森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

模倣学習

2009年08月21日 07時36分44秒 | 過去ログ
そろそろ平常な生活を取り戻しつつある。
欧州で研修した身か、バカンスシーズンはオンとオフを明確に分けるという気持ちが根付いている。
インターネットカフェでの数回メールチェックや再試験問題の作成以外はPCも見ていない。

17日より大学に戻り、
早速「リハビリテーションのための人間発達学」の担当章である「脳・神経系の発達」に関する論文を送信し、
これも遅れていた第49回近畿理学療法学術集会の抄録、
そして今週末の京都高次脳機能障害研究会の資料を送信した。

また、認知運動療法フォーラムの原稿を修正し、
そのほか大学の事務仕事、ならびに再試験採点、そしてその成績入力などを行う。

4年生が実習から大学へ帰ってきて、卒論の準備にあせっているようだ。
人間は「ルール」が決められることで実力を発揮する場合もある。
前頭葉が未熟な大学生においてはそのルールが必要だ。
自らで計画を立てることができないのだから。

ただ、気になるのは「猛進」できていないことかな。
他人の意見・情報を入力ばかりしても、想像力や実行力を奪う場合がある。
頭がいいのにもかかわらず、臨床で実力が発揮できないのもその理由かもしれない。

他人の意見を聴くという行為は、情報を得るためには重要だが、
判断を下すのを鈍らせてしまう場合がある。
先日の学生交流会の松原先生のEBMの解釈にもあったように
Aで効果があってもBでは効果がない。
福岡伸一さんが新書で書いているように「分けても」真実はわからない。
まして臨床の場では。


結果的に論文を書く人の判断に基づいて介入が決まっているわけだから。
その人の来歴に影響を受ける。
歴史というのはそういうものだ。
このトリックがなぜわからないかと思うと、
ストレスにもなる。

原石となりうる後輩に遭遇できないものか。
勉強はしているが、トリックを見破る原石な者が少ない。
真面目に人の情報を入手しているだけにすぎない。
真面目さが時に邪魔をする。

これだけ学会で研究発表があっても(しても)
時代が変わらない(かえることができていない)「結果」を受け止めるべきでもある。
それこそがマスターベーション的研究である。




いずれにしても、大学生たちはワーキングメモリをもっと鍛えるべきである。
情報過多な世の中、どこかで見切りをつけ、見切り発車しないと。
時間があれば、「ゆっくりと情報をもむ」ことができるか、
あと2カ月しかない。
考えすぎる前に、もう行動に移さないといけない。
実行的ワーキングメモリの作動を求める。


いろんな仕事を片付けないといけないが、
上昇気流にはまだ乗れていない。
しかし、休むことで、「やらなければならない」から「やりたい」
もっと「がんばろう」という気にさせてもらえる。


概して、日本は休まない国である。

質よりも量を重んじてきた国でもある。

時間単位の仕事率を考えると欧州に学ばないといけない時もある。

もちろん、それがすべてでないし、日本人の勤勉さは文化でもある。

ただ、現代社会の歪み、そして日本人のもつストレス性を考えると、

休むという行為は人間らしさを取り戻すために必要なのかもしれない。

上司が休まなければ部下は休まない。

上司となった今、敢えて無理にでも休むようにしている。


本日、3週間のバカンス兼留学から身内が帰国する。

どこの国に行ったのかも僕はちゃんとは知らない・・・(フランス・イタリア・スイス・ギリシア・クロアチアだと思う)

freedomを地で行くとはこういうことなのか・・・