blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

いまをいきる

2018-06-16 23:13:13 | 休日
先の日曜、結構な遅い時間に妙齢の女性が自宅に訪問してきた。
こんな時間に何だろうと思ったが、宗教系や早起き系の勧誘ではなさそうだったので、とりあえず玄関先に出ることにした。

黒いスーツに身を包んだ彼女は、おずおずと用件を話し出したのだが、不動産投資という私のような貧乏人には最も縁遠い内容だった。
話に進展の見込みはないので普通にお断りしてもよかったが、会社の命令とは言えわざわざ戸別訪問などというこの節最も効率の悪い方法で熱心に食い下がってきた。
日を改めて上司と一緒に会ってほしいというので、さっそく翌日の月曜に自宅から車で5分ほどの某喫茶店まで行った。
どんな話が出ても「まず無理」な種類の話で、筆記用具やハンコの類は持っていかないと事前に彼女に告げ、しかしあえて出て行ったのは、今年は新しい経験を増やすというテーマのもと、知らない世界の話も何かの足しにはなると思ったからだ。

さて、かんじんの話については、相手が本題に入ることすらできないというハッキリ言って無駄な時間となった。
そうならなかったのは、本欄でも「不良中年」を名乗る私の価値観と、20代後半(には見えなかったが)、雰囲気的には時の人である朝鮮労働党委員長にも似た感じの上司との価値観がまったく相容れなかったことによる。
せっかくの貴重な時間を、冷やかしで来てその気のない人間のために無駄遣いさせたことは申し訳なかったが、二言目には「備え」や「現実」という言葉ばかりの彼の話は、正しいが面白くも何ともなかった。

いろいろ真面目な質問をされたところで期待に沿うような答えができないので、なぜか彼の方が半ギレ気味になってしまい、「会社が楽しくないなら生活保護でも受ければ」とか「これからベーシックインカム導入なんていう話もありますし」など、いかにも貧乏人を見下ろすような態度を取り始めた。
確かに貯蓄と呼べるようなものはなく月々の給料はただ回っているだけの私だが、仮にも企業に在籍し毎日仕事をしている人間に対してはあまりにも失礼な発言が目立ってきたのはひとえに彼の若さということであろう。
最後には、彼のオフィスで話をしているわけでもないのに「帰っていただけますか」「何で今日は来たんですか」などとダメ押しをかけてくるので、こちらは「いくら客としての見込みがなくても、さすがにその言葉は余計だ」と返して、そそくさとその場を去った。
最初に自宅まで来てくれた新人の女性の方が、なぜか「ありがとう、ありがとう」と何度も口にして出口まで送ってくれたのは意外だった。
私の話を聞いて考え方が変わり、今頃は辞表を提出しているかもしれない。

若くして預貯金が8ケタだと言ったその上司君だが、その若さでそれだけ貯めこむのに「今」をどれだけ犠牲にしてきたのだろうなどと考える。
遊びたい盛りの年齢で、すべてを我慢して遠い遠い未来のためにひたすら備えるというのは、夢に乏しい時代を生きてきた若い世代との彼自身の発言からも今の業種を選択しているだけの背景はあるとは思えるが、あまりにも守りに入りすぎてはいないか。
言っては何だが、血眼になって老後に備えてみたところで、そんなものは来ないかもしれないのだ。
どんなに真面目に堅実に生きてみたところで、「殺すなら誰でもよかった」などという人間に遭遇するとか、ながらスマホや認知症のドライバーの車に当たられるとか、悲しいことだが突然の災害とか、いろんな原因である日突然命を奪われることもあるのが人間で、そうなるかならないかは「運」ひとつである。

私自身は、よく誤解されるが、ただただ今が楽しければいいという生き方は、若い頃はそうだったかもしれないが今は違う。
今は、いつ死ぬかなんて分からないからこそ「いつ死んでも悔いがない」ように、一日一日を大切に生きたいのである。
少なくとも今できることをしないで、それこそある日刺されて終わったら何のために生まれてきたのか分からなくなる。
今取り組んでいる夢の部分では、この段階までは何があっても死ねないと感じているが、それとてほんの数ヶ月先のことに過ぎない。
そこを越えればあとは全ていただきものだと思って生きていくのが、資産運用などという世界にはとても足を入れられない人間の進むべき道なのだろうと思う。

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