土曜日、岡山より五位堂に到着し、
その後、奈良リハまで移動する。
マイクロバスにて一路、信貴山観光ホテルまで。
軽食を終え、13時よりM2, M1の交流をかねた研究発表会。
遠隔地の院生もいることから、
このような宿泊研修会のような形になってしまったが、
逆に、リラックスしてよい感じだ。
18時に終え、
研究の関係で、愛知まで急遽帰らないといけない吉田君を見送り、
天然温泉で一風呂あびる。
かれこれ、何日休んでいないのだろう。
そんなことを感じながら、
それでもこのように温泉につかる時間があるということ、
そして、人間らしく、生き生きと生きていること、
すなわち、「しんどい」とか「きつい」とか「つらい」なんかも感じられる身体を生きていることは本当に幸せなんだと、心をめぐらせる。
みんな、それぞれで悩み、苦しみ、楽しみ、を営んでいるが、
それは量では示されなく、
その経験を意味ある記憶にかえて、
自己の閾値を改変させることを楽しみにする。
自由度がある人生は、
苦しんでも幸せだ。
院生にはそれを感じてもらいたいし、
学部生のまだか弱い精神にも、
それを感じてもらいたい。
自由度が奪われた障害者の心を将来、
敏感に感じ取れるためにも。
19時より、研究室メンバーで懇親を行う。
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宴会は2時ごろまで続いたようだが、
河村(こうむら)、平松と脱退し、
こうむら君と同じ年の私も0時過ぎに脱退した。
翌日の日曜日、6時半に藤田のこれでもかという目覚まし音に起こされ、
おかげで6時には目がさめたが、
そのおかげで、朝風呂を堪能できた。
露天では顔にここちよい寒さがささる。
人間は自然現象であることを感じた。
自然に生きると、
感じることができる身体を生きていることを知る。
昔の人の知恵は、
そういう身体の変化に応対したものだろう。
モノが豊かになるのに反比例して、
人間は身体から得る知恵をなくしているのではないか。
知識ばかりが進むが、
純粋に身体を使って知恵を養う。
この生物としての自然現象を失うと、
どのように進化してしまうのだろう。
信貴山のような田舎を感じると、
私の身体の大事だを感じる。
しかし、また同じことを自動的に行う仕事をすると、
それも感じられなくなるのだろう。
人間とは実に無理をして、
矛盾したことをしてしまっているのではないだろうか。
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8時過ぎには雪が舞い始め、
9時に下山する際には早くも積もっていた。
自然の速度に驚いた。
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10時より研修会の場所を大学に変えて
午前中、4名、午後6名ぐらいの研究成果、
ならびに計画を聞く。
学会形式に問題が残る。
もっとフレキシブルに、
そしてフランクに討論できないものか、
そんなことを感じながら、
人間関係というものは、
やはり形式ばってしまうと三人称の関係でしかないのかと思考をめぐらせる。
もし三人称の関係であれば、
やはり、個人の能力に大きく左右されるために、
大学院生一人ひとりがもっと脳(思考)を鍛えないといけないと感じた。
サッカーの日本代表のようなものである。
寄せ集め方式でやるならば、
最終的には個人の研究能力がぶつかることで創発しなければならない。
そのような研究室を作っていくことができるか、
少々不安である。
臨床でよく巻き起こる質問-応答でしかないような感じを受けた。
もっと細部に切り込んでいく、
そして、先行研究の論文の実験デザインを理解して、
そのものを批判的吟味する。
臨床介入研究であれば、落ち度も多く、
すぐさま批判的吟味できるかもしれないが、
よくデザインされた基礎研究Aとそれなりにデザインされた基礎研究B、
この違いを感じ取り、
やるべき仕事を想像する。
差異を観察することができる。
そうすれば、優れた世界的な研究室を知ることができる。
用語、ブームだけで、判断することを、
少し「待った」をかける。
このような思考を鍛えることも重要なのかもしれない。
これは自己の反省も踏まえてであるが、
時間があれば、それもみんなできるだろう。
10時より開始し、17時に終え、
日曜の夜、火曜日ぶりに家についた。
私の身体は正直であり、
20時に寝てしまい、
一度、22時におきるが、
身体がまったく作動できず、
そのまま、まさしく、レトリック的に「死んだように寝てしまった」
本日、朝、大学に行き、
この2週間、院生にささげたことによる、
自らの原稿の遅れに、
反射的に対応し、
1本仕上げ、もう1本半分仕上げたところで、
眼鏡のレンズをふいていると、
眼鏡が折れてしまった。
そのせいか、まったく環境を捉えることができなくなり、
原稿を書くのをやめた。
教育学部の授業に向かい、
質問を受け、
再度、裸眼でチャレンジしたが、
むずかしい。
感覚の大事さを痛感し、
仕事のメールの返事ぐらいはと思い、
何通かに返事をかいた。
国際雑誌のCRとJPAからReviewerの依頼があったが、
この1週間が自分の今年度の仕事として山場であることから、
CRは断る。
メールの返事を全部しようと思ったが、
これも続かない。
私の視力は左が0.01、右が0.08であるが、
右の乱視がはげしい。
専門学校時代はコンタクトであったが、それがあわずやめた。
以降、しばらく眼鏡をかけずに、
予測で生きていたが、
奈良にきてから、常時かけるようになった。
目が痛くなり、
休めといくことかと思い、
もうひさかたぶりに17時すぎに研究室を後にする。
家に帰って休もうと思ったが、
この指が動いているときにやるしかない、
そして、この仕事量が切迫しているときに、
休むわけにはいかないと思い、
古い眼鏡をかけ、
タイプうちの契機のためにブログを打った。
今日は一気に進めたい。
宮崎県士会やその次の週の理学療法士協会現職者講習会の資料を求められています。
ご迷惑をおかけしますが、
先にやらないといけないものが、多数あるため、
そのあとに対応させてください。
その後、奈良リハまで移動する。
マイクロバスにて一路、信貴山観光ホテルまで。
軽食を終え、13時よりM2, M1の交流をかねた研究発表会。
遠隔地の院生もいることから、
このような宿泊研修会のような形になってしまったが、
逆に、リラックスしてよい感じだ。
18時に終え、
研究の関係で、愛知まで急遽帰らないといけない吉田君を見送り、
天然温泉で一風呂あびる。
かれこれ、何日休んでいないのだろう。
そんなことを感じながら、
それでもこのように温泉につかる時間があるということ、
そして、人間らしく、生き生きと生きていること、
すなわち、「しんどい」とか「きつい」とか「つらい」なんかも感じられる身体を生きていることは本当に幸せなんだと、心をめぐらせる。
みんな、それぞれで悩み、苦しみ、楽しみ、を営んでいるが、
それは量では示されなく、
その経験を意味ある記憶にかえて、
自己の閾値を改変させることを楽しみにする。
自由度がある人生は、
苦しんでも幸せだ。
院生にはそれを感じてもらいたいし、
学部生のまだか弱い精神にも、
それを感じてもらいたい。
自由度が奪われた障害者の心を将来、
敏感に感じ取れるためにも。
19時より、研究室メンバーで懇親を行う。
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宴会は2時ごろまで続いたようだが、
河村(こうむら)、平松と脱退し、
こうむら君と同じ年の私も0時過ぎに脱退した。
翌日の日曜日、6時半に藤田のこれでもかという目覚まし音に起こされ、
おかげで6時には目がさめたが、
そのおかげで、朝風呂を堪能できた。
露天では顔にここちよい寒さがささる。
人間は自然現象であることを感じた。
自然に生きると、
感じることができる身体を生きていることを知る。
昔の人の知恵は、
そういう身体の変化に応対したものだろう。
モノが豊かになるのに反比例して、
人間は身体から得る知恵をなくしているのではないか。
知識ばかりが進むが、
純粋に身体を使って知恵を養う。
この生物としての自然現象を失うと、
どのように進化してしまうのだろう。
信貴山のような田舎を感じると、
私の身体の大事だを感じる。
しかし、また同じことを自動的に行う仕事をすると、
それも感じられなくなるのだろう。
人間とは実に無理をして、
矛盾したことをしてしまっているのではないだろうか。
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8時過ぎには雪が舞い始め、
9時に下山する際には早くも積もっていた。
自然の速度に驚いた。
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10時より研修会の場所を大学に変えて
午前中、4名、午後6名ぐらいの研究成果、
ならびに計画を聞く。
学会形式に問題が残る。
もっとフレキシブルに、
そしてフランクに討論できないものか、
そんなことを感じながら、
人間関係というものは、
やはり形式ばってしまうと三人称の関係でしかないのかと思考をめぐらせる。
もし三人称の関係であれば、
やはり、個人の能力に大きく左右されるために、
大学院生一人ひとりがもっと脳(思考)を鍛えないといけないと感じた。
サッカーの日本代表のようなものである。
寄せ集め方式でやるならば、
最終的には個人の研究能力がぶつかることで創発しなければならない。
そのような研究室を作っていくことができるか、
少々不安である。
臨床でよく巻き起こる質問-応答でしかないような感じを受けた。
もっと細部に切り込んでいく、
そして、先行研究の論文の実験デザインを理解して、
そのものを批判的吟味する。
臨床介入研究であれば、落ち度も多く、
すぐさま批判的吟味できるかもしれないが、
よくデザインされた基礎研究Aとそれなりにデザインされた基礎研究B、
この違いを感じ取り、
やるべき仕事を想像する。
差異を観察することができる。
そうすれば、優れた世界的な研究室を知ることができる。
用語、ブームだけで、判断することを、
少し「待った」をかける。
このような思考を鍛えることも重要なのかもしれない。
これは自己の反省も踏まえてであるが、
時間があれば、それもみんなできるだろう。
10時より開始し、17時に終え、
日曜の夜、火曜日ぶりに家についた。
私の身体は正直であり、
20時に寝てしまい、
一度、22時におきるが、
身体がまったく作動できず、
そのまま、まさしく、レトリック的に「死んだように寝てしまった」
本日、朝、大学に行き、
この2週間、院生にささげたことによる、
自らの原稿の遅れに、
反射的に対応し、
1本仕上げ、もう1本半分仕上げたところで、
眼鏡のレンズをふいていると、
眼鏡が折れてしまった。
そのせいか、まったく環境を捉えることができなくなり、
原稿を書くのをやめた。
教育学部の授業に向かい、
質問を受け、
再度、裸眼でチャレンジしたが、
むずかしい。
感覚の大事さを痛感し、
仕事のメールの返事ぐらいはと思い、
何通かに返事をかいた。
国際雑誌のCRとJPAからReviewerの依頼があったが、
この1週間が自分の今年度の仕事として山場であることから、
CRは断る。
メールの返事を全部しようと思ったが、
これも続かない。
私の視力は左が0.01、右が0.08であるが、
右の乱視がはげしい。
専門学校時代はコンタクトであったが、それがあわずやめた。
以降、しばらく眼鏡をかけずに、
予測で生きていたが、
奈良にきてから、常時かけるようになった。
目が痛くなり、
休めといくことかと思い、
もうひさかたぶりに17時すぎに研究室を後にする。
家に帰って休もうと思ったが、
この指が動いているときにやるしかない、
そして、この仕事量が切迫しているときに、
休むわけにはいかないと思い、
古い眼鏡をかけ、
タイプうちの契機のためにブログを打った。
今日は一気に進めたい。
宮崎県士会やその次の週の理学療法士協会現職者講習会の資料を求められています。
ご迷惑をおかけしますが、
先にやらないといけないものが、多数あるため、
そのあとに対応させてください。
ワイパーで切り取られた雪は跡形もなく、しかしながら、残された雪の姿によって、去った雪の存在を強く感じます。
むしろそこに硝子を見ることはできず、トンネルが描かれ、向こうの景色が見えているようです。
美しいです。