仕事の接待で、日本からのお客さんがありました。
うちの子供が二人とも日本語が話せないことがばれ・・・批判されちゃった
でも、接待の席だったので「そうですね~」「耳が痛いです」と低姿勢で流していたのですが、同僚のニーナに「You totally failed」と言われ、かっちーん
ちょっと長くなるので説明はしなかったのですが、私たちが日本語を教えていないことには、ちゃんと理由があります。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、夫は日系3世で、ほとんど日本語が話せません。夫の父は、帰米二世で、第二次世界大戦中は日系人強制収容所にずいぶん長く入れられてしまった人です。
最近は、「東洋のカメラ」というすばらしいドキュメンタリー映画ができたこともあり、収容所のことを知っている人、日系人の歴史を知っている人も増えてきたかとは思いますが、一昔前までは、日本に住んでいる人で、日系人収容所のこととか、442部隊のこととかまったく知らない人が多かったのではないでしょうか。
パールハーバーの攻撃後、巷ではいっせいに日本人狩りが始まりました。道を歩いていると、警官に呼び止められ、どの国から来たアジア人なのかを聞かれます。こちらで生まれたのであれば、アメリカ国籍を持っていて、アメリカ人のはずなのに、日系人であることが判明したら、すぐに収容所にチェックインする場所へ送られたようです。第二次世界大戦中、日系人は、日本国籍もアメリカ国籍も剥奪されました。
422部隊でヨーロッパに派兵された人は、日系人だけれどもアメリカ人としての誇りを持ってドイツ軍を打ち破りました。
日系人収容所に入れられてしまった人は、戦後、収容所から出た後は、子供たちを日本人ではなく、アメリカ人として育てるべく、できるかぎりアメリカの生活を送るようになります。
日本人が集まって固まって暮らしていると、また何かあるかもしれない。そういう恐れもあって、散り散りばらばらに暮らすようになったのかもしれません。
夫の両親は、日本語が話せます。義母は、日本国領事館で働いていたこともあります。でも、子供たちは二人とも日本国籍を取得していません。それで困ったことは、これまでの人生で一度もないそう。
夫は、日系人ですが、自分をアメリカ人だと思っています。
私も、夫と別れるようなことがなければ、日本に帰ることはないと考えています。子供たちも、日本に帰って中学や高校に編入させることを想定して育ててはいないのです。
そういう経緯、歴史をまったく知らない初対面の人に、「それは全部お母さんのせい」「お母さんが全部やってあげちゃうから(これは大幅に真実と異なって笑えた)」などと言われ、しかも、子供のいない同僚に「You totally failed」と言われ、結構萎えた。
それと同時に、人はなんと思い込みでものを言うのだろうということも再確認できて良かったのかも。
ニーナは同席していたもう一人の同僚を引き合いに出し、「クリスはアメリカ人で、ようこ(奥さん)はあなたと同じ、日本から来た日本人だけど、子供に日本語を教えている。あなたは完全に失敗した」と言われ、もうちょっとで言い返してしまいそうでしたが、I didn't even tryとだけ応えておきました。でもね、ちょっと待って!家族構成が全然違うのです。クリスは、収容所なんかに入れられた家族のいない、白人主義のアメリカで生まれ育ったアメリカ人です。ようこさんも、戦争が終わってずっとずっと後に日本から白人アメリカ人の奥さんとして渡米してきた人です(私も渡米は90年代です・・・)。
近代の歴史で、白人が集まって暮らしていたから迫害されたことってありますか?第二次世界大戦中、イタリア系、ドイツ系は迫害されたようですが、収容所に追いやられたりはしていない。
・・・って説明するチャンスがなかったので、ここで愚痴ってしまいました。ごめんなさい。
もう一つ言うとね、うちの両親は英語話せるんです。だから、うちの子たちと英語で会話できる。だから、必死になって日本語を温存する必要がなかったのかも。
周囲の目がうるさいから土曜日の補習校に入れようかな、と考えてしまう私と、「子供たちが全然興味持ってないんだから日本語は別にいいじゃない」という本音の私とがぐらぐらして、疲れます・・・