写真で綴る気ままなすぎさん

野鳥・花・祭り・生活など気ままに撮り歩いた写真の紹介

我孫子 白樺派の散歩道とまちなみ(4) 鳥の博物館~旧武者小路実篤邸跡

2020年05月17日 07時12分00秒 | 我孫子・手賀沼・あけぼの山公園

我孫子は白樺派の文人をはじめ、数多くの文化人が居を構え、別荘を持った場所としても知られ「北の鎌倉」と称された事もありました。今回は緊急事態宣言で遠出は出来ないので、運動にはちょうど良い距離でしたのでアビスタインフォメーションから頂いた「白樺派の散歩道と水辺の町並みコースMAP」を基準に歩いてみました。
我孫子白樺派の散歩道とまちなみ(1) 我孫子駅~主子の神道標
(1)飯泉喜雄顕彰碑~ (2)停車場道碑~ (3)けやきプラザ・右側 アビシルベ(我孫子インフォメーションセンター)(4)蚕霊塔~ (5)山一林組製糸工場跡及び石橋製糸工場跡~ (6)我孫子宿本陣跡~ (7) 旧我孫子宿名邸~ (8)主子の神道標・従是子神道
我孫子 白樺派の散歩道とまちなみ(2) 香取神社~杉村楚人冠記念館
(9)香取神社~ (10)天神坂~ (11)柳宗悦邸跡~ (12)嘉納治五郎別荘跡~ (13)楚人冠公園~ (14)杉村楚人冠記念館
我孫子 白樺派の散歩道とまちなみ(3) 白樺文学館~子の神大黒天
(15)我孫子市白樺文学館~(16)ハケの道~ (17)志賀直哉邸跡~ (18)旧村川別荘~ (19)子の神大黒天
我孫子 白樺派 散歩道とまちなみ(4) 鳥の博物館~旧武者小路実篤邸跡★
(20)鳥の博物館~ (21)親水広場・水の館~ (22)山階鳥類研究所~ (23)文学の広場~ (24)血脇守之助謝恩の碑~ (25)バーナード・リーチ碑~ (26)手賀沼公園・平和の記念碑~ (27)ご江間の渡し~ (28)中勘助仮寓跡~ (29)旧武者小路実篤邸跡
我孫子市ゆかりの文化人

(20)鳥の博物館~(大人300円、高大生200円、小中学生100円、70歳以上無料、月曜日休館。祝日の場合は、次の平日が休館) 平成2 (1990)年に日本唯一の鳥類専門の博物館として開館。

「人と鳥の共存をめざして」をテーマに数々の貴重な資料を展示 常設展示「世界の鳥」定期的に企画展が開催され、参加型のイベントも

(21)山階鳥類研究所~ 見学は毎月第4金曜日、要予約
故山階芳麿博士が建てた山階鳥類標 本館が前身。昭和59年(1984) に東京都渋谷区から我孫子市へ移転。わが国唯一の民間鳥類専門研究機関。標本7万点、図書4万点。

(22)親水広場・水の館~開館時間:午前9時から午後5時 閉館日:毎月第4水曜日(第4水曜日が祝日にあたる場合は第3水曜日)、年末年始(12月29日から1月4日まで)平成3 (1991)年開設
水に親しむ機会を通して手賀沼の水環境保全の大切さを皆さんに感じていただく事を目的とした施設。農産物直売所や飲食等の施設

親水公園からの手賀沼大橋

親水公園前のカッパ像

手賀沼遊歩道

(23)文学の広場~
我孫子ゆかりの人々(嘉納治五郎ご柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤なご)の紹介碑。斎藤茂吉の歌碑。

手賀沼 ゆかりの文人たち
大正時代、手賀沼の畔には多くの作家や文化人がらし、名作生み出した。沼近くに別荘をもった柔道家の嘉納治五郎にみちびかり、白樺派の柳宗悦、志賀直哉、むしゃこ武者小路實篤がつぎつぎに移り住み、語り合い、思索を深め、創作に励んだ。陶工のバーナード・リーチや「銀の匙」の中勘助、「無限抱擁」の瀧井幸作も作品を残している。ジャーナリストの杉村楚人冠も「湖畔吟」などの随筆を発表し、手賀沼の風物を全国に紹介した。

志賀直哉

杉村楚人冠

文学の広場は工事中でした。

(24)血脇守之助謝恩の碑~
血脇守之助は我孫子宿旅館「かど屋」加藤家に生まれた。高山歯科医学院に学び、後に同院の経営を継ぎ、東京歯科大学に発展させた。

(25)バーナード・リーチ碑~明治42 (1909)年に来日。後、六代目尾形乾山の門下となる。大正5 (1916)年から同8年までおよそ3年間、柳宗悦邸内に窯を築き、作品を残す。

我孫子公園 アビスタ ミニSL 手賀沼に面した開放感のある公園。
ベンチや東屋があリ休憩をしながら市の鳥 オオバンなど、水辺の鳥を通年観察する事ができる。白鳥の貸しボート屋や、土日はミニSLが走るなど親子連れにも人気です。

(26)手賀沼公園・平和の記念碑~
我孫子市は恒久平和を願い平和都市宣言をし、被爆した広島市庁舎の側壁と敷石を譲り受けた。
 昭和61年8月6日、平和の記念碑を建立

(27)ご江間の渡し~手賀沼 公園の西端、湖上園の前に風早村~我孫子町を結ぶ県営渡船場(昭和 28 ~ 39 年)があった。その船、中秋丸は村長・町長の名前からつけられた。 この県営事業以前に、高嶋家の南(竹山附近)に 五江間の渡しがあった。

(28)中勘助仮寓跡~ (非公開)
中勘助は夏目漱石の門下。1920(大正9)年から1923(大正12)年まで高嶋家に仮寓。
「沼のほとり」「提婆達多」「犬」などの作品を残す。
代表作は1913(大正2)年発表の「銀の匙」朝日文化賞を受賞。敷地内は非公開

(29)旧武者小路実篤邸跡(非公開)
我孫子市船戸地区にあり~武者小路実篤は、白樺派の創始者で、大正5年(1916年)~7年(1918年)に我孫子に居住し、志賀直哉や柳宋悦などと交流、ここで「大和武尊」「AとB」などを執筆しました。



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