写真で綴る気ままなすぎさん

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皇室のゆかりの新宿御苑の菊花壇展 (3)

2019年11月16日 18時56分08秒 | 東京 桜めぐり

皇室のゆかりの新宿御苑の菊花壇展 「伊勢菊」「丁子菊」「嵯峨菊」「大作り」
新宿御苑の菊花壇は皇室ゆかりの伝統を受け継ぎ明治37年(1904)から栽培されています。
日本の園芸品種、菊は奈良時代末から平安時代で、その後 室町、江戸時代と発達をとげて、明治元年に菊が皇室の紋章に定めれた。明治11年(1878) 宮内省は皇室を中心として菊を鑑賞する初めて「菊花拝観」を赤坂の仮皇居で催された。展示用の菊は当初は赤坂離宮内で栽培されていたが、明治37年(1904)より新宿御苑でも菊の栽培される様になり、昭和4年(1929)からは鑑菊会も御苑で行われる様になった。新宿御苑では、1本の茎から数百輪もの花を咲かせる「大作り」「嵯峨菊」「丁子菊」「伊勢菊」「江戸菊」「肥後菊」「懸崖作り」など
江戸菊 花が咲いた後、花びらが立ち上がったりねじれたりと、変化していくのが特徴で、咲き進むごとに表情を変えていく事から「狂菊」という別名もある。 くるくると幾重にも折り重なった花びらが開くと、中央に抱かれた花弁が顔をのぞかせました。種類によって花びらの変化は異なり、それぞれに「追抱」、「褄折抱」、「丸抱」、「乱れ抱」、「自然抱」」、「管抱」という7通りの名前がつけられている。

黄色の江戸菊

白の江戸菊

紫の江戸菊

江戸菊 「追抱」、「褄折抱」、「丸抱」、「乱れ抱」、「自然抱」」、「管抱」

肥後菊花壇 肥後菊は、18世紀末に肥後(熊本)地方で、藩主・細川公が藩政施行の文化政策の一つとして、栽培が始められ発達した古典菊です。清廉なこの菊を例に、武士道の意義を説いたといわれています。藩外への流出を固く禁じるなど、長い間門外不出の秘花でしたが、藩士・秀島英露が栽培方法や花壇様式の作法を考案した、「養菊指南書」を著し、全国に広まりました。花は一重咲きで花びらは平たいものと管状のものがあります。花びらと花びらの間に隙間があるのが特徴です。肥後菊 肥後菊は,古くから肥後地方で作られた一重咲きの古典菊で,おもに武士の精神修養として発達した花。一重咲きですっきりしています。肥後菊は背丈や花の大きさによって、大菊(後菊)、中菊(中菊)、小菊(前菊)に分けてられている。

一文字菊、管物菊花壇 一文字菊は一重咲きで、花びらが平たく幅広く伸びるのが特徴。この菊は御紋章菊ともよばれている。管物菊とは、すべての花びらが管状になっている菊で、花びらの太いものを太管物菊、細いものを細管物菊、中間の太さを間管菊とよんでいる。

大菊花壇 厚物、花びらの先端が中心に向かってうろこ状に丸く盛り上がって、手まりのような形になるのが特徴です。厚走りは、一番外側の花びらが長く飛び出ています。 11本の花の美しさはもちろんのこと、各列に並んだ花の整形美や色彩の変化、これに調和する建物の総合美を鑑賞します。

皇室のゆかりの新宿御苑の菊花壇展 (1) 
皇室のゆかりの新宿御苑の菊花壇展 (2) 




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