blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

心は梅雨空、でも。

2018-06-15 18:50:15 | 日記
今週の勤務も無事に終わった。
やっていることは、休む前までにやってきたこととそんなに変わらない。
パートごとに微妙なルールの違いがあるだけで(なぜ同じ事業所でそうなるのかは謎)、そこにさえ対応できれば不安なことは何もない。

仕事をするにも、時間管理の面では大きく二種類のタイプがいて、一方は「今日はこの仕事まで」と決めて、それが済んだらもう定時まで手すきになっても構わないとする人、もう一方は「決められた時間までは仕事をする」と決めて、やりかけの仕事が出てもいいからとにかく物事を前に進めておきたい人、である。
今私が付いているベテラン社員は典型的な後者のタイプ、17時過ぎの定時という環境下、16時半に新しい依頼が来てもとりあえずは手をつける。
私はそういう人に付いているから、所属する部署の「シマ」に帰るのは定時ギリギリになるか、たまに越えることもある。

もちろん本人の担当は、直前の変更や追加が際立って多いパートだから、例えばせっかく16時ごろにその日の予定が終わったとしても容赦なく携帯で呼び出されてまた現場にトンボ返りする場面を何度も見る。
仕事の指図もなぜか夕方押し詰まってから出ることが多いので、それに応えてあげようという気持ちが強いのだと思う。
そういう事情や本人の性格もからんで、もうかなりの高齢なのに当たり前のように長時間の残業になっていた時期もある。
私はわりあいキリのいいところで物事を止めたいタイプなので、「この時間から何できるんやろ」と思うこともあるのだが、今の先生に逆らっては会社での居場所がなくなるので我慢している。

居場所といえば、わがチームのシマは他部署からは独立しているので、そこに集まるのは我がチームの人間しかいない。
当面の仕事が済めば一旦そこに帰って、新しい伝達事項などがないかチェックしたり、人手が必要な日付を確認したりする。
昼休みも、昼食が済めばそこに帰り13時までひたすら休む。
一日の中で、長い時間とは言えないが必ずいくばくかの時間は過ごす場所である。

過去、雑談の一つもできなければ仕事のささいなお願いさえしにくくなると書いた記憶があるが、現状ではチーム内での雑談には全く入っていけないし、挨拶をしてもほとんど返ってくることはない。
コミュニケーションと呼べるものを「シマ」の中で普段できないから、仕事上のささいなお願い事すら「意を決して」という感じになってしまう。
私が何かお願いしてやってくれないわけではないが、昨日などいかにも面倒くさそうな態度で対応されたので、やはり私はシマの中では「あまり関わりたくない存在」なのだろう。

病気を境に周囲との心理的な距離も離れ、仕事に出て行く張り合いも失い、仕事そのものも変わらず苦ではない程度で楽しくはない。
それなりに思い入れがあったつもりの今の会社との縁もここにきて急速に薄まってきている感じがしている。
そんな感じがしたところで、すぐに辞めるという話にはならないが、今取り組んでいる夢が実現するまではガマンしていようと思う。
それはやはり、本当に好きなことに本格的に取り組み始めたことが大きく、そこで見られる世界と比較すると、不思議なもので少しはあったつもりの「愛社精神」なるものが全くのウソっぱちだったことに気づかされるのだ。

夢への道のりは遠いが、少しずつ形として現れてきている。
もういくつかの段階を踏んで、まずは夢への第一歩となる完成版が出来上がってくる。
「生きた証し」としてはそれだけでも十分にも思えるが、心のふれあいもないただただ平板な職業生活を送るくらいなら、第一歩からさらに踏み出して文字通り羽ばたくことができるならそれに越したことはない。
何をもって幸せとするかはまさに十人十色、人によって違っていて当たり前だから、私は私なりの幸せに向かって進んでいこうと思う。
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