桃太郎
柴の折戸の 賎(しず)が家に
翁とおうなと 住まいけり
翁は山へ 柴刈りに
おうなは川へ 衣(きぬ)すすぎ
日ごと日ごとの なりわいも
いとあさましき 朝熊山(あさまやま)
いといそがしき 五十鈴川
流れ流るる 水の瀬に
流れ寄りたる 桃の実の
世に類なく 太ければ
あな珍しと 持ち帰り
折敷(おしき)にすえて 愛づるうち
桃は我から 打ち割れて
男の子一人(いちにん) 出でにけり
老いの夫婦(めのと) おどろきつ
また喜びつ 取り上げて
桃の中より 出でたれば
桃の太郎と 名づけつつ
髪挿(かざし)の花と 愛でけるに
次第に人と なるにつれ
雄雄しくもまた 賢(さか)しくて
翁とおうなの 高き恩
深きめぐみに 報いんと
かねて心に 誓ううち
鬼はしばしば 人里に
渡りて荒き ふるまいを
憎しと常に 思うより
黍の団子を 糧となし
犬猿雉を 従えて
鬼が島へと 打ち亘り渡り
鬼を平らげ その島の
黄金白金 種種(くさぐさ)の
宝を収め 帰りきて
翁とおうなに ささげつつ
豊かに富める 身となりぬ
親に仕うる 真実(まめ)ごころ
げに有難き 例(ためし)なり
鬼とう者は 世にあらず
人たる道に そむきたる
心の鬼の 醜鬼(しこおに)の
邪人(よこしまびと)を 鬼と言う
幼なごころに 善し悪しを
知らせんために 伝えたる
昔の人の教え草
上記の歌は、児童文学研究家の上笙一郎氏が発見したもので「桃太郎」をうたった長編の子守唄である。
日本には数え歌、子守唄、手毬歌など全国で歌われ歌詞も微妙に違って存在する。
手毬歌でも「あんたがたどこさ」「一番はじめは一の宮」「京の手まり歌」などがある。また京都でタクシーに乗ると京都の地名を覚えるための「京都市内の通り」を歌って聞かせてくれたことがあった。
日本独特の物語歌は思いのほか味がある。私が是非知りたいと思う手まり歌がある。それは百幾つまでつづき岡山県吉備郡で歌われているという。
向こう通るは吉さんじやないか
鉄砲かたいで山行き姿
雉もほろほろ鳴くばかり
私もほろほろ泣くばかり
晩にゃ帰るが宿貸すか
宿は貸せます、どちらが枕
東枕の窓の下
窓は切り窓あけ障子
そろりそろりと手をやれば
そこは膝折り股たぶら
母さん父さん、起きなされ
わたしが十五になったなら
親に三貫、子に四貫
………と続くそうだ。是非とも全文を明らかにしたいものだ。私の研究課題としよう!
柴の折戸の 賎(しず)が家に
翁とおうなと 住まいけり
翁は山へ 柴刈りに
おうなは川へ 衣(きぬ)すすぎ
日ごと日ごとの なりわいも
いとあさましき 朝熊山(あさまやま)
いといそがしき 五十鈴川
流れ流るる 水の瀬に
流れ寄りたる 桃の実の
世に類なく 太ければ
あな珍しと 持ち帰り
折敷(おしき)にすえて 愛づるうち
桃は我から 打ち割れて
男の子一人(いちにん) 出でにけり
老いの夫婦(めのと) おどろきつ
また喜びつ 取り上げて
桃の中より 出でたれば
桃の太郎と 名づけつつ
髪挿(かざし)の花と 愛でけるに
次第に人と なるにつれ
雄雄しくもまた 賢(さか)しくて
翁とおうなの 高き恩
深きめぐみに 報いんと
かねて心に 誓ううち
鬼はしばしば 人里に
渡りて荒き ふるまいを
憎しと常に 思うより
黍の団子を 糧となし
犬猿雉を 従えて
鬼が島へと 打ち亘り渡り
鬼を平らげ その島の
黄金白金 種種(くさぐさ)の
宝を収め 帰りきて
翁とおうなに ささげつつ
豊かに富める 身となりぬ
親に仕うる 真実(まめ)ごころ
げに有難き 例(ためし)なり
鬼とう者は 世にあらず
人たる道に そむきたる
心の鬼の 醜鬼(しこおに)の
邪人(よこしまびと)を 鬼と言う
幼なごころに 善し悪しを
知らせんために 伝えたる
昔の人の教え草
上記の歌は、児童文学研究家の上笙一郎氏が発見したもので「桃太郎」をうたった長編の子守唄である。
日本には数え歌、子守唄、手毬歌など全国で歌われ歌詞も微妙に違って存在する。
手毬歌でも「あんたがたどこさ」「一番はじめは一の宮」「京の手まり歌」などがある。また京都でタクシーに乗ると京都の地名を覚えるための「京都市内の通り」を歌って聞かせてくれたことがあった。
日本独特の物語歌は思いのほか味がある。私が是非知りたいと思う手まり歌がある。それは百幾つまでつづき岡山県吉備郡で歌われているという。
向こう通るは吉さんじやないか
鉄砲かたいで山行き姿
雉もほろほろ鳴くばかり
私もほろほろ泣くばかり
晩にゃ帰るが宿貸すか
宿は貸せます、どちらが枕
東枕の窓の下
窓は切り窓あけ障子
そろりそろりと手をやれば
そこは膝折り股たぶら
母さん父さん、起きなされ
わたしが十五になったなら
親に三貫、子に四貫
………と続くそうだ。是非とも全文を明らかにしたいものだ。私の研究課題としよう!