私が来月の初頭に誕生日を迎えるので、会社のベテランK女史が誕生会と称して飲み会を開きたいという話が出ている。
会社の人に誕生日を祝ってもらうなどこれまでの職業生活の中でもなかったことだから、その気持ちは大変ありがたい。
K女史と同じセクションにいるS女史が今のところのメンツとして確定しているが、K女史としてはまだ日数もあることからもう少し人数を増やせないか考えている。
私は呼ばれる立場だから、新たなメンツについてはお任せすると言ってあり、すでに何人かには声かけはしてくれたようだが予定が合わないなどでまだ誰も追加にはなっていない。
そのK女史だが、人数が増えてくれないことに悩んで、私にもしきりに「どうしようどうしよう」と言ってくる。
一定の人数でないと予約が取りにくい会場でも考えているのかどうかは知らない。
今日も同じようなことを聞かれたので「3人でもいいんじゃないですか?」と答えたが、K女史はどうも納得がいかない様子であった。
最近の会社メンバーでの飲み会となると、公式のものを除いては私と上記の2名がコアとなって、会ごとに「3+2」だったり「3+4」だったりで会が成立してきた。
そのどれもが「楽しくなかった」ということなど決してなかった。
今回追加のメンバーが仮になかったとして、「3+0」になったとしても急に盛り上がりに欠けることになるとは思えない。
毎度毎度仕切りをやってくれるK女史に感謝する気持ちはあるが、誕生日を迎える私本人がすでに出席することが決まっているのに、追加のメンバーが増えないことにやたらに気をもむK女史の姿が不自然に思えて仕方がない。
私自身は大人数での飲み会は好きではなく、自ら旗を振って十何人も集めるようなことは、よほど「任務」にでもなっていない限りはやらないし、人脈の貧弱さから言ってもまず不可能である。
もう10年以上も前の話になるが、私が県外に転勤になる時に友人が15人内外を集めて会を開いてくれた。
そのこと自体はありがたかったが、私がその中で仲の良い人間というと3人か4人、たくさんいた中のほとんどとは話すことはなく、最後だけ突然おふざけのタスキをかけられて一言しゃべらされて終わりという感じであった。
仕切ってくれた本人には悪いが、私の転勤は彼にとっては単なるダシに過ぎず、「俺が声をかけたらこれだけ集まる」といった、何か私にはない能力を見せ付けられたような感覚になったものである。
K女史にしても当時の友人にしても、せっかくの飲み会は「盛大」でなくてはならないかのような思い込みというのか、一定の形が伴わないと満足がいかない性格なのかもしれない。
幹事役が上手な人間ほどその傾向は強いように思われるが、会の「主役」にとって必ずしもその気遣いがうまく受け止められるとは限らない。
例えば今回のケースなら、職場の中で本当に何でも話せるのは両女史くらい、お祝いはその2人からで十分なので、他の人が増えなくても全然かまわないのである。
いちおうの主役が出席か欠席かでモジモジしているわけではないのだから、幹事役が「他の人、他の人」と悩むのは私から見て滑稽でしかない。
男1人、女2人の「3+0」に実は抵抗があるということなら、今度は私のほうが少し考えてしまうことになる。
飲み会が盛大である必要などまったくない。
誰かを中心とした飲み会は、結局はその誰かのためのものだ。
小勢でもいいから各人相互に深くコミュニケーションを取れるほうがいいのである。
会社の人に誕生日を祝ってもらうなどこれまでの職業生活の中でもなかったことだから、その気持ちは大変ありがたい。
K女史と同じセクションにいるS女史が今のところのメンツとして確定しているが、K女史としてはまだ日数もあることからもう少し人数を増やせないか考えている。
私は呼ばれる立場だから、新たなメンツについてはお任せすると言ってあり、すでに何人かには声かけはしてくれたようだが予定が合わないなどでまだ誰も追加にはなっていない。
そのK女史だが、人数が増えてくれないことに悩んで、私にもしきりに「どうしようどうしよう」と言ってくる。
一定の人数でないと予約が取りにくい会場でも考えているのかどうかは知らない。
今日も同じようなことを聞かれたので「3人でもいいんじゃないですか?」と答えたが、K女史はどうも納得がいかない様子であった。
最近の会社メンバーでの飲み会となると、公式のものを除いては私と上記の2名がコアとなって、会ごとに「3+2」だったり「3+4」だったりで会が成立してきた。
そのどれもが「楽しくなかった」ということなど決してなかった。
今回追加のメンバーが仮になかったとして、「3+0」になったとしても急に盛り上がりに欠けることになるとは思えない。
毎度毎度仕切りをやってくれるK女史に感謝する気持ちはあるが、誕生日を迎える私本人がすでに出席することが決まっているのに、追加のメンバーが増えないことにやたらに気をもむK女史の姿が不自然に思えて仕方がない。
私自身は大人数での飲み会は好きではなく、自ら旗を振って十何人も集めるようなことは、よほど「任務」にでもなっていない限りはやらないし、人脈の貧弱さから言ってもまず不可能である。
もう10年以上も前の話になるが、私が県外に転勤になる時に友人が15人内外を集めて会を開いてくれた。
そのこと自体はありがたかったが、私がその中で仲の良い人間というと3人か4人、たくさんいた中のほとんどとは話すことはなく、最後だけ突然おふざけのタスキをかけられて一言しゃべらされて終わりという感じであった。
仕切ってくれた本人には悪いが、私の転勤は彼にとっては単なるダシに過ぎず、「俺が声をかけたらこれだけ集まる」といった、何か私にはない能力を見せ付けられたような感覚になったものである。
K女史にしても当時の友人にしても、せっかくの飲み会は「盛大」でなくてはならないかのような思い込みというのか、一定の形が伴わないと満足がいかない性格なのかもしれない。
幹事役が上手な人間ほどその傾向は強いように思われるが、会の「主役」にとって必ずしもその気遣いがうまく受け止められるとは限らない。
例えば今回のケースなら、職場の中で本当に何でも話せるのは両女史くらい、お祝いはその2人からで十分なので、他の人が増えなくても全然かまわないのである。
いちおうの主役が出席か欠席かでモジモジしているわけではないのだから、幹事役が「他の人、他の人」と悩むのは私から見て滑稽でしかない。
男1人、女2人の「3+0」に実は抵抗があるということなら、今度は私のほうが少し考えてしまうことになる。
飲み会が盛大である必要などまったくない。
誰かを中心とした飲み会は、結局はその誰かのためのものだ。
小勢でもいいから各人相互に深くコミュニケーションを取れるほうがいいのである。