まず冒頭、地元富山での凶悪事件発生について。
私は富山市の出身ではないが、20代の後半は富山市を勤務地として働いていたし、富山市を住まいとしていた時間も短くはない。
事件現場付近もよく通ったし、今もその近隣に住む顔見知りも何人かいる。
2人の尊い命が奪われ、容疑者自身も意識不明の重体ということで、ただただ恐ろしく、ご遺族の悲しみはいかばかりかと思うと胸が痛む。
地味な県ではあるが、凶悪犯罪と自然災害の少なさは全国的にも自慢できる部分であっただけに今回の件は甚だ残念だし、あらためて、「殺すなら誰でも」と考えながら日々を悶々と過ごしている人間はどこにでもいると気づくと同時に、ある日突然命を奪われても悔いがないように毎日を大切に生きなければという思いを強くする。
毎日を大切にという思いは、仕事を離れた部分ではあるが、長い間温めた一つの夢を追うという形の行動に表している。
その夢とて、今は人さまの強力なサポートを受けながら進んでいるが、いつかはそれも終わり、あとは文字通りの自分しだいとなる。
力強い第一歩までは見てもらえるが、二歩三歩と発展させていくのは自分の努力以外にはない。
人さまに認めてもらって一定の段階までたどり着いているのだから、その分野での能力が備わっていることには相違ない。
しかも私自身がその能力をなくすまで、いや、能力をなくしてしまっても、たとえ私がこの世を去っても、何らかの形で後世に残り続ける可能性のあるものは、一つより二つ、二つより三つ、多ければ多いほどいいではないか。
夢とは反対の現実の世界、平日のほとんどの時間を支配する現在の勤務の方は、復帰以後特に大きなミスもなく、良く言えば順調に、悪く言えば平板に過ぎている。
もはや周囲と和気藹々などは望むべくもなく、ひたすらロボットかサイボーグかのごとくに指示を淡々とこなす毎日は寂しいと言えば寂しいが、病気で休む前から状況としては同じようなものだ。
楽しいのは乗り物(フォークリフト)の運転くらいで、特に心躍るような場面は今の仕事中においてはない。
休んでいる間に、勝手ながら職場での張り合いにしてきた人だったり良き話し相手だったりした人が軒並み今の職場からいなくなったのも残念な部分ではあるが、そのために気分が極端に落ち込むことはない。
いなくなったからといって文句を言える筋合いはないし、むしろ毎朝眠い目をこすって、重い体を引きずってでも職場に足を向かせてくれる存在としていてくれたことに感謝する気持ちの方が大きい。
詳しい事情は割愛するが、もともと当地に来た時点では「余剰人員」だったし(今は形式上はそうなっていないが)、おまけに一度病気で長期離脱をやってしまった私だから、下手なアピールをしてもどうしようもないし、誰も口にこそ出さないが、今後私に大きな期待が寄せられる場面があるかと言えばそれは違う。
だからと言って手抜きや気の緩みがあっていいというのではもちろんなく(職種柄ケガや事故につながる)、あまり高いところは見ずに目の前をしっかりとこなすというところに集中していけばよいと思う。
上司から言われるまでもなく「自分の代わりなんていくらでもいる」と気を楽にしているくらいの方が、少なくとも再び倒れるなどという事態は避けられるのではないかと思う。
私は富山市の出身ではないが、20代の後半は富山市を勤務地として働いていたし、富山市を住まいとしていた時間も短くはない。
事件現場付近もよく通ったし、今もその近隣に住む顔見知りも何人かいる。
2人の尊い命が奪われ、容疑者自身も意識不明の重体ということで、ただただ恐ろしく、ご遺族の悲しみはいかばかりかと思うと胸が痛む。
地味な県ではあるが、凶悪犯罪と自然災害の少なさは全国的にも自慢できる部分であっただけに今回の件は甚だ残念だし、あらためて、「殺すなら誰でも」と考えながら日々を悶々と過ごしている人間はどこにでもいると気づくと同時に、ある日突然命を奪われても悔いがないように毎日を大切に生きなければという思いを強くする。
毎日を大切にという思いは、仕事を離れた部分ではあるが、長い間温めた一つの夢を追うという形の行動に表している。
その夢とて、今は人さまの強力なサポートを受けながら進んでいるが、いつかはそれも終わり、あとは文字通りの自分しだいとなる。
力強い第一歩までは見てもらえるが、二歩三歩と発展させていくのは自分の努力以外にはない。
人さまに認めてもらって一定の段階までたどり着いているのだから、その分野での能力が備わっていることには相違ない。
しかも私自身がその能力をなくすまで、いや、能力をなくしてしまっても、たとえ私がこの世を去っても、何らかの形で後世に残り続ける可能性のあるものは、一つより二つ、二つより三つ、多ければ多いほどいいではないか。
夢とは反対の現実の世界、平日のほとんどの時間を支配する現在の勤務の方は、復帰以後特に大きなミスもなく、良く言えば順調に、悪く言えば平板に過ぎている。
もはや周囲と和気藹々などは望むべくもなく、ひたすらロボットかサイボーグかのごとくに指示を淡々とこなす毎日は寂しいと言えば寂しいが、病気で休む前から状況としては同じようなものだ。
楽しいのは乗り物(フォークリフト)の運転くらいで、特に心躍るような場面は今の仕事中においてはない。
休んでいる間に、勝手ながら職場での張り合いにしてきた人だったり良き話し相手だったりした人が軒並み今の職場からいなくなったのも残念な部分ではあるが、そのために気分が極端に落ち込むことはない。
いなくなったからといって文句を言える筋合いはないし、むしろ毎朝眠い目をこすって、重い体を引きずってでも職場に足を向かせてくれる存在としていてくれたことに感謝する気持ちの方が大きい。
詳しい事情は割愛するが、もともと当地に来た時点では「余剰人員」だったし(今は形式上はそうなっていないが)、おまけに一度病気で長期離脱をやってしまった私だから、下手なアピールをしてもどうしようもないし、誰も口にこそ出さないが、今後私に大きな期待が寄せられる場面があるかと言えばそれは違う。
だからと言って手抜きや気の緩みがあっていいというのではもちろんなく(職種柄ケガや事故につながる)、あまり高いところは見ずに目の前をしっかりとこなすというところに集中していけばよいと思う。
上司から言われるまでもなく「自分の代わりなんていくらでもいる」と気を楽にしているくらいの方が、少なくとも再び倒れるなどという事態は避けられるのではないかと思う。