一人でのんびりとしているとき或いは何となく気分が乗っているとき自然に口から出るメロディーが私にはある。全く意識せずに口から出てくる。それは「城ヶ島の雨」のメロディーである。何時ごろからは定かではないが初めて城ヶ島を訪れた50年ほど前の印象が潜在的にあるのだろうと思う。
平成21年1月から教育テレビで「日めくり万葉集」を放映している。1ケ月に20首ほどの解説が行われていく。歴史的な面を含み内容の濃い解説がなされている。自分の最も好きな万葉歌を作家、和太鼓演奏者、歌人、桜守、管主、映画監督、考古学者、漫画家動物行動学者、歌手、学長、教授、書道家…とその道の一流の方が選者となって詠われた万葉歌をその人の思いを語る。
その中に選者である林 望(作家、書誌学者)氏が次の万葉歌を挙げていろいろとその思いを考えを披露されている。「城ヶ島の雨」とのかかわりを。
朝床に あさどこに
聞けば遥けし きけばはるけし
射水川 いみづかわ
朝漕ぎしつつ あさこぎしつつ
唱ふ舟ひと うたふふなびと 巻19・4150 大友家持
朝の寝床で聞くと遥かに聞こえる射水川を朝漕ぎながら謡っている舟人の声が
この歌は、大友家持が、国守として、いまの富山県高岡市に赴任したときに詠んだ歌だとされている。
林 望氏の解説
まず、「朝床に聞けば遥けし」というイメージがはっきりとしていますね。何を聞くかというと「射水川朝漕ぎしつつ唱ふ舟人」なんですが、どういう情景かがありありと浮かんでくる。実際に描写しているんじゃなくて、遠くから聞こえてくる声から、舟人が船を漕いでいる姿を想像している。…
そして家持の上記の歌は、明治以降の近代詩にもつながるものがあると林氏は説く。鋭い感性と洞察力の鋭さに思いが至る。
「城ヶ島の雨」(北原白秋)
雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる
▽
「ええ 舟は櫓でやる
櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気
雨はふるふる~」 この歌の「~」内の歌詞部分が家持の上記の歌を近代詩に展開したような内容だと説くのである。
北原白秋はなぜ「城ヶ島の雨」を書いたのだろうか。大友家持のこの歌が潜在的にあったのだろうか。当時北原白秋は三浦三崎に住み城ヶ島を望みながら暮らしていたことは案内文に見られるし海岸に近いところに住まいはあった。当然生活の本拠地であったから雨の日、晴れ渡った日など様々な顔の城ヶ島を見ていたことだろう。
私は北原白秋が大友家持のこの歌を念頭に作詩されたとは思えない。確かに詠われた状況は心境は同じように見られる。しかし北原白秋は、城ヶ島の景色、海のうねり対岸からの四季折々の変化を心に刻んでいたのではなかろうか。
その結果が大友家持と合い通じる歌の内容になったのではなかろうか。川と海と舟そして漕ぎ手の歌声情景に変わるところはない。詠み人の感性が大友家持と北原白秋は同じものであったとも考えられる。
私には北海道の湖「阿寒湖」の遊覧船から流れた「まりもの歌」が忘れられない。詩的才能は全くないがこの唄を聴くとその情景が鮮明に浮かび上がり自然にメロディーが口元を離れ流れゆく。
芸術的才能のある方が大友家持と北原白秋を結びつけて万葉歌を解説される。とてもおもしろいしビックリした。これが切っ掛けで私の中に大友家持の歌が頭に残りいろいろと想像する楽しさを与えていただいた。
音を聞いて、そこから目に見えない情景を想像する。朝方寝床にあって、人が歩く音、犬の鳴き声、スズメのさえずり、話し声などを聞きながら想像する事はある。床を離れる前の脳の運動として結構なものである。私は目を瞑り外からの音をまじえながら想像する!一日の始まりを!
平成21年1月から教育テレビで「日めくり万葉集」を放映している。1ケ月に20首ほどの解説が行われていく。歴史的な面を含み内容の濃い解説がなされている。自分の最も好きな万葉歌を作家、和太鼓演奏者、歌人、桜守、管主、映画監督、考古学者、漫画家動物行動学者、歌手、学長、教授、書道家…とその道の一流の方が選者となって詠われた万葉歌をその人の思いを語る。
その中に選者である林 望(作家、書誌学者)氏が次の万葉歌を挙げていろいろとその思いを考えを披露されている。「城ヶ島の雨」とのかかわりを。
朝床に あさどこに
聞けば遥けし きけばはるけし
射水川 いみづかわ
朝漕ぎしつつ あさこぎしつつ
唱ふ舟ひと うたふふなびと 巻19・4150 大友家持
朝の寝床で聞くと遥かに聞こえる射水川を朝漕ぎながら謡っている舟人の声が
この歌は、大友家持が、国守として、いまの富山県高岡市に赴任したときに詠んだ歌だとされている。
林 望氏の解説
まず、「朝床に聞けば遥けし」というイメージがはっきりとしていますね。何を聞くかというと「射水川朝漕ぎしつつ唱ふ舟人」なんですが、どういう情景かがありありと浮かんでくる。実際に描写しているんじゃなくて、遠くから聞こえてくる声から、舟人が船を漕いでいる姿を想像している。…
そして家持の上記の歌は、明治以降の近代詩にもつながるものがあると林氏は説く。鋭い感性と洞察力の鋭さに思いが至る。
「城ヶ島の雨」(北原白秋)
雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる
▽
「ええ 舟は櫓でやる
櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気
雨はふるふる~」 この歌の「~」内の歌詞部分が家持の上記の歌を近代詩に展開したような内容だと説くのである。
北原白秋はなぜ「城ヶ島の雨」を書いたのだろうか。大友家持のこの歌が潜在的にあったのだろうか。当時北原白秋は三浦三崎に住み城ヶ島を望みながら暮らしていたことは案内文に見られるし海岸に近いところに住まいはあった。当然生活の本拠地であったから雨の日、晴れ渡った日など様々な顔の城ヶ島を見ていたことだろう。
私は北原白秋が大友家持のこの歌を念頭に作詩されたとは思えない。確かに詠われた状況は心境は同じように見られる。しかし北原白秋は、城ヶ島の景色、海のうねり対岸からの四季折々の変化を心に刻んでいたのではなかろうか。
その結果が大友家持と合い通じる歌の内容になったのではなかろうか。川と海と舟そして漕ぎ手の歌声情景に変わるところはない。詠み人の感性が大友家持と北原白秋は同じものであったとも考えられる。
私には北海道の湖「阿寒湖」の遊覧船から流れた「まりもの歌」が忘れられない。詩的才能は全くないがこの唄を聴くとその情景が鮮明に浮かび上がり自然にメロディーが口元を離れ流れゆく。
芸術的才能のある方が大友家持と北原白秋を結びつけて万葉歌を解説される。とてもおもしろいしビックリした。これが切っ掛けで私の中に大友家持の歌が頭に残りいろいろと想像する楽しさを与えていただいた。
音を聞いて、そこから目に見えない情景を想像する。朝方寝床にあって、人が歩く音、犬の鳴き声、スズメのさえずり、話し声などを聞きながら想像する事はある。床を離れる前の脳の運動として結構なものである。私は目を瞑り外からの音をまじえながら想像する!一日の始まりを!