我孫子は白樺派の文人をはじめ、数多くの文化人が居を構え、別荘を持った場所としても知られ「北の鎌倉」と称された事もありました。今回は緊急事態宣言で遠出は出来ないので、運動にはちょうど良い距離でしたのでアビスタインフォメーションから頂いた「白樺派の散歩道と水辺の町並みコースMAP」を基準に歩いてみました。
我孫子 白樺派の散歩道とまちなみ(3) 白樺文学館・志賀直哉邸跡など
❶我孫子白樺派の散歩道とまちなみ(1) 我孫子駅~主子の神道標
(1)飯泉喜雄顕彰碑~ (2)停車場道碑~ (3)けやきプラザ・右側 アビシルベ(我孫子インフォメーションセンター)(4)蚕霊塔~ (5)山一林組製糸工場跡及び石橋製糸工場跡~ (6)我孫子宿本陣跡~ (7) 旧我孫子宿名邸~ (8)主子の神道標・従是子神道
❷我孫子 白樺派の散歩道とまちなみ(2) 香取神社~杉村楚人冠記念館
(9)香取神社~ (10)天神坂~ (11)柳宗悦邸跡~ (12)嘉納治五郎別荘跡~ (13)楚人冠公園~ (14)杉村楚人冠記念館
❸我孫子 白樺派の散歩道とまちなみ(3) 白樺文学館~子の神大黒天
(15)我孫子市白樺文学館~(16)ハケの道~ (17)志賀直哉邸跡~ (18)旧村川別荘~ (19)子の神大黒天
❹我孫子 白樺派 散歩道とまちなみ(4) 鳥の博物館~旧武者小路実篤邸跡
(20)親水広場・水の館~ (21)鳥の博物館~ (22)山階鳥類研究所~ (23)文学の広場~ (24)血脇守之助謝恩の碑~ (25)バーナード・リーチ碑~ (26)手賀沼公園・平和の記念碑~ (27)ご江間の渡し~ (28)中勘助仮寓跡~ (29)旧武者小路実篤邸跡
(15)白樺派の小径(ハケの道)
白樺派の柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤たちが暮らし、彼らも歩いたハケの道です。
(16)我孫子市白樺文学館(大人300:円、高大生200円、小中生100円、月曜日休館。佐野力氏が設立し、市に寄贈。白樺文学館明治43 (1910)年に創刊された雑誌「白樺」を中心に展開された新しい文芸活動「白樺派」の資料館。中心人物である柳宗悦。志賀直哉、武者小路実篤らに縁のある品物を展示しています。アルト声楽家でもあった兼子が使用したピアノの演奏も定期的に開催されています。
(17)志賀直哉邸跡~
大正4 (1915)年から同12年まで過ごす。武者小路実篤などと文芸雑誌「白樺」を刊行。「和解」「暗夜行路(前編)」「小僧の神様」などの代表作を書き、小説の神様といわれた。
復元した書斎が移築。
(18)旧村川別荘~
旧村川別荘(月曜日休館) 東京帝国大学教授(西洋古代史)旧村川別荘西洋古代史学者 村川堅固・堅太郎親子が大正時代に別荘として利用していました。
村川堅固が大正10(1921 )年に我孫子宿本陣の離れ屋を購入、移築して母屋に
季節のイベントを開催しています。
昭和3 (19 2 8)年に朝鮮式とされる新館を建てる。
子息・堅大も東京大学教授。陶芸家バーナード・リーチ設計の三角椅子を展示されている。
富士山も見え、ダイヤモンド富士が見れます。
(19)子の神大黒天延寿院~
子の神大黒天延寿院 子の神大黒天は、ネズミを使徒とする大黒天を祀っています。伝説によると源頼朝が脚気にかかると夢に白ネズミに乗った翁が現れ、柊で足を祓うと治ったといわれています。腰下の疾患に霊験ありといわれ遠近より参詣者で賑わったといわれています。
10月に柴燈護摩・火渡りの行事がある。
新四国相馬八十八カ所霊場38・43番札所
ブリキ草鞋を奉納。
特に腰から下の疾患に対してご利益がある。
「金のわらじ」と「二つの名器」(性器崇拝・子授け祈願)が鎮座している。
脚腰の象徴である「わらじ」に願をかけつつ、たくさんの「金のわらじ」が境内に奉納されている。
一基の前方後円墳と十三基の円墳からなる群集墳で、六世紀初頭から末にかけて造られたものである。
❶我孫子白樺派の散歩道とまちなみ(1) 我孫子周辺
❷我孫子 白樺派の散歩道とまちなみ(2) 嘉納治五郎別荘跡など
❸我孫子 白樺派の散歩道とまちなみ(3) 白樺文学館・志賀直哉邸跡など
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