺に、大量のゴキブリがいた。
いくら衛生環境を整えても、ゴキブリは入ってくるようだ。

その電子レンジの置台の下は、掃除していなかったので大量の埃が積もっていることは分かっていた。
置台の下はキャスターがついているので十数センチの隙間があり、その隙間にネズミやイタチやゴキブリが出入りし、ほこりやゴミも積もっている。
掃除のため置台を移動させると、無数の紙くずと綿埃があった。
それらを箒で埃をたてぬよう丁寧に集め、その後水拭きした。

この置台と、置台の床を掃除するのに、ずいぶん時間がかかった。
同時に、その周辺のものも整理し、その周辺に置いてある4―5年以上前の調味料(塩コショウナ・ツメグ・グローブ・オリーブオイル・ゴマオイル・・・・)や様々な物を処分した。
そうした整理、掃除にかなり時間がかかった。

夕方になって、やっと新しい電子レンジを開梱し試運転した。
最初タッチパネルがうまく動作せず焦った。
タッチパネルを押す位置と押し加減でうまくONになったり失敗することがわかり、徐々に操作のコツがつかめるようになった。
電子レンジは新興企業のアイリスオーヤマの製品で掃除機も昨年同じメーカーのものを購入した。
安いのと応援の意味もあってI社の製品を購入したが、タッチパネルの操作性には多少問題があるのかもしれない。
その後試験運転を兼ねて、雑煮の加熱調理を行った。
オーブン機能もあり空焼きをしたり、電子レンジ機能では加熱電力も今までのものと少し違うところもあり、牛乳を温めたり、お湯を作ったり様々なテストを繰り返した。
とりあえず、雑煮仕立ての夕食を作り、夕食後は、電子レンジ関連の作業をやめ、たまった疲れをとるため早く寝た。



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昨日記190102 水(コンビニで朝食・昼夜外食 電子レンジ購入・持ち帰り・重労働)

2019年01月05日 15時00分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
普段正月3ヶ日の朝は、雑煮を食べてお酒を飲んでTVや新聞を見て昼寝する。
少し前まで正月2日が銭湯で午前中初風呂があったので、必ず行っていた。
近所の風呂屋では、最近それが無くなった。
しかし今年の正月はそれどころではなかった。
電子レンジが使えないので、すべて外食しなければならなかった。
当初、朝食は1.5kmほど離れたファストフードに自転車で行く予定だったが、昨年末に近くにコンビニができたことを思い出した。
そのコンビニには、挽きたての100円コーヒーを売りにしていて2階にはイートインコーナーがあると宣伝していたので、コンビニで朝食をすますことにした。
弁当類やサンドイッチ類を探し、弁当は結局無難な幕の内を選び、コーヒーマシンの使い方がわからずカップを入れないで抽出した失敗もした。
結局コーヒーはMサイズ150円の紙コップを購入しコーヒーを抽出。
弁当とコーヒーを持って2階へ行くと広いスペースに椅子と机やカウンターがきれいに配置されていたが、客は私一人だった。
コンビニの100円コーヒーも、イートインスペースも初体験だったが、コーヒーは期待したほどではなかった。
この時、支払った朝食代は500円余り。
この調子で何日も3食外食すれば食費に毎日千円から1500円かかり確実に赤字になることは間違いない。
今日中に電子レンジを買わねばと思った。
コンビニのイートインスペースは快適で、朝食後1時間余り本を読んでいた。

帰宅後、SNSを閲覧後、昨日記で新年のあいさつを書いたり、自選ブログの構成等の編集を行った。
昼食は、牛丼を食べに自転車で外出。

夕方になって、家電量販店に行き電子レンジの品定めをし購入した。
店は多くの客でごった返していて、レジに長い行列ができていた。
安い単機能のものは1万円以下で入手できるが、時間設定が荒いのと、加熱むらの心配からワンランク上のオーブンレンジを購入した。
購入時、配送料が無料になるというのでカードとポイントの合算手続きを行ったが、その手続きにかなり時間がかかった。
さらに、製品の配送日が16日になるというので、持ち帰ることにした。
持ち帰るために梱包してもらったが、改めて持ってみると重くて、数十mは持って歩けるが、とてもメトロの駅から自宅までの1km近い距離は無理と分かった。
そこで店員に商品の預かりは出来ないか、尋ねるとダメということだった。
かといって、返品して配達にしてもらうと、16日まで外食するとなると1日3食1000円から2000円の出費となり、経済的に問題だし生活パターンや時間も制約される。
そこでいろいろ考えた。
この家電量販店にキャリーカートを売っているはずと考え、重い電子レンジを持って店内を移動し、カバン売り場にたどり着いた。
店員にキャリーカートはないかと尋ねると、近くにあるキャリーカート売り場に案内してくれた。
展示されている普通のキャリーカートは、5千円以上するではないか。
店員に問い合わせると、安いので1500円ぐらいであるというのでそれを購入し、店員に電子レンジをキャリーカートに縛り付けてもらった。

その後、時間的に夜食を作れないので上の階にある外食フロアに行った。
立ち並ぶ店を大きな荷物を引きずりながら見て回ると、ほとんどの店のメニューが最低千円以上するので驚いたが、大きな外食フロアを1周したころに、価格が最も手ごろな和食店が見つかった。
そこで一瞬この大きな荷物を持ってその店内に入れるのか心配したが、なんとか無事着席できた。
和食店で900円ほどの豚生姜焼き定食を食べた。
久しぶりの本格的外食体験で、サラリーマン時代を思い出した。
(サラリーマン時代<30代末まで>は、昼食は外食か給食の弁当で、夜は飲み会や外食は日常茶飯で、特に週末は同僚や部下との外食や飲み会が多かった。)

その後メトロを乗り継ぎ自宅までの難行苦行が続いた。
まずエスカレーターで荷物を上げたり支えたりの作業が続く。
さらに駅の階段では、エスカレーターとは比較にならないほど上り下りの作業も大変だった。(梱包を引っ張り上げた状態のままで上り下りした。)
同時に、ジムで鍛えたおかげで、この年でも15㎏程度の大きな荷物を長距離運べる体力があることに自信を持った。(荷物が小さければ、背負ったりして20kg余りでも問題ないだろうが、一抱えもある段ボール箱は、重心が遠くなりモーメントが働くので、持ち運びには予想以上に大きな体力筋力がいる。)
今回のことで、エレベーターの重要性が身に染みて分かった。
メトロの駅から自宅までは、重いキャリーカートを引っ張りながら何度も休みながら歩いた。

自宅につくと、不安がよぎった。
電子レンジが、玄関を通り炊事場まで無事に運べるかということだ。
玄関の戸の幅が狭く梱包の幅に近くて余裕がなく、場合により戸を外さなければ入らない。
結局無理な姿勢で14kg余りの重い大きな段ボールを力任せに前に抱え込み、ぎりぎりで通ることができたが、ジムに行って筋力を鍛えてなければとても入らなかっただろう。
さらに、その箱をどこに置くか決めるのも大変だった。
家が狭くて置き場がないのだ。
結局炊事場にあるものを片付けて置き場を作り置いた。
終わったときは疲労困憊状態で、その後翌日には、故障した電子レンジを片付けて周辺を清掃して新しいレンジを開梱設置し試運転するまで、今後どれだけ労力がいるのかと考えると、いやになった。
その日は、そうしたことを考えながら、疲れていたが、寝る前にブログで近況報告だけしておこうと思いブログを書いてから寝た。
散々な一日だった。


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昨日記190101 火(春日大社へ初詣し森の中で迷う 電子レンジの寿命)

2019年01月04日 20時29分10秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
朝は、いつもの鶏肉の温野菜に丸餅を4個トッピングして、お正月らしく雑煮仕立てにし他雑煮を食べた。
普段は餅ではなく、食パンに純粋蜂蜜(名前が純粋とついていても蜂蜜もどきの安い製品が出回っているがそういうのは使わない。)を塗って食べているが、おいしい蜂蜜パンが食べられないのが残念。
雑煮を食べる前に、お屠蘇代わりの酒を飲みながら、雑煮も味わった。
食後に梅酒も買っておいたので、封を開けて飲んだ。
梅はクエン酸の疲労回復効果のみならず、筋肉増強作用があることが実験で確認されていると、TVで医学関係者が言っていたので、ここ数か月梅干しを買って食べている。
その延長線上で、梅酒でもその効果あるかどうか全くわからないが、そういう関係から正月は楽しみの一つとしと同時にそうしたことを期待しつつ梅酒を飲むことにした。
因みに、5ー6年前に2ー3年間本格的梅酒づくりをしたことがあったが、その後、再び梅酒のシーズンが来た時に自家製梅酒と市販梅酒と価格差が無いか市販の梅酒のほうが安いことがわかり、梅酒づくりをやめシーズンには市販の梅酒を購入して飲んでいたが、その後シーズンが来ても梅酒も飲まなくなった。

午後から初詣でに出かけた。
私は、子供のころは神仏に祈っていて、信仰心はあった。(般若心経や祝詞も暗唱していた。)
今は各種宗教について美術・哲学・考古学・文化人類学・宗教学的見方での知識(仏教・キリスト教・神道関係の本も多少かじった。)は持っていても、特別な信仰心は持っていないが、正月は気晴らしに初詣に行くことが多い。(現在、神の存在を否定する無宗教と、神を認める立場の間を行き来している。)
50歳ごろまでは、奈良の春日大社から新薬師寺に行くことが多かった。
30歳過ぎから、考古学古代史に興味をもって勉強もしていて、そうした関係から50歳ぐらいから大阪一の宮の住吉大社に興味が出ていくようになった。
しかし、住吉大社はものすごい人出で、参拝するまで長い行列で通行規制があり長時間待たされた。
今年は、久しぶりに昔行った春日大社へお参りすることにした。

まだ経済的に余裕のあった20代30代のころには、奈良によく行った。
20代のころは、休日に仏像の美に興味を持ち、仏像心と形(望月 信成、 佐和 隆研、 梅原 猛)や亀井勝一郎の本や和辻哲郎の「古寺巡礼」やその他ガイドブックを読みながら、大和の古寺を回った。
当時寺とその周囲は、整備されておらず荒れていて、素朴で今のように美しくなかった。
また、奈良公園のささやきの小道から柳生街道への滝坂の道は、散歩道感覚で暇つぶしによく歩いたし、足を延ばして柳生までもよく行った。
山野辺の道もたびたび歩いた。
そんな関係で、40歳ぐらいまでは初もうでは春日大社から新薬師寺を回るコースが私の定番で、途中滝坂の道によって石仏を見て回ったりもした。
あしびの咲くころや、秋は飛び火野を横切り、森を突っ切り「ささやきの小径」を通り、新薬師寺まで行った。
今はやっているかどうか知らないが、新薬師寺では火打飯があって、庭を見ながらの昼食がお気に入りだった。
新薬師寺に行く目的は、新薬師寺の十二神将像がお気に入りで、いつも長時間見ていた。
帰りには、興福寺の宝物館で阿修羅像や多くの国宝を心行くまで見ることも多かった。
こうしたことは3―40年前の話で、今の仏像ブームや阿修羅ブームとは縁がなく、当時は拝観者もかなり少なかった。
当時の、私のお寺まわりのきっかけは、NHKTVの仏像講座(佐和 隆研の教養講座?)と土門拳の写真から影響を受けたことは間違いない。

春日大社では、拝殿前では入場制限があり、かなり時間がかかった。
参拝後、昔よく行ったささやきの小径を探しに歩いた。
その道はすぐに見つかり、志賀直哉の旧居近くまで行った。
それから、飛び火野に行く道があったはずと思い、それらしい道に入り森の中に入った。
はじめは道もあり、小川には橋もかかっていたが、それから先は道がわからなくなった。
道に迷いつつ歩いていると、昔よく通った飛び火野の森に囲まれた大きな草原に出た。
その、森を潜り抜けると、飛び火野に出て、その向こうは奈良公園だ。
しかし目の前に、昔なかった金網の柵が森の周囲をかこっていて、飛び火野に行くことができない。
どうやら、鹿野苑が拡張されたらしい。
道を探したが、柵は川まで封鎖されていて、奈良公園へ抜けることはできなかった。
日も暮れかかり、仕方なく元来た道を探し迷いながら、ささやきの小径に戻り、志賀直哉旧居まで出た。
その後、興福寺横から餅飯殿センター街・東向き商店街に入りファストフードに寄り、1ー2時間コーヒーを飲みながら縄文時代の貝塚遺跡の本を読み読了した。
その遺跡は、まだ1割程度も発掘されていないという。
縄文時代、多くの人が移動していたようで、興味深い話がいろいろ書いてあった。
今後の研究成果を期待したい。

帰宅後、いつものように副食に特製出汁を入れいつもの温野菜を作った。
その後餅を入れ1分半過熱した。
その後大根おろしを温野菜の上にトッピングしたので、温野菜を再度加熱しようと電子レンジの電源を入れたとたん、ピーという音が鳴りそれ以降うんともすんとも言わなくなった。
幸い、その時温野菜とご飯は仕上がっていたので、そのまま夕食にした。
夕食後電子レンジで考える範囲いろいろ操作したが何も動かなくなった。
電子レンジは、さび付きボロボロの状態、でいつ故障してもおかしくないと思っていた。
海外の会社傘下に入ったS社の製品で、その時は技術力があると信用して購入した。
しかし、購入後1年目で電源が入らなくなくなり、それ以来故障するまで扉をガムテープで止めて運転していた。(扉がしっかり閉まっていないと電源が入らないが、1年たつと扉に隙間が出るようになった。)
週に1度ぐらいガムテープを交換して、扉についた接着面の接着のりをきれいに取り除かないと、扉がしっかり閉まらず電源が入らなくなるのだ。
それ以来、その会社の品質を信頼しなくなった。(コスト優先でやった結果だと考えている。)
さらに、レンジ内はさび付いてボロボロの状態で、扉のペアグラスも曇りが出て、扉のスポット溶接も一部外れ始めたのでガムテープで締め付けていた。(信じられない)

この日夜遅くまで、試行錯誤したが諦めて寝た。
寝ながら翌日からの行動を考えた。
私の食事は、主食は朝がパン、昼と夜はご飯で、副食は3食同じものを食べていて、原則すべて自炊である。
このパターンは、盆正月も変わらず、ほとんど365日同じものを食べている。
副食の調理は、電子レンジのみだ。
電子レンジが使えなくなると、外食に頼るしかない。
都市ガスは、止め栓しているし、たとえカセットコンロを購入したとしても、最近はガスコンロで調理したことはなく、メニューも用意していない。
当分朝昼夜外に出て外食するか弁当を購入するしかないが、食費が一挙に跳ね上がるのは避けられない。
電子レンジの買い替え費用も用意せねばならず、電子レンジを買わず外食すれば、1日千円から2千円かかり、このままではすぐに赤字になる。
また外食では、今作っている副食の栄養価はとても確保できない。(副食は栄養価を計算して食材を決定しているので、健康状態は良好である。)
翌日は、全力を挙げて、電子レンジを購入しなければならないと思った。


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1月1日夜に起きたハプニングで大混乱

2019年01月02日 23時26分02秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨夜(1月1日)初詣を終えて、ご機嫌で夕食を食べる直前に発生した家電トラブルで大混乱となり、今日も夜9時過ぎまでその対応に追われていた。
幸い、1月1日の夕食は食べることができたが、その後の食事関連家事(下ごしらえ調理・・・)はすべてストップとなり日々の生活が一変した。
餅入りの雑煮もどきの具だくさんの副食や、屠蘇代わりのお酒を楽しみにしていたのが、すべてパーになった。
明朝も昼もかなり影響が残る可能性があり。
事の詳細は、落ち着いてから昨日記で報告します。
したがって、新年早々約束を破りになりますが、昨日記がさらに遅延します。

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皆様、あけましておめでとうございます。

2019年01月02日 14時35分30秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
皆様、あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

昨日記の投稿が大幅(約1か月遅れ)にずれ込んでいることをお詫びいたします。


私は、現在健康状態も日常生活や経済状態も問題なく、元気に過ごしています。
(いつもの愚痴の繰り言になりますが、お許しを)小さな問題があるとすれば、貧困のために遠出できないとか、様々な有料の催し物に参加できないとか、大好きな飲み会に参加できないとか、読みたい話題の本が買えないといった小さな不便がありますが、私にとっては些細な問題で苦痛に感じるというほどではありません。

それ以外、体力筋力の低下という問題がありますが、どんどん低下しているわけでなく、ジムの記録で言えば、例えばウエイトトレーニングでは、45kgのウエイトで押したり下げたりしているものが、3kgアップの48kgにすると押したり下げたりできません。
逆に、体調の関係かもしれないがー3㎏にしないと押したり下げたりできない日がよくあるようになったという具合で、明らかに筋力の低下がみられると思っています。 
それでもできるだけ筋力体力を維持しようと、様々な工夫をして加齢による体力の低下を防ごうとしています。
幸い、60歳からジムに通い始め、筋力持久力も60代の頃よりウエイトの記録上2―30%UPしていて、5―60代のころは、京都のギャラリーを回ると足が棒のようになり、激しい疲労を感じていましたが、現在当時と全く同じコースを歩いても足の疲れも疲労度も比較にならないほど軽減して、筋力体力とも強化されたことを実感しています。
しかし、先に述べたように最近筋力や体力は低下傾向であり、今後も回復せず下降線をたどるのか見極めたいと思っています。
とにかく、今後は現在の体力維持がこれからの目標になりそうです。(できれば筋力体力UPだが難しそう。)

ところで、この「昨日記」のことですが、今まで「昨日記」は日付順に投稿しておりましたが、今日から文字通り「昨日記」として、できる限り前日の記事を投稿するようにしたいと思います。
遅れている記事については、時間的に余裕のある時に投稿します。
したがって、投稿記事の日付が前後して並ぶことがあります。
できる限りこうした事態は早く解消するつもりです。


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