森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

回復としようか

2007年10月09日 23時40分39秒 | 過去ログ
一昨日、東京から奈良に帰る予定が、都合で急遽昨日の朝一番の新幹線で帰ることになる。
6時に乗り、そして10時に奈良に。
ほとんど寝ていないため、新幹線は爆睡、短く感じた。

10時半から「人間発達学」の講義。
自己意識、自己組織化のための脳と身体のすごさについて、
発達の視点も含めて語った。
あまりの疲労に、逆にテンションがあがり、久しぶりに全開モードで話した。

身体は情報器官として、脳に情報をあげ、そして豊かな感情を作る。
同じ物理的な感覚刺激を受けても、そこでの意識は絶対に違う。
あまり、絶対という言葉は科学的でないから使わないが、これは絶対に違う(現代の意識の科学においてのハードプロブレム)。
そう断言できる(現在において、そして無能な私の脳では)。

それが人間らしさだ。
(ロボットに感情が生まれるとき、ある意識の解明がされているかもしれない)


その豊かさが現代は薄らいでいる。
メール言語には、その情感は修飾されない。
“心”を推し量る能力、それが、この人間社会を豊かにし、
そして、これだけの人類の生命を持続させてきた。

昼から、食事もとれずに、「神経系理学療法学」の講義。
今日は、いわゆる国家試験、
そして臨床実習の基本のためのパーキンソン病のありきたり記憶のための授業。

AMの反動形成か、身体の疲労からか、ボロボロ状態になる。
講義はボロボロ、身体はヨレヨレ、心はクシャクシャ、脱水されたシャツのように、
終わったときは、歩けないほどの疲労になった。
それでも、いわゆる「普通」だと思うが、次回はもう少し機能させるからね。

少しの休憩を頂き、3回生のゼミ。
これからのスケジュール、そして論文を書くためのkeyについて話し、
役割分担を確認した。

もう立てない、歩けない、そういうサインが出て、車で家に帰る。

少し寝て、締め切り近い共同研究の抄録に目を通す。
書き換え始めたが、PCを見る目が悲鳴をあげている。
そのサインを聞き、自分自身の心がブレーキをかける。
「明日にしようか」と。

今日は午前中休み、自身の今日締め切りの論文原稿を明後日まで待ってください!とメールを送信し、昨日目を通した共同研究(同僚と院生)の抄録に手を入れる。

気がつけば、8時間それに費やした。
今日は、昨日の振り替え休日なのである(昨日が授業日であったため)。
9時に院生と投稿し、そして、明日同僚ともう1本を投稿する。
何とか締め切りに間に合う。

僕の原稿はその後、超特急で1日で仕上げる予定。
そうしないと、週末のシンポジウムの準備に支障がでるから。

“大きく”つまずいたり、ころんだりしないように、同僚や仲間を助け、
この単純作業によって、その方向性を援助することが、先輩としての、
一つの僕の仕事かもしれない。
お互いの気づき(self awareness)を相互作用することが、循環作用なんだから。
自分が欠落しているところは、みんなに埋めてもらう。
それが、システムとして機能している証である。

他者のため、社会のため、そして自分、自分が愛する人のために、自分の仕事や人生は循環するのかな。
ささやかな自分の生の証かもしれない。

自分の人生が社会システムとして機能しているとは、
その循環を悪から良にしていく作業か。
逆もありえるので、気をつけたい。

自分がこの世を離れるときに、
その循環が走馬灯のようによみがえることが、「記憶」なのかもしれない。


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