仕事に復帰して今日でまる2週間となった。
とりあえずでも仕事ができる体調にあること、普通であることの有り難さは感じている。
組織に属している以上、そこを形として完全に離れるまでは、わずかでもいいから何がしかの貢献をしなくてはならない。
少なくとも何かをさせてもらえる状況にはあるわけだから、しっかりと受け止めて、あまり先は考えず一日一日を積み重ねたい。
金曜日のこの時間はだいたい街に出て、なじみのお店でバカ話をしているのがお決まりである。
週に一度、週の仕事が終わった直後に、職場での自分とは別人になってゲラゲラ笑って楽しく過ごすことは今の自分には欠かせない。
ただ、今日は出るのは見送り、混雑は覚悟で明日の出陣となるだろう。
金曜ばかりにこだわると、長い間顔を見なくなるメンバーも出る。
顔はしばらく見ていなくても、春先からの体調不良を心配して時々小さく連絡をくれる人もある。
たまには曜日をずらして、そういう人との会話の機会もぜひ作りたいのである。
仕事の話に戻ると、やっていること自体はこれまで違うパートでやってきたこととほとんど変わらない。
今はまだ慣れないし、長休明けでもあるので、優しいベテランの社員に付いていることは何度も書いている。
仕事そのものは苦ではなく、あれこれ聞きやすい人なので仕事のやりにくさもない。
毎日を職業人として過ごす分には、ダラダラとした手すきの時間もできない程よい忙しさの中で、落ち着いてできていると思う。
そんな中でなぜ「かなしいな」などというタイトルになるのか、これは最近チラッと書いたことにも通じるが、周囲、特に同じチーム内の人間との心理的な距離が遠いことが大きい。
春先に急に倒れ、2ヶ月も会社を不在にし迷惑をかけたのは確かだが、復帰の当日、少なくとも同じチームの中では、誰からも、何の言葉もかけられなかった。
もともと休む前から自分自身は浮き気味ではあったが、病気という出来事を通じて、あるいは周囲の中では「なるべく関わりたくない人間」というコンセンサスが出来上がってしまったのか。
というのも、わが事業所には病気を盾にとって自己中心的な振る舞いをする不届き者も数人いて、普通に元気になって戻ってきただけの私に対しても「やっぱり精神を病んだヤツは…」的な偏見があるのかも分からない。
毎日同じ場所に通う同じチームの一員として協力すべきことは当然するが、深入りしたくない存在と思われているなら、そこは私が変えようとしても無理である。
そんな状態だから、私が職場で話すのは仕事に関する話だけである。
一人で作業する時間も長いから、一日いてもほとんどしゃべらない日も多い。
加えて、過去私のような者でも大変良くしてくれたり話し相手になってくれたりした貴重な人たちは、ことごとく退職や転勤でいなくなってしまった。
会社に行けばこの人に会える、話せるという楽しみは、仕事に出て行く張り合いにも当然なるが、今はそういったものは皆無である。
あまり言いたくはないことだが、同じ会社で2回も倒れてしまえば、多少なりとも縁の薄まりを感じざるを得ない。
そのタイミングと、大切な話し相手が目の前から消えて行くタイミングが重なって、職場の中に限ってはとてもニコニコできるような心持ちには今はなれない。
当面は、そのウップンは会社の外で解消するしかない。
飲むばかりではなくても、小旅行でも、ちょっとしたドライブでもいい。
心にいくつかある穴を少しでも埋めるのに、会社にいない時間は努めて人と話し楽しむようにしていきたい。
とりあえずでも仕事ができる体調にあること、普通であることの有り難さは感じている。
組織に属している以上、そこを形として完全に離れるまでは、わずかでもいいから何がしかの貢献をしなくてはならない。
少なくとも何かをさせてもらえる状況にはあるわけだから、しっかりと受け止めて、あまり先は考えず一日一日を積み重ねたい。
金曜日のこの時間はだいたい街に出て、なじみのお店でバカ話をしているのがお決まりである。
週に一度、週の仕事が終わった直後に、職場での自分とは別人になってゲラゲラ笑って楽しく過ごすことは今の自分には欠かせない。
ただ、今日は出るのは見送り、混雑は覚悟で明日の出陣となるだろう。
金曜ばかりにこだわると、長い間顔を見なくなるメンバーも出る。
顔はしばらく見ていなくても、春先からの体調不良を心配して時々小さく連絡をくれる人もある。
たまには曜日をずらして、そういう人との会話の機会もぜひ作りたいのである。
仕事の話に戻ると、やっていること自体はこれまで違うパートでやってきたこととほとんど変わらない。
今はまだ慣れないし、長休明けでもあるので、優しいベテランの社員に付いていることは何度も書いている。
仕事そのものは苦ではなく、あれこれ聞きやすい人なので仕事のやりにくさもない。
毎日を職業人として過ごす分には、ダラダラとした手すきの時間もできない程よい忙しさの中で、落ち着いてできていると思う。
そんな中でなぜ「かなしいな」などというタイトルになるのか、これは最近チラッと書いたことにも通じるが、周囲、特に同じチーム内の人間との心理的な距離が遠いことが大きい。
春先に急に倒れ、2ヶ月も会社を不在にし迷惑をかけたのは確かだが、復帰の当日、少なくとも同じチームの中では、誰からも、何の言葉もかけられなかった。
もともと休む前から自分自身は浮き気味ではあったが、病気という出来事を通じて、あるいは周囲の中では「なるべく関わりたくない人間」というコンセンサスが出来上がってしまったのか。
というのも、わが事業所には病気を盾にとって自己中心的な振る舞いをする不届き者も数人いて、普通に元気になって戻ってきただけの私に対しても「やっぱり精神を病んだヤツは…」的な偏見があるのかも分からない。
毎日同じ場所に通う同じチームの一員として協力すべきことは当然するが、深入りしたくない存在と思われているなら、そこは私が変えようとしても無理である。
そんな状態だから、私が職場で話すのは仕事に関する話だけである。
一人で作業する時間も長いから、一日いてもほとんどしゃべらない日も多い。
加えて、過去私のような者でも大変良くしてくれたり話し相手になってくれたりした貴重な人たちは、ことごとく退職や転勤でいなくなってしまった。
会社に行けばこの人に会える、話せるという楽しみは、仕事に出て行く張り合いにも当然なるが、今はそういったものは皆無である。
あまり言いたくはないことだが、同じ会社で2回も倒れてしまえば、多少なりとも縁の薄まりを感じざるを得ない。
そのタイミングと、大切な話し相手が目の前から消えて行くタイミングが重なって、職場の中に限ってはとてもニコニコできるような心持ちには今はなれない。
当面は、そのウップンは会社の外で解消するしかない。
飲むばかりではなくても、小旅行でも、ちょっとしたドライブでもいい。
心にいくつかある穴を少しでも埋めるのに、会社にいない時間は努めて人と話し楽しむようにしていきたい。