昨日等の新聞報道で興味を引く記事内容があったので転記してみる。
1 住宅の権利は70年で失われる(21・6・8産経新聞)
中国で住宅を購入する場合、「日本や欧米と決定的な違いが一つある。どんな に高価な家を購入しても所有権は最長70年なのだ。その後、家は国に無償で回収 されてしまう。例えば25歳で家を購入し、95歳まで長生きして自分の持ち家に住 んでいても、その先は我が家を追われる。……
不動産取引に関する法律を制定する際、私有財産を認めるべきではないとの意 見はまだ強かった。そこで『人の平均寿命を越えない範囲であれば、私有財産 ととしてもいいだろう』という理屈で、最長70年の所有権を認めたらしい。…」
この日本にいると思いもつかない法律制度が存在する。それでも年収の何倍にも相当するローンを組み、その返済のために何十年もあくせくと働くことは日本の現状と全く同じである。唯日本では私的所有権は最大限に尊重されている。
2 北朝鮮メディア(21・6・8産経新聞)
「日本の政治も北朝鮮メディアによくとりあげられているが、『政治小国』 『政治未熟児』だそうだ。麻生内閣は『骨董内閣』『末期内閣』と表現してい た。
小沢一郎氏の民主党代表辞任には、こんな論評があった。
『政権争奪のためなら、謀略や暗闘、処世術や変身術など、あらゆる醜悪な手段 にしがみついている日本政界のこうした実態は、日本の政治こそ腐り切った政 治、幻滅しか生み出さない低レベルの政治だということを改めてはっきりと示し ている』。」と日本の政治、政治家を論評しているそうだ。
3 紫陽花(21・6・7産経新聞)
「日本生まれのアジサイを広く世界に紹介したのは、幕末に長崎にきていたド イツ人の医師、シーボルトである。ところがその時、アジサイではなく『オタク サ』の名をつけた。その意味は長い間ナゾだったが、後に彼の愛人『お滝さん』 であることがわかった。」と。紫陽花が日本原産とは知らなかった。
紫陽花と言えば「横浜市浦舟コミニティハウス」建物の1階に、陶芸家加藤唐九郎作による紫陽花の陶壁画が大胆に二壁面に表現されている。
加藤唐九郎1898~1985)陶芸家は、愛知県生まれで桃山時代の陶芸志野、黄瀬戸、織部などの研究をし再現した偉大な陶芸家である。人間国宝級加藤唐九郎陶芸家の作品が横浜市に残されていることは大変に貴重なことである。その保存に当たっては十分な管理を是非ともお願いしたい。
青色から白みがかったり、紫をおびたりと、花の色をかえることから「七変化」とも言われている。今、街の路地、公園、家庭にその色の変化を人々に楽しさを提供している。
「人生いろいろ」「会社もいろいろ」「人もいろいろ」の名言が思い起こされる今日この頃である。
1 住宅の権利は70年で失われる(21・6・8産経新聞)
中国で住宅を購入する場合、「日本や欧米と決定的な違いが一つある。どんな に高価な家を購入しても所有権は最長70年なのだ。その後、家は国に無償で回収 されてしまう。例えば25歳で家を購入し、95歳まで長生きして自分の持ち家に住 んでいても、その先は我が家を追われる。……
不動産取引に関する法律を制定する際、私有財産を認めるべきではないとの意 見はまだ強かった。そこで『人の平均寿命を越えない範囲であれば、私有財産 ととしてもいいだろう』という理屈で、最長70年の所有権を認めたらしい。…」
この日本にいると思いもつかない法律制度が存在する。それでも年収の何倍にも相当するローンを組み、その返済のために何十年もあくせくと働くことは日本の現状と全く同じである。唯日本では私的所有権は最大限に尊重されている。
2 北朝鮮メディア(21・6・8産経新聞)
「日本の政治も北朝鮮メディアによくとりあげられているが、『政治小国』 『政治未熟児』だそうだ。麻生内閣は『骨董内閣』『末期内閣』と表現してい た。
小沢一郎氏の民主党代表辞任には、こんな論評があった。
『政権争奪のためなら、謀略や暗闘、処世術や変身術など、あらゆる醜悪な手段 にしがみついている日本政界のこうした実態は、日本の政治こそ腐り切った政 治、幻滅しか生み出さない低レベルの政治だということを改めてはっきりと示し ている』。」と日本の政治、政治家を論評しているそうだ。
3 紫陽花(21・6・7産経新聞)
「日本生まれのアジサイを広く世界に紹介したのは、幕末に長崎にきていたド イツ人の医師、シーボルトである。ところがその時、アジサイではなく『オタク サ』の名をつけた。その意味は長い間ナゾだったが、後に彼の愛人『お滝さん』 であることがわかった。」と。紫陽花が日本原産とは知らなかった。
紫陽花と言えば「横浜市浦舟コミニティハウス」建物の1階に、陶芸家加藤唐九郎作による紫陽花の陶壁画が大胆に二壁面に表現されている。
加藤唐九郎1898~1985)陶芸家は、愛知県生まれで桃山時代の陶芸志野、黄瀬戸、織部などの研究をし再現した偉大な陶芸家である。人間国宝級加藤唐九郎陶芸家の作品が横浜市に残されていることは大変に貴重なことである。その保存に当たっては十分な管理を是非ともお願いしたい。
青色から白みがかったり、紫をおびたりと、花の色をかえることから「七変化」とも言われている。今、街の路地、公園、家庭にその色の変化を人々に楽しさを提供している。
「人生いろいろ」「会社もいろいろ」「人もいろいろ」の名言が思い起こされる今日この頃である。