昨日の続きのような話になってしまうが、今日は「思考のデジタル化」について書いてみたい。
デジタルの世界というのは「0」と「1」で出来ている。
「無」と「有」の両極端で構成されているのがデジタルである。
アルかナイかだから、中間がない。
中間がないということは「あいまいさ」もないというのは昨日書いた通りである。
私の勤務先はお店だから当然いろいろな人が来る。
最近で驚いたのは、靴の中敷きを買ってすぐに使いたいからハサミを貸してくれと言ってきた人である。
断る理由もないので貸したが、店のカウンターを占領して延々と中敷きを加工している姿を見ると「それでいいのか」と思ってしまう。
なぜこんな例を出したかというと、この人はまさに思考がデジタル化している典型であるからだ。
この人は、店員(=私)に「ダメ」と言われなかったから、店の貴重なスペースに居座って中敷きの加工をした。
確かに店のマニュアルでは、中敷きの加工にハサミを貸すことを断れ、とは書いてない。
しかし、ダメと書いてないから、言われないから「いい」というものではない。
「ダメでない」から「いい」というのは、極端な思考である。
ダメとは書いてなくても、こうした行為は明らかに常識外れだ。
中敷きの加工は普通は家でするものだろう。
近年は社会に余裕がなくなって、ゴネ得や言ったもの勝ちが堂々とまかり通るようになってきたように見える。
取れるものは何でも取ってやろうという人間が、最近では評価されるようでもあり、何となく悲しい気持ちにはなる。
明日は、マニュアルと思考のデジタル化の関連について。
デジタルの世界というのは「0」と「1」で出来ている。
「無」と「有」の両極端で構成されているのがデジタルである。
アルかナイかだから、中間がない。
中間がないということは「あいまいさ」もないというのは昨日書いた通りである。
私の勤務先はお店だから当然いろいろな人が来る。
最近で驚いたのは、靴の中敷きを買ってすぐに使いたいからハサミを貸してくれと言ってきた人である。
断る理由もないので貸したが、店のカウンターを占領して延々と中敷きを加工している姿を見ると「それでいいのか」と思ってしまう。
なぜこんな例を出したかというと、この人はまさに思考がデジタル化している典型であるからだ。
この人は、店員(=私)に「ダメ」と言われなかったから、店の貴重なスペースに居座って中敷きの加工をした。
確かに店のマニュアルでは、中敷きの加工にハサミを貸すことを断れ、とは書いてない。
しかし、ダメと書いてないから、言われないから「いい」というものではない。
「ダメでない」から「いい」というのは、極端な思考である。
ダメとは書いてなくても、こうした行為は明らかに常識外れだ。
中敷きの加工は普通は家でするものだろう。
近年は社会に余裕がなくなって、ゴネ得や言ったもの勝ちが堂々とまかり通るようになってきたように見える。
取れるものは何でも取ってやろうという人間が、最近では評価されるようでもあり、何となく悲しい気持ちにはなる。
明日は、マニュアルと思考のデジタル化の関連について。
ありがとうございました。