「新しいおじいちゃんは何をしてるんですか」
「劇団員です」
「でもたいへんでしょ」
「お金のことは平気よ、次郎がやるんだから...」
というわけで、アンリ・カルティエ=ブレッソンの「こころの眼」(堀内花子訳:岩波書店)を読んでいたら、第二助監督として働かせてくれたジャン・ルノワールについて、ルノワール家で見た思い出を記していました。
「そこにはいくつもの空の額縁があり、息子の映画の資金づくりに父親の絵があてられいることを窺がわせた」とあります。
父親とは、もちろんオーギュスト・ルノワールのことです。
詳しい人が好きな人を語るのは、読んでいても気持ちの良いものです。
レンズを透したと同じように、HCBの眼は対象を細大漏らさず捉えます。
「ルノワールは生きる歓びと繊細さが滔々と流れる大河のような人物だ」
「主役も端役も、ともに仕事をする誰もを、ルノワールがわけへだてなく愛しているのが感じとれた」
「ルノワールは争わなかった。うるさいハエや蚊がまとわりつくと、太った獣は大きな身体を激しくゆすって追い払った」
『ゲームの規則』については「戦前の観衆は悲劇と喜劇を重ねあわせることを善しとしなかった。映画は興行的に大失敗に終わり、ルノワールを深く傷つけた」と書いてありました。
「きらきらと輝くような彼の笑い声、ひとをからかうような調子、まるで歌をうたっているかのような話し声は、いまも私のなかにこだましている」と結んでいます。
「劇団員です」
「でもたいへんでしょ」
「お金のことは平気よ、次郎がやるんだから...」
というわけで、アンリ・カルティエ=ブレッソンの「こころの眼」(堀内花子訳:岩波書店)を読んでいたら、第二助監督として働かせてくれたジャン・ルノワールについて、ルノワール家で見た思い出を記していました。
「そこにはいくつもの空の額縁があり、息子の映画の資金づくりに父親の絵があてられいることを窺がわせた」とあります。
父親とは、もちろんオーギュスト・ルノワールのことです。
詳しい人が好きな人を語るのは、読んでいても気持ちの良いものです。
レンズを透したと同じように、HCBの眼は対象を細大漏らさず捉えます。
「ルノワールは生きる歓びと繊細さが滔々と流れる大河のような人物だ」
「主役も端役も、ともに仕事をする誰もを、ルノワールがわけへだてなく愛しているのが感じとれた」
「ルノワールは争わなかった。うるさいハエや蚊がまとわりつくと、太った獣は大きな身体を激しくゆすって追い払った」
『ゲームの規則』については「戦前の観衆は悲劇と喜劇を重ねあわせることを善しとしなかった。映画は興行的に大失敗に終わり、ルノワールを深く傷つけた」と書いてありました。
「きらきらと輝くような彼の笑い声、ひとをからかうような調子、まるで歌をうたっているかのような話し声は、いまも私のなかにこだましている」と結んでいます。