急速に病状は悪化していました。
田代さん(仮称)、88歳、肺がんの男性。
夜。
夕食の時間帯が終わった後、私は、自分の仕事をこなしていました。
自分の仕事。
それは、病院全体のテレビの地デジ化に伴い、テレビの工事を患者さん全員に説明しなくてはならず、病棟の患者さんのお部屋を訪ねていた時でした。
田代さんの病状は、このところ、思わしくありません。
急速に腎機能障害が進行しており、びっくりするほどのK(カリウム)の値になっており、とりあえず、田代さんの体に負担がない程度に治療を行って、そのことについて医師から説明があった後のことでした。
ポンは思いました。
もし。ひょっとして、体調が落ち着いていて、お話ができる状態なら、テレビの交換のお話ができるかな…。
地デジ化に伴うテレビの交換は、ずっと、ずっと、以前から予定されていたことでした。
でも、工事の日程や患者さんやご家族への説明方法に疑問があったので、それを担当部署に聞いてから患者さん・ご家族に説明に行こうと思っていたのですが、自分の業務の忙しさを口実に、担当部署に詳細を確認することをすっかり忘れていました。
そして、あわてて確認したこの週末。
テレビの入れ替えはすぐそこ。
病室を周って、説明しなきゃ。そんな気持ちが自分を支配していました。
田代さんは、病状が進んでいるとはいえども、自分で自分の意思を伝えられる状態。
もしかして、テレビの交換のことを伝えられるかもしれない。
そう思って、お部屋を訪れました。
もちろん、田代さんに最初に声をかけるのは、『自分の伝えたいこと』ではなく…。
ポン:胸の痛みは治まりましたか?
最初は、そう声をかけました。
田代さんは、「大分、治まってきた。」と答えてくれました。
が。
田代さんは、私がそばで話をしていると、こう、いいました。
『最近、眠たーて、しゃーない。このまま、楽なったら、死んでるんとちゃうかな。もう、ポンさんの顔をなごー(=長く)みれんと思う。ポンさんに、出会えて、ありがとう。ポンさんに出会えて、ありがとう。』
その日のカンファレンスで、私は「このところ、田代さんは自分のことを、とんと話さなくなった。」と発言したばかりでした。
自分が持っていた書類を手放し、田代さんの手を握りながら、泣きました。
「田代さんに出会わせてもらって、それをありがとう、ゆうのは、私の方です…。」
あほ。
あほ。
ばか!
一瞬、こんな気持ちが心を貫きました。
自分の用事を優先しようとして、患者さんのところを訪れたら、患者さんの言葉。
やらなきゃならないことをこなさなきゃ…。
できないと、またできてないと自分の至らなさを批判される…。
(最近、病棟では自分ができていないことを責められるというような気持ちになってしまうことが多々ありました)
そんな焦りの気持ちで田代さんのところを訪れたのですが、田代さんの体と気持ちは、ポンが思う以上のところにあった…。
お部屋から帰ってきて、何とも情けない気持ちでいっぱいになりました。
「今、田代さんにとって、地デジ化なんて、どーでもいいことやん、おまえは、どうして、そんなにやらないといけないことを遂行しようとしてるんだ。」
ナースステーションに帰ってきてから、自分が情けなくて、情けなくて、涙が止まりませんでした。
私は、本当に、田代さんの気持ちを受け止められたのだろうか。
私は、自分の至らなさもたくさんあることを自覚しています。
でも、なんとか、患者さんにできることはないかと日々、考えている者です。
それは、周りのスタッフ、そして患者さんやご家族が、100%認めてくれていることかどうかはわかりません。
自分が自分の用事で部屋を訪れ、事を済まそうとしていたタイミングの悪さにがっかりしつつも、このタイミングで私の言葉を投げかけてくれた田代さんの手を握りながら、私はいいました。
『田代さん、まだ、終わってないよ。私は。また田代さんに会いに来る。田代さんが少しでも楽になるように、考えてみるから。」
緩和ケアやコミュニケーション技法というところで、私の答え方はどうだったのでしょう。
でも、私は、そう言った。
私は、そう伝えたかった。
私は、そう伝えられると思った。
感覚的なものでしかないことかもしれません。
これまでのやりとりがあるからこその会話のになったのだと思っています。
それにしても、お部屋を訪れたきっかけが、地デジ化に伴うテレビの入れ替え、自分の用事、病院の用事、というのが「どうやねん」と思わずにはいられません。
田代さんのお部屋のテレビの入れ替えは、予定された日でなくてもいい、予定された日じゃないほうがいい。
それを病院の当該部署に伝えるつもりです。
今、この時間。
今しかない時間。
それを大切にするために。
母は最後まで一般病棟だったので、寝ててもなんでも見回り(っていうんですっけ)の順番で体温やパジャマ替えが行われてました。看護師さんは忙しいから当たり前だと思ってました。
用事があって話にいくのはたぶん当たり前で、むしろそのほうが自然で、それがきっかけで、田代さんがぼんさんに気持ちが伝えられたてよかったなあと思われてるように思います。
話はそれるのですが、田中好子さんが病室でメッセージを録音されて、葬儀のときに再生してらっしゃいましたが、どんな気持ちで録音してたのかと思うと胸がいっぱいになりました。
それまでも、何度かお部屋にうかがっていました。
何度お部屋にいっても、とてもしんどそうにされているのに、「しんどくない」とおっしゃるんですね。
それと、自分からお話をされなくなった。
私は、田代さんはご自分の体の調子をとてもよくわかっていたのだと思っていました。
あらためて、田代さんの言葉をいただいて、
私はあのタイミングでお部屋にいけて、よかったのかもしれないと思っています。
ひょっとしたら、神様(すごく信じてるわけじゃないですよ)が、ご縁を作ってくれたのかも、って思います。
忘れられない経験になりました。
スーちゃんの肉声を聞いて。
私は朝のテレビの情報番組を流しながら、洗濯物を干していたのですが、あの声を聴いたときには、手が止まり、涙がこぼれて仕方ありませんでした。
なんと、この方は強いのだろう、と。
その方の気持ちは、その方以外は誰にも理解できるものではないと思いますが、
私は、スーちゃんは、
もっと生きたい。
そう思っていたのだな、と思いました。
あの肉声がなくても、人々の心にスーちゃんは生き続けることができるけど、
それは、芸能人としてのスーちゃん。
あの肉声は、スーちゃん、田中好子さんという「人」を伝えるためのメッセージだったのではないでしょうか。
本当は、ごく親しい人に伝えるためのものだったのかもしれませんが(いえ、あえて、多くの人に伝えたかったのでしょうか)、
ご家族だからこそ、あの肉声をマスコミに公表されたのでしょうね。
芸能人としてのスーちゃんこそ、田中好子さんであると、その人らしさを骨の髄まで染み渡るほど感じ取られていたのでは…。
自分の命の限界を知り、その時期なりに自分のできることをちゃんと理解されていたのでしょうね。
とてもつらい作業だと思います。
とてもすごいと思います。
終末期になると、自分でできることがどんどんなくなるものですが、
それでも、自分の意思というものを最後まで持ち続けるということの大切さを教えてもらったと思っています。
脈絡がない文章ですみません。
緩和ケア病棟で働かれる方は、どんなに手を尽くしても患者さんの病状は進行していく、病棟の目的としては当たり前なのでしょうか割り切れないというか医療者としてはかなり精神的にお辛いお仕事なのかなあと思ったりします。
難しいお仕事とは思いますがぼんさんみたいな一生懸命な看護師さんからケアを受けられて田代さんは幸せな最期を迎えられたんだろうなあとつくづく思いました。
患者さんは…亡くなりますが…。
人は、
生まれてきたら、
必ず、
死を迎えますから…。
できるだけ、
その人が、
楽に、
そしてその人らしく生き抜くお手伝いをしていると思うと、
それほど、
つらくはないものです…。
つらいときもありますが…。
これが、
人生、そして、人の命、人のあり方なんだなーなんて思っています。