blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

富山は花火か…。

2018-08-01 21:32:15 | 日記
8月1日といえば、富山市では恒例の花火大会の日である。
花火そのものは市内を流れる神通川の河川敷で上がるが、この花火は富山市の繁華街からもよく見える。
その中心街を一部歩行者天国にして、机や椅子も設置し、ビールを飲みながら時間にして1時間足らずではあるが花火を楽しめる。
そんな、すっかり市民には定着している花火大会も、もともとは1945年の富山大空襲の犠牲者を悼む催しとして1947年に始まり、一年とて途切れることなく今年で72回目を迎えたことになる。

富山大空襲は、民間人を含む死者約3,000人という大惨事となった。
原爆が投下された広島・長崎を除けば、地方都市への空襲としては死者の数は一番多い。
市街地の99.5%が焼失し、残ったのは石造りの富山県庁や富山電気ビルディングなど数えられる程度の建物だけだった。
現在は同盟国として、野望に燃える某国の侵略から我が国を守る役割を担っている米国も、敵国として戦っていた時代、当時の国際法でも禁止されていた民間人への無差別攻撃を日本中至るところで行なったことも記憶にとどめておいて損なことはない。
日本人など根絶やしになれとでも言わんばかりの無慈悲な攻撃は、特攻や沖縄戦など、およそ彼らには理解できない「捨て身」での抵抗を心底恐れた裏返しでもあった。
そんな時代の上に、今の我々の暮らしがあることに思いを致しつつ、来年も再来年も8月1日に花火は上がり続ける。

今年は残念ながら帰れないが、今週の土曜には故郷魚津市での海上花火大会がある。
市主催の夏祭りは、曜日を問わず長らく8月7日〜9日に固定されていたのだが、メインイベントの一つである「たてもん祭り」の担い手不足により、いわゆる「たてもん協力隊」を募る都合が出てきて、8月第1週の金曜〜日曜にずいぶん前に変更された。
300年に及ぶ伝統も人手不足には勝てないということか。

実家に帰るたびに市の広報に目を通すが、魚津市の人口は順調に減り続け、私が小さな時には5万人を超えていたものが、今では4万2千人程度まで落ちている。
それでも、かつての「新川(にいかわ)県」の県都であった名残か、富山市より東側の都市では依然として他の都市に比較して活気があるし、中心的な役割を担ってもいる。
県内各マスコミの支社も軒並み魚津にあるし、高等学校も4つあって若い人々の往来も多い。
東となりの黒部市には北陸新幹線の駅があるが、同じ黒部市の宇奈月温泉街の反対で、開業から3年を経た今も駅の近くにはビジネスホテル1軒とてできないため、夜には飲食店や宿泊施設が充実している魚津市に仕事関係の人も流れてくるのである。

今年は型通りお盆の時期に帰ることになりそうだが、先日の不快極まりない出来事の後だから、最近はずっとそうなのだが特に今年は地元の人間と交流しようとは思わないし、できることなら隠れていたいと思うくらいである。
スクールカーストで最底辺にいた人間は、どれだけ正しいことを主張したところで同級生の間では悪者扱いされるのが関の山だ。
わざわざ自分から、寄ってたかって責められるような場所に顔を出すくらいなら、実家でただただ日頃の疲れを癒していた方がいい。
もし地元で私に会いたいという奇特な人物がいるようなら、その時は喜んで出て行こうとは思っている。

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