全体の朝礼は月初のみのようだが、今日から突然、各部門での朝礼が始まった。
朝礼の内容は昨日と同じだからまるで意味がないのは当然として、姿勢とか両手の位置とか、なおさらどうでもいいことが指摘の対象になる。
いよいよわが社も「カルト」への道を歩みだしたようだ。
以前本欄で紹介した画像の文句も毎日唱和させられることになる。
わが社では「できる唱和」と呼んでいるが、少し調べた限りでは「わが社のオリジナルではない」ことは断言できる。
誰が考えたのかまでは調べがつかなかったが、まったく同じ文句を掲げている企業がたくさんあることは分かった。
どこかの偉い人が考えたのかもしれないが、ウチの社長のような真性体育会系はこういったある種の権威めいたものに非常に弱い。
自分で考える力がないから、まるまる借り物の文句でもへっちゃらである。
少しでもアレンジしてあれば、私のようにすぐ調べ上げる人間にはバレなくて済んだのだが、そこまで求めるのは体育会系にはかわいそうだ。
毎日毎日型どおりの動作をこなすことが朝礼の目的ではない。
重要事項を伝達すること、情報を共有し合うことがこういった場の本来の姿であって、内容は毎日違っているのが当たり前である。
極端な話、急に経営が傾いても同じことをしていたらそれこそ大バカだろう。
日々の朝礼や終礼、業務日誌とか日報とか呼ばれるものが機能していればそうそう「風通し」は悪くならない。
言葉や文章を手がかりにして、思わぬ広がりができることもある。
本旨とはややずれるが、昨日の朝礼での社長の一言目は「私が変な人間ならいろいろな会のリーダーになれるか」というものであった。
確かに数え切れない公職・肩書きを抱えてはいるが、月の初めをいきなり「自らの正当化」から始める人も珍しい。
日頃の暴力的なオペレーションに後ろめたさでもあるのか、わざわざ自分からこんなことを言って、「お前ら俺のことを異常な人間だと思ってないだろうな」と脅しをかけているわけだ。
こういうことを口にしてしまう人間こそが「異常」であり、どうしようもない「小物」とも言えよう。
「宇宙人と呼ばれている人が総理大臣になっていますが」というツッコミはひとまず飲み込んだが、変な人がリーダーになるのは残念ながらよくある話だ。
何度も書くが、いずれこの人間がただのジイさんになったとき、相手をする人間はいないのだろう。
朝礼の内容は昨日と同じだからまるで意味がないのは当然として、姿勢とか両手の位置とか、なおさらどうでもいいことが指摘の対象になる。
いよいよわが社も「カルト」への道を歩みだしたようだ。
以前本欄で紹介した画像の文句も毎日唱和させられることになる。
わが社では「できる唱和」と呼んでいるが、少し調べた限りでは「わが社のオリジナルではない」ことは断言できる。
誰が考えたのかまでは調べがつかなかったが、まったく同じ文句を掲げている企業がたくさんあることは分かった。
どこかの偉い人が考えたのかもしれないが、ウチの社長のような真性体育会系はこういったある種の権威めいたものに非常に弱い。
自分で考える力がないから、まるまる借り物の文句でもへっちゃらである。
少しでもアレンジしてあれば、私のようにすぐ調べ上げる人間にはバレなくて済んだのだが、そこまで求めるのは体育会系にはかわいそうだ。
毎日毎日型どおりの動作をこなすことが朝礼の目的ではない。
重要事項を伝達すること、情報を共有し合うことがこういった場の本来の姿であって、内容は毎日違っているのが当たり前である。
極端な話、急に経営が傾いても同じことをしていたらそれこそ大バカだろう。
日々の朝礼や終礼、業務日誌とか日報とか呼ばれるものが機能していればそうそう「風通し」は悪くならない。
言葉や文章を手がかりにして、思わぬ広がりができることもある。
本旨とはややずれるが、昨日の朝礼での社長の一言目は「私が変な人間ならいろいろな会のリーダーになれるか」というものであった。
確かに数え切れない公職・肩書きを抱えてはいるが、月の初めをいきなり「自らの正当化」から始める人も珍しい。
日頃の暴力的なオペレーションに後ろめたさでもあるのか、わざわざ自分からこんなことを言って、「お前ら俺のことを異常な人間だと思ってないだろうな」と脅しをかけているわけだ。
こういうことを口にしてしまう人間こそが「異常」であり、どうしようもない「小物」とも言えよう。
「宇宙人と呼ばれている人が総理大臣になっていますが」というツッコミはひとまず飲み込んだが、変な人がリーダーになるのは残念ながらよくある話だ。
何度も書くが、いずれこの人間がただのジイさんになったとき、相手をする人間はいないのだろう。