8月2日に高知に帰り
もはや「よさこい」三昧の生活になる。
ブログもUPしない。
完全オフというか、シャットアウト。
PCもほとんど見ない生活。
テレビも見ない生活であった。
練習は追い込み。
昼間も夜間も踊りの練習。
スタッフは振付、音楽、飾り付け、衣装、ルート、備品などなど
準備を24時間体制で行う。
中心的なメンバーは睡眠もまばらである。
人生がかかっている。
良いものを作ろうと思えば
良いものを提供しようと思えば
創造性だけでなく、
細かな部分への気配り・準備が必要である。
スケートは夏に上達し、水泳は冬に上達する。
反対の季節のときに何を考え、何を表現しようとするかを意見交換する。
それが大切である。
ミラクルのためには偶然でも必然でもない。
中心的なスタッフには頭が下がる思いである。
「よさこい」は人生そのものである。
表現するということは、
情報を得るということでない。
最近の世の中は情報が過多になり結果的に身体を使わずとも生きていける。
しかし、表現するということは身体を使わないといけない。
身体を使うというもっとも人間・動物らしいことを
よさこいは再認識させてくれる。
情報ばかり得て表現できないやつらが現代社会は多すぎる。
表現・表出できなければ、その情報は何の意味もない。
情報は生きているものであるし、動いているものである。
頭ばっかし、つこうても駄目やき!
手足を動かさにゃあ いかんぜよ。
ただ、動かすばっかしに気をとられちゃいかん。
動きを感じ、感じることで、感情を作動ささにゃあ、いかん。
動かすことばっかし、必死やったら、ストレスになるきね。
力のいれすぎはいかん。
肩の力を抜き、
自分のペースでやることよ。
「感動」という漢字をみてみい。
動くだけでも、頭で想像するだけでもいかん。
体を動かし、感じること。
これが動物である人間の所以ちや。
7日には先導する地方車の装飾も追い込みとなり
高知の日差しを浴びなららの大工仕事であった。
高知の日差しを甘くみてしまい
2時間足らずで「ヤケド」となってしまった。
またもや、しぐじった。
8日には練習も終り。
フィナーレに向け涙する踊り子もいた。
みなさんには、5分ほど講義を行い、
「感動する脳」について話した。
内容は以下だったと思う。
文章にすると大変かたくなるものである。
--------------------------------------------------------------------------
みなさん、約1ヶ月半の練習お疲れ様でした。
今日、地方車も8割程度完成し、
本番を迎えられる準備も整いつつあます。
いつもその地方車には「祭りの楽しさおしえちゃお」と書いていますが、
宮田塾は「楽しさ」を教える塾の意味をもっています。
昨年は楽しむ脳の話をして、すっかりドーパミンのとりこになった宮田塾ですが、
今年は「祭り」の意味を先に話します。
そもそも、祭りは「五穀豊穣」「無病息災」「先祖の敬意」などのために行われてきたものです。
ぜひとも、平日に、このような祭りが開催され、踊れることの幸せを味わってください。
きっと「平和の尊さ」をかみ締めることができると思います。
さてここ数年はHappyシリーズをおしすすめてきました。
人は万国共通の6つの感情を持ちます。
そのなかでも唯一のポジティブな感情が幸福です。
そうハッピーです。
そのハッピーを表情にすると笑顔になります。
人の表情のなかで笑顔はもっとも遠くからでもわかることが実証されています。
ぜひとも笑顔で2日間すごしてください。
また笑顔は伝染することも証明されています。
観客あってのよさこいです。
ぜひとも笑顔を伝染してあげましょう。
北朝鮮のマスゲームや一部のよさこいソーランの作り笑顔は伝染しません。
さて最後に「ドーパミン」を出す秘訣を教えましょう。
ドーパミンは自分が期待した報酬よりも少し多めに報酬をもらったときに出ます。
何かに期待しないと出ません。
よさこい本番に期待してください。
また報酬はもちろんお金とかでなく自分の達成感みたいなものです。
人の報酬としてもっともシンプルなものが「見られる」ことです。
子どもが自転車に乗れた瞬間、親が微笑んでくれているだけで、
ドーパミンが大量に出ます。
自転車に乗れたとき一人でガッツポーズしてもむなしいでしょう。
ぜひとも、自分の予想・期待を超えるお客さんの微笑み返しや
自然と自分たちの踊りを見て、体が動いてくれているお客さんをみて、
子どものように喜びを感じてください。
お客さんの心と体に躍動感を与え、
彼ら彼女らの笑顔をちょうだいし、ドーパミンを放出しましょう。
ただ、みなさんに一言。ドーパミンは中毒する・暴走する脳です。
秩序のなかに喜びがあります。
その秩序を与えてくれるのがセロトニンです。
セロトニンは心を落ち着かせる作用をしますが
このセロトニンとドーパミンをうまく調節しながら、
本番は、ある種、心を落ち着かせ、
隊列を整えながら楽しく踊ってください。
そして、最後の総踊りでは、暴走してもOKです。
隊列気にせずドーパミンのみをば~んと出して、
やりきった感で終焉を迎えてください。
そうすれば我が宮田塾よさこいに後悔なし。
後悔するとノルアドレナリンというストレス物質が脳の中に蔓延します。
セロトニンはそれを打ち消す役割をもっていますが、
後悔せずに踊りきれば、セロトニンがよさこいの数日後に放出され、
心を落ち着かせくれます。
そう「よさこい」やってよかったな、と。
そうすれば、みなさんの脳のなかの心地よい記憶として生涯残り続けることでしょう。
そして、それは自分の人生のレジェンドとなることでしょう。
塾生一人ひとりが伝説のよさこいを演じることで、
宮田塾が「よさこい祭り」の伝説として語られることでしょう。
どうか後悔しないよさこい祭りとしてください!
みなさんにとってのよきよさこい祭りとしてください。
期待します。
--------------------------------------------------------------------
かくゆう、9日に前夜祭を迎えることになったが
大雨であり、やむなく中止。
過去にさかのぼり10、11日は雨が降る確率が少ない、
という理由からその日に決まったよさこい祭り。
ついに・・・その歴史が・・・と思う。
何回天を見て、何回祈ったことか。
なんとしても本祭の中止は避けたい・・・
9日はPAの積み込みも大雨の中行う。
音出しをするが、大雨のため、気持がワクワクしない。
神様・・・という感じだった。
人間、最後は神頼みである。
なんだかんだ、確率とかでなく、やはり祈るという精神が根付いている。
やはり、・・ではないな、人間は確率に生きる機械ではないな、と思う。
今まで、ミラクルを起こし、台風の速度を上げ、
前々日にすぎさった日もあったが、
今回ばかりは直撃ではないかと思い、
もはや9日には意気消沈となりかけるが、
もう祈りまくり、てるてる坊主しかない、と思う。
何万人が祈ったおかげか、進行方向が思いっきり変わった。
みな、「よさこい」の神様はいると思ったらしい。
10日は午前中は雨だったが、
本祭がはじまる昼にはやんだ。
まさにミラクル。
願いは通じる。
10日、11日と今年は大きな事故もなく、
無事、終えることができた。
いろんな規制が入りはじめたが、
必要以上に規制してはならない。
道徳だけ守ればあとは自由でいい。
土佐人はこよなく自由を好む。
そうでなければ、「おきゃく」の精神はわかない。
自分を犠牲にして他人をむかえる。
その「おきゃく」精神は、土佐の地に根付いている。
むりくり規則をつくれば、人工社会になる。
今の社会は、人工社会。
だから、ストレスになり、こころの病をつくる。
さてさて、よさこいの間は、言葉にはできない。
もう燃え尽き感があるので記憶もまばらである。
本当に燃え尽きた2日間。
言葉に表せないということはこういうことなんだろう。
もう何もしたくない現象が起こっている。
が…今日は原稿を書き上げました・・・
11日、宮田塾ファイナル。
総踊り、まさに、それはミラクルであった。
後日、DVD完成後に、その狂喜乱舞はyoutubeでもUPしたい。
また、踊り子の写真、塾長の白目もUPしたい、と思う(素材が少ない)。
送ってきて!
よさこいが終われば、心は秋にまっしぐら。
土佐の熱い、暑い夏はこれで終わった。
「よさこい」は人生そのものである。
もはや「よさこい」三昧の生活になる。
ブログもUPしない。
完全オフというか、シャットアウト。
PCもほとんど見ない生活。
テレビも見ない生活であった。
練習は追い込み。
昼間も夜間も踊りの練習。
スタッフは振付、音楽、飾り付け、衣装、ルート、備品などなど
準備を24時間体制で行う。
中心的なメンバーは睡眠もまばらである。
人生がかかっている。
良いものを作ろうと思えば
良いものを提供しようと思えば
創造性だけでなく、
細かな部分への気配り・準備が必要である。
スケートは夏に上達し、水泳は冬に上達する。
反対の季節のときに何を考え、何を表現しようとするかを意見交換する。
それが大切である。
ミラクルのためには偶然でも必然でもない。
中心的なスタッフには頭が下がる思いである。
「よさこい」は人生そのものである。
表現するということは、
情報を得るということでない。
最近の世の中は情報が過多になり結果的に身体を使わずとも生きていける。
しかし、表現するということは身体を使わないといけない。
身体を使うというもっとも人間・動物らしいことを
よさこいは再認識させてくれる。
情報ばかり得て表現できないやつらが現代社会は多すぎる。
表現・表出できなければ、その情報は何の意味もない。
情報は生きているものであるし、動いているものである。
頭ばっかし、つこうても駄目やき!
手足を動かさにゃあ いかんぜよ。
ただ、動かすばっかしに気をとられちゃいかん。
動きを感じ、感じることで、感情を作動ささにゃあ、いかん。
動かすことばっかし、必死やったら、ストレスになるきね。
力のいれすぎはいかん。
肩の力を抜き、
自分のペースでやることよ。
「感動」という漢字をみてみい。
動くだけでも、頭で想像するだけでもいかん。
体を動かし、感じること。
これが動物である人間の所以ちや。
7日には先導する地方車の装飾も追い込みとなり
高知の日差しを浴びなららの大工仕事であった。
高知の日差しを甘くみてしまい
2時間足らずで「ヤケド」となってしまった。
またもや、しぐじった。
8日には練習も終り。
フィナーレに向け涙する踊り子もいた。
みなさんには、5分ほど講義を行い、
「感動する脳」について話した。
内容は以下だったと思う。
文章にすると大変かたくなるものである。
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みなさん、約1ヶ月半の練習お疲れ様でした。
今日、地方車も8割程度完成し、
本番を迎えられる準備も整いつつあます。
いつもその地方車には「祭りの楽しさおしえちゃお」と書いていますが、
宮田塾は「楽しさ」を教える塾の意味をもっています。
昨年は楽しむ脳の話をして、すっかりドーパミンのとりこになった宮田塾ですが、
今年は「祭り」の意味を先に話します。
そもそも、祭りは「五穀豊穣」「無病息災」「先祖の敬意」などのために行われてきたものです。
ぜひとも、平日に、このような祭りが開催され、踊れることの幸せを味わってください。
きっと「平和の尊さ」をかみ締めることができると思います。
さてここ数年はHappyシリーズをおしすすめてきました。
人は万国共通の6つの感情を持ちます。
そのなかでも唯一のポジティブな感情が幸福です。
そうハッピーです。
そのハッピーを表情にすると笑顔になります。
人の表情のなかで笑顔はもっとも遠くからでもわかることが実証されています。
ぜひとも笑顔で2日間すごしてください。
また笑顔は伝染することも証明されています。
観客あってのよさこいです。
ぜひとも笑顔を伝染してあげましょう。
北朝鮮のマスゲームや一部のよさこいソーランの作り笑顔は伝染しません。
さて最後に「ドーパミン」を出す秘訣を教えましょう。
ドーパミンは自分が期待した報酬よりも少し多めに報酬をもらったときに出ます。
何かに期待しないと出ません。
よさこい本番に期待してください。
また報酬はもちろんお金とかでなく自分の達成感みたいなものです。
人の報酬としてもっともシンプルなものが「見られる」ことです。
子どもが自転車に乗れた瞬間、親が微笑んでくれているだけで、
ドーパミンが大量に出ます。
自転車に乗れたとき一人でガッツポーズしてもむなしいでしょう。
ぜひとも、自分の予想・期待を超えるお客さんの微笑み返しや
自然と自分たちの踊りを見て、体が動いてくれているお客さんをみて、
子どものように喜びを感じてください。
お客さんの心と体に躍動感を与え、
彼ら彼女らの笑顔をちょうだいし、ドーパミンを放出しましょう。
ただ、みなさんに一言。ドーパミンは中毒する・暴走する脳です。
秩序のなかに喜びがあります。
その秩序を与えてくれるのがセロトニンです。
セロトニンは心を落ち着かせる作用をしますが
このセロトニンとドーパミンをうまく調節しながら、
本番は、ある種、心を落ち着かせ、
隊列を整えながら楽しく踊ってください。
そして、最後の総踊りでは、暴走してもOKです。
隊列気にせずドーパミンのみをば~んと出して、
やりきった感で終焉を迎えてください。
そうすれば我が宮田塾よさこいに後悔なし。
後悔するとノルアドレナリンというストレス物質が脳の中に蔓延します。
セロトニンはそれを打ち消す役割をもっていますが、
後悔せずに踊りきれば、セロトニンがよさこいの数日後に放出され、
心を落ち着かせくれます。
そう「よさこい」やってよかったな、と。
そうすれば、みなさんの脳のなかの心地よい記憶として生涯残り続けることでしょう。
そして、それは自分の人生のレジェンドとなることでしょう。
塾生一人ひとりが伝説のよさこいを演じることで、
宮田塾が「よさこい祭り」の伝説として語られることでしょう。
どうか後悔しないよさこい祭りとしてください!
みなさんにとってのよきよさこい祭りとしてください。
期待します。
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かくゆう、9日に前夜祭を迎えることになったが
大雨であり、やむなく中止。
過去にさかのぼり10、11日は雨が降る確率が少ない、
という理由からその日に決まったよさこい祭り。
ついに・・・その歴史が・・・と思う。
何回天を見て、何回祈ったことか。
なんとしても本祭の中止は避けたい・・・
9日はPAの積み込みも大雨の中行う。
音出しをするが、大雨のため、気持がワクワクしない。
神様・・・という感じだった。
人間、最後は神頼みである。
なんだかんだ、確率とかでなく、やはり祈るという精神が根付いている。
やはり、・・ではないな、人間は確率に生きる機械ではないな、と思う。
今まで、ミラクルを起こし、台風の速度を上げ、
前々日にすぎさった日もあったが、
今回ばかりは直撃ではないかと思い、
もはや9日には意気消沈となりかけるが、
もう祈りまくり、てるてる坊主しかない、と思う。
何万人が祈ったおかげか、進行方向が思いっきり変わった。
みな、「よさこい」の神様はいると思ったらしい。
10日は午前中は雨だったが、
本祭がはじまる昼にはやんだ。
まさにミラクル。
願いは通じる。
10日、11日と今年は大きな事故もなく、
無事、終えることができた。
いろんな規制が入りはじめたが、
必要以上に規制してはならない。
道徳だけ守ればあとは自由でいい。
土佐人はこよなく自由を好む。
そうでなければ、「おきゃく」の精神はわかない。
自分を犠牲にして他人をむかえる。
その「おきゃく」精神は、土佐の地に根付いている。
むりくり規則をつくれば、人工社会になる。
今の社会は、人工社会。
だから、ストレスになり、こころの病をつくる。
さてさて、よさこいの間は、言葉にはできない。
もう燃え尽き感があるので記憶もまばらである。
本当に燃え尽きた2日間。
言葉に表せないということはこういうことなんだろう。
もう何もしたくない現象が起こっている。
が…今日は原稿を書き上げました・・・
11日、宮田塾ファイナル。
総踊り、まさに、それはミラクルであった。
後日、DVD完成後に、その狂喜乱舞はyoutubeでもUPしたい。
また、踊り子の写真、塾長の白目もUPしたい、と思う(素材が少ない)。
送ってきて!
よさこいが終われば、心は秋にまっしぐら。
土佐の熱い、暑い夏はこれで終わった。
「よさこい」は人生そのものである。