Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

来たるべきもの

2010-09-17 | Jazz
 小学校に沿った道を通り抜けようとすると、何やらコガネ色のものが見えました。
まだやっていたんだ、と思い出したのは校庭の一角に大事そうに育てられた稲のことです。
私が通っていた頃からありましたので、ずっと毎年続けられてきたのかも知れません。

きれいに実った稲穂は、良き日を選んで刈り取られるばかりに見えました。
他にも柿やザクロも実をつけていますし、日当たりによるのかどんぐりは既にたくさん落ちています。



日刊ゲンダイに菅・小沢両氏の好きな映画というのが記事になっていたそうです。
それぞれ「カッコーの巣の上で」と「山猫」だとのこと。

ヴィスコンティの「山猫」は1963年の作で、後に貴族を題材に取り上げた諸作への先鞭をつけた作品となっています。
没落してゆく貴族のすがたをゆっくりゆっくり描いていますが、ランペドゥーサの原作や映画の筋は詳しく書いてあるものに譲るとして、貴族というのが今ひとつ伝わりにくいかも知れません。

ヴィスコンティが映画を学んだジャン・ルノワール監督に、有名な「大いなる幻影」という1937年の作品があります。
「山猫」の舞台は1860年代のイタリア統一の頃の話ですが、こちらは第一次世界大戦の話で、捕えた側にも捕虜となった側にも貴族がいました。
互いに貴族であるということで打ち解け、「この戦争がどのように終ろうとも、われわれ貴族階級は滅びてしまうだろう。貴族階級が滅びると信義も滅びる。我々は多くの人々の手本として、自分の身分と紳士道を一命を賭して守り抜いてきた」と信義を誓い合います。
そして貴族階級出身者に「一般庶民はそれがエネルギーだから仕方もない事だが、その場の状況しだいですぐ心が変わってしまう。死んでも約束を守るという事は、誇り高きわれわれ貴族でなくては出来ぬことだ」と言わせます。

二年後に作った「ゲームの規則」になると、舞台は二十年後の第二次大戦前ですが、その間に階級こそ残ったものの、堕落し尽くし、誇りは虚栄へと変質して愚行を重ねることになります。ルノアール監督は退廃しきった彼らを笑いながら見つめていたかのようです。




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